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雑食動物のジレンマの下巻
料理をする為に全ての食材を自分で調達し、自らの手で調理する。
それらを通して、食の在り方について考えさせられる本です。
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上巻よりパワーは落ちるが、非常に興味深い。昔から行ってみたいと思ってたアグリツーリスモに行ってみたい熱が再燃。アメリカの摂食障害の病根は深いのだなあと認識させられる。最近よくニュースになってたTPPなども、この成り行きで構わないのか、とても疑問になってくる。
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読み終わるのに何年かかったんだろう・・・ずっと「積読」状態が続き、上巻を読み終わってもしばらくは読み始めることさえなかったのだが、やっと本を読もうという気持ちになって、まるでリハビリのように毎日少しずつ読み進めるうちに上巻の話がありありと浮かんできて、読書の楽しみ自体を思い出してからはかなり早く読み進めた。
やっぱりこういう社会科学的な本、好きだわ~。
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近年隠されてきた食品工場の処理施設、中でも屠殺処理現場やカンズメ用のした処理工場などをガラス張りにして見学可能にした施設が現れていると言う。
食べる事・生きる事が何を意味しているかの情報を隠してしまうと、人間ロボットになってしまうと言う事に気付いた人たちのお上に対する自主的行動なのだろう。
支配欲に追われている政治・行政・マスコミ・大企業は嘘で固めた教育に順応するロボットが欲しいのだろうけれど、その競争社会の矛盾に気付いて戦う事から離れマイペースで着々と歩む人々もいる。
その後姿を見て依存的な生活をやめ生産的な全体観に目覚める人が増えていく。
面白い事に問題を抱えた社会ほど、目覚める人も多く、嘘だらけの環境ほど自分に正直な人が育ち、混沌とした暴力による秩序に犯されているほど自律した意識を目指す人たちが増え生産的でマイペースな生活で参加する。
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狩猟も体験せねば。と思わせてくれる本でした。上巻は事実が中心に述べられていますが,下巻の狩猟編の筆者の「思考」はそれはそれで読みごたえがあります。ただ,やっぱり農業をしたことがあるからまだ実感的にわかるけれども,狩猟はやったことがないので,本当の現実感は感じられませんでした。ということで次は「マタギ」の話を読もうと思います。
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・地球最大の工業的農産物であるトウモロコシからオーガニック野菜、牧草農業を経て狩猟・採取まで、雑食動物の食を巡る一大スペクタクル。読者はまずなにを食べたら良いのかわからない状態になり、やがて何を食べたっていいやと言った状態になる。ただ読む前と違うのは自分が口にしているものがどんなもので、どんな可能性の中からそれを選んで食べているのかわかっていると言う事。読んでる最中は各章が余りにも縦横無尽に展開するので何の本だかわからなくなる位。読み応えあり。
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上巻から始まった食の本質を探る著者の探求も、ついには狩猟・採集という、人類にとって最も原始的なところまでさかのぼってきた。
決して、過去をただ賛美している本ではない、今我々が直面している食の問題を捉え、その問題に対して我々が考える機会を与えてくれる本である。
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上巻が面白かったので、下巻を入手して一気読みした。いい本を読んだ。いい読書体験だった。
上巻の感想で、これは文化の問題なのではないかと書いたけど、これはそのまま下巻で著者が言及していた。言及も何も、その章のタイトルは「雑食動物のジレンマ」で、本書の題名そのものだった。
「ひとつは新しい食べ物に対する合理的な恐怖心である食物新規性恐怖、もうひとつは危険だが必要な受容性である食物新規性嗜好だ。」(P90) この二つのジレンマが雑食動物のジレンマである。
これは通常、文化やマナーとして、時には宗教的禁忌として織り込まれている。しかし、それが失われてしまった国がある。アメリカだ。
