紙の本
アーカイブ記事でこさえたジオラマ
2009/10/23 14:06
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前住んでいた町に長谷川町子美術館があった。そこで磯野家のミニチュアが展示してあった。2Dアニメーションが3Dになったって感じで、やけにリアリティを持っていた。この本もなんかそんな心持ちにさせてくれる。
なんでその当時の若者は、学園紛争に走ったのか。を、例によって膨大な二次資料(新聞、雑誌などの引用)をバリケードジオラマ化して、読む者を1968年当時にタイムスリップさせる。
かつての全共闘闘士にインタビューなどという方法もあるが、いかんせんタイムラグがあり過ぎ。記憶の欠落や改ざんなどもあるかもしれない。それよかは、当時の記事を当たった方が、まだその時代の空気を伝え、リアルだろう。ニュースのアーカイブフィルムのように。
で、いつものように作者の<私性>は、見事に消されている。引用の選択に作為があると言えなくもないが、作者の言いたいことは、こっそりと行間に埋め込まれているのだろう。
ああそうだったのかと思いつつ厚い本のページをめくる。だって東大の安田講堂の事件は、ぼくが中二のときだもの。
「一九五〇年代には、「学校の雰囲気は明るく、生徒たちは伸び伸びし、教職員も生き生きしていた」」
「決定的な変化は、六〇年代に高度成長に必要な人材育成政策が教育に導入されたことと、
進学率の急上昇と受験競争が出現したことから起きた」
「職業課程を切りすてた普通学校のほうは、大学受験の予備校と化していったのである」
「こうした教育と学校の状況変化は、児童たちを確実に追いつめていった。そして彼らは、大学入学後、その不満を全共闘運動というかたちで爆発させることになるのである」
ベビーブーマーとして生まれた団塊の世代は、競争の世代でようやく受験戦争を勝ち抜いて大学に入学する。ところが、マンモス授業で、教授は10年1日が如き退屈な授業。こんなはずでは…。挙句の果てに、入学金や授業料を設備充実のためなどという名目で値上げする。
作者が大学経営のいい加減さを取り上げている。財テク失敗で赤字などいまも騒がれているが、昔からのようだ。ツケは学生、いやその親に回る。で、経済学部や経営学部があるというのも、なんだか皮肉というべきか。
「「戦後民主主義の申し子」たる彼らが、ベトナム戦争を契機に「戦後民主主義」を「欺瞞」とみなしだすと同時に、戦後教育で教えられてきた「明るく、元気に、すこやかに」という原理の延長で全共闘運動をおこした両義性がうかがえる」
近親憎悪とでもいうべきか。へぇと思ったのが、ここ。
「橋幸夫と舟木一夫で育った世代が、いま自分を根っからの「ビートルズ世代」と思い込んでいるのと、それは似ている」(亀和田武の「偽の60年代モードが主流だなんて」より引用の一部引用)
渋谷陽一の同趣旨の発言も引かれていたが、割愛。
実はビートルズは、デビューの頃はごく一部にしか受けていなかったそうだ。小学校の担任が来日したビートルズのことを「男のクセに髪が長くて」とか言っていたな。
「「全共闘世代」は実態とかけはなれている。まず六五年の大学進学率は一七.〇%、七〇年は二三.七%で、この世代の約八割は大学に進学しておらず、全共闘運動とも無縁だった」
「ビートルズ世代」と「全共闘世代」がほんとうはマイナーだったことは面白い。なんだか追体験、もしくは妄想あるいは、オフィスや酒場で部下に自分をよく見せたいがために、
自称、詐称しているのではなかろうか。作者は、「全共闘世代」がマスコミで活躍しているから、そういう印象が強いのではと述べている。
「当時は学生活動家が「カッコイイ」存在であり、「女の子にもてた」こと、こうしたノンポリ学生であってもマルクスを読みデモに参加するという時代だったことは、一定の事実といえよう」
意外とそんなことだったのかもしれない。「全共闘運動とも無縁だった」非大学生とて、全共闘運動にはシンパシーを感じていただろう。
「女の子にもてたい」は、男子にとって永遠不滅のモチベーションかと思ったら、最近は違うらしいが。
