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阪神大震災の経験をふまえた上での東日本大震災のボランティアについての見解が書かれています。
ただボランティアということに関して言えば、正解はないので、ひとつの考え方として非常に面白い本だと思います。
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東日本大震災の直後にマスメディアで流れた「ボランティアが被災地に行くと迷惑になる」という論調に対し、そんなことはないんだよという立場から書かれた本。著者は阪神大震災後から神戸を拠点に災害ボランティアの活動を行なっている。
内容
阪神大震災の時の個人ボランティアの大半は初心者の若者だった。しかし彼らが大きな混乱を引き起こしたかというとそんなことはなかった。混乱していたのは行政。どうやって受け入れたら良いか分かっていなかった。
むしろ著者はボランティアのマニュアル化が進んでいることを危惧している。
「ボランティアセンターで受け付けをし、保険に入り、レクチャーを受け、センターに寄せられた仕事を割り振られて、必要な機材を渡され、作業をして、決まった時間に戻ってきて、報告書を書いて、ハイ、終わり。これではまるでベルトコンベアーに乗せられているみたいだ。」(p.104)
ボランティアセンターに被災者から「家の片付けを手伝ってほしい」という依頼が寄せられる→ボランティアコーディネーターがボランティアに仕事を割り振る。
ボランティア活動はいわゆる「申請主義」に基づいて行われている。つまりボランティアセンターへの依頼がないと「ニーズはない」ということになる。
著者はそんなわけないだろうと言う。ボランティア一人一人が直接被災者と触れ合い、会話をすることで本当に求めていることは何かを聞き、それを手伝うことが大事だと主張する。
復興はあくまでも被災者中心で成し遂げられるべきである。ボランティアはそれを手伝う。ボランティアの力では難しい時に行政が助ける。行政の出来ないことをボランティアが補完するのではなく、被災者やボランティアの出来ないことを行政が補完する。
内閣府が2005年に定めた『防災ボランティアの「お作法」集』も一見親切なようでいて、却ってボランティアが自分で考える力を奪うと著者は批判している。http://www.bousai.go.jp/minna/bousai-volunteer/kihan/index.html
著者がボランティアに必要な心構えとしているのは「命は大切にしましょう」と「自分でよく考えて行動しましょう」の二つ。
感想
確かにマニュアルというのは平常時に役立つものであって、想定外の事態が頻発する非常時にはその場その場での判断が重視されるべきだろう。
ボランティアセンターの存在はボランティアと被災者の間を結ぶ上で有効な仕組みではある。しかし声を上げることができない人たちも確実にいる。そういった人たちのニーズをすくい上げるにはやはり現場で直接話しを聞くことが必要になる。
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3.11以降、NHKの取材番組で何度か著者らのボランティア活動を見た。場数を踏んだ絶妙の行動力、コーディネート力で支援活動を進める彼らの動きは、国や行政の動きとは全く性格を異にする。これこそボランティアの存在意義だと思った。「最後の一人まで支援する」という言葉がずしりと重く心に響いた。
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災害のボランティアは「すべての人を」ではなく「最後の一人まで」救う。「言われなくてもするが、言われてもしない」というのがボランティアの精神だと著者はいう。
メディアが3月以降に唱えた「ボランティアが行くと現地が混乱する」というのが実は事実ではなかったというのが新しい発見でした。この種の話はなかなかいろいろな意見があって難しい。
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私のブログへ
http://pub.ne.jp/TakeTatsu/?entry_id=3898873
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【東日本大震災関連本 その2】
今回の東日本大震災で被災地NGO恊働センターが初期にどう動いたのか知ることができる一冊。野菜サポーター、まけないぞう、足湯などメディアでも紹介された取り組みについても触れている。
初心者でも被災地に押し掛けていい、できることはあるし、迷惑ではないことをしることができる。
そのほか阪神大震災の時の話やボランティアのあり方、災害をいかに乗り越えるか、災害ボランティアにマニュアルいるのか、海外の災害支援するCODEの活動に関しても書かれている。
ボランティアに行った人も、行きたいけど踏み切れない人も一度読んでみてほしい一冊。
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■概要
阪神・淡路大震災の際に、ボランティア団体を立ちあげたのをきっかけに、世界各地の災害ボランティアに携わってきた筆者が、災害ボランティアの役割や精神、あるべき姿について述べる。
マスコミによって流布されたボランティア自粛論、迷惑ボランティア論を、阪神・淡路大震災の経験から「たとえ少し迷惑をかけることがあっても、それ以上に被災地の役に立てばいい。何よりも被災者はボランティアに来てくれる人がいること自体がとても嬉しい」と明確に否定する。
