紙の本
汎用される細胞株にも、親があり子どもがあり、生きた人生があった。固有名詞で捉える事で見えてくる世界を描くことで多くの問題を提示する力作。
2011/08/09 08:26
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒト由来の細胞として最初に樹立された培養株、ヒーラ(HeLa)。1951年に子宮頸がんから採取されて以来、世界中で研究に使われている細胞である。
この細胞がどのように、どんな人間からとられ、家族や本人、そして世界にどんな影響を与えてきたのか。本書ではヒーラ細胞を、ヘンリエッタ・ラックスという名前のある、一人の人間としてみていくことに重点が置かれている。
本人の同意なく研究に細胞を使うことの問題、家族に無関係に販売したり特許をとったりすることの問題。果てはそのことで訴訟するべきだと家族を巻き込む偽弁護士まで登場する。科学研究と倫理の問題、人種の問題ばかりではない。信仰や報道についても、本書を読むと考えさせられることがあるはずである。
多くの課題を含み、時間も場所も錯綜した書き方は読みやすいとはいえない。科学的な価値説明をするために専門用語が多い部分もあり、宗教的な記述の特殊性を感じるところもある。ヘンリエッタや家族、特に子どもたちの生活の部分は、取材を通して知りえた事実なのかもしれないがここまで書く必要があるか、と危ぶむぐらい立ち入った内容である。本書にも記載されている、最初にドキュメンタリー番組を作成しようとしたジャーナリストの「実名で家族の様子まで細かくみせることが視聴者ひきつける要素だ」という言葉と、著者も同じことをしているのではないだろうかとすこし「ひいて」しまう。
正直、ここまで書く必要があったのかについてはまだ疑問を拭えないのだが、知らないうちに母親が世界中でなにかわけのわからないことに使われていることを知ったあとの苦悩まで読むと、執拗な家族の記述も、その中でいかに彼らが彼らなりに生きてきたのかを示すために必要だったようにも思えてくる。あの時代の医療や研究、特に黒人に対しての劣悪な環境を示すためにはこれも必要だったのかもしれない、と。
感動を呼び起こすのは、遺体解剖のときにペディキュアを見てはじめて一人の生きていた人間だと感じたという実験助手の話と、細胞の染色写真を送り感謝の言葉を語った医師の言葉で家族の心がほぐれていくところ。
家族の苦しみも、結局は「母は、私たちはなんだったのか」を人間として認めてほしい、というところからきているのではないだろうか。多分人は誰でも、個人として、固有名詞のある存在として認められることを必要としている。
普遍的な単語としてではなく固有名詞として考えると、物事は違う受け取られ方をする。関わった個人の尊厳を認め畏敬の念をもつこと。これがあれば、起こらないですむ問題もたくさんあるように思える。本書には多くの問題が提示されているが、このことが、忘れがちであるが重要な問題(相手を思うという想像力の問題といってもいいのかもしれない。)であることを指摘している点は重要だと思う。
著者はいま、ヒーラ細胞の財団を設立しているとのことである。これも、一歩間違えば家族の意向とは離れてしまう怖れは拭えない。しかし、ずれを正しつつ信頼を保ち続けること、それだけが人としてのできることなのではないだろうか。
重たくて複雑で、よくまとめられたとは言い切れない部分もあるが、丹念な取材の上に真摯に作られた本であることは確かである。ものものしく長い内容紹介文には気圧されるが、医学や科学と社会について、個人と社会の関係について、感心が少しでもある方には一読の価値ありである。
紙の本
著者の真摯な取材姿勢に好感がもてる、大変読みやすい医学ノンフィクション
2011/12/13 06:25
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
1951年に黒人女性ヘンリエッタ・ラックスから切り取られたガン細胞は大変特異なもので、切除後も容易に増殖できる細胞であった。ヒーラ細胞と名づけられたそれは世界中に売買され、ポリオワクチンや遺伝子マップの作成、放射能の影響の調査など様々な医学的分野の進歩に貢献してきた。そして製薬会社などに莫大な利益をもたらしたのだ。
過去半世紀以上に渡って人類の健康に寄与してきたヒーラ細胞の由来を取材していくうちに著者は、ヘンリエッタの遺族が細胞の生み出してきた経済的恩恵をまったく享受することなく、またヘンリエッタの死後にその細胞がそうした利用をされてきた事実を全く知らなかったことを知る…。
この本が描くのは、高度な資本主義社会という基盤の上で急速に進歩する医学の特異な姿、だからこそ発生する莫大な利潤が生みだす経済格差、そして公民権以前はもちろんのこと以後であってすら社会的立場の弱いアフリカ系アメリカ人たちの切迫した日常です。
自分の体から切除された細胞には、もともとの持ち主の権利が及ぶことはないのか?
