紙の本
1人でできること、10人でできること、100人でできること、1000人でできること・・・
2012/10/18 07:31
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投稿者:Fukusuke55 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2011年4月、震災直後に出版された本書。
著者である山崎さんがこれまで手掛けられたプロジェクトを中心に、「人がつながるしくみ」への取り組みが具体的に記されています。
「100万人の人が一度だけ訪れる島ではなく、1万人の人が100回訪れる島」
この「島」を地域、コミュニティ、はたまたカフェ・・・と置き換えて、一度だけの思い出ではなく、回を重ねて出会いと絆を強く、そして深めていく仕掛けを創りだしていく姿勢がそこにはありました。
- 1人でできること、10人でできること、100人でできること、1000人でできること・・・10人でできることなら、行政に頼らず自分たちでやろう。
- 提案し続け、企画書を書き続け、そして何度となく書きなおす
⇒受け身ではなく、提案し続ける姿勢。これは私もいつまでも持ち続けたいし、そのための努力を惜しまない
- 社会の課題に取り組むデザイン
⇒まずは、社会に対する課題を認識し定義する「課題設定」からのスタート。この事象の何が課題なのか?核心は何か?自分ができることは?・・・10人でできることは?、100人でできることは?、1000人でできることは?と常に考える
私もプロジェクトをいくつか設定して、企画書を作ってみます。
紙の本
デザイナー時代
2011/09/04 21:34
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投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
政府と市場がそれぞれ成功したり失敗したりする世の中で、ここ20年ぐらいのプロセスを俯瞰するように偉そうに眺めてみると、何かにひとつの価値観に頼りきって生きていくのは到底無理だし、でもどこか借り物のアイデアで現状をいきなり打破するのも無理っぽいことがわかってきて、現状を踏まえながら泥臭くやっていく方向しかないとしたら、その泥臭さは、それぞれの地域に根ざしたコミュニティのなかにあるのだと思う。
人がそれぞれの人生を生きていくのは、誰もがひとつやふたつ所属するコミュニティという場所の中であって、そこでの問題は、人と人がどうつながっていくかの問題がほとんどであったりする。地域の活性化というと、箱物行政やらインフラ整備やら中小企業振興が従来の定番であったりするわけだが、本書が提示するのは、コミュニティそのものを、人のつながりを基点にしてデザインしていくという方向性だ。
デザインというからには、見た目の問題はもちろん重要だ。だがここで用いられるデザインという言葉はもっと広く伸びやかに広義に、ある問題なり課題なりを解体したり組み合わせたり溝を埋めたり、綻びが生まれつつあるものを補修したり、ある決断を促す基点となるための「しなやかな力としてのデザイン」だ。
そう、デザインとは、ひとつの力なのだと感じた。
公園そのものをデザインするのではなく、公園に集まる理由を公園の中にデザインすること。観光を促すために単に観光名所をデザインするのではなく、末永くそこに通いたくなるような人と人との関係性をデザインすること。子どもたち自身がその町の未来をデザインすることによって、現役世代なり高齢者のこれからの生き方までデザインしなおしていくこと。実現することが一筋縄ではいかないようなことを、デザインという力で切り開いていく意思が本書には随所に溢れている。デザインの力の本質を信じる力に満ちている。
関東大震災後の帝都をデザインした後藤新平や、シカゴのコミュニティオルガナイザーから出発していまやアメリカをデザインしなおすバラク・オバマには誰もがなれる訳ではないけれど、自分が生きていくコミュニティがより良いデザインになってくれたらとは、誰もが無意識にでも感じると思う。コミュニティデザインに参加する始めの一歩のハードルは低くはないかもしれないけれど、きっとその一歩を促すにも、デザインの力が関わっている。
垣根を越えていく多くのデザイナーの力を時代は求めている。
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【出会い】
学芸出版のツイッター@gakugei_today &店頭で。studio-Lについてはあまり予備知識がなかったものの、タイトルに関心。
震災後のタイミングでの出版。
【概要】
「つくらない」デザインとしてのコミュニティデザインの紹介・事例。モノではなくアクティビティのデザインであり、コミュニティとの対話・働きかけが重要。それは時間がかかる(かけるべき)プロセスである。
【感想】
「ソーシャルデザイン」入門として、豊富な事例とともにエッセンスが入っていて読みやすい。
