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ダウナー系の話です。
そして暗い、とてつもなく暗い、最後まで暗い。
萌えも燃えも何もありません。
でもつまらないかというとそうでもなく、
かといって面白いかというとそれも違う不思議な話です。
おそらく人を選ぶ一冊ではありますが、
あらすじを見て自分は耐性があるなって
思えたなら読んでも損はないと思います。
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現代版『人間失格』といったところでしょうか。何も決着せず、煮え切らない感じで終わってるのも、「中学を卒業したばかりの段階でその後の人生全部を決めるようなことが決着してたまるか馬鹿」っていうことかも知れん、と思う。水葉にもある程度まで共感できてしまったし、久しぶりにとても面白い小説が読めて満足。この筆者の文章、個人的には好きな書き方だし、非常に上手いとも思う。少なくとも1人称と3人称がどっかで混ざっちゃってるようなものとは別格、と個人的には思うってだけですよ、と。
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2010年の年末のTBS文化放送で推薦されていてAmazon注文した本。これは名作...!年始にこの本を読めたことに満足。表紙からライトノベルにも見えるが、これは所謂ライトノベルではない。リアルな人間を、学校を、子供の社会を描いた物語だ。読む上で主役の女の子、水葉を感覚的に少しでも納得できるか、でこの本への感想は違ってきそうだ。私は、この水葉が好きだしこれが人間だと思うしほんの僅かにでも自分を重ねて読むことができる。その痛みも、その生き方も、決して特異な子だとは思わない。だから入り込んで次の展開がとにかく気になってあっという間に読み進めた。逆に、日々希や遼介は頭では理解できても感覚的に繋がれない。でも3人が3人とも自分で築き上げたぎりぎりのバランスの上で生きている、その痛みは伝わってくる。映画『告白』を思い出した
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文化系トークラジオ「Life」でチャーリーこと社会学者の鈴木謙介が強力推薦していたライトノベル。学校の負の面に焦点を当てた、ネガティブな学校ものだ。
発端はいじめなのだけど、社会や人間というもののどうしようもなさ、またろくでもないと言う先にあるありようそのものを見据えた上での生きていく術みたいなものを視野に入れている。
……と言うと、抽象的にすぎるだろうか。いじめに象徴されるように、人間社会には冷ややかな現実があるわけど、まあ人は誰しもそれを前提として何とかやっていかなればならないわけで、この小説では、いじめる側も、いじめまれる側も、スネオタイプの人間も、変わり者も、そのありようをそのまま認めた上で、「この先やっていけるかどうか」が思考されている。
この小説に出てくる教師は、語り手のヒロインに、やっていけるならいいのだ、と言う。この小説の主人公=語り手はそもそも普通の人間関係を持ちたいと思わない変わり者の女子なのだけど、やはり変わり者である達観した教師は、いじめ問題に主人公を絡めた、きわめていびつな形での落とし所へと導く。
人間のありようや孤独というものへの理解が透徹しすぎているほど透徹しており、なかなか理解されにくいラストだと思うが、ある種の真実が含まれていると思う。
このようなライトノベルもあるのだなと思わせるようなライトノベルである。
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TBSラジオ「life」で触れられたので初めてラノベに挑戦したが、読み進めても何ともしっくりこなかった。多分他の物を期待していたのかな。
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ちっとも未来が明るくない青春小説。
気持ち的にライトなお話が読みたいと思って読んだら
間違いなく怒るか後悔するかの二択。
学生時代の人間関係にトラウマを抱えてるなら
読まないほうが幸せかも。
抱えてなくても読んで幸せには普通なれないだろうけど。
他所のレビューを見ると、
それなりに水葉らメインのキャラに対する理解や共感があって
作中で先生に「変わりもの」と評される彼らも、
程度はともかく存在する割合で考えたら
普通の枠に収まってしまうのではないか、
というよく分からない希望めいたものを感じてしまった。
その一方で、彼らを理解出来ない、
物語が何を示しているのかさっぱり見えてこない
という人も当然ながら少なからずいて、
水葉らに共感を抱き、
中学時代をどちらかと言えば彼らと同じような
立ち位置で過ごした自分としては、
ああやっぱりなという絶望めいた思いに苛まれた。
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なかなかに評価の厳しい人から「面白いよ!」といわれて借りた本。
内容的には明るくない青春物語。
あとがきのほうにも書いてあるのですが、人生の皮肉を描いたような作品でした。
しかし、個人的にはこのような皮肉な話も嫌いではないので、すっかりのめりこんで読ませていただきました。
変にハッピーエンドにこじつけたりする作品なんかよりもよかった、と感じます。
出てくる登場人物は、何かしら「歪み」「皮肉」が混ざっているように思えた。
しかし、それがある意味人間らしさであって、そしてこの物語に置いての一つのスパイスとなっている。
内容が内容なので嫌いな人は嫌いかもしれないけど、なるほど味のある物語なので一読してみることをおすすめします。
結局何一ついいことなんてない話だけど「まぁ、やっぱり、そんなもんだよな」と思える話。
この方の作品は他には出ていないようですし、どうやらこの本自体も少しマイナーらしいので、もしも見つけてみたら読んでみたらいかがでしょうか?