『二十歳の原点』高野悦子著を友人から借りて読んだが、清楚な顔立ちにモエてしまった。
『青春の墓標』奥浩平著を読んで、彼が中核派、ガールフレンドが革マル派で「ケルンパーはパーね」とかいう会話には、よく理解できなかったが、カッコイイと思った。
「当時の学生運動では、東大や京大出身の活動家が理論的リーダーとなり、法政・明治・中央などのマンモス私大の学生がゲバルト要員とされることも少なくなった」
はは、日本企業のヒエラルキーのまんまじゃん。その時代は、終身雇用制&年功序列もがっちりあったわけで、一流じゃない大学に入った者は、一流じゃない会社にしか就職できず、一流じゃない人生を歩んでいくという未来図が厳然と示されていた。
ナーンセンッス!か。
日大全共闘議長秋田明大と東大全共闘議長山本義隆、二人のエピソードが特に興味を引かれた。少しは知ってはいたが、通して読むと発見があった。共に弁が立つタイプではなかったようだ。どちらかといえば不器用でフェア。信望が厚い。そのあたりが、大学闘争のリーダーに担ぎ出されたようだ。闘争後、二人は学園闘争から身を引く。将来の東大教授を嘱望されていた山本は、予備校の講師となっていわば在野で素晴らしい物理学史関連の著作をものしている。
バリケードの中の自由な解放区。「明るく、元気に、すこやか」な空間。しかし、束の間だった。
祭りのあと、あとの祭り。1968年と2009年。大学生は変わっただろうか。大学は、実は、本質のところは何も変わっていないような気がする。
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本屋で最初に見たときに、またえらいゴッツイ本やなと思っていた小熊英二の『1968』の、とりあえず上巻を図書館で借りて読む。こんな厚くて高い本は近所の図書館で買わないことにしたようで、相互貸借でヨソからの借り物。
上巻だけで1000ページ以上あり(うち、註が100ページほど)、
とにかく重い。返す前にはかってみたら、1.4kgもあった。ええ加減にせえよという重さで厚さである。今までの本もかなり厚くて重い本だったが、それでも持ち歩いて読めた。
これはあまりに重くて、読みにくい。手に持っても重いし、好きな場所で好きなかっこで読むことも難しく、仕方がないので机に置いて読むようなことになる。どうせゴッツイ本やねんから、せめて上・中・下にでも分けて、もう少し軽くしてほしい。重すぎる。
布団の中でついついイッキ読みというわけにもいかず、またせっかくヨソから借りてもろたしという気持ちもあり、休みやすみ、やっと返却期限までに読む。
タイトルそのまま、これは「1968」年、心当たりのある人にとっては"あの時代"を研究した本である。
上巻は、「時代的・世代的背景」から始まり(1、2章)、「セクト」各派の思想やスタイルについてのお勉強(3、4章)、そして、著者が"あの時代"の始まりと位置づける1964年の慶大闘争(5章)から、1965年の早大闘争(6章)、1966年の横浜国大闘争・中大闘争(7章)が描かれ、羽田・佐世保・三里塚・王子という「激動の七ヶ月」の闘争(8章)をはさんで、日大闘争(9章)、そして1969年の1月の安田講堂攻防戦で終わる東大闘争(11、10 章)を資料によってひたすら語って、1000ページ近い本文が終わる。
つまり上巻は、羽田や佐世保、三里塚といった大学生が参加した闘争の話もあるが、主に大学という"コップの中の嵐"を書いたものである。(下巻は、目次によれば大学闘争が高校に飛び火した話や、ベ平連、連合赤軍やリブの話が出てくるらしい。)
さすがに疲れた。最初のほうの時代の話や初期の闘争の話はともかく、さいごの2章は内ゲバの話が続き、われこそは正義の暴力、正しい暴力といわんばかりのセクト各派の暴力的な主張と、たっぷりの資料で語られる暴力の言動にうんざりした。
