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立ち読み程度で何なんですが、渋谷のリブロで平積みされていて、とても興味がある。すでに一冊買ったあとなので、次の機会に買うことにします。
(20110322)
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アゴラで見つけた記事
もういちど助け合おう:日本文化史に探る『災害ユートピア』- 與那覇 潤
http://agora-web.jp/archives/1357813.html
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2010年の本。ぜひ多くの方に勧めたい良書。
- 「ロンドン大空襲」「サンフランシスコ地震」「9.11」など大災害の下で人々は、他者の利益のために積極的に行動し、互いを支え合う共同体を形成してきた。
この「災害ユートピア」を崩壊させてきたのはいつも、協力しあう市民を不気味に思う外部の権力者達だった。
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自然あるいは人為的な大災害である、サンフランシスコ地震(1906)、ハリファックス大爆発(1917)、ロンドン大空襲(1940)、メキシコシティ大地震(1985)、9.11(2001)、ハリケーンカトリーナ(2005)などで被災したした人々がいかに利他的に振る舞い、助け合いを行い、愛に満ちたコミュニティを成立させたかの記録だ。大惨事になると人間は利己的になり、パニックに陥り、未熟な精神を吐露し野蛮にあるという思い込みがあるが、それは真実からほど遠いとし、むしろパニックはエリートが陥ると説く。
--引用開始--
コロラド大学の自然災害センターを率いる災害社会学者キャスリーン・テアニーはカルフォリニア大学バークレイ校1906年の地震の100周年記念に講演を行い、聴衆をとりこにした。その中で彼女は「エリートは、自分たちの正当性に対する挑戦である社会秩序の混乱を恐れる」と主張した。彼女はそれを「エリートパニック」と呼び、パニックに陥る市民と英雄的な少数派という一般的なイメージを覆した。エリートパニックの中身は「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死手段に訴える性行、噂にもとを起こすアクションだ」。
--引用終了--
このような考えがより多くの災害を生み出したとしている。この中でも記憶に新しいのは、ニューオーリンズのハリケーンカトリーナだ。このとき米国政府は被災者の救済より治安の維持を目的として州兵や警察を投入し、緊急時の調達というべき物資の確保を略奪(特にアフリカ系米国人の場合)と扱い、マスコミで尾ひれがついてニューオーリンズは無法地帯とされ救援が遅れたとある。その詳細な描写はとても文明国とは思えない酷い状況だ。
スリーマイル島の原発事故でも、エリートたちは住民がパニックになるのを恐れて、原子炉がどんなに危険な状態にあるかを公表しなかったとあった。世界から賞賛されるまじめで規律正しい国民を有する我が国の政府は。。。
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近現代の世界を代表する災害において、被災直後から復興までをつづった内容。
驚いたのは、どの災害においても、被災直後は多くの人々が冷静な避難をし、他者を助けようと復興に大きな意欲を見せたという点だ。そしてそれを悪化させるのが国の支援と政策だということも、どの災害においても似通っている。つまり法則がある。
災害は避難コミュニティというものを作り上げるが、本書ではそれをユートピアと呼んでいる。その地獄に生まれたユートピアが、どれだけ強力なコミュニティになり、最終的に復興する中で”まだ被災したままでいたい”と思わせてしまうほどになるのかが描写されている。
ではどのように復興したらよいかを知れるかというと、それは全く予測不可能である。災害から時間がたてばたつほど、どの災害においても法則はどんどんぶれていくからだ。
つまり、本書ではどう災害に備え、復興したらよいかということは書かれていない。災害が最終的にどこに収束するのかは結局分からない。改めて災害が全く予測不可能だということを気づかせてくれる内容だった。
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東日本大震災の前(2010年12月)にこの本は発売されていました。
そしてはからずも、発売3カ月後の大震災に、本の内容を試されることになりました。
歴史による検証に耐えられる本だと思います。
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「もしわたしたちが(人とのつながりを切実に求める)社会的動物ならば、ほぼすべての場所で営まれている日常生活は一種の災難であり、それを妨害するものこそが、わたしたちに変わるチャンスを与えてくれることを示唆してくれる」…。これに続くエピローグだけでも、読む価値がある。何となく心傷な今読むのと、あとあと読むのでは印象が異なると思うけど、「夜と霧」のような位置づけでロングセラーになる気がする。
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このたびの東日本大震災で人口に膾炙した「被災者のマナーがいいのは、日本人の特質」とする言説は大いに誤解がありそうだ。
『災害ユートピア』には、サンフランシスコ大震災(1906)、ハリファックス大爆発(1917)、9・11テロ後のニューヨーク(2001)などでも、自発的な公共空間が生まれていたとの研究報告がてんこもり。
著者は、むしろ「大衆は暴徒化する」とパニクったエリートサイドによる政治的社会的二次災害のほうが害悪的とする。「エリートパニック」の最悪の症例としてのハリケーン・カトリーナの章は圧巻。
災害時につかの間たちあがる自発的な互助的公共空間=「災害ユートピア」。それを永続させるにはどうしたらいいのか。それは、コミュニティを形成する我々一人ひとりに与えられた難問だ。
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レビューはブログにて♪
http://ameblo.jp/w92-3/entry-10852630585.html
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レビュー参考
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hase/archives/2011/03/post_18.html
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帯より、「暴動、略奪? どこにもそんなものは起きてはいない」
日本も特別ではないということ。むしろ、今後にその真価が問われる。
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私のブログへ
http://pub.ne.jp/TakeTatsu/?entry_id=3909400
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原題は「A Paradise built in hell」。サンフランシスコ地震、ハリケーン・カトリーナ、9・11テロの時に、人々がどのように行動したかが背景、アナーキズムなど社会思想とともに描かれるノンフィクション。
「大災害は不幸なものだが、時にはパラダイスに戻るドアにもなりうる」(P13)。
災害の時は、政府に代わって、それに立ち向かう「パラダイス」というべきコミュニティが立ち上がる。それは何故か?
1906年のサンフランシスコ地震で最も素晴らしかったのは、人々の対処の仕方だった。一方、2005年のハリケーン・カトリーナでは、市民の略奪行為が起こった。
必ずしも、「パラダイス」が生まれるわけではない。ただ、自然災害では、個人よりも組織の方が問題を起こしやすいと、筆者は指摘する。統治できなくなったことに対する不安に対する行動「エリート・パニック」というものである。これは関東大震災でも同様なことが起こっている。
中国では、「治者は天命によって国を治める」と言われる。逆にいうと、災害が起こるのは治者の徳がないからだ、ということになる。
徳と天災には因果関係はないと思うので、この意見には同意しないが、ブッシュ政権が崩壊したのは9・11テロではなく、カトリーナに対する対処が後手に回ったことであった。
ニューオリンズでは堤防が決壊し、多くの街が水没した。当時の大統領、ブッシュは「誰一人、あの堤防の決壊を予測したものはいないだろう」と発言。その後、堤防の脆弱性を認識していることを裏付ける発言が明らかにされるなど政権への支持が大きく落ち込んだ。
東日本大震災にもリンクするような事柄が数多く紹介されている。災害後は社会的にも、システムにも大きな変革が起こる。未曾有の大震災を経験した私たちは「ユートピア」を構築できるだろうか。
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災害を革命になぞらえた見方。おもしろい。「数え切れないほど多くの決断をする数え切れないほど大勢の人々の分散した力のみが、大災害には適している。災害がエリートを脅かす理由の一つは、多くの意味で、権力が災害現場にいる市井の人々に移るからだ」
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「希望」とは何か-『災害ユートピア』
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20110414/1302741513