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この本で言うポジティブ病は、冷静に現実を認識せずに、願望も込めて良いことばかりを見る・想像するということ。
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新聞の紹介記事を読んで。アメリカ人は最悪のパターンというのを想定しない、させない人種であるように書かれている。でも、アポロ計画を成功させたのはネガティブシンキングの集大成。あらゆるトラブルに対応するための訓練を積み重ねることは、ちゃんと考えている証拠だよね。
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大多数の米国人の毛穴から薄っすら臭ってくる…このポジティブ臭。著者はいたってまとも。癌になってラッキーは無しと思う。
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アメリカ人が如何に病んでいるのか、ということの実例を友人がこの本で読んだ事例を元に話してくれました。
著者は真面目にやっているのに、扱っている題材のせいでコメディのような馬鹿らしさが漂ってくるというのは、アメリカ人特有の病み方なのかもしれません(笑)
で、実際に読んでみた感想としては、筆者には無限に増殖していく(させられていく?)欲望への危惧があるようで、その辺りには大変共感を覚えました。ヴェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』にあるような、あの「予定説」の問題を思い出しました。
うろ覚えだけれど、「予定説」というのは、生まれた時から天国に行ける人間が決まっているということだから、現世において既に神の恩寵を受けている人間とそうではない人間が存在する。それは現世にいては分からないけれども、そういう人間には現世においても必ず神の国に至る「恩寵の印」のようなものがあって、熱心に祈り、作業し、稼いだお金は他の人へと還元する(自らのために貯蓄しない)(特にこれが資本主義の論理を生んだ)という行為を宗教的情熱から行っていて、同時に模範的な人間とされる。、自ら神の恩寵に与っている人間だと思い込むために、そういう規範が世に蔓延する。だけど、この軸が社会の変貌と共に少しずつずれていくという話。
なので、読んでみたらここまで進んでしまったのかという印象を持つと思います。アドルノが言っていたアメリカ人の「善意めいた脅迫」や、歴史を持つことへの嫌悪(だが、これこそが語彙の質に関わる)、そして、アメリカ人の持つ野蛮さというのは、ヨーロッパ人が考えているように未開故の野蛮さではなく、とうにヨーロッパを追い越してしまったからこその野蛮さなのだ、といった話も思い出します。
この本で起きていることがどこか身近な感じがするのも、アメリカを模倣している故になのかなと思ったりしました。特に自己啓発セミナー関係の話が出てくるのですが、現実に日本で起きていることなんかもこの本で書かれていることそのままだったりするので、論法として知っておけば対策にもなるでしょうし、非常に興味深かったです。
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フォトリーディング。後、普通に読んだ。
長い間積ん読になってたので、高速リーディングを交えて読んだ。
ニューソートと言う神学的ムーブメントのところはなかなかぞっとした。
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胸のすく良著だ。
ポジティブ・シンキングは胡散臭いと思っていた。自分自身に対して不誠実であるのはもちろんだが、他者に対する統制の手段として用いるのは犯罪的であると思う。
それを、きっちりと起源から説明してくれた。分かりやすい。
とくに、トム・ピーターズをぶったぎってくれたのは、痛快だった。
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好著です。(タイトルはちょっと…)
アメリカという国の中で「ポジティブシンキング」がどのように広がったか、社会的な背景を考察します。
この本は、まず著者が乳がんの診断を受けるところから始まります。そこで感じた違和感は、
「がんなんて厭だ」という気持ちを表明したところ、「病気を向き合って」「ポジティブに」「他の人が得られないチャンスをもらったと思って」というコメントが続々と寄せられた、と。
