紙の本
虐殺やレイプ、望まない妊娠を経て、生きるということ
2020/01/19 09:24
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
過酷な運命を語ることができた人はどれぐらいいるのだろうか。レイプの末の望まない妊娠・出産にもかかわらず、家族や周囲の態度は冷淡で、生きていくことの過酷さが伝わってくる。生まれた子どもたちも含めて、安心して暮らせるようになるには、どうすればよいのだろうか。財団の取り組みや諸情報なども資料として付けてほしかった。
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大虐殺のなかでレイプされた女性とその結果で生まれた子供の写真と証言をまとめた本。写真はどれも、感情の消えたどこかうつろな目でこちらを見ている母子を、(おそらく)フラッシュを当てた人工的なライティングでちょっと不自然に人物を浮き上がらせて撮影している。美しささえ感じるほどに無機質で、見る側の思いしだいでいくらでも物語が生まれてきそうだが、いくら思いを巡らせてみても本当のことはつかみきれない写真だ。もどかしさでページをめくると、その背後に想像を超える過酷な現実があることを、母親たちの証言で知る。遠い外国にいるぼくらが少しでも彼女らの気持ちを知ろうと思うと、このくらいのインパクトのある仕掛が必要なのだろう。著者の意図をしっかり酌みとった美しいブックデザインもすばらしい。
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「写真から感じるものと、テキストが伝えるものの狭間で、宙づりになる」
サンダルを履いていたり、裸足だったり。洗い立てのワンピースだったり、汚れた穴だらけのシャツだったり。笑っていたり。穏やかだったり、緊張していたり、放心した様子だったり。それぞれの家の庭や近所で撮った母と子のポートレイトである。
親子の写真を見るとき、私たちの視線はふたりの類似性に注がれる。まだ特徴らしきものが浮かび上がっていない生まれたての赤ん坊の顔を見て、母と父のどちら似かと話したり、親戚の会合などで、だれとだれがそっくりかというような話が尽きないのを見てもそれはわかる。似ているかどうかは、だれにとっても心の琴線を揺らすテーマなのだ。
この写真集に載っている30組の親子についても、私たちはどこかに似ている部分を探しながら見ていくはずである。目がそっくりだとか、鼻の形が似ているとか、顔の輪郭が共通しているとか、目鼻立ちはちがうけど雰囲気がよく似ているとか、そんな言葉を心の片隅に集めつつ繰っていく。ところが、写真のとなりページに載っている母親の言葉を読むとき、「似ている/似ていない」の奥に潜んでいる壮絶な事実に絶句せずにいられない。
ルワンダというアフリカの小国を、1994年に起きた大量虐殺事件によって知った人は多いだろう。私もそのひとりであり、いまだに「ルワンダ」ときけば浮かんでくるのはマスコミを席巻したあのジェノサイドのイメージである。
ルワンダに暮らすフツとツチの対立には複雑な歴史があり、ジェノサイドの理由を一言では説明しきれないが、直接の引き金になったのはフツ出身の大統領の乗っていた飛行機が撃墜されたことだった。フツによるツチの人々の大量虐殺が開始され、ツチの男性は殺され、女性は性的暴行を受け、100日間に80万人もの命が奪われた。
ここに収められているのは、そうした想像を絶する暴力沙汰の結果として生まれた子供たちと、苦悩の果てに彼らを産んだ母親たちのポートレイトである。そうした子供の数は2万人にのぼり、一つの世代を成しているという。
妊娠したと知ったとき死のうと思ったが実行できず、産んだ赤ん坊をその場で殺そうとしてもだめだった。女性のほとんどがそう告白するが、子供への思いはそれぞれに微妙に異なっている。
ジョゼットは「私は正直でなければなりません」と言いつつ、この子を愛していないと告白する。好きなろうという努力も、息子の頑固さや性質の悪さを目にするたびに「血のせいだ」と感じて気持ちが萎えてしまう。その反対にイベットのように、産んでみるととても美しい子供だったので即座に愛が芽生えたと語る人もいる。ウェラの場合は、家族全員が殺され生き残ったのは自分ひとりだったから、「この子が地球上で私の唯一の家族かもしれない」と感じて世話しようと決めた。
粗暴で醜く頑固な子供を、素直で気立てのいい子供とおなじように愛するのはむずかしい。受け入れがたい性格の理由を父親の血に求めるのは当然だろう。円満な結婚で生れた子供に対してもそうすることがあるのだから! どの親子関係にも、感情が屈折するに充分すぎるほどの多様な要素が絡み合っているが、共通しているのは彼女たちが死を決意させるほどの困難をくぐりぬけてきたこと、多く母親が暴力を受けた際にHIVに感染したこと、家族や地域社会に疎まれて子供がフツの血をひいていることを隠して育てていることだ。
