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投稿者:Otto - この投稿者のレビュー一覧を見る
和歌の世界を久々に楽しんだ。和歌とは何なのか、考えることにより、今まで知らなかった和歌の世界を知ることが出来た気分になれた。
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まさに「和歌とはなにか」という内容。すごく面白く読めた。掛詞や縁語などの技術的な説明もわかりやすいし、和歌がどのような場面でどのように詠われたのか、またその機能とは・・・という説明にも凄く納得。レトリックや社会的なコンテクストなどを踏まえながら、改めて和歌に接することができた感じ。はじめて和歌の楽しさを心の底から感じられて嬉しかったり!!全体に一本きちんとした筋が通っていて、とっても読みやすいのもありがたかった・・・!!
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[ 内容 ]
たった三十一文字の歌のなかに、枕詞や序詞など、無用ともみえるレトリックが使われる理由とは?答えのカギは、「演技」という視点にあった―。
身近な疑問を入口に、古典和歌の豊富な具体例をあげながら、千三百年も続いてきた文学形式の謎に真っ向から取り組む。
歌の言葉と人が生きることの深いかかわりを読み解く、刺激的な一書。
[ 目次 ]
和歌は演技している
1 和歌のレトリック(枕詞―違和感を生み出す声;序詞―共同の記憶を作り出す;掛詞―偶然の出会いが必然に変わる;縁語―宿命的な関係を表す言葉;本歌取り―古歌を再生する;和歌的レトリックとは何か―まとめの講義)
2 行為としての和歌(贈答歌―人間関係をつむぐ;歌合―捧げられるアンサンブル;屏風歌・障子歌―絵と和歌の協和;柿本人麻呂影供―歌神降臨;古今伝授―古典を生き直す)
和歌を生きるこということ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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和歌のレトリックについて、わかりやすく興味深く書かれている。
細かい部分にまで言及されているわけではないが、基本的な知識を押さえつつ、それぞれのレトリックが用いられた和歌について、背景なども含めて説明されている。
和歌について(改めて)勉強したい、和歌をもっと楽しみたいという人にとって良いと思います。
一読ですぐに全てのレトリックをすっきりと理解することは難しいでしょうが、この本を読むことで、和歌をさらに嫌いになることはないかと思います。
そういう点で、導入としては良書だといえるでしょう。
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サラダ記念日が,サラダでもなければ,
作った日でもないということを知りました。
演ずる和歌というものがあることを知りました。
枕詞,序詞など,和歌を作るのに必要な知見も知ることができます。
枕詞:違和感を生み出す声
序詞:共同の記憶を作り出す
掛詞:偶然の出会いが必然に変わる
縁語:宿命的な関係を表す言葉
本歌取り:古歌を再生する
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和歌の演技性という仮定から、歴史的に著名な歌人たちや現代短歌を通じて、歌の言葉と和歌にまつわる人間の行為のあり方を読み解いていく。
どうして人々は和歌の五句・三十一音という形式を選び続けたのか。
そんな短い歌の中になぜ枕詞・序詞・掛詞・縁語・本歌取り等といったレトリックが設置され、それらが何を意味するのか。
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和歌の修辞技法の観点からの考察。
後書きからも分かる通り、著者は夢の遊民社に所属していた演劇畑の人。
だからだろうか、和歌を演技という視点から考えるというなかなか珍しい和歌論。
ただこれで「和歌とは何か」という問いの十全な返答になってはいないと思います。
和歌を知るための入門としてのは手始めに読むには良いです。
あと、個人的に和歌の現代語訳が著者によるもので、その訳が軽妙洒脱で好きです。
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"和歌は演技"だそうな。「ちはやふる」をきっかけに和歌が興味の対象になってる。枕詞・序詞・掛詞・縁語・本歌取りといった和歌的レトリック、贈答歌、歌合、屏風歌・障子歌、柿本人麻呂影供、古今伝授の解説。よくまとまってる本。□20130104読了□
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和歌のレトリックについて。枕詞、序詞は歌の本題(?恋の歌のなら恋とか)の文脈とは異なる文脈を想起させる。掛詞は歌の文脈を二重にする。縁語は詩の主題を陳腐化させずにまとめあげる力を持つ(ex. 「難波江」の「芦」の「かりね」のひと「夜=節」ゆゑ「身を尽くし=澪標」てや恋ひ「わたる」べき)。本歌取りは本歌への新しい解釈を提供する。
屏風歌・障子歌は絵の中に入り込んで(絵の中にいるという目線で歌を詠み)二次元の絵に動きを与える。風を吹かせたり。ここで紹介されていた、定家の「秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田の森の露の下草」という、絵に描かれなかった(描けなかった)細部を歌った歌、凄く好きだと思った。障子には採用されなかったらしいが。
