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モテるモテないを気にするのにあんまり実行してないんじゃないの?
って印象を受けるんだよね昨今の男子には。
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三浦さんの本は2冊目ですが前に読んだものよりはかなり納得できました。相変わらずデータを使った分析は読みづらいし信憑性も微妙だったけど、「そうなんですね」と相槌を打つ若者の心理はかなりなるほどって思えました。私もあまり興味ないときは「そうなんですね」使いますwそれと女性が性に対して開放的になりすぎというのは、確かにそうですよねぇ。。。
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三低 低姿勢、低依存、低リスク 便所飯 学生食道で一人で食べているのを見られるのがいや 「しかし最近はいい女がいない。ファーストフードみたいな女ばかりだ」 女性の男性支配が家庭の外に及ぶ
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現在の若者は,その希望の源泉が『女性にモテること』.
社会の価値観の変遷,メディアの氾濫により,女性と男性の立場や価値観の変化が伴ってきた.
求められる男性像が変化して,『女性に気に入られるための男性,つまり女性を立てられる男性』が望まれるようになってきている.
もしくは,やたらと優秀な男性.
また希望の源泉がモテであることで,モテるひとはさらに自信をつけ,モテない人は自信がつかないので,どんどん自信がある人がモテるようになる.
頑張れ男性!!
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ワタシが考えていたことを実証してくれてそう、と流し読み。
しかし、男性からの視点やったので、あまり役に立ちそうにない。
ワタシだって非正社員やもん〜。
見た目のよい男性を求む。
そんなことをぬかしても許されるようなええ女になるべ。
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上京時、車内で読むために買った。
三浦展がどういうことを書いているのか、
ちょっと気になったので。
なかなか興味深くはあったが、
ランク4をつけるには
内容が浅い気がしたので、
3にした。
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図書館で借りた。
容姿やモテが経済格差、正社員格差につながることを示している。
秋葉原で通り魔をしたKが派遣社員だったことを盛んに取り上げているメディアに納得できない著者が眼をつけたのが、Kが容姿を気にしていることだった。そこから分析が始まっている。
容姿が良すぎても非正規社員になる傾向があるのは面白いと思った。
正社員はモテ過ぎもせずモテなさ過ぎる事もなく、容姿も可もなく不可もない中庸な人がなりやすいようだ。その中で菅原勝寿さんがこの本の中で述べている箇所に、「企業は多様な人を正社員として受容する能力を失っているのではないか?」 さらに「主流でない人を排除する社会になっているのではないか」とある。
佐藤留美さんがこの本の中で、「雑誌an・anから見た変化」という文章を書いている。女性がどんな風に変化してきたかが分かって面白い。
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希望がないよこれじゃ!それに表面的すぎるんじゃないかなぁ。
こういう受け狙いな出版が悪い方向に人を煽る、んだと思うけど。
てか解決策を示せよ、コレ垂れ流すだけじゃダメでしょ、っていう私の感覚は古くて堅いんでしょうか。
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・容姿、家の経済状況、学力はモテ度に比例する。
■劣等感が少ないから自信がモテにつながるのかな。
・身長が175センチ以上の人の方が平均年収が高いとの統計。
・逆にフリーターニートは170センチ未満が多い。
■見下ろせる方が精神的に有利な気がする。
・年齢が高くなるにつれて、段々と男性に求めるものが地に足が付いたものになる。
・昔、強い男性が優位を保っていた最大の理由は、昔の社会が肉体的な強さを求める社会であったから。軍隊や第一次産業。
■深層心理なのかしら。
・今は情報がつながっているから、町内で一番とか狭い範囲の一番でも、ネット上にもっと凄い人がいるのが分かってしまうため、自信を持ちづらい。自己肯定感の形成にはマイナスに働く。
■なるほど。
・昔より、職場に女性が増えたため、上司や後輩としても異姓からモテなければいけなくなる。
-昔は男だらけだったから、ハゲでもデブでも仕事さえできれば大丈夫だったけれど、今は違う。
・東大生も仕事や勉強が出来るだけでは彼女は出来ないと気付いてしまった。東大生は、課題を見つけると猛烈に努力するため、すぐに面白くて身だしなみがキレイな東大生が増加する。
■今は頭良いオシャレさん多いもんね。
・今はこびるでも上から目線でもなく、友達感覚な上司や部下がよしとされる。
■調子乗られる弊害はどう防げばいいのかなぁ。
・80年代の女性が「選ばれる側」から、現代は「選ぶ側」へシフトしている。80年代は「一生安泰男」を見つけるために努力したが、今は仕事も出来るため、自力で生活防衛出来る。
■まだまだ一般職も多いけど、こういう人も確かに増えた。
・SATCで影響されてしまったのは、キャリアウーマンではなく普通のOL。
■男の俺も衝撃を受けたわあのドラマ
