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ユングのサウンドトラック 菊地成孔の映画と映画音楽の本 みんなのレビュー
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紙の本
副題が「菊地成孔の映画と映画音楽の本」だが、なぜ「ユングの」なのかは読者の推測まかせ
2011/11/05 08:29
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画と音楽のマリアージュについて語られるこの本、語る著者が気に入った。マリアージュとはフランス語で「結婚」だが、この本での、こうしたキザな使い方は面白い。ある時期、田中康夫のスノッブな文体に少しだけ入れあげたことがあったが、スノビズムが眼中になさそうな、どこか狂ったこちらのほうが、ずっといい。それとなんといっても「映画」だ。著者は銚子の、二つの映画館に挟まれた料理屋に生まれ、子供のころ映画館に自在に出入りしていたというが、長じて映画の世界に入らず、音楽のほうから映画に入れあげているため、映画熱が素晴らしいほてりとして文体から感じられる。
そしてなんといっても「ゴダール」。本書の前半はゴダールと音楽についての講義、対談、エッセイで占められている。著者のゴダール熱は多くの人が共有するものだと思うが、世代の異なる私もその一人である。
世代や趣味の差だろうか、ゴダールと対比される映画が微妙に私と異なることに興味をもった。たとえば著者は、トリュフォーの『アメリカの夜』を、「音楽がヤバい映画ベストテン」のトップにあげている。この映画のテーマ曲「グランド・コラール」がいかに見事に映画に同調しているか著者は書く。もちろん私はこの映画を観ているが、音楽は覚えていない。さっそくYouTubeで確認したが、なるほど、という程度以上の感興はわかない。著者はゴダールにおける音楽の「ずらし美」に対し、同調した最適例として、ある時代におけるゴダールの好敵手トリュフォーの映画をあげたのだと思うが、私は『アメリカの夜』の音楽を覚えていないのと対比して、ゴダールの映画音楽にかなり参っていることを告白したい。そこにはいかにも映画音楽的な同調と一線を画した魅力があり、ゴダールはそれに意識的なのではないかと思う。
むしろゴダール映画につかわれたクラシックだけでなく、映画音楽の独特な使い方を私の耳は覚えている。《ゴダールの音楽はどんなに良いメロディでも、誰も憶えられない》《観終わるときれいさっぱり忘れてしまう》と著者がいうのは大げさすぎる。夢と比較しているのだが、夢も、すべて忘れてしまうわけではない。むしろ夢だからこそ生なましく、果ては夢だか現実だか分からなくなるほどに覚えていることもあるのではないか。
とはいえ著者によるゴダール映画の歴代映画音楽家についての研究は面白く、その映画における音楽の独自性について、本書は徹底追究していて興奮させられる。さすが音楽の専門家、といった感じだ。
私がゴダール音楽と対比的に考えるのは、トリュフォーではなく、ジャック・ドゥミの『シェルブールの雨傘』である。だがこの本で何度かふれられている『シェルブールの雨傘』は著者の映画熱の対象ではないようだ。
また著者のオールタイムのベストワン映画はフェリーニの『81/2』だが、この映画と面白い比較が可能なヴィスコンティの『山猫』も著者の映画熱の対象ではない。この同じころ作られたイタリア映画にクラウディア・カルディナーレがともに出演しているのだが、著者は『山猫』の彼女はブサイクと、私と異なる印象を披歴している。この二つの映画は主人公が鏡のなかの自分を見つめるシーンにおいて共通しているが、カルディナーレが主人公にとって同じような存在(若さの象徴)として登場することでも共通している。ともに私の映画熱の対象作である。
菊地成孔を読むのは初めてだが、その面白さのために、ほかの本をさらに読みたくなった。だがタイトルからすると、どうもモダンジャズ系が多いようである。今もこれを書きながら聴いているのはクラシックであり、モダンジャズは滅多に聴かない。だが本書のなかの対談で蓮實重彦が《私の音楽的な同時代体験は1962年のパリのチェット・ベイカーで終わっている》という言葉などを読むと(確か『随想』でも高校生時代のジャズ体験についての文章があった)、妻もチェット・ベイカーが好きだし、モダンジャズを聴いてもいいかなと、ふと思ったりする。
松本人志の『大日本人』を大評価する文章が巻頭におさめられている。この映画をテレビ放映の際、たぶん気持ち悪くてだと思うが観るのを早々にやめたことがあった。私のその自然な印象と行為を大事にすべきか、それともこの面白い映画論集の著者の評価に賭けて『大日本人』にチャレンジするか、その迷いのほうが(といっても大した迷いではないが)、これから著者のジャズ等にかかわる本を読もうかどうしようかの迷いより、わずかに大きい、そんな気がする。
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