紙の本
こんなおもろい本はないで! 関西弁で語りつくしたホンネの放談集は、本質論をズバリ語った「梅棹忠夫による梅棹忠夫入門」になっている
2010/09/19 12:11
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年(2010年)7月、残念なことに、知的世界の巨星がまた一つ墜ちた。老衰のために90歳で亡くなった梅棹忠夫である。
この本は、戦後日本の「思想」をリードした知的巨人の、死の直前まで語り通した回顧録である。
関西弁で語りつくしたホンネの放談は、しかしながら本質論をズバリ語って尽きることがない。時代の証言者として、昔の話をする際のライブ感が実にすばらしい。目の前でその光景が見えるようだ。
学者としての業績として残された梅棹忠夫の著作集は実に23巻にも及ぶものだが、その人生はまた、挫折とその克服によってまっとうされたものであることも語られる。山歩きにのめり込んで授業に出なかったために放校された三高時代から始まって、日本隊が初登頂を実現したマナスル登頂計画の前にして肺結核で二年間療養、学者としては致命的な両目の失明、と挫折につぐ挫折も経験している。
しかし、「困難は克服するためにある」という精神力がそれらを乗り越えさせてきた。このように、人生論としても実に骨太で、まさに知恵のかたまりの一冊にもなっている。
梅棹忠夫というと『知的生産の技術』という連想しか思い浮かばない人も、『文明の生態史観』や『情報産業論』など主要著作を読んできた人も、梅棹忠夫については何も知らない人も、この本はぜひ読むべきだと強く薦めたい。番外編であるこの本は、すぐれた「梅棹忠夫による梅棹忠夫入門」になっている。
こういう本が、日本経済新聞社から出たということの意味は実に大きい。もちろん、対象とされたビジネスパーソンだけでなく、広く一般に読まれて欲しい本である。ホンネをいうと、ぜひ本という形ではなく、ライブで見たかった対談だ。
「こんなおもろい本はないで!」といっておこう。読めば絶対に元気になることを保証します。
紙の本
売れる本には、わけがある!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2010/11/10 10:45
15人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
梅棹忠夫といえば『文明の生態史観』である。父の勧めでこの本を読んだ私はほとんど驚倒した。その発想の天才ぶりに衝撃を受けた。本書は、その梅棹忠夫が最晩年に弟子の小山修三との対談をまとめたものである。
梅棹忠夫が天下の大秀才であったことは、彼が旧制京都府立一中(現京都府立洛北高校)を四年で修了し旧制第三高等学校に入学した、いわゆる四修組であったことからも見て取ることが出来る。私の父は旧制東京府立三中(現東京都立両国高校)から旧制第一高等学校に進学しているが、彼は四年時の受験では失敗し、一高に合格したのは五年生の時である。三高に進学した梅棹は山岳部に入り、部活に没頭する。没頭するあまり三高を二年も留年し、一時放校処分にさえなった。ところが高校2年の分際で山岳部のプレジデントになっていることが学校側に知れると「なぜ、それを早く言わん」ということになって梅棹は三高への復学を許される。二年も滑ってギリギリ放校処分を免れて復学を許された梅棹は、復学と同時に教室の最前列に陣取って「まじめに授業を受けた」。すると大秀才の梅棹はメキメキと頭角を現す。曰く「あんな三高の授業なんて何でもないわ(笑)。かなり優秀な成績で卒業にこぎ着けたという。
本書の最大の魅力は、大天才梅棹の歯に衣着せぬ物言いと、その透徹した人物評、世界観である。以下、その主だったものを引用する。
「日本がアジアやなんて、アホなことがあるか」「カルカッタの雑踏と東京の空港の清潔さ、簡素さ。それはすごい違いです」「信じられないような話やけど、中国で二年間生活してたとき、朝、研究所への通勤途中、道端でウンチしている(中国)人がいっぱいいた。ほんとうにすさまじい社会やった。道端に(中国人の)男がザーッと並んで、ウンチしているんです」「わたくしは二年いたから、中国のことはよく知っている。中国30州を全部自分の足で歩いている。向こうでわかったんだけど、中国というところは日本とはぜんぜん違う。なんというウソの社会だということや。いまでのそのことは全然変わらない。最近の経済事情でもそうでしょう。(ギョウザ事件を見ても分かる通り)食品も見事にウソ。ウソというと聞こえが悪いけど、要するに「表面の繕い」です。まことしやかに話をこしらえるけれども、それは本当ではない」「中国を信用したらアカン」
「四国の人が関西に行儀の悪さを持ち込んでいる。(四国の人は)野蛮で、行儀が悪い」
「だいたい(学者は)時評をやるからおかしくなるんです。時事評論みたいなことは、学者としてやったらいかん」
「芥川龍之介の作品はおもしろいけれど、紀行文はつまらん。上高地紀行があるけれど、あんな壮大な景色をみて、全然感動していない。見えてないんや」
「日本政府は唯物論政府や。ポスターを作るのに紙代と印刷費は出る。だけど、デザイン料がついてない。デザインという概念がなかったんやな。知的生産というのを、頭から認めてなかったんや。知的とかそういうデザイン的なものを、全部タダやと思っている」
「博士号は運転免許や。学者は学位がなかったら無免許運転やぞ。博士号は足の裏についた飯粒や。取らな気持ち悪いし、取っても食えん」
新渡戸稲造が書いた「武士道」という本なんか、どう思うんですか?
