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シューマンの指 みんなのレビュー

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みんなのレビュー328件

みんなの評価3.2

評価内訳

324 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

「シューマンの指」才能というこの不可解さをミステリーで

2011/05/20 10:16

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:soramove - この投稿者のレビュー一覧を見る

「この本を読むきっかけも
TV週刊ブックレビューの特集で
著者がこの本について
インタビューを受けていたからだ。
魅力を紹介するのだから
読みたくなるハズだが、
中には20分程度のインタビューを見ても
全く食指の動かない場合もある」


「クララ・シューマン 愛の協奏曲」という映画を見た時
アヘン中毒でブラームスに激しく嫉妬する姿が
印象的だったが、
どんな音楽だったかは全く記憶に残っていない、
この本で語られるシューマンの曲は
とても魅力的で実際の曲を聞いたら
自分の印象と違うんじゃないだろうか、
それくらいイメージさせてくれるものだった。


シューマンの生み出した音楽と
それに魅せられた主人公、
音楽というものに真摯に向き合い
青春のある時期を捧げるかのよう、
そんな濃密な時間が羨ましく思えるほど。


ミステリータッチの作品だが
謎解きにはあまり重点は置かれていない、
才能というどうしようもないものを
はっきりと自覚し
才能を持つ者にあこがれつつも
心の底では激しく嫉妬している
そんな音楽に魅入られた者たちの物語だ。

その潔いほどの残酷さが
作品に常に漂い、
行間に音楽が流れて
本読みとして幸せな時間を過ごした。
この作家の本は初めて読んだので
他の本もまた読んでみよう。


★100点満点で75点★


soramove

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紙の本

世界の広がり、っていう点で『鳥類学者のファンタジア』には及ばなかったかな、ま、アルゲリッチはいいんですけど・・・

2011/05/09 20:47

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

鍵盤を模したカバーに血の指紋という、デザインはいいけれど、誰か怪我した人が本を汚したんじゃないか、と購買者に思わせるちょっと罪な意匠は、装丁者 帆足英里子の手になるもの。でも、好きです、シンプルですっきりした様子。これなら山下洋輔の本にも使えそう。勿論、指紋はいりませんけど・・・ちなみに、この本では「装丁 帆足英里子」ではなく「装丁者 帆足英里子」と書かれています。

今読み始めたPHP新書でロバート・ホワイティング『野茂英雄』の奥付にも装幀者、って書かれていますが、どうも『朗読者』みたいに大げさで好きじゃありません。主張があるのは分かるのですが、あっさり「装丁」でいいんじゃないでしょうか。講談社の本で〈装丁者〉って表記されることなんて滅多にないので気になります。で、お話です。HPには
                 *
高校3年の春、彼の前に現れた天才美少年ピアニスト。その白く艶めかしい指が奏でたのは、≪殺人の序曲≫だった――。
甘美なる調べ。衝撃の結末。
生誕200周年・シューマンに捧げる、本格音楽ミステリ

シューマンの音楽は、甘美で、鮮烈で、豊かで、そして、血なまぐさい――
シューマンに憑かれた天才美少年ピアニスト、永嶺修人。彼に焦がれる音大受験生の「私」。卒業式の夜、彼らが通う高校で女子生徒が殺害された。現場に居合わせた修人はその後、指にピアニストとして致命的な怪我を負い、事件は未解決のまま30年の年月が流れる。そんなある日「私」の元に修人が外国でシューマンを弾いていたという「ありえない」噂が伝わる。修人の指に、いったいなにが起きたのか。

野間文芸賞受賞後初、鮮やかな手さばきで奏でる“書き下ろし”長篇小説。
                 *
とあります。主人公は里橋優、子供の頃からピアノが好きで、それなりの腕をもっています。地元の都立高校に進みましたが、三年の時、入学してきた永嶺修人と出会うことになります。修人は優より二つ年下、シューマンの曲をこよなく愛する天才ピアニストで、小学4年生、9歳の時に東京国際音楽コンクール二位に入り、父と渡米、12歳の時、ハンナ・マーレ国際ピアノコンクールのジュニア部門で優勝します。そして再婚した父と帰国し、八王子に住むことになります。