「スーパーやファストフード店で、資本主義は自然界に似た風景を再現している。そして私たちは今、複雑で、栄養学的な危険をはらんだ、雑食動物のジレンマが深く影を落とす風景に立ち戻っているのだ。」
なるほど、よく分かる。しかし、次章の「動物を食べることの倫理」を読むとまたわからなくなる。菜食主義者たちの戦い・・・といってよいのか・・・本人たちは真摯であるのはよく分かるのだが、「こんなくだらない議論は読んだことがない」というように思う。大丈夫かキリスト教徒、大丈夫か西欧文明。
むしろ私は、ある種の理想形態のように書かれているポリフェイス農場で、鳥の内臓を堆肥にしていること、いやそれについて何も著者が言及していないことの方に気になっていた。(第12章) 「そこまで動物と環境に敬意を払い倫理に敏感になっているのなら鶏モツ食べろよ!」と私は思った。
無論これはこれでひとつの文化が要請する倫理規範のひとつにすぎないわけで、アメリカ人にとやかく言う意味は無いわけであるが、ちょっと引っかかったところではある。それだけに、第14章のベジタリアンの議論は、少々あきれた。
(むろん、著者自身は、各意見を公平に取り上げた上で、まっとうな解釈とまっとうな感情でことを説明しているわけだが。)
著者の意見にも、姿勢にも、人としてのまっとうさにも、無論知識と行動力と取材力にも、大いに敬意を払う。ほんとうに良い本を読んだと思う。
その上で、「なんだろうか、この違和感は・・・」と思っていた。
たぶんそれは、「食べておいしいのか」から出発していないからではないかと思う。何を食べるべきかというのは、おいしいかどうかから逆算して考えるものではないかと思う。それを抜きにして、生物学的、栄養学的、化学的、食品工業的、調理技法的に考えても、もしくは倫理や哲学や論理で説明をしても、全体がつかめないのではないかと思う。全体は部分に還元できないのだ。
自分でも幼稚なことを書いていると思う。そんな幼稚なことを「全体は部分に還元できない」とはおこがましい説明だと思う。
だけれども、そうとしかいえなくて。おいしいということを拒む、もしくは直視することを避ける、なにかの視座があるように思う。「ピューリタン的な禁欲主義」はちょっと安直かもしれないけど、もっと大きな枠から補助線を引かないといけないと思った。そうでないと、下巻まで読んでも、上巻で出し���問いがまだ分からない。
「朝食用シリアルって、なんでそんなもの食べてるの?」
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上巻にたいして、
「じゃぁどんな食事をしていくの?」
であったり、
「こんな食事もある(あった)よね」
ってことをひたすら書いてました。
食に対する著者の飽くなき追及心のたまもので、
かなりコアな話になるわけやけれども、
それを飽きさせずに読めるのは単純に著書の文章的な技術だと思います。
現代の食を再考する。
その意味で必読の書となりました。
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本物の食材を手に入れることは至難の業なのです。『雑食動物のジレンマ ある4つの食事の自然史』を読んで > 詳細 >「身軽に気軽に移動のできる、創造的な人生を送るためのブログ」http://goo.gl/IfcRqU
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著者は、食や農に関して鋭く問題を指摘し続けるアメリカの著名なジャーナリスト。雑食動物たる人間は、何を食べるべきなのか?という問いに答えるために、食の流れを大地から食卓まで追跡取材する。国際・園芸をともに考えられる好著。 (松村 教員)
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著者を含め、一般的な食事をする人が口にする食べ物がどう処理されて、どこから来るのか-を巡る旅の本。その下巻です。
この旅を通して、ファーストフードやス―パ-で販売している加工品など工業的に作られた食べ物と、オーガニックやスローフードなど生産者の顔が分かり、環境に負荷をかけないという哲学のもとで作られた食べ物はどう違うのか?を著者は問いかけます。
下巻ではいよいよ、著者は狩猟を自ら手掛ける決意をします。猟銃を扱う資格を取って、森へとワイルドピッグ狩りへ出かけ、知り合いのシェフとともに解体、加工することになります。
さて、動物を打ち殺すことが惨いと思うのか、工業製品のように、人知れず1日数百頭も肉牛が機械的に殺され解体されパック詰めの牛肉となっている事実に目をそむけて、誰がどこでどのように処理されたのか分からない肉を食べることと、本当に惨いのはどちらなのか?
