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紙の本
シッダルタが苦行の意味に疑問を持ちながら、やがて悟りを開いていくところ。けれどもすでに「ブッダ」と名付けられてしまった。
2011/02/12 19:06
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
第3部第4章「騎士スカンダ(2)」から第6章「苦行林にて」です。
出家してからのエピソードが続きますが、主には苦行でしょうか。悟りを開くまでもう少しというところですが、そこまでのプロセスが大事で、シッダルタは様々な経験をします。あるいは手塚治虫は様々な体験をさせます。
また、マガダ王から「ブッダ」と名付けられるというエピソードもあります。
そんな中で、一つ気になるシーンがありました。
修行途中、仲間であるアッサジが自分の死ぬ日までを数えているのを知るところがあります。自分の死の日を待つというところでブッダは、「約束された死ぬ日を待っている気持ち。ああ…もし私なら気が狂うだろう」「私は死ぬことがたまらなくこわいんだ」と言います。もちろん人間は誰もが同じような気持ちを持つのでしょうが、これは実は手塚治虫自身の心情だったのではないでしょうか。
手塚治虫は現代日本のマンガの基礎を作り広めた人で、俗に「マンガの神様」などと呼ばれています。しかし、手塚自身はそんな評価に甘んじることなく、それこそ死ぬ間際まで様々なマンガを描き続けてきました。NHKの手塚を扱った番組の中で、まだ描き切れていないアイディアが山ほどあり、誰かに売ってもいいくらいだとインタビューで答えていた姿が印象的なくらい、常に何かに追われているかあるいは追っているかのようにマンガを描き続けたのは有名な話です。そんな手塚治虫ならば、きっと自らの死のことは人一倍気にしていたでしょうし、その日が来ることが怖かったのではないでしょうか。
この『ブッダ』を描いていた当時はまだ本当の晩年ではないのですが、ある程度の年齢にはなっていたわけですから、自分があとどれくらいマンガを描くことができるのか、どんなマンガをこの世の中に残すことができるのか、そしてどのように評価されるのかと言うことを考えながら描いていたような気がしてなりません。そんな心情にかられていた時だからこそ釈迦をマンガに描こうと思ったのかもしれませんし、マンガの中にはからずも自身の心情が出てしまっていたのかもしれないなどと想像しながら読むと、この『ブッダ』がまた別の意味合いを持って見えてくるようにも思います。
紙の本
未就学児童の思い出
2023/07/09 09:44
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投稿者:ないものねだり - この投稿者のレビュー一覧を見る
絵から帰った母に「私も習いたい。」と言うと「二人も習うお金が無い。」「私が教えてあげる」。結局「今忙しい。」で終わった。
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