全共闘"世代"と言ったりもするが、あの当時、大学進学率が上がりつつあったといっても、進学者はまだ少ないものだったし(団塊の世代ということで、ボリュームは増えていたとはいえ)、その中でも闘争に参加したのはせいぜい2割ほど。全共闘なり大学闘争の渦中にいた人たちは、同世代のうちのごくわずかな数であり、これを世代の経験として語るには無理がある。にもかかわらず、全共闘"世代"という言い方があるのは、大学まで進学した人たちが、そうでなかった人たちに比べて言語による表現力の点で相対的にまさっていたからだろう(回顧録の類は山のようにあるのだ)。
どこかの章で闘争に参加した活動家の話が引かれていたが、同世代の7割以上がすでに世の中に出て働いているというその認識どおりなのだろう。
私は、中2のときの担任の先生がなぜか卒業のときに高野悦子の『二十歳の原点』をくれて、���れを高校生の頃に読み、この高野の日記で名前の出てくる奥浩平の『青春の墓標』も読み、大学に入ってからだったと思うが60年安保で亡くなった樺美智子の『人しれず微笑まん』も読んでいた。
読んでいたが、それはほとんど"青春の煩悶モノ"として読んでいたようなもので、高校生の頃にこれを読んだころには、高野や奥の日記に出てくるセクト名や、代々木、反代々木というのが何のことだかわかっていなかった。
さすがに今は、代々木、反代々木くらいは知っているが、今回この上巻で「セクト」の話を読んで、革マルとか中核とかブント、その他いろんなセクトの"違い"がなんとなくわかった。
へーそうなのかと思ったのは、佐世保闘争の際に、報道のなかで、「群衆」を肯定的に評価したときに「市民」という表現が使われるようになった、という話。
それから、あの時代の、すべての既存の価値や権威を疑ってかかったような闘争に参加した活動家たち、とりわけ男性が、なぜ、女性が食べる世話をすることや補助的な役割を担うことについては、何ら疑いもせずに受け入れていたのか、という問いが、女性活動家の手記などから引かれていて、そこはやはり印象深かった。バリケードの中で、ずっとおにぎりを握りながら、明日からはやらへんデ、と思うような話がとくに。
1968年といえば、永山則夫による連続射殺事件があった。永山則夫は1949年生まれ。同世代で大学へ進んだ者は、この「1968」前後の闘争に参加していたりもするわけだが、永山は中卒で集団就職している。この世代は中卒、高卒で就職した者のほうが多かったのであり、数の上からいえば、全共闘"世代"というよりは金の卵"世代"といってもいいのだろうと思う。
少なくとも、生まれた場所や家庭環境や性別、出生順位などによって、"あの時代"は相当違ったものだったんやろうなあと思う。
たしか書評で橋爪大三郎が「テキストのゴミ屋敷」と書いていたが、さすがに、もうちょっとつまんでもええんちゃうんかなとは思った。まあこういうゴッツイ本にするのが、これまでどおり小熊スタイルなのかもしれない。それとこれも小熊スタイルなのかもしれないが、歴史的表現あるいは資料のママというだけではない「父兄」表現が頻出するのは、わざとなのか、無意識なのか、何だろうなあと思ったのであった。べつに保護者と言い換えろという意味ではないが。
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1960年代、1970年代における様々な学生闘争について、記述した大著。
結局、第1,2章で言っていることに尽きると言えるし、語り口にはやや恣意性が見られるように思う。
しかし、学生闘争に関して充実した研究がないこともあり、資料的な価値は非常に大きい。
そもそもなぜ学生たちは闘ったのか、考えだすと終わらないが,それに対する回答を少なくとも一面的には与えてくれる、非常に意義のある本である。
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全部を通読することは難しかったので、著者の用意したガイドラインに沿って読んでみた。
当時の学生運動を、その時代に現れた現代的不幸に対する抵抗と捉えるのは、本当に今生きている私達が抱えている問題と変わっていないと感じた。
特に僕自身の問題に置き換えても、大学を真理の追究の場とする理想主義から脱却できない幼稚さ、というのが当時からあり続けた在り方であり、僕はもし40年前に大学にいたならば、必ず全共闘に入っていただろうなと想像した。