「読んでへん」
「ヨーロッパの連中が、日本でスキーができると言ってびっくりしてね、彼らはアジアは南の国と思っている。わたしから言わせてもらえば、日本は北国です。日本人も忘れてる。ほんとに、アジアから帰ってきたら、東京についたとたんに、うわー、北国へ帰ってきたというのが実感だったな。日本はほんとに寒い。あのカルカッタの蒸し暑さ、バンコクのことを思ったら全然違う。あれがアジアであって、それに比べたら、日本はほんとうにアジアと違います」
「日本の森林はすごいんやで」
丸山真男さんが京大に講演に来られたとき、途中で席を立って出てしまって。。。
「こんなあほらしいもん、ただのマルクスの亜流やないか。(丸山真男は)ものすごく陽気でいい人物だった。おもしろい人やったね。でも、話はつまらん。あんなものは、理論的にマルクスを日本に適用しただけのことで、何の独創性もない」
(戦争で負けたあと、日本中が意気消沈しているなかで)梅棹さんは、日本はこれから伸びると説いて回り、旭日昇天教と言われた。
「はい、旭日昇天教の教祖になった。みんな何を言うとんねん。いっぺん戦争に負けただけやないか。戦争なんてものは勝ったり負けたりしているわけで、それをいっぺん戦争に負けただけで、日本がなくなったなんて言うのがいた。でも、日本はなくなっていない。滅んでもいない。国民もいるやないか。日本国家はだいじょうぶや」
いいリーダーの条件とは?
「フォロワーシップを経験し理解することやろな」
投稿元:
レビューを見る
第1章 君、それ自分で確かめたか?
第2章 文章は誰が読んでもわかるように書く―記録と記憶の技術(1)
第3章 メモ/スケッチと写真を使い分ける―記録と記憶の技術(2)
第4章 情報は分類せずに配列せよ―記録と記憶の技術(3)
第5章 空想こそ学問の原点
第6章 学問とは最高の道楽である
第7章 知識人のマナー
第8章 できない人間ほど権威をかざす
第9章 生きることは挫折の連続である
エピローグ つねに未知なるものにあこがれてきた
論じられている内容も、高校時代に放校されかかった話(山岳部として年間100日も山に登っていた)や、時代の寵児としてテレビに出まくっていた頃のお話などさまざま。
ただ、当ブログの読者さん的には、第2~4章の「記録と記憶の技術(1)~(3)」あたりがツボかもしれません。
「写真よりも図を描く」という話のところでは、先生直筆のスケッチが掲載されているのですが、これがまたかなりお上手。
何でも絵は子供の頃から上手かったそうなので、まぁ絵心のない私が真に受けてもしょうがないかな、とか(今なら、デジタルで写真を撮ったものに、そのままメモ書きもできるでしょうし)。
それ以前に「メモは読めるように書く」というのが、当たり前とはいえ、改めてグサっと来ましたw
◆そして、名作『知的生産の技術』誕生のくだりも読みどころの1つ。
当時は「工業技術以外に技術があるとは誰も思っていなかった時代」というのは、言われてみれば、確かにそうなのかもしれません。
梅棹 とにかく、活字人間には、放送みたいな雑な仕事はたえられんな。(中略)
切ったり貼ったりの編集が、発言者の最終確認をとらないでやられてしまう。本だったら、最後の最後まで、ここ削ったり、ここは誤解を生むからちょっと足したりってできるけれど、テレビやラジオでは、それは発言者にはできない。だから責任が持てない。
小山 その発言も、梅棹さんなんかであれば、話すときには、ちゃんと予稿をつくって演説するでしょう?
