投稿元:
レビューを見る
ダーウィンの進化論によると、人の祖先は類人猿ということになる。しかし、これはあくまでも理論にすぎず、その過程にはブラックボックスに包まれた部分が多かった。古代の動物と現生の動物をつなぐ「移行期の種」となる化石が、見つかっていなかったからである。この「ミッシングリンク(失われた鎖)」とも呼ばれるピース、1980年以降、とりわけ21世紀に入ってから、相次いで発見されているという。本書はその移行化石に着目し、人類の進化について論じた一冊である。
この移行化石の発見が意味するところは、非常に大きい。これまでにおいて、進化のブラックボックスは二つの側面から捉える事ができた。一つは、生物学的な見地としての突然変異、もうひとつは、聖書に記されている神による創造である。この二つの視点による対立は、非常に根が深いものである。そして、これら移行化石の発見は、創世記に記された「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を作ろう」という記述との矛盾を突き付けるものでもあるのだ。しかし、神学の限界を提示することが本書の目的ではない。むしろ神学への理解こそが、数々の進化論を生み出してきた側面もある。良くも悪くも、神学は科学のOSのような役割を果たしてきたのである。
◆近年における移行化石の発見
1981年 海で暮らすようになる前の移行期のクジラの化石を発見
1996年 首から背筋にかけて羽毛の痕跡の残っている恐竜の化石が発見
2001年 直立歩行するサル、最古のヒト族を発見
2002年 複数の指を持つウマの存在を決定づける調査
2004年 魚と四肢動物のへの移行途上にある化石が発見
2007年 顎で音を聞く哺乳類の標本を記載
2007年 水陸両生のゾウの存在を裏付ける調査結果
各々の発見以上に驚くのは、それぞれの発見がいかに話題にならなかったかということである。これは、メディアにおける科学への興味の薄さということもあるが、進化論を考える上においては、単独の発見そのものに意味は薄いということにほかならない。全体像というアーカイヴの中で位置づけて、初めて価値を持つからである。そして、この点において著者の仕事ぶりは見事である。様々な仮説や事実を丁寧に繋ぎ合わせ、壮大なスペクタクルを紡ぎだしている。それでも、進化は一直線上ではなかったとういことが分かり、多数に枝分かれした樹形図上の方向に、偶然変化したということしかわからない。
移行期の実体が解明されるにつれ思うのは、人を人たらしめているものは何かということである。その線引きは、知性や心を持つのか否かというところにある。だからこそ、もう一度歴史を巻き戻しても再び人類が誕生する可能性はないことを、じっくりと感じ入ることができる。そして、そう思えることも一つの進化なのである。
投稿元:
レビューを見る
序章 「ザ・リンク」はリンクではなかった
第1章 化石と聖書
第2章 ダーウィンが提示できなかった証拠
第3章 ヒレから指へ
第4章 羽毛を生やした恐竜
第5章 哺乳類はどこから来たのか
第6章 陸に棲むクジラ
第7章 百象争鳴
第8章 ウマはなぜウマ面なのか
第9章 ネアンデルタールが隣人だった頃
終章 進化は必然か偶然か
投稿元:
レビューを見る
19世紀から今日までどんどん化石が掘り返され、生物史が解き明かされていくのは、我々にはわくわくする思いなのだが、この先、何世代にも亘って生きていく人間にとって過去はほとんど解き明かされているとしたら、その時、彼らは未来だけが興味の対象になるのだろうか。それともいつまで経っても過去はその正体をおいそれと表わさないのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
進化の歴史を紐解く鍵となる移行化石。
化石というモノ自体の発見だけでなく、種が進化(移行)するという概念の発見・発展から順を追って説明していく。
最新の知識を基に、進化と進化をめぐる議論についてわかりやすく解説し、ついでに(まるでついでのようなさりげなさで)科学と向き合う姿勢を考えさせる。
子供の頃にわくわくしながら図鑑を眺めていたことを、いつしかすっかり忘れていた。
そんな懐かしさごと楽しめた。
古代生物学の世界におけるここ何十年かの研究成果はすさまじいらしい。
現在の「古代観」は記憶の中の古代観とはずいぶんと様変わりしていて驚いた。
物語は2009年、「ヒトとサルをつなぐ最古の生物」として華々しくデビューした移行化石「イーダ」をめぐるお話から始まる。
そこで科学の扱われ方への疑問を提起。
