投稿元:
レビューを見る
薄桜鬼のコミカライズ(漫画化)です。
「巡恋華」とはまた別のものです。
私はアニメイト限定版を買ったので、ダブルカバーになってました。
通常のカバーの上に、アニメイト限定版のカバーが被さってるんですが、その限定カバーが土方×千鶴だったああああああ!!!!(萌)
2巻には、沖田×千鶴を期待してますからねvv(*´∀`*)
とはいえ、内容はイマイチです。
なんで池田屋から始めるんだろう?
おかげで序章の内容は回想にされてるし、池田屋→序章(回想)にすることで、漫画として分かりやすくなったとも思えないし。
ていうか、これもまた「巡恋華」と同じように、漫画から入るのはムリでしょ。
絵とかコマ割は、人によっては見づらいかもしれません。
描かれ方によって顔が変わったりしてるし。
が、私は個人的に好きな方です。
投稿元:
レビューを見る
原作ゲームは持っていませんが、アニメを見てはまってしまい、コミカライズ版を思わず購入・・・
絵はアニメよりも汚い印象を受けました。。。
脳内で補完しながら読んでください。
投稿元:
レビューを見る
うーん。わかりにくい。
ゲームやってても話の展開が読んでてわかりにくかった。
絵は丁寧だったけど、漫画で買って読む程の内容はなかったかなぁ。
これ買って読む人がどういうのが見たいか、そこが足りなかった気がする。
投稿元:
レビューを見る
ゲームはわかりませんが、アニメは1話目だけみたことがあったけど、たぶんアニメのが筋書きわかりやすいな。
というか、これが一冊になってるからいいけど、雑誌にコレ目当てで買いはないなといったかんじ。よくも悪くもゲーム原作。絵はキレイだけど、見せ方がどうも好みでない…。あと、個人的イメージとして佐之と新八は逆なかんじです。いろいろ新撰組ものよんで、いろんな設定があるけどなんとなく。
投稿元:
レビューを見る
購入品(目黒区立図書館行き)
絵柄が汚い、金返せという声も聞く。しかしそれらは結論から言えば、ここで描かれる「新撰組」の美男子たちを汚されたと見なす幼稚な条件反復でしかない。『薄桜鬼』が抱えている問題点に真正面から向き合わず、ただただ、己の性的リビドーをキャラクターに向かって不躾なまでに押し付けていることの裏返しでしかない。
評者から言わせれば、あまりにも表象の上澄みだけを掬い取っているなという印象が強く、恋愛シュミレーションゲームになりきれていないのではないかという思いを強くする。
本業であるマスキュリニティ研究の立場から見れば、「新撰組」という近代前夜のメナーブント(男性同盟)―「新撰組」をはじめとして男性同士の結社関係が女性オーディエンスに受けるのは百も承知である―に女一人という設定に「男性同盟のミソジニー(女性蔑視)をパッシングできた女性(とその主体である自分)」という図式を読み取るのは簡単だ。その一方で、主人公が恋愛対象として位置づけられている(オーディエンスにひきつけて言えば作品の中で重要な役回りをする)男性キャラクターがバカの一つ覚えのごとく「鬼(なお、本書では伏線となっているが、主人公もまたその「鬼」に連なる関係がある)」と敵対関係になるのはどこぞで見たような思考停止の典型例だ。カール・シュミットばりの「友―敵論」(これについての社会学的な批判にニコラウス・ゾンバルトの『男性同盟と母権制神話』がある。日本語訳で刊行されているので誰でも読める)をそのロジックからは除外されるはずの主人公、そして画面や紙面の向こう側のオーディエンスが結託してこのロジックを補強する。つまり、『薄桜鬼』は隊士(恋愛対象キャラクター)と「新撰組」に関わる神話を媒介にした一種の集団自慰ということになるのだ。
今後続刊の見通しもあるような展開であり、同時にB's-log文庫でのノベライズも決定されている(今月17日発売予定)。しかしながら、原作グループである「オトメイト」が狙っていた柳の下のドジョウは、最初からいなかったのであり(あからさまなホモフォビアとゼノフォビアがキャラクターとオーディエンス、そしてオトメイトとの共犯関係を補強している)、同時にこれがヒットしたバックヤードの裾野を広げる必要性に駆られているのもまた事実なのである。歴史社会学にせよ、当代少女文化研究にせよ、どちらも自己のディスプリンの内側で論理を片付ける傾向があるだけに領域横断の必要性があるからだ。