紙の本
死者の声なき声に耳を傾けるということ
2010/09/12 01:57
13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
小笠原兵団長・栗林忠道中将(大本営は訣別電報を受けて栗林を大将へ昇進させたが、栗林本人にそのことを知る術はなかった)は硫黄島でどのような最期を遂げたのか。妻子を内地に残して硫黄島に渡り小隊長として部下を率いた30代の召集将校たちの苦悩とは。オリンピックの英雄としての奔放な言動で知られるバロン西中佐(戦死後に大佐に特進)の、家庭人としての知られざる素顔。栗林の派遣参謀として父島に着任した堀江芳孝少佐の生涯の心の傷となった「父島人肉事件」の真相。皇室バッシングによって心因性の失語状態となられた美智子皇后が硫黄島慰霊訪問においてお声を取り戻すことができたのは何故か。
前著刊行後の取材と資料によって発掘された新事実を紹介する、『散るぞ悲しき』完結編。著者の初めての硫黄島渡島の思い出を綴った「わたしの硫黄島―あとがきに代えて」も感動的だ。
白眉はやはり第1章の「栗林忠道 その死の真相」であろう。栗林の最期については、最後の総攻撃の陣頭指揮をとった末の戦死(師団長クラスの将官が自決せずに突撃に参加するのは極めて異例)という見方が通説である。しかし硫黄島からの生還者の中には、栗林の死の瞬間を目撃した者がいないため、事実確定は困難であった。
そして近年、ノンフィクション作家の大野芳が雑誌『SAPIO』2006年10月25日号において、栗林がアメリカ軍に降伏しようとして部下に斬殺されたという異説(「栗林中将の『死の真相』異聞」)を発表した。著者はこの大野説を詳細に検討する。大野説の論拠は、防衛庁編纂の『硫黄島作戦について』(昭和37年)に収録された堀江芳孝元少佐の証言である。
著者は堀江証言について、
○堀江は栗林の幕僚ではあったが、硫黄島戦当時は父島を任地としており、栗林の最期を直接見たわけではない。伝聞情報にすぎない。
○堀江は防衛庁防衛研修所戦史室の聞き取り調査(昭和36年)以後にも、(平成に入ってからも)栗林投降説をしばしば語っているが、情報源に関する説明が二転三転している。
○堀江が情報源として掲げた証言や資料は確認されていない(証言者とされた人物が「そんなことを堀江に言った覚えはない」と完全否定、など)。
といった点から、その信憑性を否定する。
また堀江が投降説と共に述べた、“栗林中将は米軍上陸後1週間くらいでノイローゼとなり、高石参謀長、中根参謀、海軍の市丸参謀らが代わりに指揮を取った。訣別電報も中根参謀が書いた”という証言に関しても、
○栗林は玉砕からおよそ20日前の3月7日、長文の戦訓電報を東京に発して、大本営の方針を痛烈に批判している。
○戦訓電報が栗林の陸大時代の教官である蓮沼蕃侍従武官長宛てとなっている。
といった事実に注目し、参謀の代筆ではなく栗林本人が戦訓電報を書いている点から見て、栗林が硫黄島戦の最終局面に至るまで司令官としての役割を果たしていたことを論証している。
著者は、昭和27年2月1日付の毎日新聞に掲載された「栗林が8月15日に2名の幕僚と共に白旗を掲げて米軍に投降してきた」という米軍将校の証言(栗林の後任として第109師団長となった父島の立花芳夫中将の降伏と混同したもの)を紹介したコラムを基に、堀江が証言を捏造した可能性を指摘している。捏造の動機としては、日本の敗戦を見通した結果、戦うことを諦めてしまった堀江の、軍人として名誉の死を遂げた栗林に対する負い目や嫉妬が想定できよう。第4章「父島人肉事件の封印を解く」で明らかにされているように、軍人としての死に場所を得られなかった堀江の“戦後”は決して幸福なものではなかった。
降伏証言が創作され、それがある程度の広がりを持って信じられるようになった(何と現役の自衛官の中にすら信じた人がいる)社会的背景として、著者は戦後的価値観の浸透を挙げている。
