紙の本
「生きるも死ぬも、あるがままに」
2011/04/25 16:44
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投稿者:蜜香 - この投稿者のレビュー一覧を見る
作家(五木寛之)と医師(帯津良一)、二人の共著作品である『養生問答』、『健康問答』(いずれも2010年刊〕を、私はこれまで読んできた。その二人の対話から、〔答えは一つではなく、“問う”ことによって得るたくさんの知識や情報を、取捨選択しながら、自分にとってベストな答えを探し見つけていくことである〕と私なりに解釈した。本書は『生きる勇気 死ぬ元気』(2009年改)〕の改題である。「生」と「死」を題材にした対談は、とても興味深く、このたびも取捨選択する情報が、たくさんあった。
第1章 覚悟悟ある生きかた
第2章 理想の死にかた
第3章 最後の時間のすごしかた
第4章 型破り、死の儀式のヒント
第5章 まだ見ぬ「死後の世界」について
第6章 死の壁を越える養生とは
第7章 究極の生命エネルギーの高めかた
死への恐怖や不安に包まれていた、という五木寛之は、帯津良一との対談をするにあたり、「生と死の統合を目指すホリスティック医学の旗手、帯津さんには「虚空」という死後の世界のビジョンが明確にある。(中略)帯津さんはまたとない水先案内人である」という。帯津良一の言う「虚空」とは、第5章の【Q23 「虚空」とはどこにあるのか。そのイメージは】に、「『広辞苑』では、仏典の言葉として、いっさいの事物を包容してその存在を妨げない空間とされていますが、要するに幾千もの宇宙を抱いた偉大な空間」だと答えている。人間の命は宇宙の大きな流れの中で循環し、死後、人間の魂は、肉体を離れて、魂のふるさとである「虚空」へ還る旅に出る、と考えているのだ。
余命宣告の問題に関して、西洋医学から見放されても、諦めたり、絶望する必要がないということもいっている。「死なせかたのうまい病院というのも、これからはだいじでしょう」(五木談)の問いに、「だいじですよ。放っておいても治るものは治ります。生涯の一大事である死をサポートするほうが、ほんらいの医療といえるのではないでしょうか。現実には、この点がなっていないんですよ。だから医療が殺伐としてくる」(帯津談)と、希望を抱いて生きることを忘れないことの大切さを語ってくれる医師がいたら、「死」への恐怖や不安は薄れていくのではないか。対談を終えて、「死への恐怖や不安がすこしずつ消えていったように思えた」(五木談)と語られたように、私自身も、「人生、「なるようにしかならない」と、「しかし、おのずとかならず、なるべきようになるのだ」」と、「生きるも死ぬも、あるがままに」という言葉に出合えたことで、「死」への不安よりも、生きていることの今を大切にしなければ、と思えた。
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クラシックバレエの演目に『瀕死の白鳥』という作品があります。一羽の白鳥の死の瞬間を描いた、ほんの2分くらいの小品なのですが、テーマがテーマだけに技術だけではなく内面世界の深い洞察力と表現力、情緒性が必要な難役といわれています。これまでにも初演のアンナ・パブロワはじめ、歴史的なプリマによって演じられてきました。もっともハイライトといえるのが、やはり終盤のこときれるその瞬間でしょう。ここはとくに踊り手によって表現が異なり、火が消え入るように繊細にくずおれるひともいれば、閃光のように生命力をいっしゅん輝かせてみせるひと、ふりしぼるような叫びが聞こえてくるかのようなひと、じつにさまざまです。そしてそれぞれにすばらしい。
さて。
「明日死ぬとわかっていてもするのが養生」とは、シリーズ3作を貫いている、五木寛之の決意表明のようなものだとおもいます。これは健康法についてだけ言っているのではなく、生きている限り“よりよい”とおもえる選択をしつづけよう、ということでしょう。もうすぐ死ぬとわかってるのに、なぜ“よりよい”選択をする必要があるのか。帯津先生のことばを借りれば、それは「命の目的は成長すること」だからです。つまり、死の瞬間こそ、命のピークというわけですね。
『瀕死』という作品が観るひとの心を打つのは、そこに生命の輝きをみるからです。死の瞬間にこそ生はより勢いを増す、というのは逆説的に感じていましたが、帯津説よれば、むしろそれこそが素直な生命の流れなのかもしれません。
“生命”というテーマは科学だけでは語り得ない分野です。生死がかかわる以上、語るひとの哲学や宗教観が絡んでくるからです。そのせいか、シリーズ3作ではもっとも歯切れが悪い。まあ生命の謎が解明されてないので、当然っちゃあ当然ですが、生命の真理とか養生の方法はひとつと思い込まないで、じぶんにとって“よりよい”方法をその都度選択していくべし、ということかなとおもいます。
で、前回は現代医学の医者についてちょっとワルクチを書いたので、バランスをとるわけではありませんが、実際、医学で治るものは治せばいいのです。というか、医学の進歩のおかげで、たいていの病気や怪我は治癒するようになりました。日本では癌で亡くなるひとが増えているなどといわれますが、それは裏を返せば、医学が進歩したために、たいていの病気は治せるようになって多くの人びとはもはや癌でしか死ねなくなったと解釈すべきでありましょう。
おかげさまで滅多にお世話になりませんが、病気になれば、わたくし迷わず病院に行きます。だって、医学の進歩で死亡率が減少している疾病のデータはありますが、たとえばホメオパシーで疾病による死亡率が減少しているデータはおそらくないでしょう。病院に行かないでレメディで治そうとしたら、まかりまちがうとヤバいことになってしまいます。いやホンマに。なので治るものは病院で治しましょう。治らないとわかったら、“よりよい”選択をしましょう。
最後に私事ですが、クラシックバレエの最終目標は、いつか『瀕死』を踊ることです。それまでは死ねません(笑)。
※瀕死の白鳥(マヤ・プリセツカヤ)
'59年 34歳
http://www.youtube.com/watch?v=Y-AMH_Woywg&feature=related
'75年の舞台
http://www.youtube.com/watch?v=Wpk7Kx4dt-U&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Luz5g-doa34&feature=related
'86年 61歳の来日公演。
この舞台を観たときは落涙してしばらく席を立てませんでした。いまでも『瀕死』といえばあの踊りが想い出されて目頭が熱くなります。もう20年以上前ですが。
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この二人の対談で面白くならないはずがない。
お二人の生きること、死ぬことへのこだわりが私にとっても腑に落ちる話ばかりで読みながらずっとうなずきっぱなしです。
読んでいると生きること、そして死ぬことも希望に満ちてきます。
「野垂れ死」の話もすごくいいです。
平成の養生訓の名に恥じない名著です。
おすすめです。