紙の本
謎の作家への招待状
2016/01/22 10:08
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
莫大な財産を持つ大富豪の遺産遺言執行人になった主人公に次々と降りかかる事件がテーマだ。秘密組織が出てきたり物語の舞台がヨーロッパからアメリカ大陸へ広がっていく様子は、著者の持ち味だ。
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読んでる途中で内容がなかなか頭で理解できない、整理できない時がある。さっらと読み流してしまうんだけど。読み終えるのに時間かかった。ラストは好きよ。
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初ピンチョン。探偵小説風で単純に楽しく読める。
本作の面白さは、話の筋やそこかしこに盛り込まれた隠喩やトリビア的なネタもそうだが、やはり全体を包む不安定な雰囲気にあるだろう。
起こっていることが本当のことと思えない、突然これまでのことが夢だったと言われても不思議はない、そんな空気に読み手もろとも包まれた。
本編を読んで、解注を読んで、もう一回本編を読めばもう少し深く楽しめるかもしれぬ。
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自然科学は非常に保守的で、例えば「マックスウェルの悪魔」なんてものの存在を許さない
じゃあそんな悪魔の存在を夢想する人間は革新的なのか?って言うと、そういうわけでもないんだな
ただ人間は「言葉」というものを持っていて、それによるコミュニケーションがあって
大きな歴史があって、個人的な歴史の可能性(パラノイア)があって
それらのネットワークの上でうろうろするしかないのですよ
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ちょっともう一回読み直さないとダメだ。話の筋は入ってくるし、中盤の"別な世界"が侵入してくる感じと、それが増幅していくスピード感はぐいぐい読ませられるが、解註を読むといかに自分が作品を"読まず"に"見ていた"かを思い知る。頭が悪い。
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初ピンチョンだけどわたしにはダメだった。残念。この作品がピンチョンの中では読みやすいと言われているようなので、これがダメだとほかもダメかな。独特の世界があるのはおもしろいと思ったのだけれど、合いませんでした。
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ピンチョン初読み。
レメディオス・バロの絵画「地球のマントを刺繍して Embroidering Earths Mantle」が隠喩としてこの作品のすべてを象徴してる気がする。
自らが織りなすテクスチャー、その世界にはアメリカの通時的パラノイアといった社会/国家といった対象から建築/都市論として、絵画/音楽論として、この言葉故にさまざまな読み方ができる。
壮大な一大絵巻を無限におり続ける哀しみ。
詳細な「解注」もわかりやすい。
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時間を経て、もう一回読もう。難し過ぎる。でも、たくさんの心に残り、教訓になる文章があった。それが心に残るように、今度はじっくり時間を掛けて読もう。描写がアメリカにいるみたいな気分になるね。
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トマス・ピンチョンは、学生時代に「V.」と「重力の虹」を読んで以来ご無沙汰な作家。文学とは縁のない生活を送っているからなぁ。
かつての愛人である大富豪から遺産処理を依頼された主人公が、官営郵便に対抗する秘密地下組織トライステロの存在を知るも、それが夢とも現ともなく…という物語。ピンチョンにしては比較的平易なストーリーである上、訳者の詳細な注が「読み」をかなりの部分助けてくてるので読みやすい。戦慄の若書き「殺すも生かすもウィーンでは」が併録されているのも嬉しい。
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面白かった~普通の小説の5から10冊くらいの情報量が詰まっているのでは(もっと?)。それをわずらわしく思う人もいそうだが、前のページに戻ったり、註を参考にしたり、時間をかけて読めば(とはいえ先が知りたいのでだいたい一日で読み終えたが)全然平気だ。ピンチョンさんの本は、没頭したいので明日休みの夕方から読み始めるのに最適。
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「競売ナンバー49の叫び」(トマス・ピンチョン:志村正雄訳)壁に映る、風に揺れ動く木々の枝の影を、ただ目で追いかけているだけ。みたいな状態で121ページまで進んだところで、こりゃあかん!と気が付いて、今もう一度1ページめから読み直しはじめました。かなりの曲者か、このひと。
「競売ナンバー49の叫び」(トマス・ピンチョン:志村正雄訳)読み終わった。正直な感想として、「この人ちょっと苦手!」である。物語としては(煙に巻かれた感はあるが)確かに惹きつけるものがある。が、とにかく文章が読みにくくて私としてはリズムに乗れなかったんです。顔を洗って出直します。
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〈突然、元愛人の遺産相続を手伝うことになった主人公。その裏に潜む巨大な秘密郵便組織の影が…〉
著:トマス・ピンチョン
ノーベル賞候補の常連にして、文学賞をとっても授賞式にあらわれない謎の大作家、ピンチョンです。
前著作新訳が刊行されはじめているので「メイスン&ディクスン」に挑戦し難解、複雑すぎて途中で挫折。再度今作に挑戦です。
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がやっぱりついていけず
…
圧倒的な雑学と知識がストーリーにちりばめられ、さまざまな暗喩となっているのでしょうが、ちょっと私の知識量では無理~
アメリカっぽいパラノイアにハマっていく様子、題名の意味に繋がるラストは面白かったですが…
これもポストモダン文学なんでしょうか?