プロジェクト中のエピソードから、やりがいや難しさが伝わってきて、親しみが持てる。
・・・(自分が携わる)プランニングというのはまさに「つくらない」デザインと言えるのではないか。
逆に、本書の言うデザインという観点からプランニングをしたいもの。
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うーん、面白かった。(ハードと対比される)ソフトはイベントではなくコミュニティをつくることをなんだよなぁ。
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こんなに様々なケースに取り組んでいる事に驚き、例えばそれぞれに身を置いてみたとしてワクワク。
まちづくりには、これが必要なんだと。
2回読んだ。
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コミュニティデザインによってやたら予算を積んだり誰かが無理をしたりすることなくスマートに人と人がつながる仕組みを作る。
すごく泥臭いけど何だか新しいデザインの形って言う感じがした。
「ソフトを充実させながらハードを整備する」という部分が印象的だった。
2割は作ってあとの8割は参加者とともにつくり上げていく。
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・人とのつながりをつくるにはじっくりじわじわと長い時間をかける必要があるということ。
・どんな空間をつくるかを先に考えるより、その場で行うコミュニティ活動のためにはどんな空間良いかを考える。
・地域の良さを発見するには外部の偏らない眼の果たす役割は大きい
・平時からつながりを構築しておくことが緊急時に役に立つ。強いつながりは急にはつくれない
・ハードからソフトへ
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まちや風景を独自のものにするのは、そこに住む人々の活動や生業
であり、その中で育まれた人々のつながりです。つまり、地域のコ
ミュニティが前提にあるのですが、戦後の日本社会はこの地域のコ
ミュニティをどんどん空洞化させる方向で発展してきました。その
結果、地域は活力を失い、まちや風景は魅力を失っていったのです。
著者の山崎氏は、ランドスケープデザイナーとしてまちづくりや景
観づくりに関わる中で、その前提にあるべきコミュニティ、人々の
つながりの重要性に気付きます。そして、ハードや空間をデザイン
することから、人々のつながり=コミュニティをデザインすること
へと軸足を移していったのです。では、コミュニティをデザインす
るとはどういうことなのか。本書は、山崎氏がこれまで手がけてき
たプロジェクトを紹介しながら、それをひもといていきます。
個別のプロジェクトはいわば特殊解ですから、そこから何か一般的
な法則なり手法なりを導き出すのは慎むべきです。それでも本書で
紹介されているプロジェクトの進め方の中には学ぶべきヒントが数
多く隠されています。中でも印象的なのは、「ゆっくり」を大事に
している点。今はビジネスでも行政でも短期的な成果ばかりが求め
られがちですが、人のつながりやコミュニティというものは促成栽
培できるものではありません。仮にできても、根づかない。そのこ
とをわかっているから、とにかく地域の人々にとって無理のないよ
うに、じわじわとコミュニティを育てていくのです。コミュニティ
が自立できるようになるのに5年はかかるのではないかと山崎氏は
言います。5年を長いと見るか短いと見るか。長い、ですよね。
いわばコミュニティデザインは「大人の都合」とは別の時間軸の上
を進んでいくものなわけで、それがために大人の視点から見ている
だけでは時にうまくいかなくなってしまいます。そんな時、山崎氏
は子どもや学生の視点をプロジェクトに持ち込みます。大人とは違
う時間軸で生きている人に学ぼうという発想ですが、これは秀逸だ
なと思いました。
震災を機に、コミュニティの力が見直されています。地域社会にと
ってだけでなく、企業の経営や個人の人生においても、コミュニテ
ィはこれから重要なテーマになっていくことでしょう。そんな古く
て新しいテーマであるコミュニティの育て方について多くのヒント
を与えてくれる一冊ですので、是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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この50年間にこの国の無縁社会化はどんどん進んでいる。これはも
う、住宅の配置計画で解決できる問題ではない。住宅や公園のデザ
インを刷新すれば済むという類の問題ではなくなっている。僕の興
味が建築やランドスケーブのデザインからコミュニティ、つまり人
のつながりのデザインへ��移っていったのは、こんな問題意識があ
ったからだ。
一気に盛り上がる地域産業は何がしかのきっかけで一気に盛り下が
る。(…)じわじわと観光拠点をつくり、じわじわと観光案内人を
