紙の本
小鳥から神まで。ヒトの言葉を探るうちに、言葉のすばらしさも、言葉をもたないことの潔さも浮き上がってくる。
2011/07/25 17:31
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投稿者:きゃべつちょうちょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
作家と科学者の目で、言葉の誕生について語っていく対談集。
ヒトが言葉を手に入れた瞬間のことは、
あまりにも謎が多くて完全にたどることはむずかしいのだが
ほかの動物たちが鳴くことをヒントにして、
すこしずつその秘密のベールに迫っていくといった内容である。
第一部から、はっとおどろくエピソードがたくさんある。
岡ノ谷は、ヒトがしゃべるときと歌うときの脳の構造が似ていることから、
言葉の起源は歌なのではないかという仮説を語る。
そして、歌う動物はヒトと鳥とクジラの三種だという実験結果をあらわす。
とくに鳥のさえずりについては他に著書もあるくらいに詳しい。
とりわけジュウシマツの意外な話には、ぐっと心をつかまれた。
ジュウシマツには、歌を練習するという能力があるというのだ。
頭のよさは、脳の大きさや刻まれたしわとは関係がないそうである。
オスのジュウシマツは、メスを惹きつけるために歌を練習する。
メスは、より複雑なメロディを奏でるオスに魅力を感じるからだ。
オスはひとりになると必ず歌をうたい、レベルを確認する。
(ほかの鳥と一緒のときはうるさくて自分の声が確認しにくいためだ)
そしてより複雑なメロディを奏でるために努力を重ねるというのだ。
ちなみに、ジュウシマツは歌っているときに踊ることもできる。
ヒトが音楽を聴いてリズムに合わせて体を動かすときに働くミラー・ニューロン。
この聴覚性のミラー・ニューロンをジュウシマツも持っているらしい。
ときに、犬や猫、猿などが踊っているという映像を見かけるが、
厳密に分析をすると、体の動きは音楽のリズムに合っていないそうだ。
しかし、鳥はきちんとリズムに反応して体を動かすことができる。
そして、日々磨きをかけているという彼らの歌声にも侮れないものがある。
岡ノ谷の研究所でいちばん複雑な歌がうたえるジュウシマツ。
彼の鳴き声を分析してみると、まるで短いソナタのようなのだ。
イントロから始まって、複数の鳴き声を組み合わせ、歌を展開していく。
テーマがあり、バリエーションがあり、繰り返しがあり、ピリオドがある。
小川は、まるでクラシックの作曲法を学んだようだ、とおどろいている。
ジュウシマツは子どものときに親から歌を学ぶそうだが、
クジラにもこれはあてはまり、おなじグルーブの仲間はおなじ歌をうたう。
ヒトの言語が住む地域によって違うのとおなじようなものだ。
そしてヒトも、親が話す言語を学ぶ。
ヒトのつぎに言葉を話す動物が現れるとしたら、鳥かクジラかともいわれる。
第一部は、言語を音楽や動物の鳴き声と比較しながら考えていくのだが、
考えるほどに、言葉というものの持つ特殊さが際立ってくる。
言葉の裏には多くの文明が蓄積されている。
言葉がしゃべれるようになると、自分たち以外の知的存在を探したくなると
岡ノ谷は言う。つまり、地球人だったら、地球以外の文化を求めるのだと。
この十数年で急速に進歩した惑星天文学によれば、
地球型の惑星はなんと現在数百個以上あるということ。
ふつうに考えたら、エイリアンがたくさん地球に訪れてもいいはずなのだ。
しかし、と岡ノ谷はある悲観的なひとつの答えを挙げる。
それは、物理学者フェルミの唱えた『言語を持つと滅びる』という解。
言語を持つとやがて原子力が使えるようになり、滅びてしまうのだと。
だから、わたしたちは限られた時間のなかで言語を使い尽くそうとする。
人間の、話したい欲求、書きたい欲求はここからくるのかと、
なんだかしんみりと考えてしまった。
第二部では言葉はなにを伝えるのか、について。
これはこうやって書評を書く人などにも興味深いテーマだと思う。