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和歌は身近なものではない。
和歌の詠まれる場に注目すれば、
和歌の内容は、作者によって「演技され、理想とされ、社会に共有されるもの」である。
それは儀式的空間を形成するものとして
精神的状態の一種の憧れとして
絵や美術と共鳴し合うものとして
心的距離をもって接するものである。
身近ではない。だからこそ、
長い時代を生き永らえてきた。
きわめて日本人的な、という但し書きはつくけれど、
「和歌は、人の生き方に深く関わってきた。
むしろ私たちの生き方そのものだ。」
という筆者の説に、なるほど一理あり。
むしろ、和歌コミュニティ拡大の過程が
日本人的な社会観、価値観、思想の形成に
大きく一役かっている。
だから、「場にふさわしい」とか「無心をよしとする」とか
人生を重ねてしまうのだろうと思った。
歌合や、障子画や、歌集や。
すごいな、和歌コミュニティ。
感性が人生を為し、生き方が感性を為し。
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和歌は「演技」する文学であるという点と、掛詞・序詞などの文脈が重ならない言葉が「運命的」に一致するところに和歌の美があるのだという点、非常に面白かった。枕詞は、『日本書紀』では、神の言葉に萌芽的にみえるそうで、人類学的、呪術的な奥行きを感じさせる。第二部は歌合、人麻呂影供、古今伝授などの和歌の社会的側面に光をあてており、和歌をよむことは、演技をとおして、心を社会化する試みであり、その点で精神修養であり、「悟り」を求めることであり、為政者たる資格を証明するものであったという点も、たいへん面白かった。古典とはそういうものであろう。
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長年の学生への講義よって培われた論理と言葉だろうし、それだけ説得力も論理の迫力も感じられる。昔の干からびた文芸学ではなく、今の論理で、和歌の構造解釈に真摯に取り組んでいる。近代言語による和歌解釈の最も真摯な姿であると言える。特に、本歌取りや縁語、掛詞の背後に、「懐かしさ」を論じるあたり。
しかし、近代言語による和歌解釈の達成とはいえ、それはやはり「近代」である。その「懐かしさ」の本源には近代的研究言語では決して辿りつけるものではない。「分かる」ことと「感じられる」こととは遥かなる距離がある。
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和歌とは演技性を持つ行為だ、というのが著者の主張の骨子のようだ。
序詞や枕詞などのレトリックは、言葉を儀礼的な空間に呼び込むための技法だ、ともいう。
そういった技法は言葉に二重の意味を持たせるものであり、声が重なるような感覚をもたらすものだと。
歌の中で役割を演じながら、他者とのつながりを作り出す、ということらしい。
こう書いていると、わかるような気もするし、ちっとも腑に落ちない気にもなる。
本書では実際の和歌がやりとりされる空間のことも扱っていた。
具体的には歌合せや古今伝授、屏風絵の歌など。
こちらは具体性があり、読みやすい部分。
やっぱり実際の歌合せや贈答の場面が見てみたいなあ。
結局そういう感想に落ち着いてしまった。
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和歌を楽しむ人間としてではなく、「高校生に、受験の知識として教える人間」として、非常に感動的な本。
和歌の技法を「単なる技法」としてのみ認識すると、生徒にとって「単なる暗記対象」になってしまう。それではまったく面白みがない。生徒たちはなぜ(一般的に)15〜18歳という人生にとって大切な時間を、そんな無味乾燥とした知識の詰め込みに使わなければならないのか。私たち教員はなぜ1000年以上の時を経てなおこの国に残っている(それどころか、今なお燦然と輝き続けている)和歌を、そんなつまらない知識に堕させるようなことをしなければならないのか。
そういう気持ちで、「自分は大学で和歌を専攻したわけでもなく、在野の研究者というわけでもないのに、こんな教え方をしても良いのだろうか?」と悩みながらも、「これが生徒のためであり、和歌のためなのだ」と自分に言い聞かせながら(たぶん間抜けなヒロイズムに勝手に酔いながら)、「和歌の専門家」からすれば邪道と言われるだろうかたちで生徒に伝えてきた。
しかし渡部泰明はこの本の中で、まさしく私の言いたかったことを示してくれていた。
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お茶の水大学日本語日本文学コースの教員おすすめの本
和歌とはその時の情景をただ単に示してそこから描く感情を書いているものだと思ったけど、
体験の真実性に近づけるための虚構で、演技しているのでは?と作者は考える
1つの和歌であっても取り上げるところによってよみが変わったり、人によって感じ方は全く違うのだなあと感じた。
切ない恋心を歌った歌も、歌合の題に沿って書かれたり、成り切って書かれたものだと知ってなんだか残念だと思ってしまった、、、(無知だった)
でも表現も感性も素敵だなと再認識。
個人的にはこの本で出会った
「面影も別れに変はる鐘の音にならひ悲しきしののめの空」がぐっときました。