育て、じわじわと町民におもてなしの心を理解してもらう。その間、
じわじわと来訪者が増えてくれば、その対応にあわてることもなく、
借金して設備投資する必要もなく、急に人を雇うこともない。観光
まちづくりをゆっくり進めることにはそれなりの意味があるのだ。
そしてその速度は、住民が試行錯誤を繰り返しながらプロジェクト
を推進し、そのプロセスで主体性を取り戻すための重要な時間を与
えてくれる。コミュニティデザインにおいて「ゆっくりであること」
は大切なことだ。
1人でできることは明日からでもすぐに始めればいい。10人ででき
ることはチームですぐに始めればいい。100人でできることや1000
人でできることは行政と協働して進める必要がある。何でも行政に
頼むのではなく、自分たちにできることは自分たちでやり、どうし
てもできないところだけを行政と協働する。
大人が「できない理由」ばかりを並べるのであれば、今回はこども
たちと一緒に計画をつくろう、と考えた。(…)こどもたちの目線
でつくり、大人たちに実行してもらうよう提案するという構図にし
てはどうか。
学生は、本人たちが気づいていない強力な力を持っている。中立な
存在を保つ力である。ダム建設による利害とは関係なく、本当にい
いと思うことを素直にいいと思える中立な立場としての学生は、地
域の人たちとの信頼関係を築きやすい。この中立さと純粋さが、地
域の人たちに本来大切にすべきものやことを思い出させるのだろう。
民間企業がまちのためにできることは、CSRとして社会的な事業に
資金を提供することだけではない。新しい公共の担い手として、自
らの業態に合わせた方法でまちに寄与することができる。そのこと
によってその企業が「まちにとって無くてはならない存在になるこ
と」が重要だ。民間企業が公共性を担保すること。そのためには、
民間企業がまちに寄与するとともに、まちが企業を支えるような良
好な関係を生み出すことが肝要である。
問題は行政参加である。行政だけで公共的な事業を進めてきた時代
の名残がまだまだのさばっていて、特に大都市では行政職員が公共
的な事業にどう参加すればいいのか分かっていない。住民と行政が
公共的な事業に参加する時代には、住民の活動リズムに合わせた行
政内部の決済システムに変えなければならない。
人口減少、少子高齢化、中心市街地の衰退、限界集落、森林問題、
無縁社会など、社会的な課題を美と共感の力で解決する。そのため
に重要なのは、課題に直面している本人たちが力を合わせること。
そのきっかけをつくりだすのがコミュニティデザインの仕事だと考
えるようになった。
コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理
なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか��地域の人間関係を
観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう
組み合わせれば地域に済む人たち自身が課題を乗り越えるような力
を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのか
を考える。いずれも地域社会が抱える個別の課題を解決するための
デザインであり、この方法論は世界における課題と共通する部分が
たくさんあることがわかった。
東北の復興にコミュニティデザインが必要なのは言うに及ばず、無
縁社会化する全国の地域にも人のつながりが求められている。非常
時のためだけでなく、日常の生活を楽しく充実したものにするため
に。信頼できる仲間を手に入れるために。夢中になれるプロジェク
トを見付けるために。そして、充実した人生を送るために。
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●[2]編集後記
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関東は平年より12日も早い梅雨入りだそうで、本当によく降ります
ね。恵みの雨とは言え、まだ冷たい雨は心身を冷やします。そのせ
いか、妻の体調もずっと戻りません。妊娠のために体調を崩しやす
いというのもあるのでしょうが、天気同様ずっとぐずついています。
最近、仕事で余裕のない日々を過ごしていることもあって、なかな
か家のことに時間が割けません。子どもの面倒を見るのが精一杯で
彼女のケアまでは手が回っていません。そういうおざなりな態度が
身重の彼女を責めているように映るようで、「面倒なことになった
と思っているでしょ」と言われ、泣かれてしまいました。
英語ではtake care ofと言うように、「ケア」は、何かをしてあげ
ることの前に、相手の気がかりや不安を除いてあげることに本質が
あるようです。言葉ではわかっているけれど、現実にそれをしよう
と思うと簡単ではないですね。不安を取り除くどころか、逆に不安
にさせていたのだから、治るものも治らないでしょう。むしろ、彼
