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紙の本
計算されつくした“いい加減”さ
2011/05/21 04:10
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
筑紫哲也氏が生前残した文章を、新刊という形で手にすることもいよいよ少なくなってきた。
もちろん本書の随筆も、生前、週刊金曜日誌上ですでに掲載されたものの集大成である。当たり前であるが、筑紫哲也氏の初出エッセイを眼にすることは二度と無い。
さて、「筑紫哲也」とは、いったい何だったのか。同時代を生きる者達に、結局どんな影響を与えて去っていったのか。
最近、テレビのワイドショー的番組の中で、コメンテーターなどという肩書きを付け、一様に大きな声で“正義”を論じるジャーナリスト達を多く見かける。しかし、彼らがいかに大きな声を振り絞っても、また、彼らの態度がいかい居丈高で、見かけ上、他を圧倒させる迫力を持っていても、彼らの唱える“正義”にはむなしさしか感じられない。彼らの唱える“自分勝手の正義”につきあって納得している暇は、こちらには無い。
筑紫哲也氏が、もし彼ら“正義感ぶったジャーナリスト達”と同じであったら、筑紫哲也氏は、ここまで一般の大衆に受け入れられることはなかった。亡くなった後も、ここまで我々の印象に残ることはなかったはずである。
生前、本人自身もかなり迷ったという東京都知事選出馬の問題にしても、もし出馬がかなっていたら十分勝算はあったはず。筑紫哲也氏が、それだけ大きな影響力を持ち得たのはなぜか。どこが他の“独りよがりの正義”を振りまくジャーナリスト達と違っていたのか。
本書から引用する。
「秋霜烈日の観があるこの雑誌をめくっていて、この自分の書いている頁に辿り着くと、少々申し訳ない思いをしたり、居心地の悪さを感じたりすることがある。春風駘蕩とまでは言わないが、こちらが取り上げている題材や、その語り口がのんびりしすぎていたり、怠惰な不可知論者を自称する性癖が出てしまってキレがよくない。」
大きな声を出さなくても、「のんびりした語り口」でも十分ひとを魅了する。人間の奥底に持ったこの人の素養の特異性である。
本人は、「一元論から離れた「いい加減」の効用を説く」といい続けたが、“肩肘張った正義”が横行する現代のメディアの中で、そんなばかばかしさを揶揄するかのような、この人の「いい加減」さが、やはりいま求められている。
いま、政治も経済不確実で不安定な中で、世論もまたひどく流動的になっている。大阪府知事のような見かけ上の元気や東京都知事のような見かけ上の威勢の良さに、簡単に流され、いっせいに流れをつくってしまう大衆がいる。
この流れに対し、少し立ち止まって冷静に現在地と行く末を確認する、そんな動きを導き出すのが筑紫哲也的「いい加減」さのはず。氏の逝去は大きな損失である。
再度、本書からの引用。
「年齢を重ねると人は「丸くなる」というのが世の定説だが、数は多くないものの、その逆の人も私は見てきた。人生のゴールも見えてきて、世間との摩擦に気配りする必要を感じなくなり、枝葉を取り払って事の本質を直裁に語ろうとする人たちである。私はそういう人たちのことを「老人ラジカル」と呼んできた。」
本人自身は「老人ラジカル」になる前に亡くなってしまったが、筑紫哲也氏が生前持ち上げた「若者たち」と、彼が認めた「老人ラジカル」。この流れを筑紫哲也氏の死で絶やしてはいけないと強く思う。
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