でもそれは横に置いて、まずは化石の「発見」(新大陸発見的な意味で。この変な石がかつて動植物だったと気づくところ)からはじめましょう。
章ごとにテーマを立てて、水生動物や恐竜、馬、哺乳類に人類と進化を説明しつつ、
「生き物は絶滅なんてしない。なぜなら神様が創った完璧な世界に絶滅なんてありえないから。」
という時代から、
「オーケイ、進化は・・・まああるんだろうけど人がサルからできたとかありえない。だって人は唯一神様がご自分のお姿に似せて作った崇高な生き物なんだから」
という時期を経て
「これは人類の祖先です。なぜなら祖先がいるはずだから。人のルーツちょう見たい。だからこれは人の祖先のはずだ!」
という現代までの進化概念の変遷をたどっていく。
これは生物の進化の歴史であると同時に、進化をどう読むか・どう受けとめるかという学術論の歴史でもある。
いつの時代にもイデオロギーにそって世界を読もうとする人がいる。
その類の人たちは、最初から決まっている(自分の脳内の)答にしたがって現実をゆがめることさえいとわない。
それは現代でも同じことで、アメリカではいまだに進化論を認めない人たちがいるし、逆に「人類の祖先を発見したい→これは人類の祖先の化石であるはずだ!」とつっぱしる人もいる。
発見の栄誉を手にしたくて、故意にせよ故意じゃないにせよ、自分の発見こそが「本物」だといい募り、「証拠」の改竄までする人もいる。
著者は大学時代の教育実習で、小学生に進化論を教えようとしたところ、校長に「面倒をおこさないでほしい」と止められたという。
これを聞くとうわ信じらんねえアメリカ怖い野蛮!と思うんだけど、ちょっと分野をそらせば似たようなことは日本でもおきている。
性教育や歴史教育などなど。
この本の根底には、著者のそんな経験に根ざした、正しい知識を手に入れるための、そして正しい知識の重要性を知らしめるための、伝えようという意志がある。
正しさよりも「わかりやすさ」(事実を誤認させる情報を「わかりやすい」とは言わないけれど)を重視する派手好きなマスコミへの警鐘であり、そんなものに簡単に流されてしまう視聴者への啓蒙にもなっている。
で、面白いんだすごく。
訳も良い。
関連本
「ヴィクトリア朝の昆虫学」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4887217854博物学とイデオロギー。
ミル「自由論」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4003411668自説の正当性を高めるには反論をとことん研究してそれに耐える持論を鍛え上げること。という考えが学者にはとくに必要。
投稿元:
レビューを見る
本屋で、こいつはなんか面白そうだ!と、そのままレジまで持って行った本。
ヒレから指
恐竜と鳥
哺乳類
鯨
象
馬
人
それぞれ章にわかれ、発見された化石から、移行について述べている。やはり人間として生を受けたため、人の章は興味深かった。なんといっても現在我々人類は、数百万年を経て、ただ1種のみの存在なのですから。
投稿元:
レビューを見る
新しい種と古い種の中間となるいわゆる「移行化石」が知らない
間に多く発掘されていたことに単純に驚いた。 進化の歴史について
は、これからまだまだ議論が続いていくことだろう。
投稿元:
レビューを見る
ダーウィンが進化論を提唱した時、最も有力な反証となったのは、化石として出土している古代の動物と原生の動物とをつなぐ「移行期の種」の化石が見つかっていないことであり、それはミッシング・リンクと呼ばれた。だが1980年代以降、特に21世紀に入ってから、クジラ、取り、ぞうなど様々な動物について移行化石が相次いで発見されている。
ウマは、時代とともに大型化し、華央が長くなり、指の数が減るという方向へ直線的に進化したと考えられてきた。しかし化石記録は、原生ウマがランダムな進化の中で偶然生き残った種であることを示す。
人類もまた偶然の産物である。
投稿元:
レビューを見る
さまざまな種の「移行化石」を紹介する傍ら、古生物学史上の論争も概観しており、どういった流れで現代のどういった理論が主流になっているのかがわかりやすく、丁寧に記述されている。
とても面白かったのだけど、ただ著者がどうもスティーブン・グールドに私淑しているような感じで、ドーキンスやサイモン・コンウェイ・モリスに対してちょっとアンフェアのような印象を持った。印象だけどね。
ちなみに僕もグールドファンです。
投稿元:
レビューを見る
進化論はちゃんとしたサイエンスなのだということが理解できる一冊。ただしサイエンスライターが書いたにしては必ずしも全ての人にとって読みやすいとは言えないかも。