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ミステリウム みんなのレビュー

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みんなのレビュー25件

みんなの評価4.3

評価内訳

25 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

「不可能ゆえに確かなり」

2011/03/28 20:52

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

「不合理ゆえに吾信ず(Credo quia absurdum)」という言葉がある。埴谷雄高がその著書に用いたことで知っている人も多いだろう。これは古代の神学者テルトゥリアヌスの言葉として知られているのだけれど、じっさいは彼の著作にこの言葉はないという。

カナダの作家エリック・マコーマックの「ミステリウム」には、「不可能ゆえに確かなり(Certum quia impossibile)」という警句が二度ほど出てくる。これを見たときに私は、有名なフレーズ「不合理ゆえに吾信ず」のパロディとしてマコーマックが創作したものではないか、と考えた。しかし、訳者の増田まもる氏が調べたところ、テルトゥリアヌスの著作に「不可能ゆえに確かなり(Certum est quia impossibile est)」があることを確認し、逆に「不合理ゆえに吾信ず(Credo quia absurdum)」というのは「不合理ゆえに信ずるに足る(Credibile est quia ineptum est)」が誤って伝えられたものだとわかった。通説とされているものが時に根拠の薄い俗説だった、ということはままあるけれど、マコーマックを読んでいてそれを体験するとは思わなかった。しかし、これはマコーマックが意図的に埋め込んだトリックの可能性が高い。マコーマックとはそういう作家だからだ。

本書は「奇想現代文学ミステリ」という惹句をつけられたマコーマックの第二長篇となる。ミステリーという言葉の語源となったラテン語のミステリウム(秘密、秘儀)をタイトルにしているように、ある町で起こった事件の真相を究明することになった新聞記者を主人公とした、ミステリーの体裁をとった作品となっている。

主人公は行政官からとつぜんの連絡を受け、キャリックという町に住む薬剤師が書いた手記を受け取る。そこにはキャリックに「植民地人」が現れてから、町の記念碑が破壊されたり、墓地が荒らされるなど、静かな町に次々と異様な事件が起き、さらには殺人事件が発生し、ついには町の住人が死ぬまでしゃべり続ける奇病におかされ、次々と死にゆく理不尽な惨劇へと至る様が記されていた。主人公が町に到着したときには、一人をのぞいてすべての住民がすでに奇病に罹っていた。

全住民が死につつあるこの町で、いったいどうしてこのような破滅的な帰結がもたらされたのか、主人公は死を目前にした住民たちからなんとかして話を聞き出し、真実を探り出そうとする。そこで浮かび上がるのは、小さな町の意外な血塗られた歴史だった。

こうしてみると非常に魅力的なミステリらしい導入部だけれども、そこはマコーマックなので、もちろんふつうに謎を解いたりはしない。いや、主人公は真面目に真実を追究しようとするのだけれど、つねに周りから冷や水が浴びせられ、繰り返し違う口から、「真実を語ることができるのは、それをよく知らないときだけだ」という台詞を聞かされることになる。そこからは現代文学の作家がミステリ風を書くとなると、当然こうなるというメタ・ミステリ、アンチ・ミステリの展開を辿る。ここでは、ある一つの因果関係、ありうべき動機といったミステリ、推理小説がふつう前提している枠組みそのものがずらされていく。

作中、フレデリック・デ・ノシュールなる人物の「一般犯罪学講義」という架空の議論が紹介されていて、そこではクリミニフィエ、クリミニフィアン、クライミュ、という用語が使われているけれどこれは明らかにソシュール言語学(シニフィエ、シニフィアン、シーニュ)のパロディで、以下構造分析がどうとか差異の体系とか、ポストモダン思想のパロディが繰り広げられる部分は微苦笑を誘う部分になっている。主人公には訳のわからない議論と見なされているけれども、ここでいわれる「犯罪の性質は恣意的」で、捜査官の記述そのものが精査の対象にされるべきだという文言は、この作品のメタ的な仕掛けとパラレルだ。

なかでも挑発的なのは、謎の言語なり逆さ言葉なり、真面目な話に罵倒文句なりを交えないと喋れない症状を呈しながら、主人公が一通り話を聞くと皆タイミングよく死んでいく住民の奇病だ。あんまりにもご都合的で胡散臭いこの症状は、ミステリでふつう行われる事情聴取の様子を徹底して馬鹿にしている感がある。作品全体から、「虚構の中で、真実だって?」と呆れられているような印象だ。訳者増田氏がいうとおり、『世界には真理などなく、本質的に無意味であって、そこに真理をみいだし意味を与えようとするのは、私たち人間の業である』というような認識を、真実を見出そうとするミステリの徹底して冗談じみたパロディとして語るのがマコーマックだ。これと関連して、最後に言及されながらそのまま放置されるある謎の答えらしきものが、じつは冒頭にすでに書き込まれていたのに気づき、その意味するところを理解したとき、読者は「やられた」、と思うだろう。

ただ、こうしたアンチ・ミステリの仕掛けというのもこれはこれで手垢が付いて凡庸になりかねないものなのだけれど、意外な事実が判明し、それがまた絡み合っていき、複雑な町の歴史を描き出すミステリ部分が普通におもしろいのと、マコーマックらしいブラックユーモアあふれる奇想短篇的なエピソードがちりばめられ(「片脚の炭鉱夫」はこれまでの邦訳すべての単行本で出てくる)、ドライな不条理世界が楽しめる。