昭和27年頃になると、あの戦争は間違いだった、駆り出された兵士達は犬死だった、という言説が盛んになり、その結果「どうして栗林中将は投降して部下たちの生命を救ってくれなかったのか」という怨嗟と、「兵士思いだった栗林中将なら投降を考えたこともあったかもしれない」という期待とがない交ぜになった空気の中で、降伏伝説が生まれたのではないか、というのだ。
現実の栗林は単なるヒューマニストではなく、一兵卒にも親身に声をかける一方で「最後の一兵となっても(投降せずに)ゲリラによって敵を苦しめよ」「負傷しても捕虜とならず敵と刺し違えよ」と部下に命令する峻厳な軍人であった。降伏を絶対に許さない栗林の非情さを、人命尊重第一という現代の価値観によって指弾するのはたやすい。だが硫黄島が米軍の手に落ちれば本土が空襲を受け、多くの民間人が犠牲になるであろうことを、栗林は知っていた。大本営に対米和平を進言しても容れられなかった栗林には、どんなに戦死者を出そうとも、徹底抗戦してアメリカ国民の厭戦気分を喚起する以外の方法はなかったのである。栗林は戦略的・戦術的制約の多い中、現地の最高指揮官として最善を尽くしたと言えよう。
著者は言う。「現代の私たちの感覚で戦場を語ろうとするとき、多くのものがこぼれ落ちてしまうことを忘れてはならない」と。「英霊」やら「無駄死」やらと、彼等の死に手前勝手な“意味”を付与するのではなく、死者の声なき声に謙虚に耳を傾け、ひたすらに善かれと祈ること。それこそが平和な戦後日本に生まれた我々の責務ではないだろうか。
栗林の有名な辞世の句がある。
国の為 重きつとめを 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
これに対し平成6年の硫黄島訪問時の天皇陛下の御製は、
精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
そして皇后陛下の御歌は、
銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年眠るみ魂かなしき
著者は御製と御歌を、「四十九年の時をへだてた、栗林への返歌」と評した。日本国のために死んでいった兵士たちの“悲しみ”にそっと寄り添う両陛下の佇まいは、まさしく理想的な「慰霊」のあり方だと、僭越ながら思うのである。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しましま - この投稿者のレビュー一覧を見る
文藝春秋に時々載っていた硫黄島関連のドキュメントを集めた1冊。タイトルは指揮官栗林中将だが、遺族や西大佐や他ではあまり取り上げられることのない中間管理職的な将校についても丁寧な取材を元に書かれており、大変興味深い。
投稿元:
レビューを見る
映画の「硫黄島からの手紙」のイメージが強いなか本書を読んでみたが、そのイメージに違わない人物像が垣間見れて、感動とともになんだかほっとした。
投稿元:
レビューを見る
本書は、筆者の話題作「散るぞ悲しき」の完結篇、並びに、番外篇とも言へる多彩な力作五篇からなってゐる。どれも甲乙つけ難い作品ばかりであり、それぞれに籠められた意図によって作品が立ってゐると言っていいと思ふ。
ドキュメント1は、栗林忠道中将の最期をめぐる異説に対する論証の作品である。中将の最期を見届けた人がゐない間隙に諸々の事情から「ノイローゼ→投降→部下による斬殺」といふ妄説が出来上がったわけである。結論的には、武人としての誇りを全うした見事な最期といふオーソドックスな答に落ち着いた形である。
ドキュメント2と3は、三人の将校とバロン西の肖像を描いてゐる。華やかな場面だけでない埋もれた事実を掘り起こさうとの筆者の努力が光ってゐる。三十代の社会人が召集で硫黄島に呼び寄せられた事実、家族の哀惜の念、部下家族へのあふれる愛情は胸つまる思ひで読ませていただいた。
ドキュメント4は、異様な人肉食事件の背景と状況にアプローチしてゐる。次は自分達の番だとの屈折や十分な力の発揮できない環境での事件であったが、かなりショッキングな内容である。深層へのもう一越えの肉薄があるともっとよかったかもしれない。