また、社会福祉協議会という半公的な期間がボランティアセンターを立ち上げ、ボランティアコーディネータをおいて調整しようとすることによる、救援の遅れや、想定外の事態への対応力の弱さを批判し、ボランティアは自発的、自律的であるべきだと主張する。細部に渡るボランティアのマニュアル化は、自分で考えないボランティアを生む土壌になる。ひいてはボランティア文化の醸成の妨げになる。
自分で考えるボランティアの文化を、「言われなくてもするが、言われてもしない」という言葉で表現し、ボランティアが行政の指示を仰ぐという形で行政を補完するのではなく、行政がボランティアが拾い上げた情報をうけて支援するというように、ボランティアを補完するべきであると述べている。
さらに、災害直後の支援だけでなく、ボランティアとは、被災者が自分らしい人生を「生ききる」ことが出来るように支えることだとし、タオルのマスコット「まけないぞう」の作成・販売活動、アフガニスタンでのカレーズ(地下水路)の復旧によるぶどう畑の再生と言った、被災者が職や生活基盤を得ることの支援こそが大切だと解く。
■感想
震災後半年あまりたってから被災地支援ボランティアに参加するようになり、自分の至らぬ点を反省し、改善する材料になればと思い読んでみた。そういう立場からは、少し書名が不適切ではないかと感じた。
一人のボランティアの心構えというよりは、NGOのトップなどの心構えを説く本というのが率直な感想で、自分にはやや話が壮大すぎた。
ただ、実際に震災直後から被災地に先遣隊を送り、すぐに支援を開始したNGOのリーダーが、明確にボランティアは十分な備えがないと迷惑になるといったボランティア迷惑論や、「県外からのボランティアは受け付けない」といったボランティアセンターの姿勢を実感を伴いながら批判するのは爽快である。
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被災地の方にボランティアに行く予定があるので、予習の意味で読んでみた。
自分は飛び込みで行くわけではないが、東日本大震災の発生直後は、知識のないボランティアがむやみに押しかけるとかえって迷惑になるとか、ボランティア志願者が多すぎて受け入れが間に合っていないといった話をちらほら耳にした。
しかし著者は、「ボランティアは押しかけてもいい」ということを説いている。確かに、政府によってルール化されたボランティア活動は、ボランティアの本質とは異なるように感じる。
被災者のさまざまなニーズがあるからこそ、柔軟に対応・行動できるボランティアの力が必要なのかもしれない。
形式に捉われず、一人ひとりのニーズを拾いあげることが大事だと思った。
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言わずもがな、村井さん。私もたくさん影響をうけています。きっとこの本だけでは思いを書き足りなかったんじゃあないかな。たくさんの人に「なんでもありや!」を伝えたいなぁと思います。
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2012.01.29
2011年夏に東北にボランティアに行った。(東大ボランティアたいメンバーとして)その際の準備として一通り読んだ。残りの一部を2012年初頭に目を通し読了。要は、行政管理型のボランティアへの批判を通し、災害直後はボランティアは独自の判断で積極的に災害現場に乗り込んでいくべきだと言う主張がなされている。もちろん、時期がある程度経過すれば行政による管理は有効なのだろうが。
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◎ボランティアはどんどん前に出ていいんだ!
と思わされた本。
ボランティアとは、黙って現地のボランティアコーディネーターの指示に従い、決められた範囲以外のことはやらず、自分で寝床や食事を準備して、規律を乱さず動くものだ、という風に思っていた。そして、その通りに活動していた。
「待つのもボランティア」という言葉を鵜呑みにしていた。周りにニーズを待って待機してイライラしている人にもそう言って諌めたりしていた。
しかし、すべてが外れているわけではないがすべてがその通りでもなかった。
筆者が言うには、
“今ボランティアに行くと迷惑をかけるという世論が、どういうわけか出来上がってしまった。それを変えるのはとても大変だ。ボランティアは押しかけていい。迷惑をかけてもいい。迷惑をかけた分の何倍もいいことをしてくれればいい。来てくれただけで、本当に喜ばれるのだから。”
(関西学院大室崎教授の発言をニューズウィーク日本版4月13日号から引用したうちの一部分)
だそうだ。これには驚かされた。
迷惑をかけてもいいとは一つも思わなかった。
無論、迷惑をかけないことが一番良いのだろうが、そしてボランティアセンターのコーディネーターが困らないようにするべきなのだろうが、もっとボランティアは前のめりになって、ボランティアセンターを形作るくらいの勢いでやってもよかったのではないかと思った。
やれることを、やれるように、やれる範囲でやるのが、ボランティアの在り方なのかもしれない。
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2013年4月18日に近畿大学中央図書館で借り、同日読み始め25日に読み終えた。
足湯ボランティアのことや、NPOとしてボランティアに関わってこられた方の考え方の一端が知れたのは収穫だった。キャッシュ・フォー・ワークの話なんかも勉強になった(136頁、191-2頁)