医学の進歩のためという大義名分のためにも、切除された細胞の使用権を元患者やその家族が妨げることがないよう、医療従事者や製薬会社は細胞の優先的使用権を持つべきなのか。
今も答の出ない課題に、アメリカ社会は議論を続けているのです。
私自身、近年腫瘍切除手術を受けたことがあります。切除した腫瘍は検査のために生検にまわされました。幸い結果は良性でしたが、もちろんその細胞を返却してもらったわけではありません。
日本の実情は分かりませんが、この本によればこうした場合の切除細胞に関してアメリカでは数百万件を目標に標本集積が開始されているというのです。日本の私の場合はどうなのでしょう。この本を読むうちにそのことが気になり、うすら寒い思いにとらわれて仕方ありませんでした。
一般読者向けに書かれた書籍とはいえ、科学的ノンフィクションですから医学や法律などにまつわる記述も多く、決して容易な翻訳ではなかったことでしょう。しかし訳者はこの本を実に分かりやすい日本語に巧みに置き換えていて、読み進めるのに難渋することが全くありませんでした。
「やおら」という言葉を「ゆっくりと動作を起こすさま」という本来の意味ではなく「急に、いきなり」の意味で使っているところが幾度かあるのと、「~に鑑みて」というべきところを「~を鑑みて」と助詞の使い方を間違えているところがわずかに目立ちましたが、全体的には大変見事な訳出作業だと思います。
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ヘンリエッタ・ラックス、1951年に子宮頚癌で亡くなった黒人女性である。その名前を耳にしても、彼女のことを知っているものは数少ない。しかし、ヒーラ細胞と呼ばれる彼女の細胞は、科学者の間では知らぬ者がいないほどの、世界一有名な細胞である。
彼女の身体から採取された癌細胞は、医学界に大きなインパクトを与えた。それまでの数十年間、科学者たちはヒト細胞を培養化で生き続けさせようと奮闘してきたが、一度として成功したためしはなかったのだ。しかし、ヘンリエッタ・ラックスの細胞は、24時間ごとに自らの完全な複製を生み出し、とどまることがなかった。かくしてヒーラ細胞は、世界で初めて研究室内で培養された不死のヒト細胞となったのである。
人類の究極の夢、不老不死。その魅惑に取りつかれた者は、英雄達の中にも数多い。始皇帝、織田信長、サン・ジェルマン伯爵、ナポレオン。不死細胞ヒーラを取り巻く、壮絶な人間模様も、人類の不老不死への憧れと無縁ではないだろう。
ただの癌細胞でありながら、ここまでヒーラ細胞が役立った理由は、正常細胞の基本的性質を数多く供えていたからである。ヒーラ細胞は、正常細胞と同じように、たんぱく質を生成し、互いに情報をやり取りし、分裂時にエネルギーを生み出し、遺伝子の発現とその制御を取り行う。今までに培養されてきたヒーラ細胞をすべてつなぎ合わせると、地球三周はすると見積もる科学者もいる。その不死性を武器に、ポリオのワクチン、化学療法、クローン作製、遺伝子マッピング、体外受精をはじめとする医学の重要な進歩に大きく貢献し、はては無重力空間でのヒト細胞のふるまいを調べるために、初期の宇宙ロケットにも積まれたという。
正常なヒト細胞は、分裂回数が決まっており、およそ五十回分裂すると限界に達する。細胞が分裂するたびに、テロメアと呼ばれるDNA配列が短くなっていくためである。これが、癌細胞の場合、テロメアを再構築するテロメラーゼという酵素が含まれており、細胞が自らのテロメアを無限に再生することができる。この不死性とヘンリエッタの細胞が持つ旺盛な増殖力があいまって、細胞に永遠の命をもたらす。これがヒーラ細胞の不死のメカニズムである。
本書は、ヘンリエッタ・ラックスの人生、ヒーラ細胞を取り巻く科学者たちの話、著者と遺族を巡る話という三つのストーリが交錯することで成り立っている。特に、後半の遺族をめぐる話には、考えさせられる要素が多く含まれている。
一番重要な問題は、これだけ医学に貢献したヘンリエッタ・ラックスの子孫たちが、医者にかかることすらままならない境遇に置かれていたということである。もしその当時に、インフォームド・コンセントという概念が確立していたら、もし彼女が黒人でなかったら、もし医学の倫理観がもう少し発達していたら、その運命は大きく変わっていたのかもしれない。
そして、突きつけられのは、いったい細胞とは誰のものなのかという命題である。たとえ、自分自身の細胞でも、ひとたび身体を離れると、本当に自分の持ち物ではなくなってしまうのだろうか?
