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小さい頃、戦隊ものをみて、
「暴力はいけないって言っているのに“正義の味方”は暴力でやっつけてもいいの?」
「正義って誰が決めてるの?」
「5人で1人を倒すのって、卑怯じゃない?」
と思い、
歴史を習うようになってから
「聖戦ってなんだ?闘いに清らかとかあるのか?」
と考えたり、
「暴力は最終手段」
「自分の身は自分で守れ」
「やられたらやりかえせ」
「弱いものに暴力はふるってはいけない」
「強いものに手を出されたらやりかえしてもいい」
という風に育ったため、
すっと入ってきた。
マックス・ウェーバーはさすがだ。
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武器を携えなければ戦闘を回避できると思いたかった私はナイーブ(世間知らずで愚かの意)だった。と思わされた。
国益という言葉のもとに侵略があり、それを何とかできるはずだと思いたかった。論理や道徳の話で順に説得されていきながらそれでも納得のいかないところがある。暴力をふるう人が皆無にならないという悲しみがどうしようもない。
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--- 国会での「暴力装置」発言を批判する政治家のみなさんへ ---
「職業としての政治」を読んでいる暇がないと言うなら、この本を読んで勉強してください。
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中学生向けの本だけど、大人でもほほう、と思うに違いない。
カントの定言命法から、ヤクザ世界と国家との違い、なんて。
結局暴力はそれ以上の暴力でしか抑えることはできない。
正義という名の大義名分を掲げて。法という名の独自のルールの上で。
なるほど、なるほど。目からうろこ、ていうかこんなことに気づかなかった自分が情けないわよ、わたしゃ。ああ、そんなこと考えなくてもいい幸せな村に住んでたコロが懐かしいわ。
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暴力は良いこと?悪いこと? 殺人はなぜ悪いの?に論理的に答えるための本。答えは答えられないのだけれど。意外に誰もが、子供の時に素朴に疑問に思い、誰もが応えられないまま大人になってしまう。「14歳の処世術」と銘打った本だが、大人にも今の政治家(特になんの考えもなく政治家になったタレント議員)にも読んで為になる本。
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物事を道徳的な「善い」「悪い」という価値判断によってではなく、理論的な問題として考える方法(プロセス)を噛み砕いて説明している本。
だから、「考え方」についての本だといえるが、ここでは「暴力」についての説明を通してそれを説いている。
国家は暴力(政治権力としての暴力)によって成り立っている。それを暴力は悪い(または善い)ことだから国家をなくす(肯定する)べきだ、などと道徳的に考えるのではなく、まず暴力の性質や私たちとの関わりを「笑わず、嘆かず、呪詛もせず、ただ理解することにひたすら勤め」、「実践と最も良く調和する事柄」を導き出す姿勢が必要なのだ。
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暴力や殺人がなぜいけないのか。その問いに対しては答えることができないらしいです。論理的に考える、ということの勉強にもなると思います。「道徳的価値観から判断することは、論理的思考を妨げる」というのは確かにその通り。高校生前後の子などが何かを考えるとき、この刷り込まれた「道徳的価値観」というのは一つの壁になると思います。「暴力は「善いもの」でも「悪いもの」でもない」ことから考えるなど、思考プロセスの参考にさせることができるのではないでしょうか。
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・国家は暴力を基礎になっているという点で暴力団などと変わらない。
・国家は暴力の技術によってその規模を変えてきた(戦国時代の銃の出現)
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「14歳の処世術」シリーズ。
この本は、「哲学的な思考の超基礎」を紐解く、論理的思考の体験本といったらいいだろうか。
「暴力は善いか悪いか」というテーマを糸口に、「善い悪いはない」「道徳的価値観を持ち込むと論理的思考はできない」ことが非常にわかりやすく説明されている。
哲学を本格的に学ぶ人にとってはおそらく、暴力・国家・法などについて説明不足や定義不足のところは多々あるのだろうが、この「14歳」シリーズでそこまで深めてしまうと、論理的思考を体験させる目的から逸脱してしまうと思うので、これで十分ではないかと思う。
「14歳シリーズ」内では、ぜひとも読んでおきたい一冊。
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14歳の世渡り術シリーズ。「なぜ人を殺してはいけないか」などの答えにせまる。内容に私が面白みを持てなかったのと、苦手な〇〇説みたいのが頻繁に出てきたので、図書館の貸し出し期間中に読み切れなかった。内容そのものはわかりやすいと思う。
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なぜ人を殺してはいけないのか?
暴力はいけない事なのか?
哲学的に考えたとき、この二つの問いに対して、簡単に答える事ができなくなる。
本書では、そもそも「人を殺す事」や「暴力を振るう事」そのものに善悪はなく、ただ、よい場合と悪い場合があるのだという、衝撃的な結論にたどり着く。
ただ、思えば戦争にしたって、経済学からとらえた場合、土地(有形非生産資産)獲得手段の一つになる訳で、それ自体良い悪いではないと考える事ができる。(今の時代には対価が高すぎてあわないと思うけど。)
私を含め、人が如何に道徳的な価値観に縛られ、論理的な思考ができていないのかに気がつかされる作品である。
ただ、自分としては、導かれる結論を単純に受け入れるのではなく、自身の心の声と比較して、複眼的にとらえる事が必要だと考える。それは、別の人の行動や考え方を理解し、自分の価値観も大事にして、その二つをうまくつなげていくために必要とおもうからである。
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殺人や暴力と絡めて説明されたカントの道徳論、定言命法、仮言命法のことが腑に落ちた。
ドストエフスキーの罪と罰の問題に繋がるとわかった。
関係性で成り立つ言語というものには、因果で説いていくと、説明不可能に陥る。定言命法は完全ではないにしろ、ダメなものはダメということがおあるのだ。
暴力は分離できない。自分が行使するベキ暴力を国家や、時にはヤクザやマフィアが担っていたりする。
合法か非合法かに関わらず、暴力は人間の本質であるから無くならない。
合法か非合法かを定めるのは国家になるから、そこに権力が過剰に集中することは避けたいけれど、国家の存在を否定することは現実として在り得ない。
暴力というと、何処か理想論や正論で簡単に蹴りをつけてしまいがちだと思う。本書にあるように、暴力は人間の存在とは分かち難くあるものという点に立って、戦争のこと、国家のこと、身近な社会のことを考えねばと思った。
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暴力は人にはつきもの。その制御のために国家という存在が生まれてくる。
ホッブズのレヴァイアサンなら、高校政経レベルで習うだろうが
暴力を起点に、国家を導く考えかたや理論をザっと
概括してくれます。
最後の章のスピノザの考え。とても考えさせられました。
怒らず・笑わず、ただあるものとして受け入れ・考える。
事実と、道徳を切り離して考える。それは何事にも。
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暴力の問題を道徳的でなく国家の存在意義の観点から見ているが、果たして暴力という言葉でひとくくりにできる内容なのかに疑問が残る。
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すごいです。説得されちゃいました。国家は暴力を背景に成り立っている、という説に納得、です。残念ですが、人類から戦争がなくなることはないでしょう。戦争は起こるかもしれない、という前提のもとに、対策をたてていかないといけませんね。攻めと守りの区別が難しいでしょうけどね。