紙の本
良い本です
2024/03/31 11:30
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投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
海外編は、読むに当たって要求される知識が少ないこともあって、楽に読了できます。さて、しばらく前に、ドナルド・キーンって何をした人と聞かれたことがあって、日本研究家としか答えられませんでしたが、本書で随分詳しくなりましたよ。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
海外編もアメリカの一つの町を訪れることになった。一つの象徴的な街だがその歴史や喧騒に触れることで多様な文化が読み取れる。
紙の本
歴史の勉強をしながら旅行ガイドにも。
2016/03/30 17:02
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投稿者:ヨッシーパパ - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう39巻目になります。
歴史的な人物や出来事を含めて作者が実際に行った土地土地のことがよく分かります。
作者の行程に従って旅行したこともあります。
電子書籍
摩天楼が何色だろうが
2023/06/18 22:22
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の書き綴った「街道物」の
第三十九作です。
作品の舞台は米国は紐育。
著者にとって二度目の滞在。
読みどころは、作中時点で退官記念講演を
していたドナルド・キーン氏の旧師たる、
角田柳作について触れたくだりです。
紙の本
摩天楼は何色か
2022/06/30 17:03
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者による「街道物」の
三十九作目です。
作品の舞台は、米国は紐育。
著者にとっては二度目の滞在です。
読みどころは何と言っても、作中時点で
退官記念の講演をしたドナルド・キーン氏の
旧師たる、角田柳作についてのくだり。
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「ニューヨーク散歩」と題しながら、短期滞在だったのだろうか、あまり土地にまつわる思索はすくなく(唯一、旅行記らしいのはブルックリン橋の建設秘話くらいだろうか)、紙幅の大部分がドナルド・キーン氏との交流の記録に費やされている。それはそれで興味深い小話に富んでいた。
特に、キーンさんのコロンビア大学での恩師、角田柳作氏にまつわる記述に強く惹かれた。アメリカで「日本学」を確立したのがこの明治人なのだという。「コロンビア大学では当時、日本語でセンセイと発音すれば角田先生のことにきまっていた」と、ある教え子は述懐している。「明治人」という呼称が許されるなら、司馬氏の文章から匂い立つ角田柳作氏の人物像ほど「明治人」と呼ぶにふさわしい人はいない。
さらに、群馬県は前橋高校の出身(わたしと同郷!)で、卒業した大学学部も一緒だったので、とても親近感が湧いた。
だが、この無名の巨人について知ろうとしても、著作がほとんど手に入らない。残念な限りである。
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ニューヨークの歴史のみならず、そこから日本文化への考察まで展開している文章は見事。普通にいい勉強が出来た。
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昨年日本に帰化した、日本学者のドナルドキーンさんの退官記念での訪米。ほとんど移動がなく、タイトル通り「散歩」がぴったり。ブルックリン橋を作った親子やアイルランド移民の話、タウンゼント・ハリスの話など、相変わらず薀蓄満載ですが、アメリカはやや苦手分野?
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この取材に同行した安野光雅さんの本「ニューヨークの落葉」を
見ていたら、司馬さんの方も読みたくなったので。図書館で文庫本
を借りてしまったので、安野さんの挿絵が小さくてざんねん。
司馬さんの文章が面白かった。安野さんのついての記述も。
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「街道をゆく 39 ニューヨーク散歩」司馬遼太郎。朝日文庫。初出1993年。
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アメリカが発見されて、ヨーロッパから多くの人が移民したわけですが、当たり前だけどヨーロッパで幸せに暮らしている人は、あまり移民しなかった。
で、いろいろあってアイルランドから多くの人が移民しました。
ニューヨークで多くのアイルランド系の人々が、警察官になったそうです。
そして、ハロウィンという習慣は、実はこのアイルランド系の人々がアメリカ全土に広めたそう。
最近は渋谷もすごいことになっています。
不思議なものです。
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2019年6月に読了。
アメリカは歴史が浅いので、司馬さんワールドに相性が悪いかと思いきや、「アメリカの源流」から解きほぐしてふむふむとさせます。
流石。そんな印象ですが、上記ハロウィンのことなど、もう断片しか覚えていません。
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以下、閑話休題。私事。
大昔、1980年代。ニューヨークから川を渡ったニュージャージーで、3年間ほど暮らしたことがあります。親の仕事の都合。
ニューヨークも時折、連れられて行きました。9歳〜12歳だったか。
父親と「コーラスライン」を恐ろしく観にくい、多分すごーく安い席で体験した記憶。映画「E.T.」は母親と兄とマンハッタンで見た気がします。
両親はさほど、劇場鑑賞系が好きな訳ではなく。でも子どものためと思ったのか、一生の思い出としてなのか。たまにはブロードウェイに繰り出しました。
たった一度、カーネギーホールに行ったことがあり(親が仕事関係で券を貰ったのか?いつか訳を聞いてみようと思います)。クラシックには、全くなんの興味も無い親であり、家庭でした。当然こちらも何の情熱もなく、市場に売られに行くドナドナよろしく、本音を言えば行きたくもなく、ただ単に引きずられて行ったことを覚えていて。そしてそれ以上に、ずいぶん後ろの方の席で不熱心に聴いているうちに、だんだん、なんだか、そして最後には涙が出るくらいに大感動したことを覚えています。ちょっとそれまでに経験のない興奮と喜び。
前の席の大人の背中と背中の間から、遠く小さく見える指揮者の背中が、魔法使いのような凄みで。その背中は、1990年に逝去するバーンスタインさんでした。生まれて初めての、プロのフルオーケストラ、生体験でした。ひょっとして両親もそうだったのでは…。
そして、恥ずかしながら、だからといってその後、クラシック生鑑賞を趣味にしてる、という訳でもないンですが(笑)。
でも、自分は何の楽器も出来ず譜面も読めず実のところ音痴極まりないにもかかわらず、ロックポップにとどまらずクラシックであれジャズであれ長唄であれ、「分かるか分からないか、では無くて、ええなあー、とか、カッコええなあー、と味わえれば良し」と、極めて優良な、かつ寛大な素人客マインド(?)の持ち主となり、かなりいろいろ買ったり聴いたりココロ躍らせたりと楽しめてこれたのは、ひょっとするとあの一夜のおかげかも知れません。
汚いし、怖い街やなあ、と子供心に���じた場所ですが、ニューヨーク、というかマンハッタンというとそんなシアワセな贅沢、ちょっとキラキラとワクワクな記憶もあります。
まあ、一方でそれにしても汚くて、そしてとにかく貧富の差…、見るからに治安の悪さがオソロシかったんですけれど。ほんと。
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ニューヨーク、行ってみたいです。
ブルックリン橋、聞いたことがあります。
昔、鎖国をしていた日本に開国を求めた国。
そして、昭和の時代に戦争をした相手の国ですよね。