ドキュメント5は、皇后陛下の戦歿者と遺族に対する敬敬虔な祈りの実相を解き明かしてゐる。
どれも戦場の真実を冷静に瞠め、受け止めようといふ謙虚な姿勢に満ちて居り、とても感銘深かった。
(千葉県在住 40代 男性)
投稿元:
レビューを見る
よくぞここ迄きちんと調べて書いてくれた。現在の日本は過去のたくさんの人の思いの上に出来上がったことを忘れてはならない。
投稿元:
レビューを見る
『散るぞ悲しき』の続編てことだけど、前作よりルボ色が強い。文藝春秋の記事なので仕方ないか。ドキュメント5は、よく書いたなと感心した。
投稿元:
レビューを見る
「散るぞ悲しき」の外伝的内容。
栗林中将の死に様、その異論を検証するとともに、その他の将校にもスポットを当てたドキュメント。
同じ小笠原師団でありながら父島との違いが興味深い。
硫黄島でこそ狂気の沙汰が繰り広げられていてもおかしくなかっただろうに・・
投稿元:
レビューを見る
『散るぞ悲しき』の完結編とみるべきかもしれないが、これ自身は独立して読むことも可能である。
5部構成で、ドキュメント1が『散るぞ悲しき』の補遺。ドキュメント2〜4はその余録。ドキュメント5は皇室とりわけ皇后陛下と戦没者たちをめぐるルポでこの本の白眉と言えよう。というか、皇室を巡るルポの中でも最も本質に迫る素晴らしい一編であろう。
いまさら硫黄島で何があったかは繰り返さないが、戦争とは何かとともに、兵士とは、軍人とは何だったのかを考えさせられる。著者はジャーナリストとして、『散るぞ悲しき』以上に抑制の利いた文章運びを心がけているのだと思うけれど、それゆえに涙があふれた。
投稿元:
レビューを見る
この本の中に収録されている出来事は、
あまりにも重くつらい。
衝撃的なことも収められている。
平常時であればあり得ないだろう出来事も書かれている。
戦争は、実際に関わった人も、残された人々にとっても
長く深い傷を残す。
未だ癒えぬ傷を持っているのは外国の方々ばかりではない。
私達のすぐ側で、今でも祈り、慟哭している方々がいる。
そのことを忘れてはならない。
外国から非難されるのを避けるために、
慰霊や鎮魂を祈るのではなくて
自国で犠牲になられた方々、ご遺族となられた方々
本来なら巻き添えになるはずも無かった方々
(国籍を問わず、外国の方も含めて)
全ての方の心が少しでも安らかならんと祈る姿勢を
忘れてはいけないと思うのだ。
自国の犠牲者の苦しみを真剣に
悼むことも出来ない人間に、他国への苦しみを
思いやれるはずも無い。
国内での犠牲(軍人だった方も含めて)に対して
祈ろうとすると、すぐ国粋的な評価をされてしまうのは
とても残念だ。
戦争で命を奪い、あるいは奪われた人や
愛する人を失った人はみな、同じように
大きな痛みと傷を負っていると思う。
傷を受けた状況が違うだけで。
だからこそ、絶対にもう戦争などあってはいけないのだ。
誰ももう、傷つけないために。
投稿元:
レビューを見る
硫黄島戦の専門家である著者による、「散るぞ悲しき」の続編。硫黄島に関する5つのドキュメントが記載されている。梯久美子氏の記述は極めて正確で、表現に違和感がない。厳格、誠実な分析が行われており、洗練された文章に感動した。
投稿元:
レビューを見る
「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官栗林忠道」2005年新潮社では描けなかった名将の最期が、新たな取材と資料によって初めて明らかになる。
硫黄島からの生還者、大山純は復員したあと昭和21年8月3日付で硫黄島で栗林中将とともに最後の総攻撃をした模様を栗林家に手紙で知らせていた。またその後直接夫人と息子に会い死の状況を語っていた、それを長男の太郎氏はメモしていた。