その永嶺が優に提案して生まれたのがシューマンにちなんだ「ダヴィッド同盟」です。修人はメンバーに二年生の鹿内堅一郎を推薦します。裕福ではありませんが、優の住む団地近くの一戸建てに暮らしていて、子供のころは牛乳瓶の蓋、スーパーボール、シール、ミニカー、切手、王冠、きれいな石などを熱心に集め、中学三年の頃から音楽の蒐集を始め、FM放送をカセットに録音するエアチェック・マニアです。

そして事件が起きます。被害者は岡沢美枝子、優と同じ高校の美術部所属の二年生で、色々噂のあった女子高生です。しかし事件は解決しないままに、優は音大の受験に失敗し、浪人生活を始めます。そして最後の同盟のメンバーが加わります。それが末松佳美、M女子大付属高校の二年生です。誰が見ても美男の永嶺修人にはふさわしくない容姿の女子高生ですが、周囲の目をよそに佳美は修人の恋人のように振る舞うのです。

1979年、修人は事故で右手中指の第二関節から先の部分を失い、演奏が出来なくなり、再び渡米、そのまま消息を絶ちます。浪人してT音大に入った優は、結局は医者の道に進みます。そして堅一郎は1984年、東ドイツで指先を無くしたはずの永嶺の演奏を聞いた、と優に手紙で報告し、その年、癌で死亡します。享年24歳でした。

もう一人、永嶺の演奏を聴いた、という人物が現われます。それがマルタ・アルゲリッチならぬマルデ・アルゲリッチです。後者について本文から引用すれば
                 *
私が音楽大学に在籍していた七〇年代の終わり、マルタ・アルゲリッチは絶大な人気を誇っていたが、アルゲリッチを真似てか、黒い髪を長く伸ばした同級生は、なかなかエキゾチックな美人でもあったから、マルデ・アルゲリッチと渾名されて、男子学生の人気を集めていた。あるとき私は彼女の弾くショパンの三番のソナタを聴く機会があったが、破格に速いテンポは、なるほどアルゲリッチを思わせるものがあり、しかし、似ているのはテンポだけで、ピアノの腕前とセンスは、残念ながら、アルゲリッチとは似ても似つかないのであった。
                 *
となります。奥泉の読者であれば、? と思うはずです。そう『鳥類学者のファンタジア』に登場する季梨子です。24歳ではない!と自ら断わる年女は国分寺のジャズ喫茶でピアノを弾いていて、町を歩けばスカウトマンに声をかけられたこともある(何のスカウトかはわからん、と注をつけているけれど)美女という設定で、ショパンコンクールで伝説の演奏をしたピアニストのアルゲリッチに感化され、高校時代にはその長髪故に「練馬のアルゲリッチ」と呼ばれていたといいます。

一瞬、『シューマンの指』と『鳥類学者のファンタジア』がつながるのかと思いましたが、それは本当に〈束の間の幻影〉にすぎませんでした。『シューマンの指』では、アメリカで暮すそのマルデ・アルゲリッチも、彼の地で修人の演奏の記事を見て、優のもとに切りぬきを送ってきます。彼女の報告と鹿内からの手紙が、この小説最大の謎で、それに高校時代の事件がどうつながっていくのかというお話です。

一種、耽美的な学園ものという点では恩田陸の諸作、音楽ミステリという点では中山七里『さよならドビュッシー』『おやすみラフマニノフ』などを思わせますが、雰囲気では北村薫の円紫シリーズを思わせるところもあります。今流行の軽さを売り物とした学園ミステリとは一線を画していますが、世界の大きさ、奥泉らしさという点では『鳥類学者』に及ばないところがあります。

