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詩とは「世界」が発するイメージ言語であり、例えばアイヌにとってはその言語を聞く事、また聴けるようになることが、自らの生存に直に関わるものであった。すなわち詩というものが生そのものであったといえる。そのような世界が発する「詩」を聞けるようになることが、人間として生長していくことでもあったのだろうか。そして漸次的な詩の発見は、世界との接近でもある。世界と接近しない限り、彼らの「生」は実際的に成立、担保されることがなかったことが推定される。そこには死を目前とした生の在り方が見え隠れする。
物語や言い伝えというのも、共同体が生き延びていく中で、次第に構築されていった、世界解釈のひとつの術であるということが出来る。そのようなある種の「神話」は、人の営みには不可避な「悲劇」や「矛盾」への意味づけを約束してくれるものであったといえる。
「詩」というものを明確に定義づけするのはやはり困難なことではあるが、基本的には歌であれ、なんであれ、「詩」というのは世界がこちらに寄ってきた時に落とされた言語ということになるのであろう。それは自我の放棄においてのみなされる、深化である。
ボルヘスが今後の詩人に対して、「創造主」としての役割を期待していると述べた文面をここで捉えなおすとすれば、それが抒情であれ、叙事であれ、「生」をより深く探求し、世界のイメージ言語を聞きつけるものとして、「神」や「世界」「自然」と「人間」との媒介役を担うことの必要性を叫んでいるのではないかということが推察される。つまり生きることは、そもそも「向こう」側にあるもので、その「向こう」にあるものを、言語として提示し、生の中に織り込んでいくための初期の役割を、詩人は担っていく必要があるのではないか。
○以下引用
かつて、人々の多くは、畑仕事に、魚撮りに、狩りに、外に出て自分たちを取り巻く世界と直接対峙し、その日々の移り変わる姿を見ながら、そこから色々な意味を読み取って生活した。その変化をどう解釈するかは年長の人たちが教えてくれ、また自分の経験をそこに加えて考えていったのであろう。
彼らはまた、世界を聞いていた。鳥の声や、虫の声などは、それぞれが意味を持つことばとして彼らの耳に届いた。
人間は世界と対話し、恩恵を受け、脅威を避け、救助を求め、また過ちを正させ、取引を行う。世界は刻々と姿を変え、人間はそれに応じて対処しなければならない。そのための知識や知恵は、夜、家に戻った時に、囲炉裏を囲んで語られる言い伝えや物語を通じて与えられた。それを聞いて世界に話しかけるための、語りの技術を学んでいった。
かつて和人は、今よりももっとずっと、人以外のもの、目には見えないものに語りかける機会が多かった。