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昔読んだが理解できなかった「純粋理性批判」
分かりやすく説明してくれるならと期待して買ったが、けっこう頑張った感はあるものの、さすがに薄いマンガ一冊に入りきる内容ではなかった様だ。
分かりやすさを重視した比喩や例示を多用していることもあり、ちょっととっ散らかってる印象です。
まあそもそも要約を読もうなんて考えてしまう方が悪いんですよね。
無茶ぶりを何とか形にした作者さんの苦労が偲ばれる。お疲れ様でした。
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やっと、わかったー!これぞ入門書です。
文字だけだと、つながりや何が言いたいのかつながりにくかったけど、まんがだと手の届かないところまで教えてくれます。
といってもカントは難しいのでこのまんがで70%理解したと言ったところ、もう少し踏み込んで解説して欲しいところが何箇所・・・。
それでも、カント思想の形は捉えることが出来ます。
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純粋理性批判について、一度学んだことのある人にとっては、よく整理されておりわかりやすいと感じるかもしれないが、自分を含めそもそもカントの理論について理解が浅い者が読むと消化不良に終わる(なぜそう言えるのか?という説明が不十分に感じられる)可能性が高いと思われる。とは言え、私はこれを読んで他の解説書やオリジナルを読んでみようと思えたので、それはそれで有益だったというべきか。
「まんがで読破」とあるが、決して簡単な内容ではなく、ある意味読者を選ぶ本と言ってよいかもしれない。
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同シリーズをまとめ買いした時になんとなくタイトル買い
正直なところ全然理解できませんでした
テーマに基礎知識があって参考的に読むのなら解りやすいのかもしれませんが・・・
逆に漫画で描かれているだけに読み進めることだけはできてしまうというジレンマ
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まとまっていてわかりやすいように感じるけど、漫画ですらこのレベルなのかと思うと原典読むのに何年掛かるんだろう…
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----背景----
大陸合理論が主流であった哲学に、ヒュームの経験論がアンチテーゼとして提出された。
大陸合理論には独断論に陥りがちという弱点があった。なぜなら、理性を中心に据えていたため、主観がメインとなるからである。
経験論の方は、外部の現象に注目していたため、客観的だと皆が考えた。しかし、大きな問題が発生する。経験できないもの、(理論的なもの)を信じてよいのか?という疑問である。
この疑問を打破するのが、カントの純粋理性批判である。
----純粋理性批判----
1.目指すべきもの アプリオリな総合判断
アプリオリ
経験に先立つもの(人間本来の能力)
アポステリオリ
経験
経験によらないものはアプリオリなので、ここではアプリオリが重要!
分析判断
「ボールは丸い」など、主語から述語を導けるもの
総合判断
「ボールは輝いている」など、主語から述語を導けないもの。論証
総合判断には、主語に含まれていない新しい概念が追加されている。これこそが学問!
つまり、アプリオリな総合判断は成立する!と言えれば経験則による学問へ懐疑を弱められる。
2.感性と悟性
感性
対象を認識するための受容作用
悟性
感性からの情報を概念化する
まずモノを見るとき、その人の感性で対象を認識し、悟性でそれを概念化する、とカントは考えた。これはカント以前の対象=認識→真理と異なる。つまり、モノの本質と認識は異なる可能性もある。
対象について経験しかできないのであれば、経験則が正しいことになる。そこで、アプリオリな認識も持ちうることを論証していくことを考える。
感性のアプリオリ形式
空間・時間
悟性のアプリオリ形式
4つのカテゴリー
例えば卵が落ちてわれたとしよう。経験的には、卵 落ちて 割れた である。
モノ自体と認識の分離、そしてアプリオリな感性・悟性がある、ということを提示した。このことにより、モノによらない、つまり経験によらないアプリオリな総合判断が成立することになる。
2.追記.アプリオリな感性・悟性への批判
純粋理性批判で述べられているアプリオリな感性・悟性には批判もある。
たとえば、カントは客観的な総合判断は可能、ということを主張したくて理論を作ったが、アプリオリな感性・悟性というものは人によって異なる可能性(おそらく、異なる)を無視している。
これはカントは人間の本質は誰でも同じ、と仮定していたことにある。
3.理性--形而上学の限界--
理性とは、判断された諸対象から推論によって世界の全体像に迫ろうとする能力。そして完全性・全体性に行きつくまで満足しない性質をもっている。つまり究極の真理を求める性質がある。
この性質こそが形而上学を誤った方向へ導いた。どういうことかというと、モノ自体と人間の認識は異なることは2.で述べた。そして究極の真理は人間の認識の外にある��ゆえに形而上学は失敗したのだ。
その立証のためにカントはアンチノミー、つまり真でもなく偽でもないものを提案する(ただ、屁理屈にちかい)
4.人間本位の形而上学
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まんがで読破を読破するシリーズ。
学校の先生と生徒のやり取りを通して、カントの批判哲学を読み解いていく形。
一切の認識は感性にはじまり、悟性に進み、理性に終わる。空間と時間が直感形式で、分量・性質・関係・様相がカテゴリー。最高善の実現のためには、神という存在が必要。
後半は、まんがでもまだ理解できていないです。昨晩読みながら寝落ちしてました。
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キーワード多発で消化不良。
カントの人となり、カントの未完了な部分とそれを引き継いだ哲学者、そして「批判」というのはクレームというのではなく「検討」的なのこと…ぐらいが把握できたこと。
道徳の定義もギチギチと厳しく、カントは何がしたいのかと何度も思ったし、今も思っている。
認識論の「対象が我々の認識に依存している」は量子力学の観察者効果というのか、興味が持てた部分。こんなことを考え続けてストレスがあった?だろうに、80歳近くまで長生きしたのは規則正しい生活のせいか、知的好奇心の効果か。
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まんがですら難しいカント…。
同業者に「頭がおかしくなるよ」と言われてるコマに激しく同意してしまった。
ただ「なんじの意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」というのは、思考停止に陥らないためにも心に置いておきたい言葉だな。