本筋には関係ないところで面白かったのは、既に書いたアルゲリッチのところと、修人が現代最高のピアニスト(1970年代でも評価は固まっていました)ポリーニの演奏をあまり評価していないところと、自分と似たような考え方を持ちながら後期ロマン派、特にシューマンの曲を殆ど演奏しなかったグールド嫌うところでしょうか。

私もポリーニの演奏に感動したことがなく、むしろ猛女アルゲリッチの演奏に惹かれます(ちなみに、二人の演奏を70年代に実際にリサイタルで聴いたうえでの感想)。逆に、グールドは好きです。演奏会を拒否して録音を通じて発表を続けたグールドを生で聴く機会はありませんでしたが、彼のCDを全て聴いて、やはりこの人は天才だったなあ、と思います。昨年購入したシューマンの全集を、もう一度聴きなおさなければ・・・

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紙の本

「音楽」とは?音楽は聴覚を媒介として、時間的に展開され把持される意味を形づくる。音の強弱、高低、色彩(音色のことか?)、リズム的な継起、一定のパターンによる反復や変形などがその意味形成の手段となり、同時にその意味を認める心的な働きがあって、音楽は成立する。その意味で、音楽は語られる言語と多くの共通面をもっている。(平凡社世界大百科事典より抜粋)読後この難解な解説がいくらか理解できるようになった。

2011/04/06 23:00

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

「本屋大賞」。名称からしていかにもその業界がベストセラーを作り出すために仕掛けるイベント。だから、読者に媚びる姿勢のないあの奥泉光の作品がこの「本屋大賞」にノミネートされたと聞いて、一体どうしたことかと奇妙に思えたものだから手に取った次第。そうでもなければ、タイトルからはシューマンの伝記、シューマン論くさく、小説の体裁をとったところで、独りよがりな薀蓄を一杯にしたうんざりモノと思い込んでいたから、クラシックはもとより、あらゆるジャンルの音楽芸術に門外漢である私としては、たとえ奥泉の作品としてもおそらく手に取らなかったであろう。
ただ、奥泉光はジャズマニアにちがいないとは『鳥類学者のファンタジア』 を読んだときの印象だ。ジャズに魅せられた奥泉がその興奮をありのままに文章化、小説化したような作品で、とくにラストの演奏シーンはジャズに素人である私ですら圧倒された。

高校3年の春、語り手「私」の前に現れた天才美少年ピアニスト・永嶺修人。その白く艶めかしい指が奏でるのは、甘美で、鮮烈で、豊かで、そして、血なまぐさいシューマンのピアノ曲。シューマンに憑かれた美少年と彼に心酔する音大受験生の「私」になにがあったか?生誕200周年・シューマンに捧げる長編傑作。

シューマン論であり、音楽の本質論であり、音楽史論であり、作曲家・演奏家・聞き手それぞれの音楽芸術論であり、普通ならこれでは読書中断なのだが、この作品が凄いのはこれらを小説という形式でドラマチックに構成したことにある。特に主人公の永嶺修人がシューマンのピアノ曲を演奏し、これを語り手の「私」が聴くシーンであるが、練達の文人にしか到底表現できない緊張の臨場感で迫りくるのだ。

その場に居合わせて、シューマンの狂おしさを凝縮したこの凄絶な音の世界に恍惚とする「私」と私が一体化するような戦慄を覚えた。たぶん名ピアニストの演奏会場で聞いたとしても不感症の私は決してこうにはならない。小説だからこそ私にも音楽の本質を実感できるのだ。これは奥泉の手になる新しいジャンル、「本格音楽小説」の誕生なのではないだろうか。
著者のシューマンへの限りなき讃歌であり、音楽への熱い思いが結晶となったものだ。