グローバルエコノミーが標榜された頃、経営者は「楽観論をベースに直感で経営するしかなかった」。世の中が変わるスピードがどんどん上がったからですが、最終的には、
「他所から破壊の手が伸びる前に(ライバル企業が出てくる前に)自ら自社を破壊することが始まった」つまり大量のリストラによる人件費カットです。「君には落ち度はないが会社はキミを必要としてない」という通告だけで社員は会社を去らねばなりません。 これらの流れと歩調を合わせるように広がったのがポジティブシンキングです。
経営者の側では、「大丈夫、自分の判断は間違っていない」。
社員の側では、「大丈夫、このリストラは自分にとって飛躍のチャンスだ」という安心を得るためではなかったのか?と著者は疑問を投げかけます。
時同じくして多くのコンサルティング会社がモチベーションアップを標榜して設立されます。一部の会社は、リストラされた社員のモチベーションアっぷのみを扱っていたと。(「キミは今日で首だが、明日からはこの会社で今後の相談をしてくれ」と送りこまれる)
この本にはジグ・ジグラーやアンソニー・ロビンスなどメンターとして有名な人たちが多数登場します。
ポジティブシンキングではなく、今のアメリカに必要なのは健全な懐疑主義なのではないか、と著者は問題を投げかけます。
最後に、「なぜアメリカがこんなにポジティブなのか?」「そもそも成功を夢見て新大陸に渡ろう、という人の子孫だから」
ちょっと納得です。
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ポジティブシンキングは元気に生きていくための励ましではなく、職場でソーシャルコントロールをするための手段・・なのか。
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自己啓発に代表されるような(過度の)ポジティブシンキングの負の側面、ルーツを探った本。
プロ倫みたいに考え方のルーツを探る、というのは面白いけど、真実かと言われると難しい。プロ倫の考え方も最近じゃ否定されてるらしいし。こういう考え方もあるんだな、程度に受け止めておこう。
訳者のあとがきで紹介されてる格言がいい。
「神を信じよ。しかし、らくだを忘れずにつないでおけ」(素晴らしい未来が待っていると信じる一方で、目の前の現実をきちんと把握し、出来るだけの手を売っておく必要がある)
以下抜粋(*丸写しではない。)
職の安定が失われたホワイトカラーに対して、ポジティブシンキングセミナーが提供された。
うんざりするようなリスク分析を見させられていたCEOはポジティブに考えろ!リスクを考えるとそれを引き寄せることになる!といってリスク分析を突っぱねられるようになった
ポジティブシンキングの効果によって、乳がんは通過儀礼になる
ポジティブでいれば乳がんは治ると考えると、自分がなにか治療のためにできる、という感覚を覚えることができる。ただし、治療が上手くいかない時(完全にうまくいくなんてことはほとんどない)、逃げ場がなくなる。
アメリカ人が元からポジティブシンキング信者だったわけではない。ピューリタンは原罪に怯えていた(夕食後いきなり15歳の娘が罪を許してもらえず地獄に堕ちるのではないかという理由でいきなり泣き出した、という逸話が残ってるらしい)
定職がないと、カルヴァン主義者は自己嫌悪に襲われた
ポジティブシンキングの核には不安がある
ポジティブシンキングは、社員を操縦するのに活用される
企業のリーダーは経営の【学問】をなおざりにし、不明瞭になる一方の世の中を明瞭に説明する新しい方法を模索し始めた。(U理論とかか)
コーチング産業は、1990年代に終身雇用がなくなったことで飛躍的に成長した
メガチャーチはポジティブシンキングとキリスト教を結びつけ、多くの信者を惹きつけ、中にはHBSのケースになっているものまである(そういえば幸福の科学の行間すっかすかの本ってそこらへんのビジネス本と同じようなこと書いてあるなぁ)
もっとも成功している教会は(もっとも悪名高いカルトと同じく)低コストっで自立した成長のコツを見抜いている。つまり、求道者を福音派の信者にしたあと、そのものを使ってもっと多くの求道者に呼びかけ、信者を増やすのである。(企業もNPOもそうかも)
「ポジティブ心理学」批判。UPennのお偉いさんが主導してるやつね。幸福を表す「式」を、単位は何か、どう定量化するのかつっこんだり、ポジティブ→幸福という因果関係を結論づける論文を批判したり。まぁ、理系っぽく見せたい文系論文の残念さにずばずば突っ込んでる感じ。