ヒトとヒトを構成する細胞、その関係は単純な足し算や引き算では答えることのできないものである。現に、彼女の細胞のDNAには、自身のここまで数奇な運命は記述されてはいなかったであるだろうし、彼女が死んでも細胞は今なお生き続けている。ヒーラ細胞を足し合わせてもヘンリエッタにはならないし、ヘンリエッタを分割してもヒーラ細胞にはならないのである。
人類が夢見た不老不死の世界は、決して夢のような幸せな世界ではないのかもしれない。それも、ヒーラ細胞が教えてくれたことの一つである。
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医学・生物学研究において非常に一般的に用いられている培養細胞HeLa。あまりにも有名なその細胞の提供者となった黒人女性はどのような人物であったのかについてはあまり知られてこなかった。
HeLa細胞が生まれた背景、その有用性と多くの利用例、そして遺族たちのその後の人生を、過去と現在、また一般人と研究者の視点を行き来しながら織りだしていく一級のノンフィクション。
ヒーラ(HeLa)細胞といえば、少しでも細胞培養をやったことがある人なら知らない人はいないだろう。増えやすく、培養初心者でも失敗することがあまりない。私が学生だった20数年前、付着細胞でまず扱うのはHeLaという例が多かったと思う(今でもそうかな・・・?)。
ヒト最初の培養細胞株であり、培養も容易であることから、ポリオのワクチンから遺伝子マッピングにまで利用され、また世界中の研究室で培養されている。
HeLaという名前が、提供した人物の名前から取られたのは有名だが、私の学生時代には、「ヘレン・何とか」らしい、という極めて不確かな話しか漏れ聞かなかった。
アメリカ在住白人である著者は、ふとしたことからこの女性の本名がヘンリエッタ・ラックスであったことを知り、どんな人物だったのかについて調べる決心をする。そこからすべての物語が始まる。
著者が困難の末にようやくコンタクトを取ることに成功した遺族たちは、プライバシーの侵害や、自分たちが理解できない事柄に亡きヘンリエッタが利用されているという事実に戸惑い、また傷ついてもいた。遺族らは貧困や暴力の最中にあり、細胞の何たるかも理解していなかった。
本書はヘンリエッタ・ラックスの一族の物語であるとともに、ヒーラという1つの細胞を軸足とした科学史でもあり、そしてまた、医療倫理を巡る問題に一石を投じるものでもある。
著者は、一線の科学者らの論理と、教育レベルが高いとは言えない一般市民の感情の両方に目を向けつつ、この膨大な物語を出来うる限り公平な視点からまとめるという離れ業を成し遂げている。
遺族の中にはヒーラ細胞から得られている収益を遺族も得るべきであると憤る者もいる。それにも一理はあるが、また、培養を確立した科学者らが決して私腹を肥やしたわけではない。治療の過程で採取された試料に関するガイドラインをどうしていくのかに関しては、まだまだこれから整備されるべき問題も多いだろう。
本書中に登場する研究者の1人、レンガウアーの姿勢は、研究者のあるべき姿として非常に象徴的なもののように私には感じられた。彼がヘンリエッタの子どもたちに染色体写真を送るシーン、そしてヘンリエッタの細胞を見せるシーンでは涙を禁じ得なかった。遺族はやはり、何らかの形で報われるべきだろう。
ヘンリエッタの娘デボラと著者との交流も、本書の軸の1つである。様々な困難を抱えながら、デボラは高潔な魂を持ち続けた人物であるように感じられる。母の死を巡る旅の果てに、デボラが少しでも救われたと感じたことを祈りたい。
*ヘンリエッタの癌とその治療についても記述があった。激烈な症状だったようで胸が痛む。培���細胞の増殖能が高いということは、そういうことか・・・。
*オプラ・ウィンフリー製作でドラマ化も企画されているらしい。
*アメリカのノンフィクションの底力を感じる。
*数ヶ月前の新聞記事に本書の原書についてちょっと触れられていて、訳書を待っていたところ、別の読書サイトで発刊を知りました。講談社ブッククラブにまで登録してたのに、そっち経由ではなかった・・・。
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迫力。