シューマン「幻想曲ハ短調」Op.17 第一楽章を聴きながら「私」は語る。
「いにしえよりずっと、目に見えぬどこかで響き続けていた音楽なのであり、それが何かのきっかけを得て、まったくの偶然から、この世界に現われ出たものに違いないのだった。」
「いま耳にする音は、『自分自身が楽器』であるシューマンが奏でる音楽の中で、魂の最も内奥の場所に仕舞われた秘密の音楽であり、秘密の言葉であり、いままさにそれが明かされつつあるのだとの思いに全身が総毛立つのを覚えた。」
「調性の曖昧な第一主題から、それと一繋がりになったハ短調の第二主題へ、さらにそこから派生したニ短調の旋律―シューマンが手紙で『私の一番好きな旋律』と書いた―へと続く一連の流れは、充分な音量はあり、また一つ一つの音の輪郭は鋭利に際立ちながら、磨きこまれた木肌の艶やかさと暖かみを放つ。」
専門用語はチンプンカンプンだが、音が文字を媒介にして、我が感性に鋭く働きかけるのだ。

演奏家は読譜を通じて作曲家と対話する。その結果を音として表現するのが演奏家であり、聴き手は演奏家と対話し、間接的に作曲家と対話する。三者はそれぞれが世界観に違いを持ちながらも、どこかで折り合いつつ対話を重ねているのだろう。一般的に音楽芸術とはどうやらこういう鼎立構造にあるらしい………と、私は始めて知識を得ることになった。いやぁ勉強になった。
ところが天才とはどこかに俗人には不可解な「狂的」「病的」なにかがある。
永嶺修人は語る。
「演奏なんかしなくたって、音楽はもうすでにある。完璧な形でもうある。楽譜を開く。それを読む。それだけで、音楽がたしかな形でもう存在しているのが分かる。」
「演奏する人の個性といえば聞こえがいいけど、要するに、癖だとか勝手な思い込みだとか、そういうもので音楽はけ汚されてしまう。つまり演奏はむしろ音楽をめちゃめちゃに破壊し、台無しにする。」

私は、天才ピアニストのこのパラドックスに目の覚める思いがしました。
これが音楽の真理だとすれば、それは神秘であるのだが、でも本当かいな?

そして彼は評論活動の中でシューマンの魂をピアノ演奏ではなく言葉で語ろうとするのだが、ここは「本格音楽小説」の著者である奥泉光そのものの試みであるだけに面白い。
また彼らが彼らから見て俗流である音楽家たちと音楽本質論を議論するシーンは、著者の諧謔精神がおおいに笑わせてくれ、一幕の舞台劇を観るようで見逃せないところだ。

さてこの文芸大作が「本屋大賞」にノミネートされたのだが、それはこの作品が「ミステリー」として、とらえられたからであろう。

「卒業式の夜、彼らが通う高校で女子生徒が殺害された。現場に居合わせた修人はその後、指にピアニストとして致命的な怪我を負い、事件は未解決のまま30年の年月が流れる。そんなある日「私」の元に修人が外国でシューマンを弾いていたという「ありえない」噂が伝わる。修人の指に、いったいなにが起きたのか。」

飾り帯には
「ラスト20ページに待ち受ける、未体験の衝撃と恍惚をぜひ堪能してください」
とある。

本著をミステリーファンがミステリーとして読むとこのトリックは禁じ手のはずだと、しらけることもあろう。しかし、「本格音楽小説」としてのめりこんでいた私はまったく気がつかなかった。著者の遊び心に充分満足し、まさか!と拠って立つところがぐらつく激震を受け、読了しました。

だが、極め付きのドンデンガエシは、本当は別のところにある。狷介孤高の天才児・永嶺修人。読んでいて鼻持ちならない奴だと思う。その人物がまさかの本音を漏らすつぶやきがある。
それは決して彼には成し遂げられない人間の生き方であった。
「シューマンの生涯を振り返るにつけ、平凡な生の中で発揮される才能こそ真に貴重なのではないかと思えてくる」

音楽といえばカラオケで演歌を歌うことしかしらない凡人オジサンとしては「そうだ。そうだ」と、ついでに音楽に真理も神秘もあるものかと居直り、ここに落ち着きどころを見つけました。

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2011/10/20 21:32

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2011/04/27 23:08

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