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「今泉棚」とリブロの時代 みんなのレビュー

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紙の本

今泉棚って何のこと?かって、夢のようにあり得た書店のトポス

2010/09/15 09:35

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 少なくとも、もう20年前の書店伝説ではないか?本好きの若者にとっても、現役で働いている若い書店員にとっても『今泉棚』がいまだに生きた言葉として流通しているかどうかわからない。でも、数年前、本屋でアルバイトしていた女子学生が『伝説の「今泉棚」に思うこと』というタイトルでブログ記事をアップしていたことがありました。棚構成も任されていたのですが、そのモデルとして「今泉棚」があって棚を一つのマンダラのように作り上げたということでした。面白いことに彼女は、いつどこで「今泉棚」のことを知ったのか記憶が定かではないと書いていたことです。
 地方から出て来た彼女のビビッドな脳内にインプットされていたキーワード「今泉棚」が果たしてゼロ年代の若者達にとって有効であるかそんな疑念があったけれど、「小さな連鎖」として「今泉棚」が地下水脈の如く生きているという嬉しい発見がありました。 ただ、このエピソードは例外中の例外だと思います。
 「西武セゾン文化」が1980年代の表象として語られ、バブル崩壊と軌を一つにして陽炎のように消えていったのを上野千鶴子は『ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書)で、セゾングループの総師だった堤清二(辻井喬)にインタビューアーとして果敢に迫り、巧みに「セゾン文化は何であったのか?」と言う話を引き出していたが、そもそも、「今泉棚」とリブロの時代」も「西武セゾン文化」装置の中でサイズは違っても同じ時代、新しい「知」、「文化」の到来を告げるパラダイムの前衛としての幻想をばらまいたことは疑いがない。
 それが本物であったか、まがい物であったか、それを20年後の今の時点で検証してもあまり意味がない。社会学者やライター達が特に1980年代を語る場合に「セゾン文化」として参照されることも多いが、単なる一企業の枠を越えて街の風景を変え、良くも悪くも知的にも身体的にも若者たちに感染力を持っていたことは疑いない。
 「今泉棚」もそのような「セゾン文化」という大きな物語の中で燦然と輝くマジックワードだったかもしれない。
 本書のインタビューアー・構成者の小田光雄はバブル崩壊後に段々と消えて行く教養としての「近代読者」から消費者としての「現代読者」としての変遷を核とした出版流通本『出版状況クロニクル』シリーズを観察刊行しているが、小田の今泉に問う言葉の端々に「かって、夢のようにあり得た書店のトポス」を「今一度…」と熱い読書人の思いの丈が伝わってくる。
 所詮、消費者民主主義の担い手であった「セゾン文化」は哲学も思想も、読者人も消費し尽くそうとしたわけですよ。
 バブルの蕩尽を背景にそれでも、目に見えない何かかもしれないが、何かが産み落とされたかもしれない。食い散らかされ味わい尽くされても排泄物として腐臭を放って残るものがある。本書で今泉の言う「バタイユ的蕩尽」とはそんなアナーキーな逞しさかもしれない。
 今泉の「今泉棚」は本書を読む限り、リブロ池袋店の前史として、浪人・学生時代、そして、就職したのに「キディランド」でのユニークなキャリア、堤清二の伴走者小川道明の引きがあって、「前橋西武店」にトラバーユ、「セゾン文化」とは別のローカルで厚みのあると同時に世界性を持った地下文化へも接続するアンテナを「リブロ池袋店」に装填したわけです。
 そんなリブロ池袋店長今泉正光の次の店長としてかって、キディランドにも同僚として働いた田口久美子(現ジュンク堂池袋店副店長)が『書店風雲録』で今泉を時にはユーモラスに観察記述しましたが、本書と合わせ技で読むと互いに共鳴しあって面白さが倍加することは間違いない。
 バブル崩壊、オウム事件、神戸淡路の震災を経て、「1980年代」は虚構だったのか、「セゾン文化」って蜃気楼のようなものだったのか、そんな見取りが僕にあるのですが、「今泉棚」は実体があったと確かな手応えがあるのです。
 82年の上野千鶴子の『セクシィ・ギャルの大研究』、83年の浅田彰の『構造と力』がニューアカデミズのはしりとなるみたいですが、田口によると『構造と力』で今泉は出版業界にサプライズなデビューを池袋店で飾るわけです。その一貫の大きなフェアが「新しい知のパラダイムを求めて」だったわけです。
 《その企画を百貨店の催事予算を出す販売促進部に持っていったら、販促部長からそれは「パラダイス」の間違いじゃないかと言われ、アメリカの科学思想家のトーマス・クーンが『科学革命の構造』(みすず書房)の中で、その時代に固有な思考の枠組のことを「パラダイム」とよび、そこからとっていると説明したという有名な話ですね。(p78)》
 小田が紹介している今泉にまつわるエピソードは本書にも多々ありますが、僕が知る限りでも「尋常でない人」って言う印象があります。何故かどんな場所でもフォーマルな背広にネクタイ姿しかお目にかかったことがなかった。真偽のほどはわからないが、出版社の営業マンが別の会社の店を覗いていたら、今泉が棚の整理を黙々とやっていたとか、どうやら、休みの日にお客さんとして本屋に寄ったのに、自然と身体が反応して「今泉棚」つくりに精を出したということでしょう。営業マンに声をかけられ、ふと我に返った。あり得るエピソードです。他店で万引き犯が掴まってその若者が哲学好きとわかると、「哲学談義」を延々とやって若者が音をあげたとか。
 「過剰に真面目な人」かも知れない。そんな今泉が語る本だから、出版業界という狭い世界での出来事としてマニアックし過ぎて面白くないのではないかと言う懸念があっても、今泉という人物像がそんな懸念を吹き飛ばしてくれる。「セゾン文化」がポストモダンな実体のなさを感じるのに彼はとても人間臭い「アナログな男」だという印象がある。本書にそんな男の今泉がリアルに登場するわけです。
葉っぱのブログ

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紙の本

こんな時代があったのか

2023/12/27 15:59

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る

個性的な棚作りで一世を風靡したリブロ。その人文書の棚を作った今泉正光へのインタビューである。あの頃を知る人にとっては非常に懐かしいだろう。日本の現状を考えると、かつてこんな時代があったのかと溜息がもれてしまう。

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