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2012.04.20. 今月は、頭からほむほむ強化月間だなぁと感じていました。何かの拍子に、あ、ほむほむはもう50歳になる…!?と気づいて、妹に大騒ぎして。じゃ、その週の夕刊にほむほむが大きく載っていて、いよいよだ!と思ってたら、図書館の隅でこの本を見つけたのでした。ワンダーランドです。もしかしたら、ほむほむは素敵なのかもしれないと、今さらながら気づきます。
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短歌のお勉強その2
『短歌の友人』は、穂村さん視点。今度は、他の人からみた穂村さん。
穂村さんの短歌で驚くのは「そこか…!」という目の付け所。革命のような大袈裟な非日常なんてなくとも、日常の中にワンダーは溢れている。要は、そこに気づけるかどうか。
寺山修司氏や穂村さんがめざした「言葉使い」。
格好よすぎて、うおおとなる。言葉使いに、私もなりたい。
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こんなめにきみをあわせる人間はぼくのほかにはありはしないよ
呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる
終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
穂村弘
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当然性の重力から解放される事態は実は普段も起こっている。何か特別な舞台が必要なのではない。それを見落とさないことだけが重要なのだ。
実際の質量形質を変えることはできなくとも、受け取る人にとっての意味を絶えず変更する魔術を、穂村は求めている。物理的質量は不変だが、意味にはもともと質量がない。意味は無限に変更でき拡大縮小できる、あらゆる可能性を持つ、そのように思われる、だから彼は今、目の前にあるものの意味を、そしていつか世界の意味をも、一瞬で変える魔術を手に入れようとする。
寺山修司は自己が言語表現に志した動機を「言葉使いになろうと思った」と記したが、ほぼ同じことだ。言葉という、意味の伝達手段の使い方に習熟し、いつしか言葉だけによる、物質によっては不可能な魔術を実践してしまうことを両者はめざしている。
高原英理 「未知と不可知」
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短歌教室で実は今年穂村弘が還暦という話題になり驚愕!
最近穂村さんが足りない、補充しなくちゃと図書館からお取り寄せ。
なんと、最初のページがアルバムになってる!!!
視線が合ってないところ、引っ越し後の床ランチだなんてっっ
自筆もしばらく眺めておりました
穂村弘さんの短歌だけでなく存在自体を考察する評論や対談やオマージュ短歌やら盛りだくさんで穂村さんへの敬愛を表現する方法にあふれています
『戦後後』的な遊びと享楽に満ちたレトリック
強い自負とコンプレックスの共存
大勢の人が穂村さんを読者として書いているというのは極端な現象などなど
オマージュ短歌が面白すぎてこちらに載せるのはもったいないくらい
枡野浩一作は全て秀逸ですが一首だけご紹介
ほむほむが好き ほむほむと呼ぶ人が嫌い 私は私が嫌い