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どんとこい、貧困! みんなのレビュー
- 湯浅 誠 (著), 100%ORANGE (装画・挿画)
- 税込価格:1,430円(13pt)
- 出版社:理論社
- 発売日:2009/06/25
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高い評価の役に立ったレビュー
12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/08/11 08:12
それは誰の「貧困」なのか
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「貧困」と「貧乏」はちがう、と著者の湯浅誠氏はいう。「貧困」とは「頼れる人もいなくて、将来も見えてこないような状態」(64頁)であり、単にお金がないことだけを指すのではないとしている。
まず、このことを押さえておかなければ、「貧困」の問題は見えにくくなる。
「中学生以上すべての人」に書かれたこの本は、読者対象が広いぶん、たいへんわかりやすく、丁寧に「貧困」の問題を解説している。中学生だけでなく、おとなの人、とりわけ「勝ち組」といわれるグループを目指そうという若いおとなたちに読んでもらいたい一冊である。
本書は二部構成でできている。前半は、「貧困」問題に常につきまとう当事者たちの「自己責任論」についての誤解とその反駁。後半は、そういう社会を変革するためへの主張、である。
特に、前半部分は多くの人が陥りやすい問題であるから、湯浅氏の反駁を知っておくことは極めて大切なことだと思う。
そもそも仕事がうまくいかなくなったり、生活が立ちゆかなくなったのは、その本人の努力が足りないのではないか、というのが「自己責任論」である。この論がやっかいなのは、それはそうかもしれないなと思わせるものがあることだろう。
「自己責任論」は、「貧困」を個人の問題に焦点をあてた議論だといえる。
湯浅氏は、こういう「自己責任論」は、「弱っている相手を黙らせる」ことであり、社会全体の問題として「出てこないように蓋を」してしまうことが問題であるとしている。つまり、「貧困」は社会の問題であるということである。
個人と社会の関係は簡単に解きほぐせない問題だろう。ただいえることは、現代の社会が「頼れる人もいなくて、将来も見えてこないような状態」の個人を容易に生み出すものであるという認識が必要ではないだろうか。であるならば、そういう個人を受け入れる社会もまた作りださなければならないはずである。
「貧困」の問題とは、「貧困」で苦しむ人だけのものではない。そういうものを生み出し、さらには排除しようとする社会の問題だし、その社会を受け入れている私たちの問題でもあるのだ。
この一冊がそういう契機になればいい。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でご覧いただけます。
低い評価の役に立ったレビュー
24人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/09/13 20:27
貧すれば貪する
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は「自己責任論」を「上から目線」と断定し、なんとか全否定したいらしい。著者は「自己責任論」を「他人を黙らせるための手段」であるかのごとくいう。こういう単純な議論の二分法こそ、私はキケンだと信じる。ならば聞こう。「格差」「貧困」「弱者保護」も同じく「自己責任論を振りかざす者たち」を黙らせる道具ではないのか。われわれは戦後長らく「きみたちは弱者を切り捨てるのか」という恫喝に屈し続け、様々な職再分配策、格差是正策を飲まされてきた。これは、平たく言えば、他人より努力したもの、他人より多くの汗を流したものの成果を国家が奪い、他人より努力していないもの、スーダラして努力を放棄している者へ報酬を与えることでもあった。これが可能だったのは、日本経済が二桁の高度成長をしていたからなのだ。稼ぐ人はどんどん稼いで、多少むしり取られても「まあ、許容範囲か」と我慢が出来たのである。ところが日本経済が低成長時代に入ると、こういう所得の再分配に大きな抵抗感を覚える人が増えてくる。日本の税金は大部分、法人税と所得税でなりたっていて消費税はまだ他の先進国に比べ非常に少ない。となると、どういうことが起きるかというと、所得を隠せない大企業やそこで働くサラリーマンばかりが税金を払わされ、分配の主人公となり、税金をごまかせる人、所得を隠せる人は「平気の平左」「知らぬ顔の反米」を決め込む無責任社会となってくるのだ。日本で法人税を払っている法人は非常に少ない。所得税を払っている個人というのも非常に少ない。大部分の日本人は、実は税金を払わずに「もらうだけ」の「ぶら下がり健康法」を決め込む「おいしいところだけ一番搾り」状態のスーダラ野郎たちになりつつあるのだ。明治時代、日本ではサミュエル・スマイルズの「セルフヘルプ(自助努力論)」が「西国立志編」として大ヒットした。