紙の本
名前のない町と子どもたち
2021/09/26 13:40
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ABCDというぶっきらぼうな語り口と、固有名詞を排した街並みが不思議な味わいです。小さな少年少女たちの中にも、宇宙空間のような広がりを感じました。
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ずっとそっけなくまた落ち着いて語り続けてきた言葉の最後のページをめくると、ずらりと並んだ名前の列を目の当たりにして、こころが締め付けられると同時に急激にふくらんで、粉々にくだけて空へのぼって星座になった。かつてAでありBでありCでありDであった人たち。装丁のすばらしさ。頭がじーんとしている。
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句読点もカギカッコもなく段落もほとんどなく、名前も小説に出てくるような名前ではなく。読み進めていくのにかなり集中力を必要とした。
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なんて不思議な文章群なんだ!
詩のように書かれた文章らは視聴覚的な効果も狙ったものであり、話の内容は簡単に文脈が見出せないもの。
登場人物は固定されながらも入り乱れ、一人称を語るストーリーでありながら抽象的。そして話は繰り返す…
連想させるのは、「思い出」だが、そこに共感や実体験の投影を容易にはさせてもらえない。
うん、不思議だ。悩ましい小説である。
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Dのおへそを地球だとするとちょうど木星の軌道上に風船がある。午前中まで天井にくっつくように浮いていたのだがいまはこのように畳に触れるか触れないか微妙なところである。テーブルには麦藁帽子がひとつあってそれを土星とみなすことができる。すこしへこんでいる。遠く部屋のすみっこでゴミ箱がたおているのはボールがあたったせいかもしれない。ゴミ箱をたおして扉にあたってはねかえってボールは天王星の位置までもどってきたのだ。鼻紙が小惑星のごとくちらばっている。昨日ずっとさがしていたビー玉がころがっている。これが海王星というわけだ。Dのすぐ上にある糸で吊るした飾りは金星と水星。くるくるまわっている。カレンダーには大きなひまわりの写真がまるで太陽のようにかがやいている。赤いマジックでしるしのあるところがDの誕生日である。今年は火曜日だ。Dの手がおなかのうえにのって親指がちょうどおへそのとなりだ。爪がのびている。その爪が三日月となってこの小さな太陽系がほぼ完成した。わずか五分しかもたなかった本当に小さな太陽系だ。
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ABCDという人物のそれぞれの一場面一場面を区切るようにして紹介されていく。
どうやら彼ら彼女らは子供たちのようなのだが、
最後までぼんやりとした形でしか彼彼女たちは紹介されない。
しかしそれでいてなぜだか彼ら彼女たちの姿がぼんやりと形作られていくところ、頭の中に描かれていくところにすごさを感じた。
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110504*読了
情熱大陸で名久井直子さんが装丁を手がけられていると知り、そこから興味を持って図書間で予約。数ヶ月を経て手元にやってきました。
AとBとCとD。うーん、不思議。今までに読んだことがないタイプの展開で、私はちょっと苦手かな。わからなすぎるのもね。
子ども時代の懐かしさをひたひたと感じられたのはよかったです。子どもにとっては目に映る世界が全て。あの頃を思い出すとちょっぴり切ない。
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高野文子読んだ気持ちとそっくり。関係ないけど、どこかで袖すりあったり。生きてるのか、死んでるのか、人のときもあるし、猫とか、胎児のときもあるし。ばらばらでも、線でつなげると、形になるかんじです。
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新しい文学というのだろうか、非常に実験的な作品。「A」「B」「C」「D」という抽象的な名前を付けられた登場人物たちが、数ページのユニットの中で、それぞれの物語を展開する。しかしながら、それらの物語には一般的な意味でのつながりや、関係性というものは一切見当たらず、突然「A」の話から「B」の話へ、そして「C」の話、「D」の話へと転換していくのだ。ここでは文脈や時間経過はあまり意味を成さない。並列されたひとつひとつのユニットをどう味わうのかが試されている。 新しい文学ってのは難しいもんだと思った。こんなことを感じるのはあの青木淳悟の「このあいだ東京でね」以来だな。何を味わえばいいのかという疑問が残るのだが、途方にくれずに、裏表紙に記された豪華な装画執筆陣による星座図でも眺めるというのも一考だ。
