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裏表紙
なぜ、ある人の発する声に魅了されるのか。
なぜ、言葉で気持ちが伝えられるのか。
なぜ、心の底から感動する音楽が存在するのか。
これらの背後には「倍音」が存在している。
「ひとつの音」として聞いている中に、
さまざまな音が含まれる。
音色をつくっているのが「倍音」である。
尺八の音楽において、「一音成仏」、すなわち、
ひとつの音にすべてを包含する、といわれる。
尺八の豊かで多彩な倍音を昔の人は鋭敏に感知して、
ひとつの音の中に複雑な「宇宙」が
存在していることを示唆したのである。
見返し
都はるみは、ひとつのフレーズの中で、
異なった“倍音”の間を自由に行き来している。
『アンコ椿は恋の花』という歌の
「あんこ~♪」の部分を見てみると、
「あ」で〈整数次倍音〉を出し、
「ん」と唸る部分では〔非整数次倍音〕が強く、
最後の「こ~」というところは
倍音の少ない裏声に抜けていく。
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先日、図書館で借りて読了。
家屋の作り・環境によって、響く音が違う事による音に対する日本人と他国の方との話は興味深かった。(日本家屋は音を吸収するが、石造りの建築物では反響する等)
一度で覚えきれない情報量な気がしたので、また再読したい。
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演劇倶楽部『座』第27回公演
詠み芝居「歌行燈」は虚無僧尺八の中村明一氏とのコラボでした。
泉鏡花は難解だけど尺八のソロはド迫力だったなあ。壌晴彦さんが開演に先立ち、日本人は日本の文化を知らないといった話をなさいました。外国の方のほうが日本文化に詳しいのは、シェークスピア劇もバレエも行くところまでいった感があるので、他を見たとき日本のユニークさに目が行くからだという。彼らのほうが意識が鋭敏なわけだ。能の舞台は何もなくてこの世とあの世を行き来するかと思えば、デコの歌舞伎があったり、究極の人形劇の文楽があたりする。これまで以上に日本文化に向き合っていこうと思う。
倍音で日本文化を理解するユニークな本です。
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素晴らしい内容。
何度か読みなおしたいですね。
僕自身も録音の仕事に携わることがありますが、そのたびに感じる今の音楽シーンで録音された物への違和感が綺麗に説明されていると思いました。
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数年前に「徹子の部屋」でタモさんが紹介していた本。
直後に近くの紀伊國屋で探したが見つからず、新宿本店からの取り寄せになった。
積読で3年くらい寝かせた。
ハードカバーは荷物が多い時は持ち歩かないので読み終わるまで1ヶ月くらいかかってしまった。
この手は電子書籍向きかも。
まずは簡潔に。
倍音(整数次倍音、非整数次倍音とも)のサンプルCDでも付けてほしかった。
理工系の端くれとしては数学的アプローチは何となくわかる気はするのだが、音楽的説明はちょっとサンプルでも聞かないと理解しがたい。
一体、小中(高)の音楽の授業の知識って役に立っているのだろうか。
この手の本はいまなら電子書籍にサンプル音組み込んで出してくれた方が素人にはわかりやすいはず。
マルチメディア(死語)向き内容。
前述のハードカバー書籍電子化と相まってサンプル音源付いたら買い替えるな。
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すこぶる面白かった。興味深い方の面白さも十二分。
今まで、あまり研究、言語化、されてこなかった分野で、
未知の部分にも言及しているのにも関わらず、
とても平素な言葉で書かれていて、とても読みやすい。
作者のあとがきに、本書の内容の中にも、突き詰めれば専門的な分野はたくさんあったけれど、分かりやすさを重視して、省略した部分もあるという意味のことが、書かれていたけど、大正解だと思います。
ともすれば、専門化、テクニカルな方向で書かれていて、
一段目のハードルが高くなることも多い、音楽書ですが、
この本は、一読目でも、納得しながら読み進めることが出来た。
自分の場合は、知らない個人名や、楽器が出てきた場合は、
youtubeで実際の音響を確認しながら、読みました。
そうすれば、よりスラスラ読めてオススメです。
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音響と意味が独立しない話し(日本語訳されたミュージカルとオペラ)。オノトマペの話しが面白かった。
義太夫がどういうものか、篳篥がどういう音か、などが頭で分かっていたらもっと面白いと思う。
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すごく高度なことを、簡単そうに言うけれど、やっぱりものすごい難しい内容のエッセイ。というか啓蒙書と呼んでいいレベル。
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科学っぽい所を徹底的に排除して感性に頼った本にするか、科学っぽい部分をきちんとしたものにするか、どちらかにしないときつい。
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尺八のサウンド。アニメのルパン三世で十三代目石川五ェ門が登場する時の音響が印象的で、子供の頃から気になっていた。最近では、民謡を通じて生演奏に接する機会もあり、段々と身近に感じてきたところ。
本書の著者、中村明一氏は、虚無僧尺八の奏者。いつだったか、タモリと一緒にテレビに出ていて、実際の演奏を披露しながら、「倍音」について語っていた。ジミ・ヘンドリックスのギターサウンドにも触れながら、聴きたいと感じる音の秘密を解き明かしてくれたように思えた。