左だの右だの関係なくて、何となく感じる居心地の悪さを非言語的に訴えるだけではいけない。それがあの時代の教訓ならば、やはり我々は歴史を学び、今を学び、それを言葉にしていかなければならない。
しかしその言葉は、この多様化した世界において、多くの人々に伝わりきるだろうか。きっと伝わりきらないのだと思う。だから、分散的に用意されたメディアに強い言葉を運んでいくこと、またそのような強い言葉を不透明な情報の海から拾い上げることが重要だと感じた。
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安田講堂の頃、まだ物心もついていなかった私にとっては、当時のことを理解する上で貴重な本。学生たちが何を考え、何の為に戦い、そしてどのように挫折したのかを理解する端緒となる。
また、それは同時に、自分自身が無意識のうちに影響を受けている、その後の時代の思考を理解することにつながる。
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私のご師匠様が書かれた、全共闘テーマの非常に浩瀚な書であります。400字原稿用紙6000枚らしい笑)従って、いろんな見方ができるが、私は「現代的不幸」についてのテーマが一番印象に残った。1968年から40年以上立つが、現代的不幸についての問題はあまり進展がないように思える。むしろ、過去と同じ過ちを繰り返し、失敗しているケースが多くある。
とりあえず既存の世界をぶっこわしたところでその先に何もない。誰も幸せになれない活動が横行している。
そんないろんな事件を狂気として片付けず、「現代的不幸」の視点をもって、詳しく見ていく。そこから現状を打破するプロセスや方法を考えていく。そのためには本書の主張するように自分たちを取り巻いている状況から手がかりを一つずつ探して行くしかない。
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発売当初は評判になり図書館も予約が多く借りるのは諦めていましたが、今はすんなりと借りる事が出来ました。
これだけの資料が載っているのは貴重ですが、でもこんなに大きく厚くする意味が有るのかどうか、殆どが資料の2次利用で著者が直接話を聞いたりとかは無いようです。
実際には拾い読みしながら興味のある所を読んだだけですが、その時代に生きてきた者にとっては特別に目新しい事もなく自分の過ごしてきた時代の再確認とはなりました。
重たいので下巻は読まなくとも好いかと感じています。
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分厚くて、絶望感漂うが読みやすい。この時代と現代の共通点を見出していて、非常に面白い。最後の方の狂気っぷりもいい
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膨大な文献資料を読み込み、その実証的研究手法は評価されるべきだろう。全共闘を取り上げた文献は、数々あるが、「現代的不幸」を視点としたところに、著者の斬新な立場が 現れている。ただ「マルクス主義」の用法は、ロシア的展開、つまり俗にいう「マルクス・レーニン主義」を継承した、日本版「マルクス主義」といえ、違和感を感じざるを得ない。あのころは、マルクスと関連する書籍は、「共産主義」という一面だけをとらえて、ローザ・ルクセンブルクや毛沢東など「政治」に関わる書籍がほとんどで、マルクス自身が「わたしはマルクス主義者」ではないと言っていることから、著者の今後の展開に不安感を抱いた。