アンチ・ミステリと書いたけれど、むしろアンチ・フィクションと呼ぶべきかもしれない。フィクションが、自身を真実であるかのように語るものであるとすると、マコーマックは、自身を徹底して胡散臭い信用できないものとして語るという手法をとっているからだ。マコーマックの作品は、いってみれば悪ふざけのような冗談、法螺話という印象を与える(R・A・ラファティのような法螺話を語る作家の系譜を想起させる)。「不可能ゆえに確かなり」という自己矛盾的な警句とそれを巡る俗説と事実の絡まりはこのとき、マコーマック的状況そのものとなって読者の前に現れている。

元記事
Close to the Wall

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紙の本

現代小説の快楽

2011/10/25 13:33

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る

スコットランド出身で現カナダ在住の英語作家エリック・マコーマックの長編小説。
スコットランドの小さな炭坑町で起こった過去と現在にわたる大量殺人の謎を追うミステリ仕掛けで、しかし普通のミステリのようには明快に謎が解けるわけではなく、多くの人間の手記や証言を語り手が再構成した断片をつなぎあわせたスタイルは、これまでのマコーマックの作品の特徴である短篇のよせあつめ的なスタイルを想起させながら、しかし本作ではもっと長篇としてのかたちが整っていて、また、あからさまなアンチ・ミステリのような人を食ったオチへと雪崩れ込むのでもなく、ほとんど最初から、人が言葉によって何かを語ることそれじたいのフィクション性を指摘する登場人物たちの台詞が頻出し、真実と虚構の関係についての思いめぐらしが物語(語り)の中心課題となって、同時に謎とその真相の解明という体裁はきちんと満たしたストーリーが展開するという、非常にバランスのとれた作品となっている。
短編集や「パラダイス・モーテル」に顕著だった軽いグロテスクなユーモアの感覚は、薬剤師とその父母と幼なじみの女性、そして事件のきっかけであり過去の事件を想起させる見ず文学者を名乗る男のあいだでかわされたと思しいロマンスの幻影のためにやや後景に引き、むしろ迷宮的なパッション(受難)の物語として強く印象づけられるようだった。
マコーマックの語りは、断言を嫌いながらも必要なことはしっかりと筆に乗せ、読者にささやきかけるようにごく慎ましやかに幻想を語る独特の紳士的なスタイルになっていて、とても面白い。もちろん知的な仕掛けに満ちた作品ではあるのだが、フィクションが他人事から突然水からの人生に流入してくるような現実の雪崩感覚とでも言ったようなラストといい、その滑らかな情感へと宙づりにされる読後、というかまさにいま読んでいる最中にも強く感じる浮遊感覚こそが、この周到に計算された知的装いを解読することよりも読むことの快楽に身を委ねたい気持ちにさせるという意味で、とても優れた娯楽作家だと思う。あと、もちろんスコットランドという土地についての、遠く離れた土地からの望郷と、ある意味でジョイス的な洞察をここに読むこともできるのだろうが、それは私の任ではない。
ああ、しかしそういう意味で言えば、ドイツを離れ英国でごく少ない散文をモノしたゼーバルトは、彼の斜め隣の文学者だと言えば言えるかもしれない。

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紙の本

真実を語ることができるのは、よく知らない時だけだ

2011/05/03 21:53

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ケルレン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 最初は動物たちが、そしてやがて住人たちが次々に死に始めた。謎に包まれたまま、町は封鎖された。断片的な噂以外、一体何が起こったのか全くわからない中で、ジャーナリストの卵のジェイムズはちょっとした偶然から、この町に入って住人にインタヴューする機会を与えられる。正義感ではなく、謎を解くこと自体に取り付かれた行政官ブレアの助けを借りながら、ジェイムズは死にかけている住人達から話を聞いていくのだが、その話は何かを示しているように見えながらも、いつまでたっても真実にたどり着く気配がないー。

 独特の修飾語を使っていて、異世界的な雰囲気が楽しめる小説なのだが、最後に驚愕の真実が明かされる類の話ではないし、リアリティに欠けるようで、ちょっと物足りない感じがした。ところが、本を閉じてしばらくすると、やたらと細部が気になってきたのだ。もしかして、あの看護婦と彼は血縁関係だったのではないか、とか水文学者は実は知っていたのではないか、とかいう類の推理が次々に浮かんでくるのだ。それでページを捲り返してみると、なにやら意味ありげの描写があったりして、また別の推理をしてしまうのだ。

 謎があれば解きたくなるし、理由付けをしたくなるのは、ブレア行政官だけでなく、誰もが覚える欲求だ。だから推理小説では、犯人が捕まり動機が明かされることで、安心して本を閉じることができる。しかし、現実の世界では事件が法的に解決しても、それが真実かどうかは決してわからない。そもそも、真実って何なのだろう。

 住人たちがくり返し語る、「真実を語るのが可能なのは、あまりよく知らないときだけだ」という言葉の意味が、読み返すごとに深まっていく。マスコミが、もっともらしい解釈を付けて事件を報道できるのは、その事件についてあまりよく知らないからなのかもしれない。

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2011/02/05 17:04

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2011/02/23 11:32

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2011/03/23 01:17

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2011/04/20 06:41

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2011/04/30 10:29

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2011/07/25 02:30

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2011/08/31 10:58

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2011/09/21 22:21

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2012/02/06 22:48

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2012/03/21 16:08

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2012/05/14 14:25

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2012/09/20 06:54

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