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1998年から2009年1月までに岸田秀が雑誌や新聞などで行った対談、談話などを集めた本。比較的に短いものが多いが、なかにはかなり長い本格的な対話も含まれる。岸田の代表的な理論を要約したうえで、それをその時々の問題に当てはめて考えていくという体裁をとるものが多い。私は、岸田の本のほとんどに目を通してきたが、この本は彼の考え方の総復習と意味でも役にたった。岸田の本をまだ読んでいない人にとっては、その理論の大枠を知るための入門的な本としても適切だろう。
ひとつの国を一種の人格とみなし、精神分析をその国の歴史に応用するという彼の方法はきわめて興味深く、読むたびにその洞察の鋭さに感嘆する。
ひとつ有名な説を紹介しよう。アメリカの建国は、「インディアン」の虐殺から出発し、彼らの土地を奪い撲滅することで発展したが、その事実を抑圧した。認めなくない残虐な事件(トラウマ)を正当化すると、個人にしても国家にしても、その正当化によってアイデンティを支えることになるから、その正当化を維持し、強化し続けなければならない。同じようなことを強迫的にくりかえし、さらに正当化する。それが日本への原爆投下とその正当化、ベトナム戦争とその正当化、イラク戦争とその正当化というふうに延々と繰りかえされていくというわけだ。
次に、これは歴史に直接関係するわけではないが、日本人の「対人恐怖」的な自我を欧米人の「対神恐怖」的な自我と比較する考え方を紹介しよう。日本人の自我の安定は、他の人々によって支えられていて、それゆえ他の人々の視線を恐れる傾向が強い。一方、欧米人の自我は神によって支えられていて、神の視線を気にし、神に咎められることを恐れる。これが「対神恐怖症」だ。どちらが優れているとか、進んでいるいう問題ではなく、文化の違いによるものだ。どちらにせよ日本人は、一神教的な神をあまり信じず、人間関係は母子関係をモデルとする直接的な関係を結んでいこうとする。一方、欧米人は、神を介することで人との関係を結ぼうとした。契約を介した間接的な関係が人間関係のモデルだともいえる。
この本には、一神教と多神教とをめぐっての対話も収録されていて興味深い。私にとっては、日本の縄文的な多神教的な文化をどう評価するかという、現在の自分のの関心に重なるので、興味深かった。