「聴衆の一人は、ポジティブ心理学を『応用行動経済学』と改名することを提案した。「経済学大学院で人気があるし、高給につながるものだから。」しかし、笑うものはいなかった」
彼女は、『ザ・シークレット���のDVD版を見たあと、自分はこの品(バッグ)を手に入れて当然だと考えるようになり、既に自分のものだと思い込んで、アメックスのカードで買ったのである。(これすげぇw)
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著者の主張をひとことで云えば、「現実に油断なく向き合う」ことが重要だということか。根拠のない楽観的なものの見方、心構えや気持ちが現実の対象物に反映されるという「素晴らしい」姿勢。ポジティブな思考は、栄養ドリンク飲料のようなもので、一時的にハイな状態に持ち上げ、現実をねじ曲げてくれるが、以降はそれを飲み続けなければならなくなる。
以下、印象に残った文章を引用。
人類の知能が発達したのは、長期にわたり「ありのままに」あるいは偏りなく包括的にものごとを見るよう努めてきた結果であって、自分の感情をものごとに投影してきた結果ではない。雷鳴は天の怒りではない。病気は天罰ではない。死や事故は魔術によって生じるものではない。世界は、人間の感情にはいっさい関係なく、内にかかえる因果のアルゴリズムに従って進んでいる。その事実をほんの少しづつ理解していくことこそ、我々が啓蒙運動と呼び、かろうじて守り続けているものなのである。
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あまりポジティブ・シンキングというものに馴染みがない。
ごくごく稀に暑苦しいくらいに前向きな人を見かけるが、逆に羨ましいくらいだ。「あれくらい前向きにハイテンションで生きられたら、俺の人生変わってたかもしれないなあ」などと思ったりもする。
議員という仕事柄、色々な相談事が舞い込んでくる。大体において、議員なんぞに相談を持ちかけてくるくらいだから、行き詰まっている問題ばかりだ。そんな困っている人に向かって、「もっと前向きに生きたらどうですか」などと言うこともできない。怒鳴られるのがオチだ。
というわけで、私がポジティブ・シンキングに縁がなかった。
だから、本書でこれでもかと列挙されている「本場アメリカのポジティブシンキング」の具体例には唖然とするばかりだった。
この具体例は本書の中に散りばめられているが…市民の間に広まり、企業の間に伝播し、挙句に政界にまで広がるポジティブ・シンキング。これはもはやイデオロギーでしかない。
イデオロギーといえば、スターリンも国民に「ポジティブであれ」と強要していたらしいので、同根同病と言うべきか。
そもそも、「ポジティブであらねばならない」なんて辛いことこの上ない。物事は考え方次第、捉え方ひとつであることは間違いないけれど、「常に」プラス思考でなければならないと強要されるのではたまったものではない。
ポジティブな部分があれば、それと同量のネガティブな部分がある。これが普通なんじゃないかな。その中で我々は立ち、考え、行動していく。
我々の先哲たちは、これを『中庸』と呼んだ。この概念は誤解されること甚だしいので、若干補足しておくと、中庸とは「右と左の中間」、「足して2で割る」、「シーソの真ん中」といった誤解されたイメージを持たれがちだが、そのようなものではない。
「過不足がないこと」これが中庸の要点。過不足がないとは、単に「物がちょうどよい具合にある」という俗な意味ではなく、理性と感情が一体となると同時に主観がそのまま客観であるような一種の完全状態。この状態に孔子が到達したのは70歳らしく、あの有名な言葉
「我、七十にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
が中庸の境地なのだろう。
著者は、最終章「ポジティブ・シンキングを乗り越えて」において、いくつかの提言をなしている。その提言をまとめると、『中庸』というところに落ち着くように感じた。
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「ポジティブシンキング」や「成功法則」といった考え方が蔓延するアメリカで、なぜこのような考え方に覆われるようになったのかについて論考を加えた1冊。「ポジティブシンキング」は心のコアに不安や心配といったネガティブなものがあり、人間としてバランスを取るための手段であることを再認識する。傍目にポジティブに見える人ほど、実はネガティブなのかもしれないな。