写真の内容を理解するためのテキストがついている写真集は多い。だが、この写真集ほどそれぞれの伝えるものが乖離している例を見たことがない。写真だけ見れば、親子だと思わせる特徴の多くになごやかな気持ちになり、一緒に撮られていることに愛情関係の象徴を感じとったりもする。ところがテキストを読むとき、その感情は大きくゆさぶられる。望まない過酷な状況によって成立した親子関係であり、それぞれに込み入った感情を抱えつつ生きているのを知ることになる。それは見る者を戸惑わせるに充分なギャップであり、写真とテキストを自分のなかでどう繋げようかと悩みはじめる。テキストが必須なのは明らかだが、読めば読むほどより大きな謎のなかに投げ出されてしまうのである。
私たちは宙づり状態を嫌う。サスペンスにはオチが欲しい。最後には地上におろして欲しいのだ。しかし、この写真集を見るうちにひとつの思いがふつふつと湧いてきた。私たちはすぐに、どうしたらいいか教えてくれ!と叫んでしまう。不条理な現実に耐えられず、わかりやすい理解の仕方に頼ろうとする。だが、手近な解決法を求めるのは人間の弱さのあらわれなのではないかと。
暴行された女性のなかには自殺した人も、赤ん坊を殺した人もいただろう。だが、ここに登場する30人の母親たちは、それをせずに子供を育ててきた。その事実がなければこれらの写真は撮られず、写真を介して私たちが会うこともなかったのだ。彼女たちがさまざまな自問自答を繰り返しつつも、生き抜くことに、宙づり状態の解決方法を求めてきたことに気づくべきなのだ。
写真には、テキストの凄絶さとは裏腹の安らぎや穏やかさが漂っている。それが読者の謎めいた気持ちをより助長する一因になっている。こんなにすさまじいことをくぐり抜けてきて、どうしてこんな表情ができるのか、そう問わずにいられない。おそらくその秘訣は撮影のタイミングにある。インタビューのあとに撮られているのだ。
「子供を愛していない」と語ったジョゼットは息子の肩に手をまわし寄り添って立っている。息子は彼女の言うように「頑固で性質の悪い」子供には見えない。胸のうちに秘めていた体験と心情を語り尽くした母の安らぎに、彼もまた感応しているかのようだ。
写真はこちらが感じとる以上のことは語らないから、もしかしたら本当は邪悪なものを秘めた育てるのがむずかしい少年なのかもしれない。だが少なくともこの瞬間、彼はそうした闇から解放されて光輝いている。穏やかな表情にふたりの魂の邂逅を感じとることができる。そしてそのときはたと気づくのだ。ふたりがこうして写真に撮られたことの意味は決して小さくはないということに。この先の人生においてこの一葉の写真がなに事かを語りかけ、ふたりを支える時がかならず来るだろうということに。
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性的暴力のいよって生まれた子供がルワンダには2-5000人いる。
なんて悲惨でつらい出来事なんだろう。
誰にも暴行されないのが驚きというのが驚きだよ。そして多くの人々がエイズにかかっている。
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ジェノサイドのことなんて何も知らない。
東北沖地震と原子炉のこともむきあえない。
しかし知らないことが罪と思わせるような、目を背けたいのに、向こうからまっすぐに見つめられて動けなくなる写真。
ニュースとは違う報道のあり方。
自分のこどもを愛せない。
親族や部族から疎まれ、こどもを以外に家族がいない。
そんな境遇、想像できない。
本当は、避けて通りたい。
目を背けたいけど、シンプルなまっすぐな視線を感じ、言葉がでない。
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TBSラジオ『シネマハスラー』にて、佐々木中氏の評論を聴いて手にとった。
ルワンダ大虐殺下でレイプによって生まれた子供とその母親を写した写真集。
ことさらに悲哀を強調するようなショットは排除され、被写体の表情は抜け落ちている。
「わからない」ことを「わからない」ままに読者の前に曝け出す姿勢。
不条理で圧倒的な苦痛を前に、トーゴブニクはどこまでも誠実に立ち向かっていると感じる。
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衝撃的な本。ジェノサイドの事実を明らかにした本はいくつもあるが、その中でも最も生々しい真実を突きつけている本。
ジェノサイドの時にレイプされて生まれた子供とその母親の15年後の姿を写真と本人のコメントで構成されている。しかも彼女らの半数近くはエイズにも感染してしまっている。
人間の強さ、弱さ、醜さ、美しさ、など全てが感じられる本。