ヒーラ細胞なんて聞いたことも無かったが、こういうことが実際にあったのか。
その、残された細胞と、残された家族たちの歴史の交わり。
だからどうなった、と思うところもあるが、ドキュメントとして心に残る。
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培養細胞について、多少なりとも齧ったことのある人間なら大抵知っているというHeLa細胞。
実は、ヘンリエッタ・ラックスという一人の女性のガン細胞がそもそもの母体だったのだという。
彼女の細胞が、1950年代から70年代にかけての医学の進歩に絶大な貢献をしたという事実に、驚きを隠せない。現代社会に生きる殆どの人が、何かしら彼女の細胞の恩恵にあずかっていると言っていいのではないだろうか。
ただ、それ以上に、1950年代のアメリカの人種差別の実態に驚かされた。
黒人専用精神病院(クラウンズヴィル病院)で行われていたことはまるで、アウシュヴィッツ収容所でのナチスの振る舞いそのものではないか。
人種差別は表面的には撤廃されたと言っても、当時の後遺症は現在でも残っている。
ヘンリエッタの娘デボラの、母親の情報を追い求める姿、言葉がとても印象的。彼女は満足な教育も受けられず、母親のぬくもりも記憶になく、差別の残る不幸な環境で育ったにもかかわらず、母を追い続ける中で発する一言一言が、とても本質を突いている。
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自店でけっこう原書が売れたのですが、これを原書で読める人を私は尊敬します…。
とにかくしっびれる本でした。ぐいぐい読ませます。
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「僕の立場から言えば僕が正しく、君の立場から言えば、君が正しい。」ということが強烈に思い起こされる。
根本的な問題が無数に絡み合っていて切なくなる。
科学への真摯な情熱と、暖かい人間の感情を前にして、私はいつも途方に暮れる。
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おそらく生涯、内容を忘れないだろう本。
ヒーラ細胞と言われてもピンとこなかった私だが、知らないうちにその恩恵にあずかっているに違いない。
ヒーラ細胞は世界で初めて培養に成功した細胞で、発見されてから現在に至るまで様々な科学や医学の発展を支えている。しかし、その細胞の持ち主であった女性については、詳細が語られてはこなかった。
この本は、その細胞の提供者である黒人女性、ヘンリエッタ・ラックスの人生、ヒーラ細胞をめぐる科学者たちの話、ヘンリエッタ・ラックスの遺族たちの話の三つが入り混じって構成されている。
まず、自分の無知を恥じたのが、ヘンリエッタ・ラックスが亡くなった当時の1950年代のアメリカの人種差別である。カラード専用の病棟、そして、黒人を使った人体実験。差別が存在したこと、そして、今なおあることは頭では理解していたけれど、本書に書かれている内容は私の理解を超えていた。その当時、一部の良心的な白人以外の白人にとって、黒人は同じ人類ではなかったのだろう。教科書で昔習った人種の坩堝(現在はサラダ・ボウル)であり、自由の国であるアメリカ像って何だったのか。
ヘンリエッタ・ラックスは、癌に苦しみながら死んでいき、その細胞は、今なお、様々な研究室で生き続けている。けれど、彼女の遺族たちは貧困にあえぎ、健康保険に入るお金すらない現実。細胞は、その人の体を離れたら、その人のものではなくなるのだろうか。本人の許可なしに体から採取れた細胞が研究室で培養されつづけ、売り買いされている。科学者の倫理というのはどこにあるのだろう。
赤ちゃんのときに、母ヘンリエッタを亡くしたデボラの母の細胞を追い求める気持ちがつらい。細胞で母のクローンを作れるのか、何回も聞く彼女。母の細胞を眺める彼女の姿が印象的だ。レンガウアーの言葉は彼女を慰め、救うことはできたのだろうか。
いくら言葉をつくしても、この本を読んだときの衝撃を伝えることはできない気がする。とにかく、いろんな人に読んでもらいたい、考えてもらいたい本である。この本に出会うきっかけとなったたなぞうと書評の著者に感謝したい。