少なくとも猟では、無駄な殺しはしない。そして解体した肉や骨も利用できる物は全て利用し、無駄にしない。もちろん何千キロも離れた場所へ輸送するようなエネルギーの使い方もしない。地元で処理し、食べる。そこには自然と自ら葬った動物への感謝の気持ちがわく。著者は本書で、猟で失敗した面白エピソード(絶好のチャンスに銃に弾を込め忘れていた)なども加えながら、このような体験を、偉そうに主張することも、こうした生活を営むべきだと強制もすることなく、ただ自分が経験したかったことをやってみせ、思ったことをつづっている。
狩猟の後はキノコ狩りに出かける。キノコは無知の状態で口にすると大変危険な食べ物であるため、一般的な生活では経験できない、死と隣り合わせの収穫物であることから、食材にわざわざ選んだようだ。無知でも失敗しないスーパーでの買い物と比較すると、それを得るための緊張感が違う。
最後に、この旅で得た肉やキノコ、野菜などを著者自らが、彼に協力してくれた人たちを自宅に呼んでふるまわれるところで物語は終結する。
安いものには、含まれていないコスト(低賃金労働、環境の悪化、エネルギーの無駄使いなど)がかかっているということは、私も知っていますが、それを自ら経験してまで体験してみせる人は初めてでした。
偽善者ぶってオーガニックはよいと主張するのではなく、自ら葛藤しながら、本当に打ち殺したことが正しかったのか、食べ物を食べるには動物を殺さないといけないことに対する気持ちの整理の付け方などがつづられている部分は下巻の大きなテーマです。
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"普段、お肉を食べるときは、切り身になっている。その切り身になる前、の姿を想像することなくおいしく食べる。
この本では、切り身になる前の牛、豚、鶏を描くことで、私たちが食べる食事は、多くの生き物がかかわっていることを改めて考えさせられる。
そして、自然の摂理にかなった循環型の食生活を送るには、現在の生活を根本的に変えないと不可能なほど、工業化した毎日が横たわっている。何がよくて、何が悪いかという視点ではなく、何も考えない日々に渇を入れてくれたのが、この本だ。
シンプルな導入文にすべてが込められている。
夕食は何を食べよう?
この問いを深く深く掘り下げたのが本書であり、この上なく楽しめる読み物でもある。"
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この本は3部構成になっており、工業製品のような食品(トウモロコシを原料としたもの)、有機食品、自力で入手した食品について語られている。農家、食品加工業者、穀物業者をを含めた米国の「食」について克明に記録されている。記述は科学的かつ論理的だが、第3部は趣味的出来事の描写がほとんどで、不要だったと考える。印象的な記述を記す。
「ワインをがぶ飲みし、チーズをむさぼるフランス人は、心臓病も肥満の率もアメリカ人よりも低いことが、食の通説を混乱させている」
「アメリカの飼い犬の半数は、今年のクリスマスにプレゼントを受け取るはずだ。一方、犬と同じように知能の高い豚の一生について考えてみる人は少ないだろう。そして豚はクリスマスに、ご馳走のハムとして食されるのだ」
「個々の鹿にとって狼は残忍かもしれないが、群れとしての鹿全体の幸福は、実は狼にかかっている。捕食者によって淘汰されなければ、鹿は生息地に氾濫し、飢えることになるだろう。鹿だけではなく、鹿が食べる草や、その草に依存するほかのすべての種に影響が出てしまうだろう。ある意味で、狼の良い生活や、補色の試練でつくられた生き物としての特徴は、狼にかかっているのだ。同じように、鶏の幸福は人間という捕食者の存在にかかっている。個体としての鶏は違うかもしれないが、種全体としての鶏はそうなのだ。鶏を絶滅させる確実な方法は、鶏に生活の権利を与えることにある」
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なんとなく食べている日々の食事を改めて問い直したくなる本。
アメリカに住む人達が日々どのような食事をとっていて、その食事はどうやってやってきたのかというところに目を向け、食事として届くまでの過程を丁寧に追っている。
アメリカの食生活に比べれば自分はまだちゃんとしたご飯を食べていると思ってほっとしてしまうが、食べているものがどこからきたのかということを気にしたことがなかった。スーパーの精肉コーナーには安い肉と高い肉があることは認識しているが、なぜ価格が違うのか、産地はどこなのかなんて全く見ていなかった。
現代人がものを食べるまでに何が起こっているのか改めて考えさせられる。