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1994年春、ルワンダで起きたジェノサイド(集団殺害)。大勢の女性が性的暴力を受け、それにより約2万人の子供たちが生まれました。「武器」として接触をうけた母やその子達の半数以上は、HIV/エイズにかかっているとされています。
目の前で自分の子を殺され、暴力を振るった人々の子を産み、HIVポジティブとしての差別を受けながら生活する彼女達ひとりひとりと、写真家ジョナサン・トーコブニク氏は3年間かけて対話し、撮影をしました。
本作は、母親とその子供達のポートレート写真と、多くの言葉で綴られます。各写真を見て驚かれる方もいるかと思いますが、自然光を最大限に生かしたライティングと、正面から向かい合うまなざしが非常に印象的な写真集です。
今もなお、多くの母親たちは、深刻な肉体的/精神的トラウマと共に、社会的に孤立した状態で生活をしているといいます。
日本版は文章も和訳されていますので、写真とともに彼女達の体験や思いに是非触れる機会を持っていただければ幸いです。
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この展覧会を観に行って、私の人生観、世界の見方ががらりと変わりました。
世界の無関心がまた犠牲を生む。こんな悲しいことはないです。
こんな残酷な出来事は二度と起こってほしくないです。しかしただ願うだけではなく、争いがこういうことを生むと言う事を、私は学び続けないといけないと思った。
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ジョナサン・トーゴヴニクは声を掛けずにはいられなかったのだろう。静かにインタビューをすることで、彼女たちの苦悶(くもん)の声を拾い上げた。神に見捨てられた女性の叫びは、いかなる神の声よりも重い。決して解決し得ない不幸がルワンダのあちこちでとぐろを巻いている。トーゴヴニクは性的暴力から生まれた子供たちの中等教育を支援するために「ルワンダ財団」を立ち上げた。
http://sessendo.blogspot.com/2012/02/blog-post_05.html
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『トーゴヴニクは代弁しない。恫喝しない。自らの正に酔わない。〈圧倒的な現実〉に対して、アートの無力を嘆く、などといった常套にも断じて屈しない。——その不屈こそが突きつける、この〈写真〉と〈証言〉の無限の切り結び合いを、今こそ、そして此処でこそ。』
(作家・哲学者 佐々木中)
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余りに痛ましいのだが、親子の表情は 淡々としている。その姿が 健気で。。。運命を受け入れるしかない、子供には罪は無いとは言え 母親にとったら悪夢の根源が絶えず側にいるのだから、頭では 愛さなければと思っても 根底では拒否感が出るのは、人間だもの当然だろう。
結局 一番の被害者は、いつも 女、子ども。
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1994年に起きたウガンダ国での約80万人のジェノサイド。映画「ホテル・ルワンダ」などで当時の惨状は理解していたつもりになっていた。大虐殺から約20年が経過し、ウガンダは秩序を取り戻したと勝手に思っていた。しかし実際は、虐殺の影に隠れてなかなか報じられない、生存者たちが受けた強烈な性的暴行による望まぬ妊娠と出産そしてHIV感染と、いまなおジェノサイドは続いているのだと衝撃を受けた。
「この子を決して愛してはいません」と語る冒頭のジョゼットから非常に複雑な感情を与えられる。何人かの女性は、中絶を考えたが初めて子を見たとき愛情が生まれたといいつつも、その家族はフツの血を継ぐ憎しみとして捉えてしまう。この負の連鎖を断ち切る術があるのだろうか。暗い気持ちになってしまう。
本書は写真の芸術性に騙されてはいけない。よく見てほしい。彼女たちの目は皆が皆、暗澹たる闇を伴っている。一部の女性たちには微かな希望と力強さが宿っているのが数少ない救いと感じる。クレアが語る「フツかツチかで人を見てはならない」、発生当初から世界はこのジェノサイドから目を背けてきたが(イスラエル・パレスチナ問題もそうだが欧州が蒔いた紛争の種も含め)我々はまず知ることから始めるべきだろう。
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ただただ言葉にならない。望まないセックスで生まれた子供達を愛する人、愛さない人がいた。子供を見る度に、あの日のことがフラッシュバックすると思うと悲しくなる。