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人類の歴史上、さまざまな国が栄枯盛衰を繰り返してきた。時代を謳歌した一国の時の流れには、さまざまなドラマがひしめきあっており、それだけで十分に面白いものである。しかし、本書の着眼点は一味違う。「最強国」と呼ばれる歴史的現象のみを抽出し、それを俯瞰で見ながらメカニズムを分析しているのである。著者は、イェール大学のロースクール教授。現在のアメリカに代表されるような「最強国」が成立する条件とは、果たしていかなるものであるだろうか?
◆本書の目次
序章 一極優位を可能にするもの
第一部 前近代の最強国
第1章 最初の「最強国」
第2章 ローマ帝国における寛容
第3章 中華帝国の絶頂期
第4章 大モンゴル帝国
第二部 近代の最強国
第5章 不寛容の代償
第6章 小国オランダが築いた世界帝国
第7章 東洋における寛容と非寛容
第8章 イギリスとその帝国
第三部 近現代そして未来の最強国
第 9章 アメリカ
第10章 枢軸の蹉跌
第11章 中国、EU、そしてインド
第12章 歴史の教訓
本書における「最強国」とは、軍事的、経済的な優位が突出しているあまり、世界を事実上支配するにいたった社会、国家のことである。例えばアメリカなどの場合、米ソ冷戦時代は含まず、ソ連崩壊後の状態のみを指すということになっている。
こうした最強国が成立する条件として、著者は「寛容さ」というものに注目している。すなわち、「ある国家の支配領域において多様な人種的、宗教的、言語的集団や、それらに属する個人が共存し、それぞれが社会参加をし、さらに誰もが社会的上昇を遂げられる」ということである。
例えば、ローマ帝国などはその典型である。ローマに征服された王国で、それまで公職に就いていた者は、人種の別なく、当然のこととしてローマ市民権を与えられたという。これによってローマは科学でも文学でも芸術でも1000年間にわたり、凌駕されることがなかったのである。
一方で、滅亡のメカニズムにおいては、不寛容さがポイントになっている。これが「寛容さ」のなれの果てとして引き起こされているから面白い。行き過ぎた多様性が不寛容さを生み出し、自らを滅ぼしていく。ペルシャ~ローマ、唐~元、イギリス~アメリカまで、古代、中世、近代、いずれの時代においても、洋の東西を問わず「寛容さ」の動的平衡が繰り返され、主役の座が移り変わっていく。その検証プロセスは、実に鮮やかである。
注目すべきは、十七世紀のオランダに言及しているところだ。一般的に大国としての印象がない当時のオランダではあるが、内政の寛容性によって欧州における被差別民が一気に流入した時代がある。この結果、「十七世紀思想の三つの輝き」と言われるルネ・デカルト、バルーク・スピノザ、ジョン・ロックの三人はみなオランダで一時生活をし、歴史的な著作を残している。そこに海軍力が加わり、オランダは輝かしい繁栄を実現することとなったのである。
また、日本に関する記述にも、興味深いものがある。非寛容さの事例として登場する大日本帝国だが��占領地の中でも台湾にだけは、その統治に寛容さを見せていたという。今日において日本文化に慣れ親しんでいる台湾人が比較的多い所以は、こんなところにも表れている。
本書を読むと、日本人の寛容さは今後どうあるべきなのかについて考えさせられる。おそらく、それは日本人の過去、これまで自分たちが歩んできた歴史に対して「内なる寛容さ」を持つということではないだろうか。そこに、日本が再び強さを取り戻すためのヒントが隠されているような気がする。
ユニークな着眼点、抽出する事例のバランスの良さ、丁寧な分析、明快な論旨。どれをとっても一級品の一冊である。
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歴史をかじった程度の知識の人が読むと楽しい。ドイツ・日本の章以外は面白かった。
前者を除いた理由は、特に最強国でもないのに取り上げ、なんの恨みがあるのかと思うぐらいに残虐性を強調した内容になっているから。
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ペルシャ、ローマ、モンゴル、中国、イギリスなど最強国を誇った国々に共通する要素を「寛容」として歴史を検証している。そしてその最強国が力を失って行くのは、不寛容に振れて行くからだと言う。それを見事に例証し、現代の最強国アメリカの状況を解説する。我々企業に生きる人間にとっても参考になる。それは「寛容」は才能ある人材を取り込みその国を強くして行くのだ。企業も同じだと思う。国や出所、学歴にとらわれずに、能力ある人間を公平に登用し伸ばしていく「寛容」こそが、最強企業の条件ではなかろうか。
