紙の本
研ぎすまされた命のきわどさ
2012/05/31 08:19
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
色にはそれぞれイメージがある。たとえば、赤であれば情熱、青であれば若々しい感じといったようにである。では、白となれば、無垢といったところだろうか。
人それぞれにそのイメージも違うだろうが、白にはやはり汚れのないものを誰もが想うのではないだろうか。
「百年文庫」の68巻めの書名はその「白」。
収録された三短編も、その色にふさわしい純な作品である。梶井基次郎の『冬の蠅』、中谷孝雄の『春の絵巻』、北條民雄の『いのちの初夜』、いずれも研ぎすまされた命のきわどさを描いた名作だ。
梶井基次郎といえば、代表作『檸檬』でお馴染みの作家である。いまだに人気が高い。本書に収録されている『冬の蠅』も短編としての評判は高い。
療養生活で塞いでいる主人公の前を「よぼよぼと歩いている蠅」。それは、「夏頃の不逞さや憎々しいほどのすばしこさを失って」いる、冬の蠅である。その姿に、療養中の自身の姿が重なっていく。
主人公の目に、死の影がかすめる。
梶井の作品の魅力は冷徹までに自身を見つめる視線だろう。その厳しさが読む者を打つ。この作品にしてもそうだ。
冬の蠅はそれを見つめる自分自身でもある。そして、それはもっと神々しいものの視点にも重なっている。
北條民雄の『いのちの初夜』は、かつて不治の病といわれ禍々しいものとして隔離を強制されたハンセン病の療養施設の物語だ。北條自身がその病に罹り、その経験によって書かれた作品である。
ちなみに北條は川端康成と手紙での親交があり、この作品を『いのちの初夜』としたのは川端だという。
なまなましい療養施設の患者たちの様子、その病気に罹った主人公の苦悩、死への誘惑、それでも生き続けようとする力。
人間とはかくも脆いものでありながら、それでも生命は尊く、等しく生きる権利がある。
それを描く北條の筆は、悲痛であるが、明け方の露のようにきらめいてもいる。
名作である。
中谷孝雄の『春の絵巻』は、「初めて春に逢ったような気がする」と言い残して自死した同級生と初めての恋に心ときめかす大学生の姿を描きながら、若い生命のときめきを描いた作品である。
青春期は生命に躍動する時期でもあるが、同様に死の影にひきつけられる時でもある。
すべては、まだ色に染まらない、白。彼らがそれぞれの色を持つのは、もう少し、先の話かもしれない。
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佐伯一麦「芥川賞を取らなかった名作たち」で取り上げられていた北條民雄の「いのちの初夜」を読みたくて買った本。
短編アンソロジーの百年文庫のなかで、生と死をテーマにした巻。
編集者の意図を尊重し、順番に梶井基次郎「冬の蝿」、中谷孝雄「春の絵巻」と読み進み、最後が「いのちの初夜」。
やはりすばらしい作品でした。戦前の発表ですが、文章に古びたところがなく、重い内容ながら最後には希望のようなものもあります。
これと比べると旧制高校生の青春を描いた「春の絵巻」が浅薄なものに感じてしまいます。こちらも青春小説としてなかなか良いんですけどね。
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2012.10.8読了。
「白」というテーマで、三編とも最終的に「生命」につながるかー。『白』の出し方はそれぞれなので面白いんだけど。
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北條民雄「いのちの初夜」
ハンセン病に罹った主人公・尾田は、人生に絶望して死のうと思いながら、死に切れぬまま病院まで来てしまう。病院でハンセン病に罹りながら重症患者の世話をする義眼の男・佐柄木に出会う。彼とのやり取りの中で、新しい生きる道を模索し始める。本書の冒頭で、「死のうとしている自分の姿が、一度心の中に入ってくると、どうしても死に切れない、人間はこういう宿命を有(も)っているのだろうか」と言わせている気持ちが良く分かる。人は死のうとして死ねるものではない。しかし、ふとした瞬間に死ねるものでもある。狂おしいほど死にたいと考えるほどに死ねないのだと思う。当時、人が醜悪なものとして扱い、誰もが遠巻きにするハンセン病、主人公はなんと深い闇に落ちたものか。それでも死ぬことよりも生きることを考え始める姿が力強い。著者の北條氏自身がハンセン病を病み、若くして亡くなった。生への、あるいは、創作への強い意欲を感じる作品である。世の中にあまり知られていないことがもったいないと思う。
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梶井基次郎の、身体が病気でおそらく心も病的になっているからこその命の実体感。冬に辛うじて生きている蝿と自分を重ねるなんて、よほどでないとできないだろう。
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三作品とも良かった。
白がテーマのアンソロジーにはどんな作品が集められているのかと思ったけれど、死が近くにあるから生が際立つような、明暗を感じるような作品集だと思った。
『冬の蝿』
よぼよぼしている冬の蝿の様子が目に浮かび、100年くらい前でも蝿は今とそう変わらないんだなと思って少しおもしろかった。
作品の後半、主人公が自分の病気の体に鞭打って歩き続ける場面がとても心に残る。
冬の真っ暗な山道を、誰に言われたわけでもなく自分の意志で歩いて、昼間に自分の部屋にいるときには発散できない感情を爆発させているようにも見えた。
『春の絵巻』
同級生の自死という出来事がありながらも、新しい季節にワクワクし恋に胸をときめかせる若者の姿が印象的だった。
『いのちの初夜』
生と死について考える主人公の心の動きが、美しい文章で真摯に繊細に描かれていた。
ひらがなの「いのち」、命と漢字で書くよりも明るくて希望がある感じがする。この作品の、夜が明けてほのかに希望を感じるような結末とも合っていて、素敵なタイトルだと思った。
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白で、死をイメージした小説ばかりだった。
「冬の蠅」
体調がすぐれないわりに、元気に出歩いているではないか。
なんて、つっこみたくなってしまった。
水を打ったような静けさの中、谿と対峙している、その展望の厳しさとその時の心持が「白」なのだろうけれど、この人の日々の生活は「灰色」のように、私には感じた。
「春の絵巻」
石田の不器用さがリアルに描かれている。
経験のなさ、若さがほほえましい。
岡村の死には、あまり共感ができない。
登場した姿が死を予感させたが、その饒舌さからの死は、私にはリアリティがない。
ひどくコンプレックスを持っていた、何かつらい過去があった、ということは感じられるが、ここに描かれている岡村からは、力のようなものを感じる。
そんな人が、亡くなる、という違和感を描きたかったのかな。
「いのちの初夜」
この小説は心に響く。
作者の命を削って書かれた作品なのだろう。
そんなに簡単に死ねるものではない。
死ねないということは、実は生きたいということなのだ。
ライ病は恐ろしかったろう。
コロナなんかよりも、100倍も恐ろしかったろう。
絶望しただろう。
嫌悪しただろう。
人間でなくなった、と思う。
それでも、苦しみ悩み生きている命を強く感じる。
体は朽ちていっても、全力で生き抜こうという決意。
そこにたどり着くまでに、どれほどの絶望を味わったのだろう。
普段は考えないようなことを感じさせられた思いがした。
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北條民雄『いのちの初夜』
ハンセン病に罹った作者の私小説的な短編だが、社会と隔離され差別されていた当時の患者達の世界と心情をリアルに写していて重い読後感が残る。36/100