日本国民は欧米の経済成長の原動力が「自己責任=自立した個人=渇しても盗泉の水は飲まない」という厳しい自助論にあることを発見し、感動して、懸命に働いたのだ。だからこそ明治の日本は奇跡の経済発展を成し遂げ、世界の五大国に席を列することができたのである。今、平成の日本では国際社会でも責任を果たすことから目を背向け、アメリカから押し付けられた憲法を縦に逃げ回ろうとする自分勝手な外交論を振り回す輩が増えてきている。アメリカの核の傘で守られ続けてきたからこそ、日本は史上空前の繁栄を成し遂げることができた、これすべてアメリカ様のおかげ、という冷厳なる事実から目をそむける思考停止の連中が幅を利かせ始めている。そして明治の人たちには当たり前だった「自己責任論」を、話をすり替えて「他人を黙らせるための手段」などと吹聴するデマゴーグに追随する軽薄漢が増えてきている。こういうアメリカ様の軍事力パラサイト集団=日本の大企業に巣くう寄生虫集団が過半数を占めるようになれば、日本は衰退への道をまっしぐらに進むことになろう。諸君、明治の人たちが持っていた気概を取り戻そうとは思わないか。貧しくともおのれの身を律し、他人の世話にはなりませんという矜持を持とうとは思わないか。
紙の本
それは誰の「貧困」なのか
2009/08/11 08:12
12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「貧困」と「貧乏」はちがう、と著者の湯浅誠氏はいう。「貧困」とは「頼れる人もいなくて、将来も見えてこないような状態」(64頁)であり、単にお金がないことだけを指すのではないとしている。
まず、このことを押さえておかなければ、「貧困」の問題は見えにくくなる。
「中学生以上すべての人」に書かれたこの本は、読者対象が広いぶん、たいへんわかりやすく、丁寧に「貧困」の問題を解説している。中学生だけでなく、おとなの人、とりわけ「勝ち組」といわれるグループを目指そうという若いおとなたちに読んでもらいたい一冊である。
本書は二部構成でできている。前半は、「貧困」問題に常につきまとう当事者たちの「自己責任論」についての誤解とその反駁。後半は、そういう社会を変革するためへの主張、である。
特に、前半部分は多くの人が陥りやすい問題であるから、湯浅氏の反駁を知っておくことは極めて大切なことだと思う。
そもそも仕事がうまくいかなくなったり、生活が立ちゆかなくなったのは、その本人の努力が足りないのではないか、というのが「自己責任論」である。この論がやっかいなのは、それはそうかもしれないなと思わせるものがあることだろう。
「自己責任論」は、「貧困」を個人の問題に焦点をあてた議論だといえる。
湯浅氏は、こういう「自己責任論」は、「弱っている相手を黙らせる」ことであり、社会全体の問題として「出てこないように蓋を」してしまうことが問題であるとしている。つまり、「貧困」は社会の問題であるということである。
個人と社会の関係は簡単に解きほぐせない問題だろう。ただいえることは、現代の社会が「頼れる人もいなくて、将来も見えてこないような状態」の個人を容易に生み出すものであるという認識が必要ではないだろうか。であるならば、そういう個人を受け入れる社会もまた作りださなければならないはずである。
「貧困」の問題とは、「貧困」で苦しむ人だけのものではない。そういうものを生み出し、さらには排除しようとする社会の問題だし、その社会を受け入れている私たちの問題でもあるのだ。
この一冊がそういう契機になればいい。
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紙の本
自己責任論はかならず「上から目線」になる
2009/09/06 12:15
11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:喜八 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「労働/生存運動」の理論的・精神的支柱、湯浅誠さん(「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」事務局長)の新著『どんとこい、貧困!』理論社(2009)。
全編の白眉!と私が感じたのは『自己責任論は「上から目線」』という章でした。
その一部を引用させていただきます(153-154頁)。
《「上から目線」という言葉がある。人を見下したような、自分が相手より上に立っていることを前提にしたような考え方・発言という意味だが、自己責任論をふりかざす人たちに共通しているのが、その「上から目線」だ。というか、自己責任論はかならず「上から目線」になる。「上から目線」のないところに、自己責任論は生じない。
なぜなら、自己責任論とは、そもそも仕事がうまくいかなかったり、生活が立ちゆかなくなったりした人たちに対して、うまくいっている人たちが投げつけるものだから。》
私(喜八)もできるだけ「人を見下す」のは避けるようにしています。
なぜなら、無闇に他者を見下せば見下すほど、自分自身がバカになり、品性が下劣になるだろうと判断するからです。
現時点でも、かなりのバカモノであり、下劣者である自分(喜八)が今以上バカで下劣になったらどうする?!
