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スポーツノンフィクション作家 阿部珠樹氏による、相撲界の八百長問題をテーマにした一冊。八百長問題を事前に予想していたと言えば、シカゴ大学の教授による『ヤバイ経済学』が有名であるが、こちらの本も発売は2010年9月。野球賭博の問題は取り沙汰されていたとはいえ、ここまで八百長問題が表面化していなかったことを考えると慧眼である。
◆本書の目次
序章:野球賭博と八百長はなぜ、なくならないのか
弟一章:各界の黒い霧―野球賭博の闇
第二章:プロ野球と黒い霧事件
第三章:ブラックソックススキャンダル
第四章:馬敗れて草原ありや
第五章:大相撲と日本人
「賭博は八百長のゆりかご」という言葉があるそうだ。賭博で胴元に莫大な借金を作った力士に対し「今日のこの勝負で転べば、おまえの借金全額をチャラにする」と甘いを誘いをかけて八百長を促すという行為が、相撲に限らず多かったからである。この場合、勝負の当事者以外に利益を得るものが存在しているかというところに、善悪を判断するための大きな争点がある。胴元の実体である反社会勢力や、それに関連する企業をを太らせたという点において、黒い八百長と判断されることになるからである。
一方で著者のスタンスは、やみくもに「悪い膿を出し切れ」「抜本的な改革を」とだけ叫んでいるわけでもない。そこにスポーツに関するプロフェッショナルとしての視点があり、興味深い点でもある。著者がもう一つの争点としてあげているのは、「粋」という文化についてである。
有名な江戸落語に「佐野山」という演題がある。全盛時の横綱 谷風に対し、母が思い病気になり、看病のため稽古もままならなかった佐野山という力士が挑むことになる。いよいよ、顔合わせ、土俵に上がると谷風は佐野山に笑いかけ「親孝行に励めよ」と小声でささやく。佐野山は涙を流しながら谷風に逆転勝利する、という噺である。この噺はフィクションであるそうだが、どこまでが八百長で、どこまでが人情の機微と言えるのか、そう単純な話ではないのである。
実在の話としては、1963年秋場所千秋楽、大鵬と柏戸の一番があげられている。柏鵬時代などと呼ばれ好敵手であった二人は、横綱になると歩みが対照的になり、優勝を重ねる大鵬に対して、柏戸は休場になることの方が多かった。この一番、柏戸が勝つことになるのだが、場所後、石原慎太郎氏が八百長であると発言し物議をかもしたそうである。その真偽のほどは定かでないのだが、実力は大鵬、勝たせたいのは柏戸という判官びいきの空気があったことは確かであったようだ。そのため、人間的要素、それぞれの事情で勝敗を調整してきたのは、江戸の昔からの「暗黙の了解」ではないかという論調もあったと言われている。
相撲というスポーツが、スポーツ的要素も含んだパフォーマンス、広い意味での芸能であると、著者は主張する。それが事実だとすれば、それは、その中に八百長が内在するということも意味する。仮に金銭を伴った星のやり取りがあったとしても、第三者が介在しない限り被害者はいないし、ガチンコ相撲が迫力十分で面白いとも言い切れないのである。すべてをクリ��ンにして、現代スポーツの一つとして生まれ変わるのか、国民的スポーツとして「江戸の粋」を残すのか、見る側に委ねられているところも大きい。
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スポーツマンシップそのものがそもそも存在していない空想の概念。ルール以内なら何をしても勝てばいいというのがそもそものスポーツの発想。その点著者の解釈に違和感。
ただ内容は面白かった。どこかで聞いたような話もあるが、より詳しく野球、競馬、相撲の八百長の仕組みが載っている。
そこには必ず第三者である胴元が存在し、その胴元に付け入る隙を与えるような原因が存在することがキッカケとなっている。
例えば原辰徳の美人局事件では、こうやってステータスのある人間が愛人を作ることによって隙が生まれた。女が最初からヤクザの情婦だったかは定かではないが、隙を作ることでそこに付け入るヤクザが介入する。公にしたくない原辰徳は1億円を支払うか、八百長賭博に加担するかを迫られると。
おおまかに言うと八百長の構成はそんなとこ。
より詳しい八百長の仕組みは本書を読んで下さい。
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大好きな阿部珠樹さんのノンフィクションというか八百長考察。
正直つまらなかった。阿部さんの文章が好きで、よくナンバーでは唸っていた。とくにアスリート心理と文章の起承転結が好きだった記憶がある。が、今回のは取材も少なく、引用引用。
さすがにね。
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大相撲の八百長が発覚した2011年の前年、野球賭博問題で琴光喜関らが引退した際に発売された本。2011年の件をふまえて続編的なものがあるのかと思って調べたけれど、特になにもなさそう(阿部さんがどこかで何かを書いている可能性はある)。
抽象的に「悪」とされがちな八百長について、しっかりと「八百長とはなにか」というところから議論を進めているのがよい。参考文献についてもしっかり引用した上で日米の野球での賭博事象に触れており、その意味でも内容に信頼も持てる。
この当時は「無気力相撲」という言葉はあまり広まっていなかったのか、そういう言葉は使われていないが、2011年の議論の際に無気力相撲と八百長の関係が問題にされたことについて、この本はしっかりと先取りして議論ができていた。その意味でも、非常にしっかりした本。
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スポーツ・ノンフィクションものを久しぶりに読んでみようとブクログで探していたらたまたま行き着いた本。
読み終えた後に、他の方のレビューを読んで、この本が出た翌年の2011年に「大相撲八百長事件」が起こり、大量の処分者を出したことを知った。(当時海外にいたのでほとんどこのニュースを見た記憶がない。)
大相撲に八百長があること自体は、アメリカの経済学者(ヤバい経済学の著者スティーブン・レヴィット)が統計学的に「証明」していたと思うし、観戦しているものの感覚とも特にズレはないものと思う。
本作冒頭の、落語の「佐野山」の解説で、情に絆された大横綱(谷風)が落ち目の佐野山に(横綱の権威を汚さないよう上手く演出した上で)勝ちを譲って、「親孝行に励めよ」と叱咤することをよしとする点、非常に合点が行く。
賭博が絡まない場合には、多少星のやり取りをしても、被害者は実質おらず、被害者がいない以上罰する必要はない、というのが、日本人にとっては普通の感覚だろうと思う。
全5章中の4章に、競馬における八百長の考察もあるが、世代的には、田原成貴の「サルノキング事件」の本人解説が面白かった。一流同士の駆け引きを、素人がギャンブルに負けた腹いせに後付け論評するナンセンスさがよくわかった。