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1000頁を超える(脚注抜きで967頁)、しかも、頁内の文字数も圧倒的に多い超大作であり、とにかくその情報量に圧倒されます。その時代に高校生として生きていた自分の歴史と重ね合わせて、非常に充実感のある読書時間でした。それにしてもノンセクトラディカルなどという情緒的にかっこよさそうな言葉に憧れ、心情的に応援していた自分の知らない領域の話の多さに驚きです。セクト内ゲバについては中核派と革マル派の争いはあまりにも有名でしたが、その対決の本質は知りませんでしたし、学生時代に奥浩平「青春の墓標」という本があることを知りながら、読んでいませんでした。中核の奥が革マルの彼女との恋に悩んで、最後は自殺していくというあまりにも悲劇的な純粋な彼らに今さらながら共感し、心が動きました。また中核派メンバーの結婚式での騒ぎ・・・彼らが次第に過激に暴力学生と呼ばれざるを得ないところへ追い込まれていくところはドラマのように臨場感がありました。革マル派は文学部に勢力を張り、都会出身者が多く、理論派でありながら、批評が多く、行動しなかったために各派に嫌われたというところは面白かったです。一方、中核派は律儀で国鉄に乗る場合には必ず乗車券を買っていたが、3派を構成した社学同ML派、社青同解放派は無銭乗車を強行していたというのは楽しい逸話です。また各セクトの争いが純粋なことばかりではなく、自治会を押さえることによる資金の確保という意味合いがあったことは考えてみれば当然のことですね。日大の場合には膨大な資金になったようです。旧自民党の派閥と同じようなものです。65年・慶応大の学費値上闘争、66年の早稲田の闘争、横浜国大・中大その他、そして日大の封建主義的な古田体制打倒から全共闘が生まれ、東大医学部の待遇改善からスタートした全共闘誕生など、政治闘争というべきではなく、むしろ大学改革闘争であったという事実に、あまりにも無知であった自分が恥しくなります。あの頃問われた「大学とは」「自己否定」などがどこかへ行ってしまったことが淋しく、何がこのような現状に至らせたのかと空しい思いさえ起こってきます。1960年生まれの著者がこのような詳細な資料を調べているのはとにかく想像を絶する驚きです。
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ネットで図書館に予約したんだけど、本を取りに行ってみて、ビックリしてひっくり返った。
めちゃくちゃ分厚い本なんだよ。
デカすぎるだろ!って、ツッコみそうになった。
それが、上下、2巻もある・・・・・・。
内容は、直接本人に会ってインタヴューする、とかじゃなくて、ひたすら、文献を読み漁って、書き綴っていく、という・・・・・・・。
なんなんだよ、コレっ???????
でも、読んでると、知ってる名前、というか、親しんだ名前がいろいろ出てくる。
中核とか革マルとか、時代錯誤も甚だしい団体名がゾロゾロ出てくるので、アッケに取られて、イッキに読んでしまった・・・・・つーか、イッキに読み飛ばしていった。
具体的に、目についた名前は、
(上巻)
鶴見俊輔、小田実、渋谷陽一p.76、宮崎学p60、吉本隆明、寺田修司、赤瀬川源平p.81、レヴィ=ストロース、フーコー、ラカン、バルト、デリダp.84、宮崎学、四方田犬彦、小阪修平、藤原新也p.104、秋田明大p.161、蓮見重彦、青木昌彦、西部すすむ、黒田寛一p.182、唐牛健太郎、大河内一男、立花隆、丸山真男
(下巻)
船曳建夫、川本三郎、筑紫哲也、浅田彰p.839、ウォーラーステインp.851、金子勝、重信房子
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<本書の研究対象>
1968年と通称されることのある若者たちの叛乱の時期を規定すると
1958年にブント(共産主義者同盟)が日本で結成された
~
1974年に、東アジア反日武装戦線による三菱重工ビル爆破
あるいは、1978年の成田空港管制塔占拠事件まで
p15序章
だが、本書では、
1965年の慶応義塾大学の学費値上げ反対闘争
~
1972年2月の連合赤軍事件
を一つの時代区分とする。
p16
<本書の主なテーマ>
高度成長という社会的激変期に、若者たちがどのような状況に直面していたか?
彼らの集合的メンタリティはどのようものであったか?
どのような活動をしようとしたか?
それが、いかに失敗したか?
結果として、日本社会に何が遺されたか?