と思うがゆえに「人を見下す」のは、できるだけ避けるようにしています。
しかし、なにせバカで下劣だから、完全には克服できていないでしょうね・・・。
湯浅誠さんは続けます(156頁)。
《 自己責任論の一番の目的、最大の効果は、相手を黙らせることだ。
弱っている相手を黙らせること。これは弱い者イジメだ。
弱い者イジメをする人間は、いつの世も、強い者には絶対に歯向かわない。強い者に対しては「自分も仲間に入れてください」と媚びる。自分が強い側にいなければ、弱い者イジメができなくなるから、弱い者イジメをしている自分はいつか仕返しされるんじゃないかと怯えているからだ。だからかっこ悪い。
そして湯浅さんは「自己責任論」は「弱い者イジメが横行し」「生きづらい」「誰も幸せでない」「満ち足りない社会」をつくると結論を出します。》
『どんとこい、貧困!』の後半は「活動家論」のおもむきがあります。
自ら「活動家(activist)」を名乗る(185頁)湯浅誠さんが、経験に基づいた「活動家論」を展開します。
「失敗だらけだった」「ほとんど負けっぱなしだった」と活動歴を振り返る(196頁)。
「あの湯浅さんでも、失敗続きだったのか?!」と驚くとともに、「だったら、自分(喜八)も失敗を恐れずに、『何か』をやっていい」と強く思いました。
おそらく、同じように感ずる読者は多いでしょう。
そして、それが老獪《ろうかい》なリアリスト・湯浅誠の「狙い」なのかな?
なんて疑ったりもします(笑)。
湯浅誠さんは「活動家」を「自分たちの“溜め”を社会のために使っている人たち」(240頁)、「防波堤のような、社会の底支えのような人たち」(241頁)と規定します。
と、同時に「煙たがられている人たち」「厄介者たち」(248頁)とも言い表します。
この辺が湯浅さん独特のユーモア感覚ですね。
いずれにせよ、「防波堤のような、社会の底支えのような人たち」に、この頃の私はよく出会います。
反貧困・独立系労組・平和活動・環境保護活動・愛国運動の「現場」で。
「防波堤のような、社会の底支えのような人たち」は、比率は少ないかもしれなけれど、社会全体で見れば、相当の実数がいるというのが本当に強い実感です。
そして私自身も「そういう人」の1人になってしまおうと目論んでいます。
紙の本
貧すれば貪する
2009/09/13 20:27
24人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は「自己責任論」を「上から目線」と断定し、なんとか全否定したいらしい。著者は「自己責任論」を「他人を黙らせるための手段」であるかのごとくいう。こういう単純な議論の二分法こそ、私はキケンだと信じる。ならば聞こう。「格差」「貧困」「弱者保護」も同じく「自己責任論を振りかざす者たち」を黙らせる道具ではないのか。われわれは戦後長らく「きみたちは弱者を切り捨てるのか」という恫喝に屈し続け、様々な職再分配策、格差是正策を飲まされてきた。これは、平たく言えば、他人より努力したもの、他人より多くの汗を流したものの成果を国家が奪い、他人より努力していないもの、スーダラして努力を放棄している者へ報酬を与えることでもあった。これが可能だったのは、日本経済が二桁の高度成長をしていたからなのだ。稼ぐ人はどんどん稼いで、多少むしり取られても「まあ、許容範囲か」と我慢が出来たのである。ところが日本経済が低成長時代に入ると、こういう所得の再分配に大きな抵抗感を覚える人が増えてくる。日本の税金は大部分、法人税と所得税でなりたっていて消費税はまだ他の先進国に比べ非常に少ない。となると、どういうことが起きるかというと、所得を隠せない大企業やそこで働くサラリーマンばかりが税金を払わされ、分配の主人公となり、税金をごまかせる人、所得を隠せる人は「平気の平左」「知らぬ顔の反米」を決め込む無責任社会となってくるのだ。日本で法人税を払っている法人は非常に少ない。所得税を払っている個人というのも非常に少ない。大部分の日本人は、実は税金を払わずに「もらうだけ」の「ぶら下がり健康法」を決め込む「おいしいところだけ一番搾り」状態のスーダラ野郎たちになりつつあるのだ。明治時代、日本ではサミュエル・スマイルズの「セルフヘルプ(自助努力論)」が「西国立志編」として大ヒットした。日本国民は欧米の経済成長の原動力が「自己責任=自立した個人=渇しても盗泉の水は飲まない」という厳しい自助論にあることを発見し、感動して、懸命に働いたのだ。だからこそ明治の日本は奇跡の経済発展を成し遂げ、世界の五大国に席を列することができたのである。今、平成の日本では国際社会でも責任を果たすことから目を背向け、アメリカから押し付けられた憲法を縦に逃げ回ろうとする自分勝手な外交論を振り回す輩が増えてきている。アメリカの核の傘で守られ続けてきたからこそ、日本は史上空前の繁栄を成し遂げることができた、これすべてアメリカ様のおかげ、という冷厳なる事実から目をそむける思考停止の連中が幅を利かせ始めている。そして明治の人たちには当たり前だった「自己責任論」を、話をすり替えて「他人を黙らせるための手段」などと吹聴するデマゴーグに追随する軽薄漢が増えてきている。こういうアメリカ様の軍事力パラサイト集団=日本の大企業に巣くう寄生虫集団が過半数を占めるようになれば、日本は衰退への道をまっしぐらに進むことになろう。諸君、明治の人たちが持っていた気概を取り戻そうとは思わないか。貧しくともおのれの身を律し、他人の世話にはなりませんという矜持を持とうとは思わないか。