女の寂しい気持ちが病気を呼んでいるんだともいえます。
子どもの世話だけでなく、配偶者や、時には親の介護まで必要にな
るのが家族というもの。何も問題のない、明るく楽しく健康な家族
というのは理想ではあっても、長い人生、現実にはそうそううまく
いきません。オトコは、仕事を理由に、そういう家族の現実から目
をそらして生きてこれたのかもしれませんが、少子高齢化が進むこ
れからはそういうわけにはいかないですね。オトコのケア能力が問
われる時代を迎えているということなのでしょう。
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P30 管理者であるオリエンタルランドという会社の人たちとは会うことはないけれど、キャストの存在がディズニーランドを楽しいものにしているのである。
P39 ハードをデザインするだけでなく、ソフトをマネジメントするという視点を組み合わせることによって、持続的に楽しめる公園を生み出すことが可能だということを学んだ。
P78 一人ではなかなか始めにくいことかもしれないが、何人かの人が集まって屋外で食事したり読書したりすると、それは単に屋外で活動しているという楽しみを超えて、集まった人たちが共有できる気持ちを生み出す。あるテーマに特化したコミュニティが生まれるのである。
風景は、そこで生活する人たちの行為の積み重ねによってできあがる。木を植えたり水を流したり、物理的な空間を設計することによって風景をつくることはできるが、人の生活や行為を少し変化させることによって良好な風景をつくりだすこともできる。「OSOTO」での実験は、アクティビティやプログラムから生まれるランドスケープデザインの試みである。ハードをデザインするだけではなく、ソフトをマネジメントすることによって風景をデザインする。
P86 (ダイアグラムの大切さ)プログラムやアクティビティを詳細に検討し、それを満たすデザインを精査し、さらに全体を調整して美しい風景を生み出す。そのプロセスで、関係図やイメージ写真などのダイアグラムを用いて人々の行為や関係性を可視化し、それを空間的に配置することができれば、意図をデザイナーへ効果的に伝えることができる。逆に言えば、優れたダイアグラムをつくることができれば、デザインは方向性を決めやすくなる。
ソフトとハードをすべて一人の頭の中で考えてしまわなくても、信頼できるデザイナーと協働できるのであればハードのデザインを任せることが可能だ。→これからはソフトの時代だというのではなく、ハードを極めることも重要!?
P103 観光業としてどんな方向性を目指すべきかという相談を受けた僕は、テーマパーク的な整備によって一気に人が押し寄せることになると、その種の人たちは一気に飽きて島を訪れなくなることになるため、じわじわと来訪者が増えるような仕組みをつくるべきだと提案した。100万人の人が1度だけ訪れる島ではなく、1万人の人が100回訪れたくなるような島にすべきであり、コアな家島ファンをどうつくるかが重要だと考えていた。
P119 空き家を貸さない理由①盆と正月には家族が帰ってくるので老夫婦には広すぎる家でも他人には貸せない②仏壇があるので他人に貸すわけにはいかない③部屋に溜まった荷物が移動させられないので他人に貸せない④貸した結果、集落に入ってきた人が集落の迷惑になるようなことを起こした場合、自分の責任になるのが嫌だ⑤(あの人もついに人に家を貸さなければならないほど落ちぶれたか)と思われるのが嫌だ
P174 空間のデザインについてのワークショップを進める場合、「どんな空間がいいですか」「何が欲しいですか」とは尋ねないほうがいい。挙がってくるのはどうしてもありきたりな空間のイメージであり、汎用性がなく、すでに陳腐化してしまうような既存のイメージばかりにな��。空間のデザインについては専門家に任せたほうがいい。専門化がデザインのよりどころにするための要素、つまりアクティビティやプログラムを住民から聞きだすことが重要である。住民から挙がってきたアクティビティやプログラムを適切にまとめて専門家に渡せば、専門家はそれを美しく空間に定着させてくれるものである。
P235 デザインはデコレーションではない。おしゃれに飾り立てることがデザインなのではなく、課題の本質を掴み、それを美しく解決することこそがデザインなのである。デザインはdesignと書く。de-signとは、単に記号的な美しさとしてのサイン(sign)から抜け出し(de)、課題の本質を解決する行為のことを言うのだろう。
P246 【ソーシャルなデザインへ】社会の課題を解決するためのデザインについて考えとき、2つのアプローチがあるような気がする。ひとつは直接課題にアプローチする方法。困っていることをモノのデザインで解決しようとする方法である。例えばアフリカの水道が整備されていない村に対して、手で押して転がすことのできるローラー状のタンクをデザインすること。水瓶を頭の上に載せて運ぶよりも多くの水を短時間で運ぶことができる。これは課題に直接アプローチするデザインだといえよう。