本書では「1960年代の文化的革命」については、主たる研究対象にはしない。
p16
研究方法は、主に、文献調査手法の調書を活かすやり方。
p21
これは、著者が『単一民族神話の起源』以来、15年間とってきた手法を貫こうとしたものである。
p22
本書の主題は、あの時代の若者たちの叛乱を、日本現代史の中に位置づけなおし、その意味と教訓を探ることである。
p22
第1部
高度成長と議会制民主主義への不信 p25
1960年代の中高生「団塊の世代」にとって受験戦争がひどく抑圧的であった。
p48
ベトナム戦争の影響 p60
日本でゲイやレズビアンの社会運動が起こるのは1990年代から。
p76
「1968年の文化革命」なるものは、後年に神話化された部分が大きい。
p76
本書で「文化革命」を重視しない理由は
当時の文学や演劇、芸術、映画などの改革者は、吉本隆明、寺山修司、三島由紀夫、赤瀬川原平など、「戦中派」の人々であって、当時の若者ではないから。
p81
フランス現代思想が1968年の思想と称されることがあるが、これは事実に反している。
レヴィ=ストロース『野生の思考』
フーコー『狂気の歴史』『言葉と物』
ラカン『エクリ』
バルト『零度のエクリチュール』
デリダ『グラマトロジーについて』
これらは、いずれも、1950年代から1967年までの著作であり、1968年のパリ五月革命の刺激で生まれたものではない。p84
東大全共闘などは、ヒッピーの「感性の解放」には関心が無かった。
p87
アメリカのニューレフトは、中上層出身が多く、豊かな文化的背景を持ち、新しい文化にも通じていたのに対し、
日本の学生活動家は中下層出身が多く、文化活動をする時間的経済的余裕が無かった。
p96
全共闘の学生たちはバリケード内でマンガを愛読していた。
1970年3月よど号ハイジャック事件で、赤軍派の犯人グループは「われわれは『あしたのジョーである』」という声明を出した。
p112
日大全共闘の議長だった秋田明大(あけひろ)は、1968年の対談で述べた。
「まず第一に、人間として生きたいのだと宣言した」
秋田は、運動の具体的な展望や、理想とする社会のプランをまったく述べず、ただ、人間として生きたいと語った。これは、当時、他の先進諸国でもおきた学生叛乱にも共通していた。
つまり、言葉にならない閉塞感を打破したいという、もがき。
p158
若者たちは、不満や拒否を述べることはできても、何を求めているかを言葉にできなかった。
ソ連軍の1956年ハンガリー侵攻、1968年チェコ侵攻などで、彼らは既存の社会主義国に失望していた。さりとて、社会主義に代わる理想社会像を描く能力は無かった。
p160
彼らは、本当にマルクスを信奉していたのではなく、マルクスの言葉を流用して、自分たちの不満を表現していた。
p162
1953年スターリン死去。フルシチョフが平和共存を唱えて冷戦を緩和。
朝鮮戦争が休戦。
1956年フルシチョフがスターリン独裁を批判。
トロツキー再評価が1950年代後半から台頭した。
黒田寛一などが「日本トロツキスト連盟」を結成。
p180
唐牛健太郎全学連委員長
戦前の共産党委員長から右翼に転向した田中清玄は保守政治家、治安関係者、山口組組長、福田恆存やハイエクともコネクションがあった。
早大は革マル派の、法政は中核派の拠点となった。
p226
1966年当時
早大の民青系活動家だった宮崎学。
p248
アメリカでは、ニューレフト学生活動家は上流階層出身で、社会的ボヘミアニズムと政治的ラディカリズムとの間の新生児だった。
ヒッピーカルチャーなどと親和性があった。
p253
セクトごとのヘルメットのデザインの違いが一目で分かるページが面白い。p.299
何の役にも立たない。
大河内一男東大総長は、卒業式を行うためには警察力の介入も辞さないと記者会見で発言した。
p656
マルク���主義経済学者だった大河内一男は論壇などでは左派的な発言で知られていたが、学内での秩序維持のためには保守的だった。
p699
丸山は進歩的文化人の象徴とされていただけに、全共闘系学生の軽蔑は丸山に集中した。
だが、丸山批判には、無知や誤解もあった。
p969
下巻の最後が、『カッコーの巣の上で』の話で終わる、というのにも、驚いた。
なんなの、コレ?
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私が高校生、大学生のときは、尾崎豊の歌が同世代から多くの支持を得ていた時代だ。「夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった」…「この支配からの卒業」…
でも当然と言えば当然だが、いくら私たちの世代の若者がこの歌に共感したからといって、実際に夜に学校に侵入して窓ガラスを破壊したやつなんてほとんどいない。それは、そんなことしたって現実は何も変わらず、問題は何も解決しないことをみんな知ってたから。
“若者たちの叛乱”についてこの本で概括的に読んで、書かれた彼らの行動や発言と並んで私が連想したのは「オウム真理教」であり「イスラミックステイト」だ。こう書くと、当時運動にかかわった者は憤激し、私の無知を嘲笑しようとするかもしれない。
しかしそれなら、自分が正しいと思っているものを錦の御旗にし、それ以外のものを徹底的に排斥し攻撃しようとする姿勢という点で共通しているのではないかという私の疑問に、自分たちの正義を貫徹するという点以外にもっと広い視野からの合理性・必然性を具体的に提示できるのか?