梅棹 あれは思想の媒体ではないな。
梅棹 どこかでだれかが書いていたんだけど、「梅棹忠夫の言ってることは、単なる思いつきにすぎない」って。それはわたしに言わせたら「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということやないか」ということ。それを思いつきにすぎないとは、何事か。
1.文章は単文の連続で書く
小山 民博が始まった頃、若手を登用して新聞連載をしようとして、「途中で投げ出してしまった」と言ってたでしよ。何が悪かったんですか?
梅棹 みんな、むつかしい文章、書くからや。複文というのはわかりにくい。単文の連続で書かんと。
小山 だけど、むずかしい文章を書いたら、かっこいいじゃないですか(笑)。
梅棹 それがいかん。それが一番だめなこと。「かっこええ」と言うけれど、科学はかっこうではできない。われわれの仕事は芸術と基本的にちがう。芸術的にすぐれているフリをしたらいか��。そんなことは、われわれにとって、どうでもいいことや。
■2.メモは自分があとで見てわかるように書く
小山 梅棹さんのノートを見ると、きっちり楷書で書いてあるんですよね。(中略)
これもやっぱり科学的な秘密のひとつなんでしょうか。きっちりわかりやすく書く。くずし字しない。
梅棹 メモでもノートでも、あとから自分が見てわかるように書かなあかんわな。
■3.写真では細部の構造がわからないので図に描く
梅棹 そう。写真ではあかん。写真では細部の構造がわからへんのや。目で見て、構造をたしかめて、その構造を図に描くんやからね、ようわかる。
小山 目でたしかめていくわけですね。
梅棹 写生をするということは当然、そういう作業を伴う。写真ではそれがない。写真もたいへん有用、役に立つけれど、ちよっと絵とは機能がちがう。フィールド・ワークの補助手段としては、写真よりも絵のほうがずっといい。その場でシューッと線をひいて、欄外にメモが書きこめるから。
投稿元:
レビューを見る
(2010.10.30読了)(2010.10.28借入)
今西錦司さんが好きだったので、ニホンザル、チンパンジー、ゴリラの方に興味の主流があり、梅棹さんの文明論の方には、なかなか興味が行きませんでした。
それでも、大阪に勤務していたときは、万博公園へは歩いてゆける距離に住んでいたので、国立民族学博物館には何度か行き、会員になっていたのですが、あまり熱心ではありませんでした。
かろうじて、「文明の生態史観」「情報の文明学」などは読んでいますが、「知的生産の技術」などはまだ読んでいません。積読のどこかにはあるので、その内読んでみましょう。
梅棹忠夫さんは、2010年7月3日、90歳で亡くなりました。
この本は、2008年に米寿を祝う会を企画した際に、体調が悪くて出席できない場合を想定して、あらかじめインタビューをしておいて、出席できない場合に使おうということで、2008年2月から週一回、全体で15回にわたって聞き取った物ということです。
話題は、登山、探検、学術調査、民博創設、仲間たちとのエピソードのまで広がっています。(3頁)
この本は、実に親切な本で、しっかり読みとってほしい部分は、活字が大きくなっています。マーカーも鉛筆もいりません。おかげで全体の文字数は、少なくなって、どんどん読めてしまいます。
●自分で見たことしか信じない(18頁)
どんなに偉そうなことを言っていても、そんなもん、こっちは全部、既に本で読んでいるわけです。だから、所詮それは受け売りや。
自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える、これが大事や。他人の書いたものを信用していない。
●「風土」は間違いだらけ(26頁)
和辻さんという人は、大学者には違いない。ただ、『風土』は間違いだらけの本だと思う。
●中国を信用したらアカン(31頁)
中国というところは日本とは全然違う。「何と言うウソの社会だ」ということや。今でもその考えは変わらない。ウソというと聞こえが悪いけれど、要するに「表面の繕い」です。
●文章で大事なこと(45頁)
文章で一番大事なことは、わかるということ。自分でもわからないくせに、そのわからない言葉を使う。それは、飾ってるからや。
●ハードカバーが本(78頁)
日本の図書館学がいかんのです。形式主義で、ハードカバーしか本と認めない、そういう思想がある。たとえば新書みたいなものは、扱わなかった。文庫本もない。それから週刊雑誌、そんなものは一切なかった。
いわゆる展覧会の図録がない、写真集もいかん。
アメリカの図書館はペロッとした一枚の紙切れが残っている。(80頁)
●分類には意味がない(83頁)
分類には意味がない。分類はするな。
「分類するな、配列せよ」。機械的に配列や。大事なのは検索。
●放送おめかけ論(99頁)
情報というのは、作るもんやとおもっとらへん。勝手にあるもんやと思ってるのや。
●単なる思い付き(104頁)
私に言わせたら「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということやないか」ということ。
●研究経営論(111頁)
民博では梅棹さんに、「学問でさえ、経営なんだぞ、そう考えてやれ」って言われてきました。文部科学省や民間の研究助成、外国の奨学金などを取ってくることも含めて、学問は経営に他ならないと。
●博物館かくあるべし(113頁)
ふかい学識、ひろい教養、ゆたかな国際性、柔軟な実務感覚、ゆきとどいたサービス精神
●ローマ字論(138頁)
小山:ローマ字論の基本となっている考えは、伝達の簡便さと速さなんですか?
