紙の本
ユーモアあふれるエッセイ
2010/07/27 20:40
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mikimaru - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終えたのは何週間も前で、何かの待ち時間の暇つぶしだったと思うのだが、普通ならすぐ忘れてしまいそうな気楽な文庫本のはずが、ときどき内容を思い出す。以前に読んだ「食べたいほど愛しいイタリア」もそうだったが、やはりご本人が日本語でユーモアたっぷりに書いている文章は、どれほどすぐれた翻訳書より楽しいものだ。
たとえばイタリアに個人旅行に出るのは治安の意味で不安があるという人に「まあ、財布ぐらい盗られるかもしれないけれど、それでもイタリアは(いい国です)」(p.98)と答えるようにしているとか、日本語があまりうまくなかった初めての来日当時、食べる当人が発するべき言葉とは知らず、食事をはじめる人に向かって「いただきまーす!」と言ってしまった(p.24)とか、ご自身の経験をおもしろおかしく紹介するそのさじ加減が素晴らしい。
結婚後も母親の影響を強く受けつづけるイタリア男性の話など、日本人がいだくイメージに近い逸話も多いいっぽうで、歴史的な景観を保護する目的で自分の持ち家だろうと自由に改築できないといった事情(たとえば窓の位置を変える、便利な場所に車庫を増築したいというのも、個人の自由とならない場合がある)など、なかなか外国人が気づきにくい面も語られている。近年の話題としては、リラからユーロに移行した際の人々の混乱などもあったが、日本も消費税が初めて導入された際、混乱と便乗値上げがあったものだ。
イタリアに関する本は何冊も読んでいるが、読みやすくおもしろい。著者は数年のうちに日本、韓国、米国、イタリアに帰国など、さまざまに転居しているようだが、この本が文庫化された際のあとがきには、日本で大学にお勤めとあった。また次の本に出会える日を楽しみにしている。
余談だが、景観保護で思い出したことがある。
かつて修学旅行に出かけた京都で、同級生一同「飲み物の自販機が少ない、喉が渇く」と大騒ぎ。自販機があちこちにあったら古都の景観が台無しだから仕方ないのだろうと、誰かがいっていた。
宿泊した旅館の裏で牛乳の自販機を見つけた同級生がいた。自分の手柄に得意満面、夕食時に1リットルパックを得意そうについでまわったその姿は、いまも覚えている。
最近の京都はどうなのだろうか。京都にもまた出かけてみたい。
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イタリアになんとなく引かれて手にした一冊。著者の遭遇した出来事がベースにあるエッセイだけれども、そのなかでイタリア文化紹介がちりばめられている。話がうまい人の語り口のようでとても読みやすい。
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以前読んだアレッサンドロさんのエッセイが面白かったので。
ぼちぼち読みます。
読み終わって。
イタリアの日常やあるあるをアレッサンドロさんごコミカルにわかりやすく書いておられます。
サクサク読めるよー
祖国愛を感じる1冊。
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「食べたいほど~」を読んで面白かったので。
イタリア人男性はマザコンであることを隠そうとしない、というよりもむしろマンマが大好きな自分を積極的に肯定すらしている。
日本でそれをやれば大多数の(息子を持つ母親以外の)女性に忌み嫌われるとおもう。
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よしもとばななの日記に出てくるヒトの本?
イタリア人が、家族や親族関係を大切にしていることがよくわかる。
お料理の本も読んでみたいな。
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本当のイタリア人の考え方、生活がよくわかって面白かった。かなり誤解していたことがわかった。
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おととい『世界ふれあい街あるき』を見た。
アルプスの遠景、石造りの街並み、活気のある市場、明るくて社交的そうな人びと。どこなのか解らぬままに見入ってしまう。よく聞いてみると、話されいるのはイタリア語である。「アオスタ」というフランスと接するイタリアンアルプスの街であることがやがて分かる。こういう「おや」という発見で実際にソコまで旅行しちゃうことが、私にはある。マルタ行きを思い立ったときもそうだった。偶然見た『世界ふれあい街あるき』で、どう見ても地中海の島だ、ひとびとがみんな文化的なのにとてもフレンドリーだ、そもそも街全体が世界遺産だというその街は一体・・・、という気で見入っていたら、なんとソコで話されているのは英語だった。複雑な歴史的背景から、ギリシア語でもイタリア語でもなく、英語で楽しめちゃう世界遺産の地中海リゾート、それがマルタ共和国の素顔だと知り即「飛んで」いた。
「この素敵な街で話されているのは何語だろう」と思いながら『ふれあい街歩き』を一生懸命観たのはそれ以来のことだ。
本書の解説で「異なる文化に等しく接することのできるひと」と評された著者のアレッサンドロ・ジェレヴェーニは、40歳になったばかりのイタリア人。よしもとばなな作品の翻訳などを手掛けた翻訳家にして、早稲田でイタリア文学を講じる準教授でもある。
彼の、完全な日本語で語られるイタリア人の自嘲や日本人への揶揄は、さらりとしていて明るくて全く嫌味がない。それは、彼の母国と日本への深い慈愛がにじみ出ているからなのだろう。彼と同様に完全な語学力でもって、川端、谷崎などの日本文学をかの国に紹介し、逆にかの国のカトリックの伝統文化や、庶民の暮らしぶりや、上流のひとたちの社交界のリアルな様子まで、日本の私達に伝えてくれたのは須賀敦子だった。彼女の完璧な語学力があってはじめて、私たちは隣のおばさんのエピソードのごとく現代イタリアのひとびとの様子を窺い知ることができ得た。