むかしむかしの人間は、食べ物を得るための情報、危険の回避などの情報を
近くの人とコミュニケーションする中で得てきた。
そういった生きるために重要な情報を相手から得るためには
相手との信頼関係を作る必要性があった。
だって信頼できない相手の情報で行動したら死んでしまうかもしれないから。
世界的規模で見たら飢餓という状況はまだあるけれど、現代の日本で考えると
それほど危機的状況はほとんどなく、伝えるべき重要な内容そのものがなくなった。
危険なことも少ないし、餌はじゅうぶんに足りている。
岡ノ谷はここで『情報習慣病』なるものの存在を指摘している。
伝えることがなくなっても伝えたい意図がどんどん独り歩きをはじめる。
他人とつながった後に内容を伝えるのではなく、
〈つながること自体の快感〉が独り歩きをしているのではないか、と。
伝える機器も進歩し、人々の情報エンゲル係数はどんどん高くなっていく。
これの結果のよしあしは別として、
つながることを求めすぎると、人は自己と他者の区別がつかなくなるのではないか。
小川は、自己と他者の区別がつかなくなるというのは幼児化にむかうのではと危惧する。
以下小川の言葉より引用。
「他者とのつながりを強化する方に注がれるエネルギーと、自己探索のエネルギー、
このバランスが崩れているのかもしれません。
たぶん本が読まれなくなったというのも、そこにつながっていくんでしょうね。
自己について深く思索する必要を感じないなら、本を読まなくても一向にかまわない」
「豊かな言語能力を養うためには豊かな文学に触れる以外、方法はありません・・・
人間が生み出した言葉がこれほど豊かなものならば、人間は本来、
その豊かさを求めているものなのだ、と信じて作家は書き続けているわけです」
このあと、語彙を増やしていくことで、自分の気持ちを冷静に表現できる重要性や
人間の持つ理解力のすばらしさなど、例をあげながら、
言葉という翼が運べるものの可能性について語られていく。
第三部は、さらに言葉の起源を遠くさかのぼっていく。
小川は書き言葉について興味深い考察をする。
数をかぞえてそれを記録しておくことの必要性が、生活の中で生じ、
それが書き言葉の起源になったのではないか、と。
岡ノ谷は、これに深くうなづきながら、
書き言葉とは、世代を超えて伝えたいことがあるから生まれたのだと言う。
すなわち遺言。財産の分け前だとか、隣との境界だとか。
数をかぞえることが、自分の生きている証を書き残しておくという行為につながる。
伝えたいというその欲求を生み出す、心の不思議にも迫っていく。
生きるために緊急な必要性のない行為はや考えは、すべて繁殖へと結びつくらしい。
求愛にはなぜ歌が必要なのか、どういう人がもてるのか、話はひろがっていき、
ついには、小川と岡ノ谷の対話は、神という存在についてまで話し出す。
「言葉の誕生を科学する」という言い切りのタイトルにはすこし違和感があるが、
岡ノ谷の、きちんと理論づけられた豊富なエピソードの数々、小川の深い考察は
充実した読後感を残してくれる。
鳥たちが日々磨きをかける自慢の歌声に、耳を澄ませてみたい。
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(2011.05.24読了)(2011.05.13借入)
生まれた赤ん坊が、どうやって言葉を獲得または習得してゆくのかという話が展開されるのかな、と思って、読み始めたのですが、全然そういう話ではありませんでした。
人間と同じような発声ができる鳥や歌うように鳴くネズミを研究材料として言葉はどうやって誕生したのかを研究している、という話でした。研究に使っている鳥は、ジュウシマツ、ネズミは、ハダカデバネズミです。
次から次と仮説が出てきて、どれが正しいのか、またはすべて間違っているのかは、確認されていないようで、まだ研究途上ということなのでしょう。
今まで知らなかった分野なので、また、読む本が増えそうです。
章立ては以下の通りです。
第1部、言葉はいかにして誕生したのか?
第2部、言葉は何を伝えるか?
第3部、心はどのように生まれるのか?