梅棹:簡単にいえば、合理主義です。その元には、漢字に対する反発があるな。インテリ道に対する反発というのか
●博士号(141頁)
「博士号は足の裏についた飯粒や」
「取らないと気持ち悪いし、取っても食えん」
●批判と非難(145頁)
批判されると、非難されたように思ってしまう。
●テレビ・ラジオ放送(158頁)
切ったり張ったりの編集が、発言者の最終確認を取らないでやられてしまう。本だったら、最後の最後まで、ここ削ったり、ここは誤解を生むからちょっと足したりってできるけれど、テレビやラジオでは、それは発言者にはできない。だから責任が持てない。
●三内丸山は都市文明(172頁)
三内丸山というのは、大発見やったんやな。あれは完全な都市文明です。整然たる街路と都市計画があるのやからね。
●丸山真男の話はつまらん(184頁)
丸山真男はものすごく陽気でいい人物だった。面白い人やったね。でも、話はつまらん。あんなものは、理論的にただマルクスを日本に適用しただけのことで、何の独創性もない。
●一差し舞える人物(213頁)
小山:「請われれば一差し舞える人物になれ」とよくおっしゃいますね。
梅棹:そうや、人には逃げてはならない状況がある。その時、ちゃんと舞って見せることが必要だ。責任を果たす覚悟と能力がいる。
☆梅棹忠夫の本(既読)
「大興安嶺探検」今西錦司編集、朝日文庫、1991.09.
「モゴール族探検記」梅棹忠夫著、岩波新書、1956.09.17
「人間にとって科学とはなにか」湯川秀樹・梅棹忠夫著、中公新書、1967.05.
「人類学のすすめ」梅棹忠夫編、筑摩書房、1974.04.10
「文明の生態史観」梅棹忠夫著、中公文庫、1974.09.10
「サバンナの記録」梅棹忠夫著、朝日選書、1976.01.20
「狩猟と遊牧の世界」梅棹忠夫著、講談社学術文庫、1976.06.30
「東南アジア紀行(上)」梅棹忠夫著、中公文庫、1979.06.10
「東南アジア紀行(下)」梅棹忠夫著、中公文庫、1979.06.10
「日本とは何か」梅棹忠夫著、NHKプックス、1986.05.20
「情報の文明学」梅棹忠夫著、中公叢書、1988.06.10
「日本語と事務革命」梅棹忠夫著、くもん出版、1988.06.20
「情報論ノート」梅棹忠夫著、中公叢書、1989.03.20
(2010年11月6日・記)
投稿元:
レビューを見る
2010年のベストかも知れない
1969の知的生産の技術
巨人がなくなった
この本は買わなくっちゃ
投稿元:
レビューを見る
2010byWhat?
---
『梅棹忠夫に挑む』中央公論社(対談集)4
『人生読本 文章』1978 河出書房新社 47
『分類の発想』中尾佐助 ⇒ 『知的生産の技術』=整理 84
宇宙線は万人にひらめきを降り注ぐ 107
やんちゃがない・・・ 144
『文明の生態史観』 160
『日本文明77の鍵』 170
---
自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える・・・ 19, 31
文章:複文を使わない 44
絵、図示 60
空想、想像力、imagination 103
ふかい学識、ひろい教養、ゆたかな国際性、柔軟な実務感覚、ゆきとどいたサービス精神 113
学問は、学ぶ、まねぶやで。まねして、まねして 115
知ることの楽しみが『学問』 124
130, 136, 145, 183, 201, 209, 212,
投稿元:
レビューを見る
第一章 君、それ自分で確かめたか?