続編などもないので、読みやすいと思います。
ではでは。
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ちょっとキツめのいじめ描写に惹きつけられ、読み始めた。
いじめの被害者、加害者、傍観者。この3人を中心に描かれている。
いじめを題材にしているが、いじめ自体を解決してなんとかするような話ではない。
甘さや爽やかさゼロで終始、暗い雰囲気の漂う物語である。
ラストの前向きなようで、ぜんぜん前向きじゃない3人の危うい関係が非常に興味深かった。
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明るく無い青春物語です。
苛めっ子、苛められつ子、傍観者…そしてそれを見てるだけの教師、何も解決してないけれど、何故か引き込まれる感じでした。
下手なハッピーエンドよりもしっくりくるバットエンド?です
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最近、ガガガ文庫を気に入ったので購入したうちの一冊です。
内容はひとつのイジメを発端とした奇妙なヒューマンドラマです。
1人の行動的なヒロインを主軸に、その奇妙な人間関係は展開されていきます。
そのストーリーは「いびつ」の一言に尽きます。
日常的でありながらも歪んだ物語は、先の展開を容易には予測出来ませんね(^_^)
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(http://blog.szk.cc/2010/02/19/stigma-world-boys-and-girls-part2/ より転載)
孤独である、ということが、救いになるような時期がある。それとも孤立しているというべきだろうか。つまり、自分が周囲から切り離されていることが、自分が異質な存在であることが、自分が特別な存在であることの「しるし」であるという想念だ。他人と違っているからこそ、自分は尊重されるべきなのに、周囲が無知で蒙昧であるために不遇な状況に置かれる。この種の逆恨みを抱く大人も一部には存在するが、こうした思いは、たいてい思春期のある時期に訪れる。中二病、と呼んだってかまわない。
それを最高にこじらせると、いわゆる邪気眼的なものになるのだろう。その主張(信念)の中身はシンプルだ。自分には選ばれた力がある、本当ならばお前らなど自分の足元にも及ばない、いまは手加減してやってるだけだ、と。そうしたフォーマットの中に『ヘヴン』のコジマを落とし込んでしまえば、とたんに彼女が典型的な中二病のイタイ子に見えてくる。
中二病の克服というテーマは、そもそもそれ自体が中二病的だ。そこを経由した時点で、中二病の自分が黒歴史になることは避けられないのだが、その「恥ずかしい過去」と「過去を折りたたんできた自分」との相克は、解消しようがないからだ。それは中二病的なものを内面から描写しようとする以上、どうしても抱え込んでしまう問題なのである。
江波光則の『ストレンジボイス』は、中二病を、その内面の問題でなく、社会性の問題へと回収するという道を示した作品だ、と僕は解釈している。ライトノベルのレーベルから出版されているものの、文体も内容もおよそいまはやりのラノベ風ではなく、子ども向けの救いが用意されているわけでもない。むしろ後述するように、頭のいい子なら、ここで提示された解決に苛立ちすら示すだろう。
この作品も『ヘヴン』と同じく、いじめが主題化されている。いじめっ子の名は日々希、いじめられっ子の名は遼介。そして主人公は、両者のクラスメートである水葉。日々希のいじめは、中学生といえども周囲も引いてしまうレベルで、遼介はその結果病院送り、不登校になっている。卒業を間近に控え、いじめが発覚したことで内申書に影響が出たクラスメートたちは、一様に「自分は悪くない」という態度をとりながら、なんとか卒業までの時期をやり過ごそうとしている。
そんな中、担任から遼介への届け物を頼まれた水葉は、彼が体を鍛え、日々希への復讐に燃えていることを知る。卒業式の日に乱入して日々希を殺し、クラスメートたち全員の人生をめちゃくちゃにしてやるのだという決意の遼介。それを聞いた水葉は、彼に協力し、日々希の動向を彼に報告することを約束するのだった。
この作品の登場人物のうち、水葉、日々希、遼介の三人以外は、いたって普通の中学生だ。無責任で、自己中心的で、独善的で、それゆえに他人を責めることを厭わない。なんとかクラスメートにうまくなじもうとしている水葉に詰め寄る同級生たちの描写は、中学生という生き物の残酷さを知っている人なら、誰もが胸に暗い思いを抱くほどリアルだ。
