紙の本
罪を償うとは
2019/06/02 13:59
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投稿者:バベル - この投稿者のレビュー一覧を見る
誤って妻を刺してしまった罪に対して、その贖罪に苛まれ生きていく主人公は、槍ヶ岳で何を見たのか。山と人生が交錯したその先にあったものは。槍ヶ岳を見に行きたくなる一冊。
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槍ヶ岳を開山した播隆上人の物語
高い山の山頂に、祠があるのが不思議だったが、本書を読んで修行と登山の関連に納得しました。
山を登ることは人間が一心不乱になれることです。一心不乱になって念仏が唱えられる場所が登山なのです。悟りとは....
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最近、山歩きをするようになり、新田次郎を読んでみようと思い、口コミをみつつ手にとった一冊。
伝記になるんだろうけど、物語として興味深く読めた。
弥三郎が、すごいイヤな奴なんだけど、いいスパイスになっているし、終章のシーンでやっとそれだけではないことが描かれていて、なんともいえない役。
中盤は、起伏がそんなにないことが多いけど、終盤がとってもわくわくしてよめました。
いつか笠ヶ岳や槍ヶ岳に、登ってみたい。
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この屈折したストイックさがたまりません。登場人物それぞれの生き方の"クセ"もよく描けていて秀逸です。
もう一度、槍ヶ岳に登りたくなってきた。
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文化10年、富山の百姓一揆にまきこまれ、過って妻のおはまを刺殺してしまった岩松は、国を捨てて出家した。罪の償いに厳しい修行をみずから求めた彼を絶え間なく襲うのは、おはまへの未練と煩悩であった。妻殺しの呵責に苦しみつつ、未踏の岩峰・槍ヶ岳初登攀に成功した修行僧・播隆の生きざまを雄渾に描く、長篇伝記小説。
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今度登ることになった槍ヶ岳。「せっかく登るのだから読んでから登ったほうがいいよ」とすすめられ、読書。実在の実話をもとにしたお話であることを読み終わってから知りました^^;
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あやまって妻を殺めたことから出家した播隆上人が槍ヶ岳を開山しながら仏道の道をすすむ話。
おもしろかった。一気に読み終わった。
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電車の長旅に、やっと読んだ。途中ダレてしまったけど、笠ヶ岳再興や槍ヶ岳開山の部分は、読みごたえあった。なんか、最後に弟子が裏切っちゃうのは、なんだかなぁとも(^-^;
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個人の小文字の願いや求道を出発点としつつも大文字の願いや救いを求めることをそれと同じレベルで考える物語が好きだ。
己の怒りと不幸な事故で誤って妻を殺害してしまった主人公の播隆こと岩松は、ざわついた心を鎮めるため、また贖罪のため行者となる。極私的な懺悔、煩悩、疑念を抱えつつ、一心不乱に前人未踏の山頂を目指すようになる。
一心不乱の姿をこの行者は世間に晒し、シェアした。
その姿に接し、自己に思い悩むことがある他の者は共感し、高みを目指したい、苦行のその先の奇蹟に救われたいと希求する。希望の連鎖。
播隆は後続たちに山を開くため、道程に鉄の鎖をかける。それは、自分も多くの人も同じに救われるための「私」から始まる公共事業となった。
私は登山と修行、飛躍するかもしれないが災害ボランティア(あるいは被災地が日常を取り戻すまでなんらかの行動しながら見守ること)には親和性がある、と思っている。なぜなら小文字の願いから大文字の世界へつながる物語が流れている気がするからだ。
人が歩き、人々の交通があって、ほんとの道ができる。
本書とは話がズレてしまった。
新田次郎の山岳小説に出てくる人物は、堅物であるがしかし誘惑によろめく部分もあり、アイすべき人ばかり。山も好きだが、山に何かを求めて挑む、個々人の礫のような心がいとおしい、と思った一冊。
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北アルプスの中央にある槍ヶ岳への登山成功が今年の目標。モチベーションを上げるため、まずは槍ヶ岳登山の最初ルーツを探るために読んだ。
開山者である播隆上人の辿った軌跡を感じながら夏の北アルプスを楽しみたい。
播隆上人のセリフで感慨深く受け止めた物を記録しておく。
『山へ登ることが冥想に(精神統一)近づくことのできる、もっとも容易な道。山の頂に向って汗を流しながら一歩一歩を踏みしめていくときには、ただ山へ登ること以外は考えなくなる。登山とは禅定とは同じようなもの。登山はけっして苦行ではなく、それは悟りへの道程だ』
播隆上人の出した登山はこうだが、人によってあえて意味を見出すならば違う。もちろんわたしも違う。しかし、意味を自分なりに見出すことが大事だと思う。
今年は槍ヶ岳を登りつめたい。
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槍ヶ岳に登るにあたって読んでおこうかなと思い手にした一冊。登山の方は8月に登頂したが、本の方はなかなか進まずやっと読み終えた。山小屋にあった開祖播隆上人の物語。頂上にあった祠を作り、安全登山のための鎖を設置したという。
心に残った部分
「ただ念仏を唱えるだけでは極楽へは行けない。一心不乱の境地になって念仏を唱えないと極楽には行けぬ。一心不乱になるために山に登る.困難に立ち向かう。一心不乱とは自分の力だけで求めることの出来る境地だ。」
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笠ヶ岳登山道を再興し、槍ヶ岳への初登頂と登山道整備を成し遂げた播隆上人の半生をまとめた伝記的小説。
播隆上人が成し遂げた仕事が大きいことは、山に登ったことがあるものならその成果と史実だけで分かる。史実的には、どうやら誰にもできそうにない偉業を淡々とこなしたらしい。まさに「すごい」の一言で、それ以上のことは書けない。
この小説のおもしろみは、そんな史実に作者が付け加えた「業」なり「内面の葛藤」にあるんだと思う。無心になって偉業に挑む人を、人はなんやかんやで支援するわけですが、支援する人はそこにいろんな想いを自ずと乗せている。その想いには善も悪もあるわけですが、それらの両方を受け止められる超越した存在として聖人が存在する。それは自然現象の偶然が作るブロッケン現象の中に、人がいろんな想いや願いを見ようとするのと同じ。
個人的には作中人物の弥三郎との対比が興味深かった。
一見すると播隆上人とは全く逆の生き方をしている弥三郎が、ある意味では全く同じ思いと悩みを抱えて生きていた。作中では、まさに播隆上人との対比のためだけに存在するのみの存在ですが、「もし、こんな人物がいたら、下手すると播隆上人以上に悩み深い人生だったろうな」と思う。
播隆上人が拓いた笠ヶ岳への登山道は今は使われていないようですが、それを偲んでつけられた地名がクリヤ谷コースに点在する。笠ヶ岳には一度登ったことがありますが、クリヤ谷コースを使ったことはない。機会があれば、クリヤ谷コースを登りそこでなにが見えるのか見てみたい、そのように思った一冊でした。
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私を山へ向かわした本の一冊。山に行くたびに読み返している。宗教観を考える機会の少なかった自分に 山を通じて考えさせてくれる一冊。
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古くから山は信仰の対象だった。頂上が槍の穂先のように鋭くとがったことで有名な槍ヶ岳を開いた僧と弟子の物語。歴史小説であるが複雑な人間模様が描かれ面白い。
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上人と呼ばれながら、罪の意識に生き救いを求めた男とその周囲との関わり。愛弟子や商人の最後の行動が意外でもあった。ありがちな感動おしきせではない。