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ヘンリエッタ・ラックスという黒人女性の細胞のおかげで多くの病気の薬が出来、医学の発展に大いに貢献したという話ですが、それだけでなく人種差別の問題などもあり、とても心が痛くなるところもあります。
この方の子孫の方はもちろんのこと、もしも病気になった時には、人種や貧富など関係無く誰でも平等に病院で診察・治療が受けれる世の中になるよう願うばかりです。
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今年最高の1冊になるかもしれない。私も知らずにヘンリエッタの恩恵を受けているかもしれない。時代背景など多くのことを考えさせられた。ヒーラとしてではなく、ヘンリエッタ・ラックスという女性について深くこころに刻み込まれた。
ドキュメンタリーな文章も素晴らしい。
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医学にはとんと疎く、ヒーラ細胞なるものを初めて聞いた。
その細胞は癌研究等に大きく貢献し、培養された細胞は世間で売買されている。しかしながら、その細胞を取られた女性や彼女の家族にはなんら恩恵をもたらしていない。米国での黒人への(内容を知らせず人体実験を行うことも含めた)差別、偏向した医療研究、商業主義、貧富の差、訴訟社会を浮き彫りにしたドキュメンタリー。これって日本で起こった場合は、ここまで大きな話題となったのだろうか?
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ヒーラ細胞という名前は、高校の授業や生物の参考書に載っていたので知っていが「保存、培養されているがん細胞」くらいの知識しかなかった。
この細胞が長期にわたって増え続けていることについては「がん細胞ってそういうものなんだ」くらいの認識だった。
ヒーラとは、この細胞の提供者である Henrietta Lacks の「HeLa」。
彼女は1940年代末、子宮頸部のがんになる。手術によって摘出された組織が、本人や家族に何も知らされることなしに研究に用いられた。
培養された細胞は、売買され、数兆個単位で世界中の研究所に出荷されている。
今までに培養されたヒーラ細胞は5千万トンを超え、もし細胞をつなげたら1億6百68万メートルを超えるという。
この細胞がもたらした科学的な功績(ポリオウイルスワクチンの開発、クラインフェルターやダウン症の解明 ほか)と大きな金銭的利益。
この本では、金銭的に苦しい生活をしていたHenrietta と 現在も保険証をもてず貧困生活を強いられている家族たちを取材し、科学研究の倫理的矛盾を描いている。
読み応えのある1冊だった。
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ブクログの紹介で興味を持ち手にとった本。
医学・科学共にうとい私ですが、感謝と恐ろしさと両方を味わいながら読了。
知らない内・・・と言うのが怖いけど、関心の無さが一番いけないんだろうな・・・
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とにかく引き込まれて、読み耽ってしまった。
ありとあらゆる病気の解明と治療薬の開発に役立ってきたヒーラ細胞と、その持ち主であった、ヘンリエッタ・ラックスという女性、その家族のお話。
ヘンリエッタは、サザエさんでいうところのフネさんのように、働き者で慈悲深く、いつもきちんとした服を着て、爪の手入れを欠かさない女性だった。彼女を若くして殺した癌細胞が、ふとしたきっかけで、培養に成功した初めての人間の細胞となった。それはいまでも世界中で増え続け、様々な実験を助け、また強烈に阻害している。。。
貧しい黒人の彼女と、幼くして母をなくした子供達。そしてついこの前まで行われていた、本人に無許可のあらゆる実験。。。かなり衝撃的な内容だった。
この本に書かれている色々なことについて、私にはとやかく言えるようなものは何もない。ただ驚いた、ほんとにそれだけ。