紙の本
まだ十分に語られていない、しかし深い文化的要素をもった東北地方について学んでみませんか?
2020/03/28 11:26
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国の東北地方の独特の文化、歴史を見い出しながら、「新しい日本」を発見していこうという試みをもった一冊です。同書の著者によれば、「東北は、未だに自らの歴史や文化の核たるものが語られていない」と言います。しかし、「稲作中心史観に養われた南からのまなざしを斥けた時、そこには縄文的なものと弥生的なものとが重層的に織りなされる深い相貌が見えてくる」とも主張されています。こうした、まだ明確に語られていない、しかしながら、深い文化的要素を孕んだ東北地方について、今、改めて検証を試みた興味深い書です。
紙の本
東北から東北を考えることは日本を考えること
2015/08/11 15:16
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投稿者:若杉一路 - この投稿者のレビュー一覧を見る
“「いくつもの日本」へ 赤坂東北学はここから始まった”
という帯のコピーが象徴的に語っている。
東北に暮らし、東北をめぐり歩いた私自身のの経験から、
赤坂東北学は“本物”を感じる。
物静かな赤坂氏にしては、気負った言い回しがところどころに顔を出す。
“ここから始まった”という読後感がひとしおである。
自らを語らぬ東北を語ることの豊饒さがここにある。
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日本人は南方からやってきた稲作民族であり、広がる水田こそ懐かしい原風景…という認識に異を唱える本。それは柳田國男が生み出した幻想であり、その幻想を取り去ったところにこそ、一元的ではないいくつもの日本があるはずだ、という主張である。
それに異議はない。実におもしろいテーマだとも思う。が、読んでいると本当にいらいらするのだ。
まず、文章の体裁が予期したものと違うこと。学術論文というより紀行文に近く、読み手は著者の内面につきあわなくてはならない。
加えて、「気がする」「思う」「内なる声が語る」みたいな表現が多すぎる。はっきり語られることは何もなく、新しい考え方はほのめかされるばかりである。著者の中に異様に高い壁があって、乗り越えるのをためらっているような印象だ。柳田國男に反旗を翻している内容にも関わらず、今まで読んだどんな本より柳田が大きく見えるぞ。
そんなわけで不満だった。残念。
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私も一応、宮城の人間です。過ごした時間はわずかですが間違いなく、東北人です。歴史上、東北という土地がこの国の中心になった時代はありません。これはなにも東北に限った事ではないですが、それでも東北は古代は蝦夷・毛人と呼ばれ蛮族扱い、幕末には賊として討たれ、以降も現在に至るまで「中央」にいいように扱われている。「中央」の持つイメージを東北に押し付けられている。そんな思いをうっすらと持っているので、内側から東北を見つめ、柳田國男をはじめとして作られた東北観に疑問を呈するこの本は、私の中に流れる血が騒ぎ出しました。
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柳田民俗学を超えていこうとしている著者の東北の縄文的なもの、弥生的なものを説明いている本ですが、やや、難しかったです。しかし縄文人が十和田湖を見てどのように思っただろうか、という件は非常に印象に残る部分です。マタギとアイヌの言葉の酷似していることが何を意味するのか、そしてマタギは、皮革づくりをして不浄であると差別された西日本の人たちと異なった評価を受けている理由など、興味深いところは時々ありました。
東北地方が民俗学の舞台になることは非常に説得力があります。
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[ 内容 ]
南/北の種族=文化が相交わる境としての東北。
いまだ自らの歴史や文化の核たるものが語られていない東北。
稲作中心史観に養われた南からのまなざしを斥けたとき、そこには縄文的なものと弥生的なものが重層的に織りなされ北方へとつながる深い相貌が見えてくる。
柳田民俗学の限界を乗り越えて「いくつもの日本」を発見するための方法的出発の書。
[ 目次 ]
東北へ/東北から
歴史を笑え、と幼い詩人に祖父は教えた
サイの河原に、早池峰を仰ぐ児らがいた
ナマハゲの鬼は男鹿の山から来た、という
日時計の向こうに、縄文の夕陽が沈んだ
大同二年に、窟の奥で悪路王は死んだ
その晩、鮭の大助は月光川をのぼる
山に生かされた者らよ、と石の環が囁く
鉱山で、山の神の代官たちが福音を説いた
ネブタ囃しに、遠く異族の血が燃えて騒ぐ〔ほか〕
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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エッセイ。東北紀行文。以下の項目についてわずかずつ言及有り。賽の河原。達谷の窟。田村麻呂伝説。鮭の大助。マタギ。オシラサマ。ネブタ。サンカ、など。
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「くまみこ」のアニメを見始めたので,なんとなく読み始めてみた一冊。
北海道のアイヌと東北の蝦夷は連続しているのでは,というあたり,「くまみこ」のマチの衣装がアイヌっぽいけどでも舞台は東北,というのとなんとなく繋がっているような感じがあり,あと結構熊の話題も多かったので,そのあたりが頭の中で結びついて(本当はぜんぜん関連がなくて結びつけてはいけないものだったのかもしれないけれども)するすると読めた気がする。
三部作(で合ってたかしら?)のようなので,続きも読んでみようかみるまいか。
本書の中で何度も引用され,批判されていた「雪国の春」は青空文庫版を読むべく,kindleにダウンロードしてみました。
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最初だけ読んで、長らく積ん読の山に入っていた本。もう一度読み始めたらけっこう面白かった。主に山形・岩手・秋田…あたりが登場します。
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150131 中央図書館
「東北学」というより、紀行エッセイに近い。
柳田國男により定着している「瑞穂の国」に溶け込んだ東北、芭蕉の『奥の細道』のように都視線の歌枕として価値を見出される東北。そういった像には違和感があることを認めるべし、と赤坂は言う。辺境でもない、まつろわないために屈服せしめられ編入されたというものでもない、ありのままの東北の描像を試みている。
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学術文庫かね、これ。というのが、読後の感想。
ただ、内容は決して劣っている訳ではなく、無意識的に刷り込まれていた「単一文化・民族」の日本という幻想を、幻想であると気づかせてくれる、良書。
他方、他の人のレビューにも書いているとおり、本書はどちらかといえば筆者の紀行文に近い。「東北学」を立ち上げるにあたって始めたフィールドワークの記憶と記録をやや感傷的に振り返り、その都度、日本民俗学を研究するにあたっては避けては通れない柳田國男氏の視点を対置し、いや、逆説的にはその視点を通して、東北を眺め、問題提起をむにゃむにゃとおこなうスタイルである。
「東北学」を理解するためには、この本だけでは絶対に足りない。あくまで、東北学に興味を持つきっかけを与えてくれる本として、本書を捉えるべきである。そういう意味で、「学術文庫」とするには少しお門違いな気がするのである。
さあ、柳田國男氏の著作から、もう一度読み直しである。