アレッツサンドロは、実は、須賀敦子を「先生」と呼ぶ「教え子」だ。彼は、初対面の時の須賀の「完璧なイタリア語」に舌を巻いた様子を別な本で告白している。
本書の解説者は、「こんな申し分のない日本語が書けるなんて(ああ羨ましい)!」と記しているが、彼に対しても須賀敦子に対しても、私も全く同様の羨ましさを感じる。
「翻訳者は裏切り者である」と題する一篇があった。「裏切り者」というのは誤訳がつきものの翻訳という作業を揶揄した、イタリア語の常套句らしい。さらには、一回限りの翻訳料のみで翻訳印税が存在しないことや、そもそも翻訳者名が表紙にクレジットされないことが多いほど、翻訳者の地位が低いイタリア出版界の事情について知ると、「羨ましい」だなんて軽々には語れない。英語や仏語から定冠詞は定冠詞に、複数名詞は複数名詞に置き換えさえすればよい欧州語同士の翻訳のお手軽さや、そもそもイタリア語による出版市場の小ささなどが背景にあることなども事情としては解るけれども、それにしてもイタリアにおける翻訳家の地位は悲惨だ。
夫の急死後、ミラノで翻訳家として不安定な生活を送っていた��賀敦子の、不安な生活の一端を理解する手掛かりを、このイタリア人らしいおちゃらけを装った一文は雄弁に語ってくれている。
さきの『ふれあい街歩き』でみたイタリアの街のひとびとは、フリマで初対面のおばさん同士が「これは小さい」、「あんたが太ったからだよ」と明るくやりあっていた。その過剰な社交性に嬉しくなる。食品店のおやじは名産のチーズを抱えて見せて、ぽんと叩く。すかさず、前の通りで道路工事のための重機を操作しているおじさんまでもが、「そのチーズの旨さと言ったら、この腹のとおりさ」と腹をぽんと叩いて見せてくれる。まさに「ふれあい」だ。
この旨いモンを喰わずにいられないイタリアの庶民の様子を、「永遠の悩み―ダイエット」の一遍で彼は書いている。
彼の叔父アミルカレは、50歳の時妊婦なみの腹になってしまい、10キロの減量を決意する。超豪邸の中の施設で美人の看護婦さんに介助される「入院」を、医師の指示以外で絶対に脱落出来ない超厳格なルールに同意した上で開始する。だが、その後1週間で「脱走」したエピソードが可笑しすぎるのは、語り手の語学力の高さがあってはじめて可能なことである。この身近なひとのなにげない逸話を自然に語ることで、その人のひととなりを、ひとびとの心象を、ひいてはそこの文化を、巧まずして能弁に伝えてしまう「文体」は、須賀敦子文学の真骨頂であったものだ。
やはり、アレッサンドロは須賀敦子の「教え子」に他ならない。
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イタリアの文化についてざっくばらんに話した本。
イタリアの人って話し好きで絆や娯楽を大切にしてるんやなと思った。けど読むのと感じるのは全然違うと思うから、実際に話したり、遊んだりしてみたいな。
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2回目の夜ナビ、皆様の興味深いお話を伺えてとても楽しかったです。
2回目の夜ナビ、皆様の興味深いお話を伺えてとても楽しかったです。
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イタリア・クレモナに生まれ、アメリカ、韓国、そして日本と母国を離れて生活してきた著者。国外にいるからこそ、よりはっきり見えてくるものがある。遠くにいる著者が新たに気づいたイタリアの素顔が、ありのままに綴られています。食文化、イタリア人気質、恋の国ならではの男女の話、常識と非常識、冠婚葬祭、イタリア語についてなど、さまざまな視点から語られるイタリア。知っているようで知らないことがこんなにあるのかと驚かされます。
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イタリア寄りの意見は多いものの、イタリアの悪いところ、日本を見習うべき所など割とニュートラルに書かれているので、気持ちよく読める。読み物としては面白かった。
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アメリカや日本、韓国で暮らした経験ももつ、イタリア人が描くイタリアのエッセイ。驚くことに、翻訳本ではなく、その日本語のうまさに脱帽。
品のよいイタリアエッセイ。今年の夏は、イタリアだ!
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日本文学の翻訳者であるイタリア人が日本語で書いた本。やっぱり外国のことは外国人に聞くに限る。観光本を何冊読んでも、ツアーで何日観光しても、こういう話はなかなかきけない。面白かった。
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単純におもしろい。
ちょいちょいボケるし、とてもサクサク読める。
如何にも役に立つ!勉強になる!そんな本も良いけれど、
こういうサッと読めてクスッと笑える、
そんな本を手許に何冊か持っておくのって意外と大切かな、と思う。
病院の待合室で、はたまた、おやつ時間にちょっとコーヒー飲みながらと、
合間時間や場所を選ばず読める、いい意味で後に残らない感じが好きになった。
個人的にはP49-50に出てくるトマトピューレ?を一度作ってみたいなぁ。
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いつも習っている教授がこんなにチャーミングだとは・・・。
授業のやる気がおかげでアップしています(笑)
現地の人しか語れないイタリアの新たな一面と、当たり前と思っている日本の生活を知れる一冊。国がどうとか以前にオチがあってほろりとできて読んでいて幸せになれます。
何より、日本語で書いてある所に感服です・・・。