●言葉の起源の研究(18頁)
言葉とは関係のない、ほかの機能のために進化してきたいくつかの形質がうまいこと組み合わさることで、まったく新しい機能として、言葉は生まれてきたものではないだろうか。
まず、言葉で大切なのは組み合わせが作れるということだ。小鳥のオスのさえずりは、少数の要素を様々に組み合わせてうたわれる。
次に言葉で大切なのは、新しい音が学べるということである。新しい音を学ぶことができる動物はごく限られていて、人間と小鳥、そして鯨くらいしかいない。
●ダーウィンの言葉起源論(31頁)
言葉は人間しかしゃべらないけれど、歌をうたう動物というのはいっぱいいる。だからやっぱり言葉は歌から始まったのではないか、ということを彼(ダーウィン)は考えているんですよ。
●歌の起原は求愛(34頁)
小川:言葉の起原にあるその「歌」は、やはり「繁殖」にかかわっているということでしょうか。
岡ノ谷:何か意味もない行動を複雑化させるというのは、繁殖以外には考えられないんです。意味がなくとも複雑であることに意義がある文脈っていうのは求愛しかないわけで、鳥は求愛のために自分たちの歌を進化させてきたわけです。
●産声起源説(56頁)
岡ノ谷:産声であんなに泣ける霊長類は、本当に人間しかいないらしいですね。
小川:特殊な能力なんですね。
岡ノ谷:あとは小鳥がそうなんです。
●相互カテゴリー化仮説(59頁)
1.生まれてしばらくは、泣き声は単調で、何を伝えているのかわからない。
2.生後1ヶ月以降、泣き声がどんどん複雑化する。するとお母さんは赤ちゃんが何を伝えようとしているのか、思い込みを持って対応するようになる。
3.すると赤ちゃんもお母さんの思い込みに合わせて泣き分けるようになる。
●歌を学ぶ動物(110頁)
歌を学ぶ動物というのは鳥と人間とクジラだけなんです。
☆関連図書(既読)
「子どもとことば」岡本夏木著、岩波新書、1982.01.20
「赤ちゃんはどうして言葉を身につけるのか」日本経済新聞社、日経サイエンス社、1984.09.30
「小鳥はなぜ歌うのか」小西正一著、岩波新書、1994.05.20
(2011年5月24日・記)
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かなり面白い。
無意味に繋がりたいのは生活習慣病と同じ「情報習慣病」ではとの指摘は鋭い。
ミラーニューロンが他者の理解を通じて自己を作るとか、少し考えると面白そうなネタも満載。
オススメ。
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2011.05.23. 大変おもしろいです。見てみたい、ダンス。言葉を話すのは人間だけで、でも、その片鱗を他の動物だってもっている。大変純化した言葉たちは、キラキラ輝いている。
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言葉はいつどのように生まれたのかという疑問はさまざまな論点から論じられている。私たちがものごとを考えるのはすべて言葉によっており、言葉のない生活は想像ができない。一方で自分の身のまわりいる生き物のすべてが言葉を持たない動物であることも誰もが知る事実である。言葉はなくても生きていられるのである。
本書は言葉の専門家といえる小説家の小川洋子氏と、言葉の起源の研究のために動物の観察と実験を続ける科学者の岡ノ谷一夫氏の対談集で構成されている。興味深いのは岡ノ谷氏がことばの起源を人間以外の動物の観察に求めているということだ。特にジュウシマツの観察から鳥の鳴き方には言葉の生まれるきっかけと思われる何かがあるというのが面白い。
また対談の中で、自意識の確立は言葉以前にも起こりうるという話も興味深かった。他者とのふれあいの中で自己は意識されるのであってそこに言葉は不要というのだ。常識的な考え方からは遠いものであり、新しい知見として注目した。
もちろん言葉の発声の謎はこれで解決できたわけではない。むしろ疑問が深まった。しかしこの哲学的ともいえる謎に挑む学者の存在を知ったことこそ本書を読んだ収穫であった。小川氏の柔らかな受け答えも興味深い。
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ここ最近の中でも、かなり気に入った1冊。岡ノ谷先生については本書で初めて知りましたが、先生ご自身の著書も絶対読もう!と思う。
教科書的には難しそうな話が、非常に面白く、わかりやすく書かれていて、楽しい対談だったんだろうなと推測したり。
それにしても、ハダカデバネズミってものすごい名前の動物がいるもんだ。顔もすごいけど(P133)。
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言葉の起源は「歌」にあって、歌を歌うのは「人間」と「鳥」と「クジラ」だけだそうです。
求愛のために、鳥のオスは歌う練習をするそうですが、私は歌を歌うのが下手なので、歌が上手い人にとても魅かれます。鳥と一緒だなーと思いました。
あと、人は脳を5%ぐらいしか使ってないとよく言われているけれど、常に100%使っている、と書かれていて、ちょっとホッとしました。
あと、岡ノ谷さんが「僕が残念に思うのは、言語能力が高い人がすてきだっていうふうにだんだん思わなくなってきているでしょう、人間の女性は。」(P150)って言われていましたが、そんなことはないです(笑)。言語能力が高い人はすてきだなっていつも思います。
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言葉の起源や、言葉の生まれた理由なんかを脳科学的にそして哲学的に話していく。求愛を目的にした、鳥の歌のはずが中にはメスの前では歌わず、一人で複雑な歌を歌ったりする。美の追求とも思える行為。ナルホドと面白く読めるし、音楽とか言語とかそれにかかわる心とか、なんなんでしょうねと興味は尽きない。個人的に興味深いです。何の役にたつのかは解らないけれども。
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「ハンディキャップ原理」無駄なことをすることが生物学的な資質の強さを表すという考え
【可能性】子孫を残さない生き方を選択する個体は才能の高い芸術家で親族には成功者が多いのではないかという説。芸術家本人は社会不適応だが親族全体の知的レベルは上がるので親族は成功しやすい?
