紙の本
萩尾望都の意外な一面
2011/06/28 12:12
16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BH惺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
萩尾望都の新作エッセイ。1987年から2010年までの間にさまざまなメディアで発表されたエッセイ・解説を1冊にまとめたモノ。巻末の初出一覧を見てもかなりな量です。
おおまかには4章構成。その内容は以下の通り。
1 いわゆるホントのエッセイ。
少女時代に感じたこと、懐かしの恩師のエピソード、「青」という色に関してのイメージ、興福寺の阿修羅像を巡ってのあれこれ。などなど、萩尾望都が素直に感じたこと、素顔の一面を垣間見ることができます。中でも、「私は生き物。同じ生き物」が印象的。アフリカ滞在時の解放感を、世間から逃れて、のびのびと自己の解放と絡めて描写しているところが良いなあと。
2 文学について(小説について)
萩尾望都といえばSF!! 特にブラッドベリとの出会いの感動とショックを素直に熱く語っています。
「 誰しものことだとは思うが本とのめぐり会いというものは実に不思議なものだと思う。ちょうど何かが読みたい時に心や魂を震撼させる生涯の本に出会う幸福」 p48より
という一文に激しく共感してしまいました!
他に松井今朝子・森博嗣・寺山修司・矢口敦子等の作家との交流や作品についても言及。あたりまえですが、かなりな読書家というイメージです。
3 お気に入りのマンガについて
今度は主にマンガ作品やマンガ家について述べられてます。過去に衝撃を受けたマンガ家さんとして、和田慎二(超少女明日香シリーズ)・聖悠紀(超人ロック)・石森章太郎(サイボーグ009)などの男性マンガ家を挙げてまして……うん、かなり面白かった。特に和田慎二について作品テーマがフェミニン(女性的)であると評しているところがなるほどなと。
その他多大なる影響を受けたであろう手塚治の作品を紹介。今夏アニメ映画化されるブッダについての言及はさすが。(エッセイ初出は1993年)。
4 その他もろもろ、メディア文化について
萩尾望都のアンテナに引っかかったいろいろなモノが網羅されています。
例えばゴジラ・映画「ディア・ハンター」・夢の遊眠社の舞台・ノルウェイの森・ニジンスキー(バレエダンサー)等々。映画にかなり造詣が深いらしく、エッセイを読んでいるだけでも楽しい。自分の萩尾望都に対する勝手な印象は感情派、情緒派、感覚派というイメージだったけれど、なんと実は冷静な分析派・理論派なのだということを知りちょっと意外な一面も。とある映画のワンシーンをその分析魂をもってして、なんとか説明しようとする件が面白すぎます!
自分にとって萩尾望都は謎めいたマンガ家サンといった印象だったんですが、この本を読んでそれがガラッと変わりました。
文章も的確でわかりやすい。冷めた……というか、冷静な視点で淡々と文を綴っていらっしゃるのがちょっと意外でしたね。ところどころにユーモア散りばめてそれもナイス!!
私生活での、両親との不和と葛藤もネタにしてしまう……という裏?エピソードもあったりして。
萩尾望都という稀代のマンガ家の一面を知るには充分な1冊でした。個人的に大満足!
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私は何のために生きているのだろう。存在しているのだから存在を続けていい。私はためらいながら描き出し、描き続け、今も描いている。萩尾望都があこがれ、求めるものたち。待望のエッセイ集(「BOOK」データベースより)
萩尾さん若かりし頃のエッセイをまとめたもの。
(最近、ガンガンエッセイ本出してますね~。)
今回も、萩尾さん独特の視線を堪能できました。
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文章に萩尾さんのエッセンスがにじみ、萩尾ワールドの一端に浸れる。
交流作家名に意外な名も出てきて嬉しかった。
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モトさまは面白い。
マンガも小説も面白いけど、エッセイも面白い。
言葉の選択がまるでモトさまの描く漫画のように美しく幻想的で想像力をかきたてる。
ひとつうれしかったのは、モトさまも本を食べ物のように語っていたということ。
そう、本は心の食べ物なのだ。
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萩尾さんの思考の断片をのぞかせてもらっているようなエッセイ。絵画、書物、映画、演劇、漫画…萩尾さんのアンテナにひっかかったたくさんの作品を、彼女の目を通して眺める。
やはり凡人ではないな・・・と思ったし、人間をやっていくことのやるせなさを抱え、いとおしむ人なのだと思った。
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(2011.07.19読了)(2011.07.14借入)