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探す物語。
世の中には記号論なるものまで存在しているらしいのだが、まさに、この小説には記号が横溢している。なんのためかと問えば、おそらく小説に豊穣をもたらすためだ。私たちはある言葉に対してあるイメージをいだく。文章が意味を伝えることができるのは、言葉に公認されたイメージ、誰もが合意した意味が含まれているからだ。ところが、小説となると言葉に辞書的な意味以上のものを求めることがある。主人公がオイディプスを名乗っているとしたら、いったいオイディプス王を想像しない人がいるだろうか。それは単なる名前ではない。誰もが答えを与えることのできなかった、なぞを解き、誰よりも有能と思われていた人物でありながら、自分の素性すら知らなかった男の名前、それがオイディプスだ。主人公がエディパ(Oedipa)=オイディプス(Oedipus)を名乗っていたら、私たちはそこからオイディプス王の物語、ギリシア悲劇のイメージをいだくことになる。
そして、やはり当然のようにエディパは探し物を始める。伝説にいろどられたなぞの組織、トライステロを追いかけ始めるのだ。彼女は何を探しているのだろうか。くどいようだがオイディプスを名乗る主人公である。そうなると、探し物は、自分ということになるだろう。トライステロのなぞをめぐり、あちらこちらをさまよう主人公の冒険は、自分探しの旅ということになる。エディパという名前と探し物という文脈から、読み手が物語のイメージを勝手に膨らましていくことができてしまう。(もちろん、書き手がそれを意図的に行っているとしてもだ。オイディプスと探し物という組み合わせを使わずして、これほど説得力を持って自分探しの物語のイメージを読み手にうえつけることができるだろうか。)これこそピンチョンが小説の中に記号を溢れさせる理由だろう。そうして意図的に記号が埋め込まれていると知った読み手は、やがて彼が意図せずに使った単語にすら記号を見つけ出すだろう。なんてあくどい、いやいや上等な方法でイメージを膨らませる小説だろう。
こういうやり口は、コードを使った小説のコード化とでもいうのだろうか。コードと記号論っていうのは、切っても離せない関係にあるらしいのだけど、そういえば小説の中では切手がひとつの鍵を握っていた。消印付きの切手が収集されているくらいだから、切手は貼ってもはがせるのだろう。ところが記号とコードははがせない。ここでいうコードは、ドレスコードのコードでいわば暗黙の了解みたいなものだろうか。一方でコードには、暗号くらいの意味もあるから、まさにピンチョンのもちいる記号っていうのは、ある種のコードだろう。この言葉は、もちろん、この意味、このイメージを暗示してますよ、暗黙の了解ですってやっておきながら、わざとらしいものから、それこそ暗号のようなものまで、いろいろと埋め込んでおく。そうすると、書き手と読み手の間に、暗黙の了解が出来上がっていく。私の書いてる言葉はコードなんです、だから注意して読んでね、というわけだ。まさに小説のコード化だ。
ただ、そこまでを読み手に求められると、どうしても読んでいてくたびれてしまう部分もある。当たり前だけれど、彼の書いた言葉すべてに���応しきることは不可能だ。何しろ国も違えば言葉も違うし、時代も違う。だから、ほどほどに楽しめばよい。きっと、そういう小説だ。
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邦題は「競売ナンバー49の叫び」。ピンチョンの中ではもっとも読みやすい上に、わかりやすいし、面白い。部類に入ると思う。しかし、これを日本に住む日本人が読んでもどれだけ面白いと感じれるか、というと疑問で、後ろの脚注を気にしながら読むのではどうしても文章に乗ることができないし、そういう意味で、ピンチョンみたいな作家は世界文学となりうるのか、と思ったりもする。(10/8/25)
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謎を解く話なのかと思ったら、もっと壮大な、アメリカや奇跡や決断の話になっていってじんわり感動した。註も多いし最初はとまどったけど、スモッグがどこまでも立ち込めて家や道がヒエログリフィックのように見えるサン・ナルシソ市の描写から本の世界に引き込まれてしまった。