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過度にエモーショナルになることのない落ち着いた筆致ゆえ、日本社会の閉鎖性/陰湿な差別意識がむしろくっきりとあぶり出される。行幸のためだけに集落を焼き打ちしたという戦前のエピソードには愕然とした。
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▼上原善広『日本の路地を旅する』文藝春秋
『被差別の食卓』にさかのぼって読んでる間に、こっちも届く。
大宅賞をとったからか、私が借りたときには後ろの予約は誰もおらんかったのに、数日の間に予約が6人になっていた。大宅賞の候補になったが選ばれなかったほうの『同和と銀行』は、複本が6冊あって、予約は6倍くらいついている。
図書館が購入した冊数の違いと予約数の違いに、世間様の関心の一端が見える気もする。
中上健次は被差別部落のことを「路地」と呼び、著者も中上に倣ってそう呼ぶようになったという。「その方がより人が行きかう、自由で一般的なイメージがするから」(p.7)である。つまり、この本は、日本各地の被差別部落を旅した記録だ。
▼それは路地と路地とをつなぐ糸と糸をたどるような旅でもあった。今は断ち切れたか細い糸は、以前は確かにあったものだ。(p.7)
生まれ育った路地を六歳で出た著者は、路地を出たからこそ、自分は路地にこだわり続けたのかもしれないと書く。全国のさまざまな路地をたずね、あるときには路地の痕跡をたどった著者の旅の記録は、著者の心の記録にもなっていて、そしてまた路地の暮らしや歴史を知るいとぐちを差し出している本でもあった。
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5月19日購入
背表紙のタイトルを見て変わった旅行コラムかと思い手にとりました。
確かに旅の話ですが路地とは被差別部落の事でした。
ここ最近思う事ありそのまま購入。
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本の帯にこんな言葉がある。
「中上健次は、そこを路地と呼んだ 「路地」とは被差別部落のことである」
この帯の文がちょっとショッキングかもしれない上原善広さんの著した「日本の路地を旅する」という本を読んだ。東京近郊の新興住宅地に育ったぼくは被差別部落と言われても、はなはだピンとこず、中上健次の小説を読んでも、「路地」が被差別部落であることを長い間、気付かなかったほどなのだ。この著者である上原善広さん自身がそのような所の出身であるらしい。「それは、自らのルーツをたどる旅でもあった」ともう一つの帯の言葉にあるのだけど、過去に犯罪を犯した兄を沖縄に訪ねる終章を読み終わって、心の中のモヤモヤの澱が、出口を求めてたまってしまう。
知らないことがいっぱい書かれていた。デモ登校と言って、子どもに「差別反対」と書いたゼッケンのようなものを着せて登校させるようなことや教室の中で「ぼくは被差別部落出身です」と啓蒙の意味を込めて宣言するというようなことが大阪では行われるのか? 驚いてしまう。
昔、白土三平の「カムイ伝」という漫画を読んで、そういう被差別部落とかって、不謹慎かもしれないが、かっこいいんじゃないかと思ったこともある。
中上健次曰く「異族」という人たちもぼくたちの社会にも身近にいるのだが、同じ時代を生きていく仲間として、仲良くやっていった方がいいのではないかと思うぼくは、甘いのだろうか? けれど、人の幸せよりも、まずは自分の幸せだな。
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被差別部落をつなぐ旅の記録。
「被差別の食卓」よりも自分史寄り。
「路地」という呼び方はいいな。
私が無知なせいもあるけど、手垢がついてなくて。
差別が消えることとアイデンティティが消えることがとても近くて、同化以外に対等になれる方法がないのだろうかと切なくなる。
でも、先人が頑張ってくれたから今の若者が部落に無関心な暮らしができるのだという若者の言葉は希望でもある。
人の描き方がとても良い。
ただでさえ差別されている人がこれ以上偏見にさらされないように細心の注意を払って、美化せずに魅力的に描く。
さべつなんてないよと躊躇なく言い切れる「一般」の無自覚な偏見を、悪口にならないようにさりげなく表す。
そういうのが、ただうまいんじゃなくて、悩んで考えて時間をかけて作られていったこの人の価値観によるものだということがよくわかる。
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路地=被差別部落とは知らずに借りて読む。帯が付いていなかった。筆者のアプローチの仕方は良いと思うが、知らない人には知らなくても良いと思ってしまう。
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この本を読んで思い出すのは、2008年の秋葉原通り魔事件のことだった。
一見して、関係性のない事件が重なって映ったのは、筆者とおなじく「路地」(被差別部落のこと)の出身で、凶悪事件を起こした人物を取材した、次の一文から。
「山下(犯人)が抱えていたもろもろの致命的な欠陥は、私自身の内にも関わりのあることである」
また、犯罪をおかしてしまった実兄を述懐して、「間違いなく兄は、どこかで曲がり角を間違えただけの私なのだ」と語ったところにある。
人は、その過去や生い立ち、ふとしたトラウマに足をからめとられ、引きずられるようにして、その深みにはまりこんでいくことがある。それは、決して遠くの他人のことではなく、すぐとなりにいる「私自身」のことなのだ。
死、殺生、刑罰。それらにつきまとう「穢れ」を忌避する感情。人間の社会を社会たらしめるために、その構造上の欠陥や矛盾といった、膿のようなものをすくいとるようにして、彼ら被差別者たちのような存在が創り出されたのだということが浮かびあがってくる。
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うぅ、なんだか重苦しい。
被差別部落の話は教科書の中の世界になってる世代だが、
それを更に超えて、自分は自分が食べるためには命を屠れる人になりたいと思ってる。