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本書でもやり玉にあがっているJoel Osteenの"Your Best Life Begins Each Morning"(『あなたはできる 運命が変わる7つのステップ』と合わせて読むといいはず。
Osteenは「アメリカでもっとも影響力のあるキリスト教徒」といわれる、レイクウッド教会の説教師。彼は自身のメガチャーチに1600人を集め、その説教はテレビで全米700万人に視聴されている。
エーレンライクも本書でボコボコに述べているように、Osteenの教義への批判は多い。彼の世界観は神と人との関係が逆転しており、そこでは神は人の欲しいものを何でも与える奉仕者のようである。 しかし、そのような知的な批判はOsteenの「成功という教義」をありがたがる人々には響かないだろう。良識的な人たちが口を酸っぱくして批判しようとも、Osteenにとって「成功の教義」を前面に押し出すことは確信的であり、意図的な戦略であり、彼に代表されるメガチャーチは、そのそもそもの前提として徹底的に世俗的である。
メガチャーチは大規模なマーケティング技術を駆使し、人々の身近な関心、悩み事に答えることで信徒を獲得してきた。その体質は旧来型の教会よりも企業のそれと近い。
世俗性も徹底されており、「人々が何を教会に求めているか」を徹底的にリサーチすることでその規模を広げてきた。アメリカのキリスト教会は「ジジババばかりで若い人が近づきにくく、葬式ばかりやっている」という言葉に象徴されるように、信徒数の減少に悩んできた。「既存の権威と体制の上にあぐらをかいてきた」旧来の教会には「対抗できないエネルギー」がメガチャーチにはある。 実際に、CEOにも例えられるようなカリスマ的な説教師のもとに、信徒の抱えるに著上的なテーマに即座に答えるための配慮や多くの専門スタッフを擁している。メガチャーチには「十字架も、尖塔も、キリスト像も」ない。理由は、それらの古めかしいイメージが現代アメリカ人にとってはドラキュラを連想させかねず、人々のニーズを第一義とするメガチャーチにふさわしくないからである。
教義も徹底的に世俗的である。人間の罪を強調するような、不安を増長させるようなキリスト教の教えは遠ざけられ、ポジティブ・シンキングと共通するようなセンテンスばかりが参照される。 つまり、ネガティブさを駆逐し常にポジティブでおりさえすれば、成功はおのずとやってくるという教えが教義となっているのだ。
本書やOsteenの本を読むまで、私のアメリカ理解は佐々木毅の『アメリカの保守とリベラル』や、中央公論社から出ている『世界の歴史』の『アメリカ合衆国の膨張』と『世界大戦と現代文化の開幕』に依拠したものだった。宗教的な熱狂というものがアメリカ社会に与えた影響というものを過小に評価してきたし、もっと素直に言うならば、キリスト教など守旧の田舎者たちが持ち出す時代錯誤的な例外だと思ってきた。また、チョムスキーのようなリベラルなアメリカこそ「アメリカ」だと感じてきたし、ジョン・ロールズのような洗練された正義の構想を生み出すアメリカを尊敬しても、ブッシュを牽引したキリスト教連合のようなアメリカには嫌悪を抱いてきた。しかし、私のアメリカのイメージはどうやら本来のアメリカ��は異なるものであるらしい。チョムスキーをいくらひも解いても、アメリカ中西部という風景は絶対に出てこない。どうやらチョムスキー的な洗練さがアメリカなのではなく、むしろチョムスキーのほうが例外なのではないか?
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ポジティブ・シンキングは、文化、強制、テクニック、ビジネス、宗教、科学であり、社会統制手段である。楽観主義が経済的大惨事を招いた。
これも社会の空気。ベストはなかなか難しい。
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本来ポジティブである事は悪い事では無いが、アメリカではポジティブシンキングが規範、イデオロギー、同調圧力的な形で、そうあらねばならい形で蔓延している状況であるそう。そのような社会になって行った成り立ちや現在の状況などが分析された内容となっている。やみくもポジティブシンキングは真実を歪めて捉えてしまう。物事をありのままに捉える事は簡単では無いが、できるだけそうありたいと思いたくなる内容だった。