気になるところは、日本と中国に関してはバイアスがかかっているようで、特に日本を描写する表現については、他国に比べて辛辣すぎるし、中国にはやや甘い評価になっているように感じる。
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最強国の条件は、寛容性。移民、他文化、自治を広く認めた国が最強国たり得る。
中国はその点、最強国となる見込みは小さいとの考察は興味深かった(著者は中国系アメリカ人であるにもかかわらず)。
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【きっかけ】
元会計士 田中靖浩さんのブログで紹介されていた。
http://blog.y-force.jp/2011/07/post-7b7b.html
徳川家広さんの翻訳で歴史に関する本なら面白いはず。
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ある時代に世界覇権を握った国の共通点をつなぐ展開。様々な意味で「寛容」であることで、有能な人材を集めることに成功した国が、最強国となる。同時に、非寛容的になることで自滅していく、というストーリーが繰り返されていることがわかる。 作者の感覚では、アメリカの世界覇権はこれからもしばらく続くだろうという前提での議論。とはいえ、債務残高上限の議論が進む中で、それもいつまで続くのだろうかと考えざるを得ない。 また、アメリカが移民に非寛容になっていく中で、次世代が模索される。
1620年からのオランダ/アムステルダムが最強国化してからの変遷は、ジャックアタリの「中心都市」移動の理論(21世紀の歴史)と重なるものがあって、興味深い。
議論には出てこなかったけれど、個人的にはシンガポール辺りに、もう少しスポットライトを当ててほしかった。
===引用はじめ P374===
そう。優秀な人材の忠誠心奮い起こし、彼らに全力を発揮させることができるのは「寛容さ」だけなのである。
===引用終わり===
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2位以下を圧倒する最強国になるための必要条件は、寛容さであると説く。
ペルシャ、唐、モンゴル、オランダあたりは、確かに寛容さが、人材を引き付け他国に対して優位になるファクターであると思った。
しかし、オランダからイギリスへと覇権が移っていくにつれて、首をひねる場面が多かった。これは、逆説的に、現代では、国の興亡に関与する要因として、寛容さ以外のファクターが大きくなってきているということではないか、と感じた。
例えば、イギリスに関して、英領インドの変遷を中心に書かれているが、イギリスの世界覇権喪失は、ドイツとの戦いが主因であり、インド喪失はその結果である。
また、オランダ・イギリス・アメリカと宗教的に寛容な国が同時代に並ぶわけだが、その覇権の変遷も寛容さだけでは説明できないのではないか?
また、非寛容であるがために、世界の覇権を握れなかった国の例として、ドイツと日本が挙げられているが、両方とも根拠が薄いように思われる。
寛容さの観点では、第二ドイツ帝国の興亡は説明できない。第一次世界大戦においては、運の要素が大きく左右していて、個々の戦闘如何では、ドイツが勝っていてもおかしくなかった。
また、日本の場合、著者の当たった資料の信ぴょう性に非常に疑問を感じる。
面白い観点だとは思うが、見たい事実だけ切り取っていて、考証が足らないのではないかと感じた。
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異文化に寛容な政策をとった国が繁栄する、という「寛容」をキーワードに歴史上の大国を語った本。紋切り型ではあるが、ひとつの切り口で見せることでわかりやすくなることもある。それがすべてではなく、あるひとつの面である、と読む側で意識しておけば、有益。
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著者はハーバード法学部を首席で卒業し、現在イェール大学ロースクール教授。著者の経歴を見ればわかるように著者は歴史の専門家ではないが、本書は過去に栄華を極めその後没落した大国における事例検討が主となっている。なればこそアカデミックな書物としてで無く、一つの読み物として歴史を専攻する者でなくても楽しめる所が本書の長所である。日本に対する見解の部分がアメリカ人的ステレオタイプにはまっているので星5つにはできないが、「寛容さ」が多くの大国に繁栄をもたらし、それを失ったとき国が衰退するという多くの事例検討とその一致は最後まで面白く読める出来である。ちなみに訳者は徳川宗家現当主の徳川家広氏。