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日本各地の非差別部落を訪ね、土地の住人の話を聞く紀行文。実話ナックルズに連載されていたもの。興味深い。
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「被差別の食卓」の国内版とも言えるが、日本の話であるだけに、インタビューや心情の描写に生々しさが感じられ、あたかも著者と「路地」を旅しているような臨場感を覚えた。
随所に「路地」にまつわる逸話や歴史が挿入されているが、そうした臨場感があるためか、それらを退屈とは感じず、全編を通して興味を持って読めた。
(歴史の教科書もこうであればいいのに…)
「路地」は現在では跡形も無くなっているところがほとんどなのだが、人々の意識の中からはまだ消えてはいない。
士農工商の更に下の身分の人々が「路地」の住民となっていったわけだが、彼らの仕事内容が上の身分の者より特別に劣っていた訳ではない。
それどころかむしろ、牛馬の死体の処理(食肉や皮革への加工)や罪人の処刑、宿場町の警備など、所謂汚れ仕事で、誰もやりたがらないだけに、とても重要な仕事だ。
著者はインドやネパールの宗教観(死んだ牛は穢れる)に影響を受けてそのような差別が始まったのではないかと書いているが、本当にそれだけだな、という印象である。
(差別される側にも卑屈な態度があったのかもしれないが)
それに比べ、鹿の毛皮を加工する職人はきちんとした扱いを受けていたというのだから、差別がいかにばかげたものであったのかが分かる。
今後世代交代とともにこうした差別は消滅するのだろうが、差別の背景にあるこうした話は、読まれ続けていくべきだと思う。
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きっと「いらんことをほじくり返す人」なんだろうけど、そうせざるを得ないんだろうなあ…。自分のアイデンティティやルーツ探しは、誰でもいちどは経験することだし。そして、地区のいろんな現状がわかるのは興味深い。
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私の京都には、日本中で多分もう今ではほとんど見ることができないような路地がまだあります。
父の幼年期・1960年代頃には、それこそ街中に迷路のように路地は貼り廻らされていて、比喩とか誇張ではなく本当に迷子になったりしたものらしいですが、さすがに40年後の現在では、捜してやっと見つけることができるような稀な希少価値のある存在になってしまったようです。
単に気紛れに偶然残ったのに違いありませんが、それでもその一つひとつは、どれもすばらしく謎に満ちた迷宮への入り口みたいな顔をしています。
路地、その猥雑で混沌とした神聖なミクロコスモス、これこそ、そうだ京都へ行こう、です。
ところで本書でいうところの路地とは、私が好んでやまない、通り抜けできませんの横丁とか狭い道ではなく、ズバリ中上健次が被差別部落を路地と呼んだ、その路地だと言うのです。
この本は、その路地を日本全国500か所以上、大阪を起点に青森・秋田・東京・滋賀・山口・岐阜・大分・長野・佐渡・対馬・鳥取・群馬・長崎・熊本・沖縄へと13年間かけて探索した記録です。
今どきこんなにも強い意志で出自を検証しようと、それを13年間の長きにわたって追求する律義さ・真摯さ・粘り強さにほとほと感心しました。
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路地=部落
大阪の路地出身の筆者が全国の路地を訪ね歩く。
旅先で、そこに暮らす人々の暗部に触れては大酒をかっくらっている。
・・・そんなに無理して行かないでも・・・
皮なめしって、皮を塩漬けにして発酵?させてから加工を行う。
その工程はものすごく臭いらしい。
そんなこと全然知らなかったな。
臭いってだけでも差別の原因になるよな。
チョンダラーが「京太郎」とはこれまた知らず。
純粋に知らないことが沢山書いてあったけど、
筆者の精神の傷口を覗くような痛々しさもあり
カバーをはずすと赤い本になっているあたりも趣があり
好きな1冊だ。
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被差別部落出身の著者が書いたルポルタージュ。
大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞した著書だけあって、読み応えがありました。「路地」という表現は中上健次が部落のことを表現した言葉です。長崎から大阪に出た自分は部落解放運動とか同和教育という単語にはうとくて、大学のときの講義で一応受けてはいたのですが、イマイチ飲み込めずにいたことが心残りで、その中途半端な理解を埋めることができればと思い、読んでみました。
著者は部落出身でありながら特に差別を受けたことはなく、いまの社会ではその存在すら忘れられようとするその歴史を、著者がその足で歩き、12年もの歳月をかけて、その土地でのルーツを紡ぎだす。
興味深いエピソードも多い。江戸時代にも牛肉食は非差別階級以外の支配階級の間では常に行われていたとか、沖縄の古典芸能のルーツは京都の穢多の芸にあったり、とか。。
同和保護法についても書かれてあって、
「同和で食ってる者たちがいる。。」
何年か前に奈良県庁の清掃課勤務の男が、何年も働いていないのに給料は一般の係員よりもたくさんもらっていて、高級外車をのりまわし贅沢のかぎりをつくしていたことが告発された事件があり、
これは同和保護法によっての事例だったことが納得できる。
こういった日本の暗い歴史を、日本人の記憶から消されてしまいそうな
問題を再び『寝た子をおこすような』「傷口に塩をぬりこむような。。」という表現で著者自身が苦悩しながら、綴っていくさまが生々しくてとても惹かれる思いがしました。
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打ち首の後始末をしていた人々特有の宗教があるのかと思ったんだけど、pp.213-214に、親鸞上人を信仰していた、という記述あり。松本清張「砂の器」のルーツが何かが分かったり(第7章)。