・・・
以上までは途中、読みながらメモっていた部分である。
その後、入力が面倒になりサカサカと読み進む。
あちこちに「面白い!」と思った部分があったはずだが・・・読後1週間もすると忘れてしまっている。何かの折にふと「あぁ、そんな話を聞いたことがあるような・・」と脳裏に浮かんでくるかもしれない。ないかもしれない。
小説家・小川洋子さんが理系の専門家にお会いして新しい分野の新知識を仕入れるというドキュメントである。
いつかここでの学びが小説に結晶化するのだろうか?
ふと思ったことをメモ。「博士の愛した数式」「世にも美しい数学入門」そして「猫を抱いて象と泳ぐ」「若島正氏との対談」(文學界2月号(2009年1月7日発売)
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この手の本、つまり科学読み物?のような本はそんなに読まないほうなのだけれど、それでも面白かった。●鳥は求愛のために歌をうたい。メスが聞いていないところでも練習もしたりするけれど、そのうちに、メスのまでは歌わなくなって、一人のときにだけ歌う個体が出てくる→芸術のはじまり?●鳥やねずみの求愛の鳴き声は、それらのこどもが母親にえさをねだるときの声に似ており、メスの母性に訴えかけている→赤ちゃん言葉とかで、話しかけるやからがいるのもそのせいか?●ある種の蛾のオスは、天敵のこうもりと同じ超音波を出して、メスを気絶させ、交尾に持ちこむ→蛾ってやっぱり怖いといったあたりが興味深かった。人間の声も求愛や餌のためから始まったのかもしれないが、言葉がありすぎてもはや逆に意味が伝わりづらいような気さえする。
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岡ノ谷先生の理論を小川さんがインタビューして体系だった教えを請うような内容を予想していたら、随分違いました。
もっと、自由闊達に話が飛び交い、言葉とは、意識とは、神とは、と思わぬ領域にまで及びます。科学者って自分の領域に閉じ籠っている印象があったんですが、色々な話題や小説のこと、お二人の会話を楽しんで読めました。
先日のFM放送で小川さんは「奇跡の人」について、奇跡の人とはサリバン先生のことと云われてました。本書によれば、刺激等価性に気付かせてくれた先生という、その奇跡の意味を科学者の目から解釈してくれます。
サボテンに意識があってどーすんだろー。
惑星ソラリスに意識があって、どーすんだろー。
そんなこと、考えたことなかった。
岡ノ谷先生って、面白いですよ。
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鳥が鳴くということ、赤ちゃんが泣くということへの考察がおもしろい。
繋がりは増えたけど、人がもともと持っている「伝えたい」という欲求が満たしきれていない現代の日本。さらには伝えたいことを忘れ、繋がることの快感で留まってしまってる。やっぱり、そこからのアクション、本当のコミュニケーションが大事なんだ。そこまでいかないと満たされないはずなのに、それにも気づかず欲求不満に陥ってる、ことがあるのかも。
小川さんの語る言葉が美しいのはもちろんだけど、岡ノ谷先生の言葉もかっこよかった。
「いかに美しい嘘を、想像を持つことができるかというのが実験の始まりですよね。」
「豊かな言語能力を養うためには、豊かな文学に触れる以外方法がありません。」
それから、「言語・音楽・数学というのはね、絶対に深い対応はあって、人間の特異性を作った大きなものだけど、たぶん一つの根っこにあるなという気がします。」…おぉ!言語も音楽も数学も好きです!高校の時に数学にはまったのも至極当然の流れだったのかな。本当に数学の問題を解いてるときって楽しかった、言葉を紡ぐ感じで。ミードの「サモアの思春期」も読み返したくなりました。
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一番ショックだったのは「言葉を使うようになった種はいつか原子力に到達して滅びる」という説。こまるじゃないか。他にも「詩人は持てるのか」とか「言葉の始まりは何だったのか」とか面白い話がたくさん。文章表現クラスタにおすすめの一冊。
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歌から言葉へ。硬くなりがちな科学系の内容が、作家の小川洋子さんとの対談であることで柔らかくイメージしやすくなっている。
個人的に小鳥が大好きなのでとても楽しめた。
言葉の起源が最後は心の起源にまでつながっていき、面白かった。
岡ノ谷先生の他の著書も読んでみたい。
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動物と人間の違い、赤ん坊からの言葉の獲得。
人間固有の言葉を考えてみると興味深い。
鳥が歌うときは体もリズミカルになるらしく、他の動物にはリズム感そのものがないらしい。