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回送先:目黒区立中目黒駅前図書館
高等教育が制度化されたことで、大学という学びの形態の何が失われ、何が歪曲され、何が飛躍していったのだろうか。
オルタナティブ大学として日本で唯一の存在であるシューレ大学の学生、あるいはアドバイザーが学生さんの「自分研究論文」を介在しながら投げかけるのは、こうした問いなのかもしれない。
ここで行われている「自分研究」というのは言い換えれば「自己解放のための訓練」であると評者は考える。後期資本主義経済(ポストフォード主義の社会)においては、「個」という概念を「表面的な多様性」として持て囃されつつも、実際には画一化を伴うことはほかの識者によって指摘されているところであるが、シューレ大学の自分研究はそうした「表面的な多様性」に翻弄されたことを率直に認めたうえで、ではそのような形態ではない「」というものはなんなのかを学問の力をある程度借りつつも(全面的な依存では元の木阿弥である)問い続ける訓練の一形態であると見ることができるだろう。
ただ難点ではないのだが、「自分探し」と「自己解放のための訓練」の差異、あるいは差別化は明確にしておいたほうが望ましいだろう。というのも、用いられる言葉が近接関係にあり、なおかつ前者の言葉が万人受けしやすいため書き手自身も意図せずにその言葉を借りてしまっているためだからだが、しかしそうであるがゆえに見当違いの批判を受けるリスクは存在するからだ。