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最強国とは同時代のどんなライバルよりも強大な国力を持つ国家のことで、抜きん出た軍事力、経済力で他を圧倒する存在である。古今東西の最強国に分類される国の強さの源を抽出し、また、衰退していった経緯を丹念に述べている。
本著でとりあげられた最強国は、ローマ帝国、唐、大モンゴル帝国、オランダ、イギリス、アメリカなど。共通しているのは人種的、宗教的に寛容だったために、多彩な人材が流入し国家を強大にしていったという点。オランダやイギリスが頭角を現したのは、他国で迫害されたユダヤ商人による資本を有効活用したからだそうだ。だが、この寛容こそ人々の自立心をかきたて、国家の分裂に向けた遠心力の原因となるので皮肉なもの。最強国を維持するためには国内の様々な人種をつなぎ止める「絆」の役割が重要で、ローマ帝国では男子に与えられる市民権、近代以降は経済的な恩恵や愛国心などがバラバラになりがちな国家をまとめ上げているようだ。
世界史のお勉強にちょうど良い本。
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ペルシャ帝国から現代のアメリカまでで、最強であろう国をピックアップし、それぞれについて最強国たりえた理由、衰退した原因などを具体的に考察した傑作だった。日本についての考察が若干雑なように感じたが、全体的にはうなづくことばかり。寛容さをいかに維持できるか、宗教間のコントロールが、最強国であり続ける条件であるという明快さは腑に落ちた。
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読了。エイミー・チュア本。古代ローマからアメリカまでについて分析し、超大国を超える概念として最強国(原著ではhyperpower)が存在するとして、それを満たす条件は相対的に「寛容」であることと説く。やや一方向からの視点が強いため、力技である印象は強いが、通読させるパワーを持っているのはさすが。日本に関する記述は、一方向からというよりは、全体的に薄い考察の印象。
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"寛容"をキーワードに最強国たちの勃興と凋落を分析する。本書で語られる最強国とは、例えば冷戦"後"の米国のように、比肩なき超大国を指す。
ローマ帝国や唐、モンゴル帝国、イギリス、そしてアメリカと名だたる覇権国たちが取り上げられているが、特に小国オランダに目をつけたところ、直近のシリコンバレーを寛容国の例として持ちだしているところが面白い。
繁栄と"寛容"との強引な結び付けや"絆"という例示なき解答提示など恣意的で曖昧な部分もあり、歴史書としてはやや頼りない。とはいえ、宗教や文化の多様性を認め生かすことこそ栄光をもたらすという仮説と分析が本書を非常に意欲的なものとしている。
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紀元前550年頃、アケメネス朝ペルシャのキュロス王から現代アメリカまでの最強国(ハイパーパワー)について書かれている。最強国とは「あらゆる指標に照らして圧倒的な優位に立っているか、すくなくとも優越的な地位にいる国家」である。最強国の条件として寛容をあげている。寛容は十分条件ではなく必要条件としている。最強国として有り続けるために絆を重要視している。国民が最強国の一員としての意識をどれだけもっているか、おたがいに共通した絆を感じているかが国家の衰退に関わるとしている。
寛容と絆という観点だが、一面から光を当てて構成していると感じる。必要条件であるから他の条件も当然あり、寛容が占める割合が果たして大きいといえるか疑問だが、世界史の一部として、その時代の覇権を握った国の歴史を知るには良かった。
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世界の最強国(覇権国)の「寛容さ」に着目して論じられた本。最強国にとって「寛容さ」が重要であって、特に訳者が述べているとおり、「衰えはじめた最強国では、純粋なアイデンティティが摸索されるようになり、異端者は排斥され、異民族の人材は流出し、その結果として衰退してしまう。この「没落の力学」が古代ローマにも、唐にも、大モンゴル帝国にも、近代イギリスにも観察された」との記述は、そのとおりだと納得した。
ただし、第二次大戦における日独の国策に関する記述は不正確で、いかにも近視眼的で狭隘な戦勝国のこじ付けとしか思えない発言となっている。米国においても、一次資料を基に正確に分析された大日本帝国時代の歴史書が発刊されることを望む。