それをまとめると、米軍上陸後1カ月以上ひたすら耐えて守りに徹した末、最後の拠点を敵に包囲されて栗林が決意した、ただ一度の総攻撃。総攻撃の10日ほど前に司令本部から第145連隊本部壕を出て、西海岸の断崖絶壁にそって南へ向かう。大山軍曹は栗林の後になり先になり進んだ。途中敵の砲火を浴び部隊は散会する。大山軍曹はその時「狙撃をして攻撃せんか」と傍らの高石参謀長に命じるのを耳にした。それが最後に聞いた栗林の声だった。大山軍曹は散弾に倒れそれ以後栗林を見失った。しばらく彷徨い戦闘指揮所に着くと「兵団長戦死」との報を聞いた。栗林は足に被弾しある軍曹の肩を借りて前進していたが、出血多量で絶命したという。出撃前に「私の屍を敵に渡すな」との命通り、高石参謀長が近くにあった木の根元の弾痕に埋めたという。
今回映画、生還者の手記、後世の取材記、と見たり読んだりしてみた。いずれも当時を振り返っているものだが、戦争の因果関係などの歴史的考察は別として、事、戦場の生生しさ、空虚さでは生還者の手記に及ぶものは無いと感じた
2010.7.20発行 2010.8.25第3刷 図書館
投稿元:
レビューを見る
クリントイーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」で栗林忠道中将を知った方も多いだろう。かなり上映から時間は経過したが今なお心に深く刻まれている。著者の「散るぞ悲しき」を読まれた方も多いと思うが、本書はその後、更に調査された異説や登場しなかった人物にもフォーカスしたアナザーストーリーと呼ぶに相応しい。
太平洋の孤島「硫黄島」は太平洋戦争終盤に、死傷者数が日本よりアメリカが上回った激戦地として知られる様になった。これは前述の映画などのお陰だろう。双方合わせて2万7千人近くの死者が出て今なお遺骨は全て回収されていない。徹底的なゲリラ戦を張り巡らされた地下壕から展開して、アメリカを苦しめたのが栗林中将だ。戦前は知米・親米派だった事から懲罰的な側面で派遣されたという意見もあるが、敵(アメリカ)を知り、自分たち(編成や実力)がその場所でどの様な戦いを展開出来るか(己を知り)、さらに日本の防波堤となるという曇りのない信念。これらが揃った武将でなければならなかった。彼を知れば知るほどその赴任は必然的にも思えてくる。
映画では「予は常に諸子の先頭に有り」で最後の突撃を敢行し率先垂範の将として描かれる。恐らくそうしたであろう人物像について、その後描かれた数々の書物を読めば疑う余地は無い。とは言えそんな定説的な人物像に一石を投じる様な死に際にまつわる噂、それらの検証に始まり、同島で戦後に表舞台に出ることもなく散っていった多くの英霊、長く伏せられてきた父島(小笠原兵団の管轄地)での捕虜に対する非人道的な扱いなどに触れる。表の文面だけに触れてきた私には非常にショッキングであり、反面非常に興味深い内容でもあった。できれば「散るぞ…」は先に読んだ方が良いが、戦時下での異常性を知るという意味では本書から読むのもありだろう。そして読み進める中で出くわすバロン西こと西竹一中佐の死にまつわる話は涙なしには読めない。
最後に硫黄島を訪れた両陛下の詠まれた歌は、ページをめくる手が震えてしまう。筆者は死の島のイメージから確かにそこに命を輝かせた「兵」たちの姿を白鳥の姿に見る。この流れる様な構成には涙を拭うこともできず、ただ身を任せるだけだった。心震える。
投稿元:
レビューを見る
「散るぞ悲しき」の完結編
今なお1万3千柱の遺骨が残る南海の孤島、硫黄島。両陛下が硫黄島に捧げる祈り、本書はそれで終わる。
「散るぞ悲しき」の取材のため、私は、平成16年の12月にこの島を訪れたが、そのとき、この日本にこんな場所があったのか衝撃を受けた。
約2万人の兵士が戦死したが、そのうち1万3千名の遺体はいまも見つかっておらず、戦闘中、米軍によって出入口がふさがれた地下壕に閉じ込められたままになっている。
銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年(いそとせ)眠るみ魂(たま)かなしき