データや統計が多すぎて、読み物としては今いち。現状を沢山述べてるだけで、自分の意見がほとんど書かれていなかった。現状を踏まえて、そこからの持論や解決法が無ければ読み手としても寂しい。
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現在の男女の恋愛活動をデータの相関から分析したり,
雑誌ananの過去25年の記事の変遷から世論の推移を考察したもの。
特筆すべきとしては
容姿,経済状況,自信などとモテが相関関係にあること
正社員か非正社員かがモテ力と影響していること
モテる人間の条件
などがあげられる。
簡潔に一言で言えば,いわゆるリア充はモテて仕事にもつけるのだ。
これは就活を終えた4年からも感想として聞いた。
世の中は非情である…
リア充と見せかけられるくらい
この本は,現在のモテを巡る社会状況を主観のみならずデータを用いて理由付けを行えている点で優れている。
しかしながら,やはりというべきか最後はやや感情論に流れている部分は否めない。
単純に読み物としては面白い。
特にこういった主観に基づいた暴論が飛び交いやすいテーマでデータがそろっているのは注目すべき。
まぁ,現実の厳しさを改めて教えられたともいうべきか。
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巷では、「草食系男性」「肉食系女性」なる品のない言葉が注目を集めているようだ(意味をご存知でない方は、ウィキペディアででも調べてください)。う~ん。最近流行りの造語を見るにつけ、本来日本人の身に付けていた奥ゆかしさや恥の文化がどんどん薄らいでいくなあと思う。
「非モテ」という言葉も市民権を得ているようだ。ネットで検索すると、「あなたの非モテ度チェック」「非モテ同盟」「リアル非モテ診断」「非モテ向上委員会」など…。恐ろしいヒット数。ふぅ、軽薄な時代だ。なんだか背筋が寒い。
さて、この本。『非モテ!男性受難の時代』。イントロとして、まず、去年起きた秋葉原通り魔事件の犯人Kが、ネットに自分が不細工で彼女がいないこと(=非モテであること)の絶望感を執拗なまでに書き込んでいたことに触れる。
そして、様々な統計データをもとに、容姿だとかモテるモテないへのこだわりだとかいったことが、Kだけに限らず、現代の若者全般に当て嵌まる問題であるとしている。容姿が悪いと人生に希望が持てないと感じてしまうほどに、容姿を重視する傾向が顕著な時代であると。
僕には(そんなにまで容姿って大事なのか?)と疑問なのだが、確かに思春期の頃の僕ならば、見た目へのこだわりは強かったと思う。うん?老けたということか(笑)
著者三浦展は述べる。「本書の読者に多く含まれるであろう40代以上の既婚男性であれば、たしかに若い時は自分も容姿への自信なんてなかったが、そんなコンプレックスは年を取ると共に克服されていったなあという人が多いはずだ。仕事で鍛えられて、自分という人間の幅が広がって、自信がついていくと、顔がどうとか、スタイルがどうとかということは些末なことで、女性にモテるかどうかも最後は人間としての魅力如何だよと思っている人が多いだろう。」
まあ、そうだなあと同意しつつ、一方で既婚者ならそうも感じるだろうが、独身男性ならやはり見た目を気にするのではという気もしないではない。
そういえば、最近のお笑い芸人で人気がある(あった?)のを見ると、チュート徳井、オリラジ、次課長井上、桜塚やっくん…。女性からの支持の入口が、ビジュアルからといえそうな芸人がかなりいる。スポーツの世界でも、イチローやムネリン(川崎選手)にダル、ハンカチ王子斎藤くん、石川遼くん、なんだかビジュアル的に世間の受けが良さそうなところばかりにスポットが当たっている気もする。
うん?ヒガミっぽくなってきた(笑)何にせよ、今の日本は確かに、容姿というものに妙なまでにウェイトが乗っかっていると思う。
再び、著者三浦展。秋葉原事件の犯人Kの書き込みについて、熱く語る。「時代や社会が置き換え不可能な運命だから、顔もまた運命として意識されたのか?いや、違う。顔が置き換え不可能な運命だから、時代や社会もまた運命に感じられるのではないか?だから私はあえて言おう。KにとってKの顔は十分に悪いのだ。今という時代の中で悪いのだ。彼の世代の中でも悪いのだ。そう感じさせるほど現在の日本社会は、「モテ」や「容姿」を重視する社会なのだ。そ���て、容姿の悪さをその他の何かで埋め合わせることができないと感じさせる社会なのだ。時代や社会に絶望するから、顔に絶望するのではなく、顔が悪いから時代や社会に絶望しているのだ。少しでも容姿が悪い(と思っている)若い男は絶望する社会なのだ。」
熱い三浦展。トドメはこうだ。「現代日本の若者にとっては、「モテ」と「容姿」こそが人生最大の問題なのであり、格差社会の根本に位置する問題なのである。」なんとも壮大なスケールになってきた。ここまで来ると笑えなくもない。
それなのに、なんだか響くものがある。僕は世の中を斜に見ている人間なので、女性のことについて、もうどうでもいいかなと思っている。だが、100%、そんな人間にはなりきれていないから、三浦展の熱狂的な論理展開に、引き付けられるものがあるのだ。
「女性よ、男性をいじめるな。国は男性を保護せよ。」という三浦展の主張は、あながち単なるネタだとは言い切れない。草食系男性だの非モテだのといったことは、現代さらには将来にまで及ぶ深刻な課題であるのかもしれない。
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再読。
不景気
↓
女が自立
↓
・理想が高くなる
・就職倍率上昇
↓
無職男の増加
↓
モテない男の増加
なんか、ごめん。女にも否があるようだ。
コントもできる、イケメンSMAPは、男にとっては本当に辛い存在だな、と。頑張れ、殿方!!