漫画家の萩尾望都さんのエッセイ集です。文庫の解説として書いた物がいくつかありますので、それらの作品も読んでみたくなります。手塚治虫さんの影響を受けて漫画家になったというだけあって手塚さんの作品の解説には、力(リキ)が入っている感じです。
手塚作品は、「新選組」「アドルフに告ぐ」「ルードウィヒ・B」「ブッダ」と4つの作品が取り上げられてます。「アドルフに告ぐ」「ルードウィヒ・B」は、読んだのですが、残りの2作品はまだ読んでいません。探してみましょう。
萩尾さんが漫画家になることを父親が許さなかったそうで、心理学を勉強したのは、父親との関係を修復したいためだったとか。勉強の成果は、作品に反映されているということです。萩尾さんのファンだった女性のうち、多くの方が「残酷な神が支配する」で、萩尾さんの作品から離れてしまったようです。(うちの神さんと神さんの友達がそうでした。)
残念なことです。
青春時代の愛読書についても述べられています。萩尾さんはヘッセの作品によって、漫画を描き続ける決心をすることができた、とのことです。「デミアン」「春の嵐」「郷愁」。
(僕にとって、生きつづける決心をさせてくれた作品は、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」でした。高校三年生の時です。)
漫画家は、原稿に追われて海外旅行に行く暇などないだろうと思っていたのですが、スペイン、スイス、ケニア、ガラパゴス、イギリス、アメリカ、等へ行っているようです。その思い出などが述べられています。
萩尾さんは、SF作品も多く書いていますが、ブラッドベリ、アイザック・アジモフ、フィリップ・K・ディック、等の作品の思い出なども書いています。僕はあまり読んでいないので、神さんの本棚から借りて、読んでみようと思います。神さんの本棚には、この人たちの作品がいっぱいあるのです。
●心理学の本(82頁)
萩尾さんは漫画家になりたかったが、ご両親は、ずっと反対し続けていたので、
「批判する親の気持ちを理解しようと、心理学の本を読んで研究しようとした。」
その結果、解ったことがあった。
心理学書は、人間とは何か?を知りたい人にとっては興味のつきない本だが、テレビの人生相談の本ではないということだ。
●レーゾンデートル(88頁)
14の頃、国語の辞書を引いていたら、偶然、「レーゾンデートル」という単語が目に飛び込んできた。「存在理由」と、解説がしてある。驚いた。
「存在理由」という単語があり、「レーゾンデートル」という単語があるのだ。それはポピュラーな概念なのだ。そして、存在には、理由があるのだ。理由。
●中島らもの「アマニタ・パンセリナ」(103頁)
これは薬物マニアの話だった。つまり嗜癖の話である。嗜癖だから、オタクである。
キノコを食う。大麻を吸う。サボテンを焼く。酒を飲む。睡眠薬、抗うつ剤、咳止めシロップまである。
徹底している。引け目も悪気も自責もない。化学の実験過程でも読んでいるのかなと思ってしまう語り口なのだが、崩壊の話である。
あぶない男だ。
●寺山修司(106頁)
寺山さんの感じははじめから、私にとっては大���なお兄さんというもので、それは後々まで変わらなかった。
寺山さんの関心は人の心のありようにあり、応募作を見ながら、詩の一枚一枚をていねいに読みながら、その著者の心の構図を探っていく、というぐあいだった。
●手塚治虫(147頁)
手塚治虫の、人間や物事に対する洞察力は、やはりずばぬけたものがある。人間に対して、深い興味を持っていたからなのだろう。人間の歴史や生きる意味について、生まれてから死ぬまで、空気を呼吸するように自然に、考え続けていたのだと思う。
☆萩尾望都の漫画以外の本(既読)
「ストローベリーフィールズ」萩尾望都著、新書館、1976.11.05
「少年よ」萩尾望都著、白泉社、1976.12.25
「月夜のバイオリン」萩尾望都著、新書館、1981.12.25
「戯曲・半神」萩尾望都・野田秀樹著、小学館、1987.10.20
「斎王夢語」萩尾望都著、新潮社、1994.09.20
「左手のパズル」萩尾望都著・東逸子絵、新書館、1995.08.05
「思い出を切りぬくとき」萩尾望都著、あんず堂、1998.04.23
「トリッポンのこねこ」萩尾望都著・こみねゆら絵、教育画劇、2007.02.
「トリッポンと王様」萩尾望都著・こみねゆら絵、教育画劇、2007.02.
「トリッポンとおばけ」萩尾望都著・こみねゆら絵、教育画劇、2007.02.
「トーマの心臓」萩尾望都原作・森博嗣著、メディアファクトリー、2009.07.31
(2011年7月24日・記)
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大好きな萩尾望都さんがキュッとくるものについて書いたエッセイをまとめたもの。年代なのか読んだり観たりしたモノが被るので楽しい。表現に感心。
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『一瞬と永遠と』とは?