一方、課題を解決するためにコミュニティの力を高めるようなデザインを提供するというアプローチもある。同じくアフリカの村でこどもたちが回転遊具で遊ぶことによって地下水が上空のタンクに貯められて、蛇口をひねると水が出てくるという仕組みをデザインした例がある。これはこどものコミュニティが集まって遊ぶことを促すデザインであり、これによって水が手に入るようになるという解決方法である。
コミュニティデザインに携わる場合、後者のアプローチを取ることが多い。コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか。地域の人間関係を観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう組み合わせれば地域に住むたち自身が課題を乗り越えるような力を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのかを考える。いずれも地域社会が抱える個別の課題を解決するためのデザインであり、この方法論は世界における課題と共通する部分がたくさんあることがわかった。
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山崎さんが参画した数々の事例についてコンパクトにまとめられた本。それぞれコミュニティを生かして、デザインをツールとして用い、まちづくり、復興計画を練っている様子が伝わってくる。その場その場に適材適所とも思えるアイデアをぶつけていって超人かと思いました。笑
それぞれの事例に一度関わって終わるのではなく、有機的に長期的に機能するようになるまでフォローするということが大切。そのためにコミュニティを生み出し(社会問題をハードのみでなくソフトをむしろ主体として解決)、しっかりと根をはるまで近づきすぎず、遠ざかりすぎず関わりつづけていく山崎さんの姿勢からコミュニティ作りの難しさが見えました。粘り強さ。
単純に山崎さんがわが街をコミュニティデザインしてくれたら…って思えるくらい各々の街がうらやましく、活気が伝わってきました。
非常に読みやすいつくりなっていながら学べる事の多い良書!
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まちづくりで何かをしようとすると利害関係で正面から対立することもしばしばある。
場合によっては話し合いにならず、平行線をたどることもある。
特に、ビジネスライクにできないコミュニティの事になるとなおさらだ。
それを著者は少しでも話し合いになるように、少しでも前を向いて話ができるように時には対象を変え、時には本当の顧客とはと問い直し、粘り強く少しずつでも前進させていく。
平行線をたどって行き詰ってしまうことは何かを変えていこうとする時には、十分にあり得ることでありそのような考え方がとても参考になった。
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モノをデザインすることと、人と人がきちんとつがれる場所、コミュニティをデザインすること。震災復興をめざすいま、まちの本当の復興には後者も必要だと。多くの人によんでほしい一冊。
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斜め読みですが、なかなか面白いと思う。
コミュニティーを作るという事は、そこにいる人と関わるってこと。そこにいる人とは、住んでいる人、利用している人など、その場その場において様々です。
そして、そこにいる人が関わり合う事の大切さが書かれているように思いました。
コミュニティーを作るとは、人が関わり合える場を作る事なのかな。これはエンカウンター・グループにも通じるものではないかしら?
避難所で見た、「私○○できます」っていうゼッケン。これは山崎さんの学生さんの提案らしいです。
すごいなって思った。これも人が人と関わるきっかけになるもの。
あのゼッケン見た時思った。私は何が書けるだろうって...何も書けないなって感じた。
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単にイベントぶち上げて終わり
ではなく持続的に、中心人物がいなくなっても継続して計画を立てて行動していける仕組み作りや準備が大事
ある意味でこの人のやってることは一貫しているし、本来共同体の強い日本でこそ広がるべきだが、個人主義の浸透した日本では巻き込む力を持った人間でもなかなか難しいかと思う。
何より長期的な、ブレないビジョンが巻き込むには大事ということもこの本からはわかった。
しかもこの人に巻き込まれた人間は自分から動いて波を作るという成長が見えるはず!
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著者の山崎亮さんとは、まだ会ったことがないが一度はお会いしたい人である。多くの人が彼の魅力を語っており、その活動を知るうえで最適な本であろう。彼のようなまちづくり家が一人でも多く誕生できればまち塾の目的も達成されよう。