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とてもすき。読んでいるあいだ、すごく公平で残酷な視線が、ずっと頭の片隅にありました。人間のDも猫のDももういないDも、現在のCも過去のCもいなくなってしまったCも、子どものBも思春期のBもBには見えないBの姉も、あの子の冒険もあの子の成長もあの子の生もあの子の死もただかれが笑ったそれだけの出来事も、星座からの視点ではすべて等価な大きさに見えるんだ。
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新聞書評で気にかかった。書評はネタばれを気にしているのか、内容不明。なのに、面白そう。
で、読んでみた。わざわざ本屋で取り寄せてまでして。止めときゃよかった。A,B,C,Dの子供たちが出てくるが、それぞれ関係ない様子。時間の流れはない。繰り返しが多い。意味があると思えない。A=Aなのかも不明。人間なのかどうかも怪しい。実在のものじゃないのかも。なんとなく雰囲気はあるけれど、時間の無駄だった。
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私たちは、空に無秩序に浮かぶたくさんの星達を、見えない線で好きにつなげて物語を空想する。それと同じように星達だって、地上の私たちを好きにつなげて眺めることが出来る。
始めは散り散りに散らばっていた文章が、読み進めるにつれて見えない線でつながり、大きな星座を形作る。
文章が語ること自体は、星のまたたきのように一瞬のことにすぎないのだけれど、視点を変えて高いところから眺めたら、なんて素敵なことばかりなんだろうと思えた。ページの向こう側に無限にひろがっていく世界を感じた。
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服がうまく脱げなくてばんざいの状態で動き回るA。
スカートがふわっとするのがお気に入りのB。
紙パックに口をつけて飲んで、コーヒー牛乳をこぼしてしまうC。
兄のおさがりの洋服が不満なD。
子供のほんの一瞬の表情と感情を思いがけず目撃してしまったみたい。
ちょっとドキッとする。
あっという間に失われてしまう時間と命に切なくなる。
何回も登場するAとBとCとD。
でもどうも同じ人ではないみたい。
人ではなくて猫だったり犬だったりもするみたい。
最初からずっとAは一人の決まった人のことを書いていると思いこんでいて、つなげようとするのだけどつながらない。
BもCもDも同じ。
もっとのんびり、1場面1場面を大切に読めば良かったな。
また忘れた頃に読み直したい。
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「Aはとびだした。それ以上がまんできなかったのだ。たった五分だがながいながい時間にそれは思われた。」
Aは何者なんだろうか。小さな男の子のようだけど・・・と思う間もなく、短いセンテンスでB、C、Dと移っていく。一章以外はこの流れの繰り返し。同じような場面がくり返されたり、続きのようだったりしながら話はどんどん流れていく。
そもそも同じ記号で語られている人物が、同一人物なのかも曖昧だ。明らかに矛盾する記述もあったし、猫じゃないのかと思われる描写もある。誰でもいいし誰でもあり得る、星のような大局から見ればそんな感じと言ったところなのだろうかな?
そして装画として並べられた三十二名もの名前。本文中には固有名詞が一切出てこないだけにインパクト大。
独特の文章と言い、私の感性では手に負えない話だった。
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装丁が可愛くて買った。(後日、装丁家名久井さんのドキュメンタリー番組で紹介されてた)しばらく積んでて、今日読み終わったところです。
段落の感じが何か法則ありそう。でもちょっと読んで法則性がつかめず、また一から読み直してみるものの、想像できるキャラクター像が一致しない。このコらは子供?大学生?ネコ?イヌ?
何回か戻って読み直したけど結局つかめず法則性は諦めて最後まで読んだ。変に頭を使いました。帯の紹介を読んでやっと何となく納得。私にとっては帯がないとこの本は救われなかったかも。
「星座から見た地球」ですが、法則性があるように見えるけどそれぞれのお話はてんで自由気ままで、星々が互いに関係のないものなのに、人間が勝手に結んでしまった星座を見たような気分でした。この感想はタイトルを見直した時に感じたこじつけかもしれないけど。アートな小説でした。
20131105