ついに本書を読むことができた。一音に含まれる無限のバリエーション、日本の風土、言語、非言語、音、さらに人間のコミニケーションについて、興味深い考察の数々が展開される。西洋音楽への偏重で、元々あった私たちの音楽が、日本人の言語・音響とかけ離れたものになっていることを著者は、指摘している。
民謡や地方に伝わる祭囃子、太鼓、伝統芸能、それらに立ち戻る中から、伝統を受け継いだ新しい音楽が生まれ、家族や地域で歌い奏するようになれば、日本は大きく変わるだろうという。心の通うコミュニケーションには、非言語的で無意識の領域のコミュニケーション=家族や村で歌ったり、踊ったりというような=を取り戻すことが必要なのだ。
漠然と感じていたことを表現してくれている気がして嬉しくなった。 アーティストからのメッセージを重く受け止めたい。説得力のある本だ。
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予想を超える良書だった。
著者は尺八奏者なのだが、音全般から人体の認知のしくみなど、実によく調べており、また、その鋭い耳で得た様々な驚くべき知見を披露している。尺八によってアウトサイダー的に代表される日本古来の音楽は、倍音構造の変化を、空間と一体となったものとして味わうものであり、近代以降の西洋音楽や、そこから来たこんにちのポピュラー音楽の論理とはまるで異なる。だからそれは、欧米人にはなかなか理解されないだろう。
<整数次倍音><非整数次倍音>と著者は区別しているが、後者は自然音やちょっとがさがさした音、まあ、若干ノイジーなところのある音のことだろう。
<非整数次倍音>はささやき声や叫びなど、日本人にとっては親密で重要なメッセージを伝えるときに用いられる。歌手で言うと森進一。宇多田ヒカル。
一方<整数次倍音>はカリスマ的に「支配する」音調であり、歌手で言うと美空ひばり、浜崎あゆみなど。倖田來未はしゃべるとき<非整数次倍音>だが歌うときは<整数次倍音>の方が強いという。あのかすれた声は、特に子音がつづくとき<非整数次>の方じゃないかと私は感じるのだが、張りのある、伸びる声は<整数次>ということだろうか。
<整数次倍音><非整数次倍音>の区分は、さらに、芸人や政治家にまで分析が延びていき、実に興味深い。
私は耳が悪いので、そんなに倍音を認知できないが、認識できないだけで、みな倍音を体感しているのかもしれない。CDやネットで出回るMP3などの音源は、高周波部分がカットされているので、「認識」できない高次倍音がカットされてしまっている。CDを聴くときとホールなどでじかに演奏を聴くとくとでは、このように倍音部分の差異が出る。
虚無僧尺八の音楽は倍音の芸術だと言う。
尺八の音楽は好きだ。それは西洋音楽とはまったく違う論理の芸術性を持っており、西洋アカデミズムの権威主義者に低レベル呼ばわりされるいわれはまったくない。
欧米人の脳の働き具合が日本人のそれと、聴覚に関して非常に異なっているわけだから、生まれてくる音楽文化は違って当たり前である。
この本は驚きをもたらしてくれる。音楽をやっている人は、いちど読んでみた方がよいかもしれない。
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澄んだ響く音とかすれや割れがある音、そんな音の違いを研究して、日本の音楽と西洋音楽の違いや、日本語と西欧言語の違いを分析しています。とんでもな部分もありましたが、なかなか説得力がありました。
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ずいぶん昔に購入後、読みたいとは思いつつ積ん読になっていた。
フォトリーディング。なんだかやっぱりすごい本。よく研究しているし、その探究心の根本に自分の体験による疑問があるのでその思いが伝わるような感じを受けた。
読了。音に関する話はかなり高度で素人の私には難しかった。しかしながら日本人が倍音を大切にするコミュニケーションの脳を持っていることは興味深い。そして非言語コミュニケーションの同期型コミュニケーションというものは、瞬時に大量に情報を伝達することにおいて言語的コミュニケーションよりも優れているということに、日本人の変化の速さと同期性の謎を見た思いがした。日本の福音化やリバイバルもこのような非言語的同期によってなされるのかもしれないと思った。
筆者はこの日本人の得意とする倍音による非言語コミュニケーションが明治後&戦後失われつつあるので取り戻せと訴えている。しかしながらどのようにというポイントは強く主張されずに具体的な提案にかけていた。故に星三つ。
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全ての音に含まれている「倍音」について、全く知らなかったことが書かれている。著者は高名な尺八奏者だが、音楽への関心はジミ・ヘンドリックスから始まり、バークリーでジャズ理論と作曲を学んだというボーダレスな音楽家である。美空ひばりやタモリ、たけしなどを引き合いに出して、決して飽きさせることなく倍音という事象を魅力的に解説している。そしてそれは音楽理論にとどまらず、日本文化論にまで及ぶ非常に「腕の長い」人類文化論として成立している。これは良書。
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整数次、非整数次倍音は面白い視点、芸能人の声を分類するまでは良いが解釈はやや牽強付会。「クリアー」「ノイジー」を言い換えたもので、個々の人物の好感度とは関係無いような気がする。
日本の音楽は、コンプレックスが故、捨ててきたものがだ実は最も優れているものだった。
デジタルからアナログへの回帰、生演奏でなければ本当の音がわからない音楽。
倍音を考慮した音色、音階を排除した音響による音楽は無限。
今まで現代音楽、雅楽で感動したことが無いのは、生で聞いていないからなのだろうか。