もちろん、著者の小熊氏は当時の運動への参画者を非難するためにこの本を著していないので、私も当事者を否定したり攻撃する意図はない。しかし、ケンカで難しいのは「敵を倒す」ことよりも、むしろ「味方をつくる」ことというのは必然の理だ。そして歴史的に見ても、勝利を得たと言えるのは、闘争に勝った者よりもむしろ共感を得て広く賛同を得られた者である。
この本の叛乱者も、“本当の”勝利を得たいのなら、ヘルメットをかぶってゲバ棒を振り回したりとかではなく、例えば徹底的な討論や地道なPR活動など、後の世代でも理解に耐えうるような形で歴史上の足跡を残すべきだった。
しかも彼らは大学生である。時代の空気や世代の共通認識がたとえそうだったとしても、もっと「謙虚たるべき」だったと、やっぱり私はそう思う。
とはいえ、当時の彼らも、昭和の終わりに大学時代を過ごした私も、そして現在の大学生も、基本的なものの考え方や行動パターンは大同小異なはず。(その証拠に、表紙のモノクロ写真の女の子なんか、ヘルメットを脱げば、今もキャンパスを普通に歩いてても不思議じゃないでしょ?)
それなのになぜ、こんな支離滅裂なのか?意味のない残骸にしか見えないのか?
著者は従来の「この時代」の研究で広く行われてきた、当時の数々の運動の「断片」から帰納的に当時の運動の正体を得ようとはしていない。著者がとったのはまったく逆の発想だ。著者が当時を照射するために掲げたのが『現代的不幸』というキーワードだ。
現代的不幸とは「アイデンティティの不安・未来への閉塞感・生の実感の欠落・リアリティの稀薄さ」だと著者は言う(24ページ)。それらは現代に生きる私たちにも年齢層や世代を超越してかかわる、まさに現代的な問題であり、それゆえに当時を知らなくても、離れた視点で改めて見直すことにこそ意義が生じる。(ちなみに著者は1962(昭和37)年生まれで当時は知らないはずだが、逆にそれがいいのかも。)
現代的不幸は現代の私たちにものしかかる重くて不可避な問題だが、当時の若者が同種の問題を抱��るなかでどう考え、どう行動したか…それを考えることは現代人にとって大きなヒントとなりうるが、小熊氏の渾身の著作によって、私たちが何かに気づくきっかけになればいい、そういう視点で読むべきだと考える。
したがって、小熊氏の記述が当時の実態からみて合ってるか離れているかという「あら探し」に傾注してる人が多いが、そんなことは核心から見たら実はどうだってよいことだ。私たちにとって重要なのは、「正義」と「狂信」とをいかに分別するか、その視点をどうやって身につけられるのかを学ぶことである。
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出来れば、僕なんかよりずっと若い人が、よくわからなにしても読んでほしい本。まあ、小熊さんの仕事のパワーは満喫できます。彼は省略しないんですよね。付き合う方は、なんかへたり込んでしまうのですが。
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今第三章を読んでいる。著者によるスキップ方法にのっとり、第二章は飛ばした。第三章は慶大闘争の話だけど、当時の学生たちのバリケード内行動が、香港雨傘運動の中でみた光景とちょっと似ている。あと、今おもしろいと思う点は、慶大闘争から始まるあたりの学生たちは、戦後の民主教育を受け、かつ、旧来の「立派」な大学イメージを持ちながらマスプロ大学に入ってしまったということ。
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全共闘世代を親に持ちながらも、全共闘とは何だったのか、理解できぬまま来た。
けれど、アイデンティティ・クライシスだと定義すればよく分かるという点で納得であった。
そして、東大全共闘にかなり共感できてしまう自分がいるのを再確認するが、他方、(今なら)絶対に自分は参加しないという確信もある。と言うか、東大嫌で京大に行ったもんね。