第二章 文章は誰が読んでもわかるように書く−−記録と記憶の技術(1)
第三章 メモ/スケッチと写真を使い分ける−−記録と記憶の技術(2)
第四章 情報は分類せずに配列せよ−−記録と記憶の技術(3)
第五章 空想こそ学問の原点
第六章 学問とは最高の道楽である
第七章 知識人のマナー
第八章 できない人間ほど権威をかざす
第九章 生きることは挫折の連続である
エピローグ
あとがき
梅棹忠夫略年譜
空想、妄想でもいいから、やっぱり自分の頭で考えないといけない。多読することで知識をつけようとしているが、それだけでは人の考えをなぞっているだけか。おっしゃる通りである。あくまで自分の考えが主で読書が従。知識を得て自分のものにし、発展させよう。
投稿元:
レビューを見る
亡くなられたのはたしか今年の7月だったでしょうか。
この本を読んでも感じますが、梅棹先生はなんか飛び抜けてますね、考え方とか発想が。
「知的生産の技術」をもう一回読もうっと。
投稿元:
レビューを見る
自分で見たもの以外は信用できない。
文章で一番大事なのは分かるということ、一番いかんのは美的にかざること。
役に立つものはどんどん使え。
分類するな、配列せよ、検索が大事。
おもいつきこそ独創。おもいつきとはひらめき。
なぜ自分のオリジナルの観察を大事にしないのか。自分の経験を客観的に記述する。
困難は克服されるためにある。人生は決断の連続。決断して実行する。
リーダーは押されてなるもの。請われれば一差し舞える人物になれ。責任を果たす覚悟と能力を持つということ。
投稿元:
レビューを見る
知の巨人、梅棹忠夫、大いに語る。 追悼であります、梅棹ワールドの入門書としては最適ではないでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
梅棹の人柄もよく出ていて面白い。情報は分類せずに配列せよ、は名言だと思う。その通り。自分でその情報を使う限りは。
投稿元:
レビューを見る
対話形式なのでモロに梅棹氏の価値観が分かる。
この人はぶっとんでるなぁと思った(笑)
ただ、意外と地に足のついたスタイル、というか自分の見たことを非常に大事にする人。彼自身がものすごい行動的で、数々の功績も全てその飽くなき好奇心と洞察力、情報収集力があってこそなのだと分かった。理論偏重の頭でっかちの自分にとっては、眩しすぎる光。今後影響を受けるであろう人。去年亡くなられたのが本当に惜しいが、彼の生き方を体現したような膨大な著書は、これからも折に触れて読んでいきたい。
投稿元:
レビューを見る
晩年の梅棹さんから、もと民博の教授で、現吹田市立博物館長の小山修三さんが、他分野にわたって聞き出した記録。実は、梅棹さんはこの本の出版前に亡くなっている。ぼくは、梅棹さんの著作集まで持っているから、それなりにファンである。ここには梅棹さんの行き方、哲学のエッセンスが詰まっていると感じた。梅棹語録はどこも面白く含蓄があるが、たとえば梅棹さんは自らも早くに博士号を取っているが、かつては文化系では博士号はなかなかとれなかったし、大学も出さなかった。梅棹さんは博士号は「運転免許」とか「足の裏についた飯粒」と言う。「運転免許」はわかりやすい。まさに現在の博士号はそうである。博士号を取らなかった人が博士号の審査をすると、とてつもなく厳しくなる。これは悪弊だ。「運転免許」と思えばなんのことはない。「飯粒」のこころは?―「取らな気持ち悪いし、取っても食えん」。これも名言である。梅棹さんはラジオ、テレビというメディアに何度も出演したが、「テレビに出たら、花形になったような気になる」ことを警戒した。小山さんが言う「あれは一種の密の味」も同感だ。「テレビは思想の媒体ではない」というのも味わい深い。場合によっては、発言者の意図と違う編集がされてしまうからだ。自戒しよう。梅棹さんは、若い頃は相手に逃げるすきのない批判をしたらしい。それをたしなめたのはフランス文学の桑原武夫である。「論争は大いにけっこう。でも、自分が優勢なときほど相手に退路をつくっておいてやったほうがええなあ。そうしないと恨みがのこり、闇討ちにあうかもしれんな」と。梅棹さんは権威に挑戦した人である。しかし、自分が権威になったことはあまり自覚していなかったのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
この方の生き方は実に清々しいと思います。ご自身の軸を持ち、あくまでも実証を旨とするその考えと行動~年を重ねて高みから、物申される人が多い中、説得力のある短文が印象的です。
やってきた人の凄みなのでしょうか…
投稿元:
レビューを見る
梅棹忠夫先生の最晩年の対談集.無茶苦茶なことを言うお祖父さんの話が,なぜかすんなり頭に入ってくることがある.まさにそんな感じの読後感.好き嫌いがハッキリするかもしれない.