あとがきにもあるとおり、
「幸福な一瞬を抱きしめて、長い時を過ごしてゆくのです。」
なのだが、、、
読んでいる間は、自分は一瞬だが、時は:宇宙は永遠なんだな、
と感じて、こころを穏やかに鎮めることができた。
どんなにひどい扱いの中でも、自分を見失わないで、
自分らしく、精一杯、やっていこうとも、思うことができた。
これは大きい。この本が読めて良かったと思う今日この頃です。
萩尾望都さん、ありがとう\_(^◇^)_/
以上です。
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30年ほど前のものから最近のものまで、あちこちに載ったモト様のエッセイをまとめたもの。本業ではないから決してうまい文章とは思わないが、実に心にしみてくる。
冒頭の「青緑色の池」には参った。中学生だった頃のある気分がまざまざと蘇ってきて言葉をなくしてしまう。二編目の「先生の住所録」。読後涙を止めることができなかった。
長いこと手に取ってないブラッドベリがまた読みたくなった。若い頃読んで、あまりにも鮮烈だった記憶が邪魔をして読み返せないのだ。なんだか怖くて。
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繊細で洒脱な文章。うつくしい漫画を描く人はうつくしい文章を書くのだなあ。
石ノ森・聖悠紀話にうけ、ブラットベリに頷く。そして思いがけず和田慎二さんの逸話が載ってて泣けた…
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萩尾望都の本はマンガ以外では『思い出を切りぬくとき』を前に読んだ。『ガラスの家族』をオススメしてくれた元同僚さんは、私はこれはちょっと…と言ってたけど、読んでみたくて借りてきた。収録されているのは、もう30年あまり前の文章から最近のものまで、本の解説やエッセイ。
小学校5・6年のときの担任・高尾先生のことを書いた「先生の住所録」がよかった。鎌倉に行ったとき、突然、小学校のときに高尾先生から受けた授業を思い出して、先生に手紙を書く。返事をいただいた萩尾望都は、お会いしたいと思いながら、両親との間にこだわりがあって、なかなか九州には帰らなかった。そして、いつか先生に会いにいこうと思いながら出した年賀状の返礼が奥様から届いて、先生が亡くなられたことを知る。
もと同級生と一緒に先生のお宅を訪れて、大学ノートを二冊貼り合わせてつくってある、使い込んだ古い先生の住所録を見せてもらう。その晩は実家に泊まって、「こんなことでもなければ私はまだ家に帰ることはなかったのだなと思うと、最後まで先生にお世話をかけてしまった気がした」という萩尾。ニコニコしたお仏壇の写真のお顔を思い出して泣けてくる。
私にも、ときどき便りをする、かつての先生が何人かいるが、亡くなられて、もう便りを出せなくなった先生も何人かいる。それでも、ふと、ああ今、先生に手紙を書きたいと思うことがある。
▼初めての風景が見慣れたものになる前に、初めて聞く音楽が耳慣れたものになる前に、出会いの感動はしみしみ身体にしみこんで、やがてそれは心臓の近くで結晶になる。思い出すということは、その結晶を思い出すということだから、今見るナナカマドより記憶の中のナナカマドの方がもっと美しかったりする。やがてナナカマドになれると。(p.30、「地球の半分の雪」)
▼都会では、デパートではお金がなきゃいけない。学校では、頭が良くなきゃいけない。
セレブな場所ではセンスがよくなきゃ、いけない。自分で自分を締め付けて生きている。
でも、アフリカに来て、動物を見る。毎日見る。ホテルに泊まっていても、サファリーカーに乗ってはいても、草原と風が、皮膚から身体に染みていく。
私は空。私は風。私は大地。私は生き物。同じ生き物。許された、生き物。(p.35、「私は生き物。同じ生き物。」)
(10/11了)
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萩尾望都 残念ながら彼女の作品を読むのは初めて。物事に対する感性は素晴らしい。 突き詰める心も素晴らしい。 でも私はちょっと彼女の文章苦手かな・・・
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萩尾さんの漫画は、詩的で静かな旋律が流れているイメージがあるのだけど、文章も同じ印象を受けた。静かに見つめる視線を感じた。
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萩尾さんの興味がいろいろなところにあるのだなぁと思わせてくれるエッセイ。外国のこと、映画、文学など様々なことについて書いていて、共感を感じる言葉も多く、漫画家って商売は常識人じゃないとできないかも・・と思う。読者をちゃんと引っ張ってくれる。
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萩尾望都さんのエッセイ。人物や映画や漫画や漫画家に関する話。
萩尾さんとお喋りしているような気持ちになる楽しい本。
萩尾さんは私よりも年上の方なのに、好きな映画やSFが似通っていて、特に映画「ディアハンター」のページには声を上げて嬉しがってしまいました。
中嶋らもさんの話も。