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[ 内容 ]
若者への調査から男性の「非モテ」と経済階層の相関が明らかに。
なぜモテが格差の原因になるのか?
背景には、非正規雇用の増加やコミュニケーション力重視の社会、そして女性の“肉食化”などが―。
[ 目次 ]
第1章 「非モテ」男が絶望する社会
第2章 モテと容姿の格差社会
第3章 どんな男女がモテるのか?
第4章 モテない男は「正社員力」がないのか?
第5章 なぜモテと性格がこれほど重要になったのか?
第6章 女が男を選ぶ時代―雑誌「an・an」から見た変化
第7章 「男性保護法」のすすめ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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資本主義経済で経済格差が生まれるとともに、恋愛市場においても恋愛資本主義が取り入れられ、恋愛格差が生じているとの内容。
今や、男性は「モテる、モテない」を異常に気にし、そこに生存競争をかけ、負けた者はすべてを搾取されている状況にあるのだ!と嘆く内容である。
すべて、とは、結婚、恋愛、社会的評価などである。
序論では「アキバ事件」が取り上げられ、彼が犯罪に至ったのは単に派遣社員であったことのみでなく、彼自身が「モテない」ことについて異様に固執していたことにも起因するのではないかとしている。
つまり、「モテない」ことが男性にとってメンタル面を大きく左右するステータスになりつつある時代だということか。
実際に「モテるモテない」ことと「経済格差」に関連性があるのかについて検証されていて、そこには関連性があるとの結果が出ている。
しかし、インターネットによるアンケートが検証材料というのがあまり信用できない。また、筆者が言う「モテる」「モテない」の定義が曖昧なのも問題であると感じる。アンケートによる「モテる」「モテない」の回答は本人の主観によるものだ。4人に告白されても「モテない」と感じる人もいれば、2人にしか告白されていなくても「モテる」と思っている人もいるかもしれない。
容姿についても、これこそ客観評価でしか「美人」「イケメン」は判断され得ない。いくら自身が「私って美人」「俺ってイケメン」と思っていても、周りの人間からしてそうでなければ、客観的な判断資料にするには事実性が危ういものとなるだろう。
しかし、こんなことを挙げたらこの本を書くのは不可能だったのかもしれない。
第6章に書かれる、雑誌「anan」を通した時代別の恋愛観変遷については興味深かった。日本経済と男性の「モテ」の関連性は切り離せないものだと感じる。確かに、時代によって恋愛事情は変わっているようだ。
最終的に「男性的な女性が受容されつつある世の中ならば、女性も女性的な男性を受容しろ!男の多様化を受け入れろ!そして、男性も堂々と多様化しようじゃないか!」というようなメッセージで締められている。
これは、最近読んだ本では『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』に関連付けて考えてみたが、要するにひとりひとりがニッチ市場を見つけろということに近いのではないか。
何か「理想形」が騒がれ、人々がそれに向けて奔走する痛々しい時代がこの資本主義においては風潮なのかもしれない。
私は男性でないので分からないが、結局「非モテ」になるのは「モテ」という理想形に自分を当てはめようとするから生じる格差であると感じる。
女性が全員勝間和代になれないのと同じだ。
「モテ」ることもある意味個人の能力だろう。
「モテ」るのが得意でなければ、自分が結びつきたい異性を求められるフィールドで活動すればいい話だ。世に言われる「理想」に縛られる必要はない。受動的に生きることをやめれば、「モテる」「モテない」など小さな問題になるとは思うのだが。
現に私もモテないが、別にモテないからといって自暴自棄になろうとは思わない。��テれば幸せかと言えばそうではないし、10人の気が合わない異性に告白されたいのか、1人の気の合う異性に好意を寄せられたいのか、考えれば答えは明白である。
これは女性的な考え方だろうか?
とにかく。議論のネタとしては大変面白い材料である書籍だと思う。
だが、「傾向がある」ということは言えても、「普遍的に事実性がある」とは言い難い内容ではないか?
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下流社会で有名な三浦展氏の著作。
下流社会同様、データの裏づけを元に自論を展開して行く形式であった。しかし、データの出し方などが統計学を学んでいない私には断言できないが、怪しいように感じられた。自論を展開するためにデータを用意する、曲解する等が行われているのではないかと感じた。
三浦展氏の単著のようになっているが、実際は他に二人の論客を招いて二人に二章書いてもらうことで成り立っている。しかし、読むに耐えない文章を書く。読み飛ばし推奨。
結語では、二人の論客にあてられたのか、酔っ払ったまま書き始めたのか意味のわからない自論を展開して最終的にSPA!のような本となってしまっている。三浦氏に何があったのか。