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再生産について イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置 上 みんなのレビュー
- ルイ・アルチュセール (著), 西川 長夫 (訳), 伊吹 浩一 (訳), 大中 一彌 (訳), 今野 晃 (訳), 山家 歩 (訳)
- 税込価格:1,650円(15pt)
- 出版社:平凡社
- 発行年月:2010.10
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紙の本
来るべき理論(=実践)のために
2010/12/28 11:59
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は複雑な背景事情を抱え込んだテクストである。
まず、1968年5月の「革命」に衝撃を受けたアルチュセールによって着手され、非常に短期間で書き上げられたとされる草稿が、二部構成の一部のみで途絶し、70年にその一部を「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置」というタイトルで雑誌に掲載され、その反響に対する反論なども含めたかたちで書き継がれながらも、結局放棄されるに至った著作を、第一の草稿と、雑誌掲載された論文、さらにそこに大量に加えられた注釈やメモなどもふくめて、アルチュセールの死後弟子たちによってまとめられ95年に公刊された著作にエチエンヌ・バリバールによる解説を付したものである。
アルチュセールは本書で、イデオロギー装置としての学校による「階級」の再生産という視点を重視し、イデオロギー闘争論を展開しているのだが、そこで前提として、生産の場面での労働者の組合的運動の重要性を強調するために、論の焦点がぼやけ、アルチュセール特有の苦渋があらわになっている。学校の重要性というのはあきらかに68年の反映だと思われるが、イデオロギー(装置)という概念の魅力に引きつけられながらも、労働運動と「党」の存在のオブセッションをいかにして「革命」に再導入するか、という点をめぐって、彼に関わる学生たちが急速に共産党から離反する時代の流れや、板挟みになる彼をさらに追い打ちする共産党からの批判、あげくは行き詰まった後の精神錯乱、という苛酷な運命のなかで翻弄され、ついにまとめられずに終った「来るべき理論(マルクス主義哲学)」の空白となったイメージを想起させる内容は、さまざまなアイディアとおそらくは彼にのみ見えていた状況の隘路と脱出口の予感に満ち満ちていて、その空白の輪郭を辿るように、理論と実践を統合する「マルクス主義」というアルチュセールの「夢」についてさまざまな思考へと導くものだ。
学ぶという意味においては、やはり卓抜なイデオロギー論の理論構成について教えられるところがいまもなお大きいが、しかしむしろ現在時から考えるに値する大きな主題としては、アルチュセールを挫折させた「党」の問題というのがあると思う。革命において、党は不可欠だとアルチュセールは言う。おそらくアルチュセールにとって、理論と実践を媒介するものこそが「党」なのであって、その意味合いについてじっくり考えてみる必要があるのではないかと思う。
また、例によって平凡社ライブラリーは意を尽くした注釈と長文の解説、さらに関連文献目録と索引が付されていて素晴らしい。定価がやや高めなのも、ここまでやってくれていればいたしかたないかと思えるもので、他の学術系の文庫にも是非見習ってほしいものだと思う。
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