硫黄島で皇后が詠んだ御歌である。
宮内庁の発表に、「両陛下がお気持ちを示した」とある場合、そこには皇后の意志もかなり含まれていると考えるべきだという。
玉砕の島を天皇が訪れるのは、史上初めてのことだった。
ふるさとを遠く離れて亡くなった兵士たちが、神話の中のヤマトタケルに重なった。
皇后がヤマトタケルの神話に言及していることに気づいたのは、硫黄島から帰った後のことである。
皇后は、「父のくれた古代の物語の中で、一つ忘れられない話がありました」として、ヤマトタケルとその后であるオトタチバナヒメの物語を紹介している。
ヤマトタケルにとって最後となる東国への討伐の旅の途中、海が荒れて船を進めることができなくなったとき、同行していたオトタチバナヒメは、海神の怒りを鎮めるため入水する。夫に使命を遂行させるため、望んで生贄になったのである。
そのとき、オトタチバナヒメは、こんな別れの歌をうたう。
さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも
しばらく前、枯野の中で敵に火を放たれたとき、燃え盛る火の中でヤマトタケルが自分の身を気遣ってくれたときの嬉しさと感謝。それを最後に告げて、オトタチバナヒメは死んでいくのである。
銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年(いそとせ)眠るみ魂(たま)かなしき
この歌を知ったとき、すぐに思い浮かんだのが、栗林中将の辞世である。
国の為重きつとめを果たし得で矢弾(やだま)尽き果て散るぞ悲しき
渡島前に硫黄島の戦いについて詳しく学ばれた両陛下は、戦史に必ずといっていいほど、引かれるこの歌を知っていたはずである。
硫黄島で詠まれた天皇の御製は次のようなものであった。
精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
両陛下が揃って、「悲しき」で終わる歌を詠まれたことは、私には偶然と思えない。
この御製と御歌は、49年の時をへだてた、栗林への返歌のように思えるのである。
目次
まえがき
ドキュメント 1 栗林忠道 その死の真相
ドキュメント2 三人の若き指揮官の肖像
ドキュメント3 バロン西伝説は生きている
ドキュメント4 父島人肉事件の封印を解く
ドキュメント5 美智子皇后 奇跡の祈り
わたしの硫黄島 あとがきに代えて
ISBN:9784166607617
出版社:文藝春秋
判型:新書
ページ数:232ページ
定価:800円(本体)
発行年月日:2010年07月
発売日:2010年08月05日第2刷
投稿元:
レビューを見る
硫黄島関連の本をまたしても読んでしまった。
本のタイトルにある、栗林中将の最後は本書の1篇でしかなく、他は硫黄島にまつわる独立した外伝ともいえる4編で構成されている。
いつもの綿密な取材と膨大な資料の読み込みに裏付けされた、80年前に何があったのかを多角的に掘り下げ、その全体像をあぶり出す内容で、改めて梯さんの仕事ぶりに感心する。
なかでもとりわけタブー視され忌避されているであろう、捕虜を殺して食べた事件に迫る「ドキュメント4、父島人肉事件の封印を解く」はショッキングだ。
戦意高揚のため敵を食ってやるくらいの気持ちでなければ勝てないという現場のリーダーとしての立場や信念もわからなくもない。グアムの軍事裁判での開き直った首謀者の態度はいかにも軍人らしく、嘘をつく部下や罪をなすりつける卑怯者もいる。戦争という極限状態に置かれた人間だから仕方ないと割り切ることなどできず、今も昔も会社や組織内で、立場やパワーバランスと私的な感情が絡み合う中で、人がどう振る舞い、どう行動するかが当時と全く変わっていないと感じる箇所が多々あり、少々恐ろしくなる。
投稿元:
レビューを見る
あとがきの司令部壕を訪れた時の話が印象に残った。
死んだ、のではなく、生きた。
生きた時間、空間に心を寄せて、知る、学ぶ。
でんでんむしの悲しみも読まねばと思った。