だが、そん��風に普通の中学生の話の中に収まっているかのように見える水葉ですら、というより水葉こそ、多くの点で「普通」ではない。それは彼女の世界観や体質の問題だったりするのだが、興味深いのは、水葉がそのことに対して、ある種の中二病的な感覚も含みつつ、内面の絶対的な領域を確保するという生き方を選択していることだ。そしてその、孤独のうちに培った壁の内側に抱えた業は、遼介や日々希とも通底していて、だからこそ本作は、この三者の物語だと言えるのである。
できる限りネタバレを避けながら書くと、本作の最大の魅力は、そうした「他者とは違う内面を抱えている」という自意識の少年少女たちが、それを克服し、卒業して大人になるのではなく、その内面を抱えたまま、欠落した者どうしのバランスで生きていけるように周囲の大人たちが取りはからうという点にある。内的な成長ではなく、中二病の社会からの「解決」が目指されているわけだ。大人の側から言うと、「お前らみたいなのは、どうせ大人になるなんて無理なんだから、壊れないように支え合って生きていけばいい」ということになるだろう。
むろん、その「支え合い」は、単に美しい絆のようなものを意味しているのではない。むしろ本作のラストで示されるいじめと自意識の問題に対する解決策は、あまりにも救いのないものだ。古谷実の作品が「自分が幸せになっているときには、誰かが不幸になっている」という構図を採用するのと比較すれば、ここでは「誰も幸せにならないが、これ以上不幸せになる人はいない」という、より陰鬱な、しかし安定した世界が描かれている。だからこそこのお話は、子どもの目線から見たとき、勘のいい子ほど、不快な感情を抱かせるのではないかと思うのだ。
成長することで希望を提示するときには、成長する以前が、否定と肯定の間で宙づりになるというジレンマが同時に生まれる。しかしそこで今以上の希望を諦めれば、誰も不幸にならない安定した結末が得られる。その結末は、誰をも救わないけれど、誰か(主人公)を幸せにするために世界に悪を認めるとか、世界の大儀のために、個人を歴史に翻弄される弱い存在と置くといったアンバランスを呼び込まずに済むのである。
中二病な子たちは、自分が聖痕を持った特別な存在であることを、救いのように求める。今日は熱があって学校を休めるといったレベルから、自分の世界観や価値観は特殊で、自分以外の理解者はいないんだといったものまで。そこで、「お前なんか特別じゃない、誰にだってそれはあるものなのだ」と、彼らに断念を迫る社会よりも、彼らが彼らの特別さへの自尊心を失わないまま大人になれる、あるいはそうなるように当の大人が取りはからう社会の方を、僕は肯定する。「お前は特別じゃない、だから独りじゃない、さあ手をつなごう」ではなく、「お前は特別だ、だから孤独だ、そしてだからこそ、世界はお前ひとりの力なんかじゃ動かないんだ」と言ってあげる方が、よっぽど正直なのではないか。
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文化系トークラジオLife 司会のチャーリーオススメ小説
いじめっ子、いじめられっ子、観察者の三角関係を主に観察者の視点で描く
それぞれが常軌を逸した性格で、複雑な歪んだ内面表現が中心。
ハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、各々が持つ持ち味は内容がどうあれ人生ずっとそうあるもの、というのが見いだせるメッセージか。
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想像していたストーリーと、全く違う方向へ進んで行った。
この材料で、ライトノベルで、こんな話を書くのか。展開から結末まで、たぶんすごく人を選びそう。
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全1冊。
張り詰めた想いで一気に読んだ。
一瞬登場人物に共感しそうになったが、そんな甘さは入り込む余地がなかった。
ライトノベルだからといってやさしいと思ったら大火傷しますね。
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アイツは特定の誰かを痛めつけるだけ、アイツのターゲットは1人だし、リストを作ったアイツは重体で復讐どころではありませんぜ。にもかかわらず何故皆が脅えるのかわからん。