紙の本
吉田松陰亡きあと時代へ突入だ
2011/08/27 11:50
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投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
「幕末編」も19巻になりました。しかも、きっとみなもと太郎が力を入れて描いていた人物たち(それを彼は「風雲児たち」と呼んでいるのでしょうが)の1人である吉田松陰の刑死が描かれた1巻です。
しかし、刑死そのものはむしろ淡々と描かれており、その前後の安政の大獄の全容や、刑死後の桂小五郎らの動向に力を入れて描いたという感じもあります。
そして後半は、その当時の西郷隆盛の動静と薩摩藩の動きが描かれており、「幕末編」の「幕末編」らしい話が続きます。
幕末は、このマンガを読むまでもなく、多くの傑物が出現した時代で、そんな人たちがいたから魅力的なのか、時代そのものが何か惹きつけるものがあり、だからこそいろいろな人物が現れてきたのかわからないところもありますが、この19巻あたりではそうした人物が入れ替わっていき、時代がまた動いていっているのだということを感じさせてくれます。
「幕末編」になってからコマのサイズが大きくなっているような気もしていましたが、ことこの19巻に限っては、そのコマサイズが内容とうまく合っているようにも思えます。
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蟄居謹慎刑の怖さがようやく分かった。
「明かり取りに雨戸を少しだけ開けるのみ・・・」と言う表現は何度も耳にするが、これほど恐ろしいものだとは・・・。
やはり徳川(一橋)慶喜は大物(笑)なんだろうなあ~。
松陰の最期以上に橋本左内の最期に涙・・・。
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大獄の寂しき結末と小五郎の悲しみの果てに、全てを覆す出会い! ドラマだなあ。一蔵の悪役じみた(?)策謀もアンチヒーロー的で格好いい。
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前半では、安政の大獄で刑死した頼三樹三郎、橋本左内、吉田松陰が描かれる。最も印象に残ったのは、橋本左内の最期だ。本書によれば、刑場に引き出された左内は、検死役人に存念ないかを尋ねられて暫しの猶予を求める。
「時間にして一分と少しの間、細い肩を静かに震わせ、彼は声もなく慟哭した。首打ち人も検死役人も、その場にいる誰一人左内を不覚の武士とは思わなかった。自らの生命を愛おしむこの26歳の若者の姿に、人々は黙って共感したのである」
時間が止まったかのように静謐な情景である。この場面は、伊藤武雄「景岳三十年」(『伝記』昭和10年10月号所収)では次のように描かれている。
「罪状の読聞せあつて先生は徐かに荒筵の上に坐り、両手を端然と膝に置き首を前へ差伸べた。この時である。劊手が用意の白刃を抜き放ち、先生の傍に進んで、宜いかッと声を掛けたとき、先生は何を思ひけん、暫く待てッと劊手を制して、忽ち双涙滂沱、面を掩ふて泣かれたのである」
このような彼の最期は当然論議を呼んだ。山本周五郎の短編「城中の霜」でも、事情を知った福井藩士たちは「医者の倅ゆえ武士の死に方を知らんのだ」と左内を非難する。これに対して、山本は左内を慕う幼馴染の香苗に次のように言わせている。
「強盗無頼の下賤でも笑って死ぬことは出来ます、けれど断頭の刃を押止め、静かに面を掩って泣く勇気は、左内さまだから有ったのです。(略)卑怯でも未練でもない、否えもっとお立派な、本当の命を惜しむ武士の泪だということが、わたくしには分ります」
国事に奔走し志半ばで斃れた若者の想いは、辞世の詩に窺い知ることができよう。
苦冤難洗恨難禁 俯則悲傷仰則吟
昨夜城中霜始隕 誰知松柏後凋心
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凶悪な政治家のアレで、志士が死ぬ。
吉田松陰の最後は、平田弘史先生も「笑って」たと書いてあるが、そんな感じ。
個人的には、その「風雲児たちをぜっさん(のルビが書かれる漢字は「過大評価」)している」呉智英先生の本書参照なあれは、『刑務所の中』でしか見たことないけど、その学生運動の人が獄中の同志へ送ったやうなものを一蔵どんが西郷どんへ送る。
そんでもってその西郷どんと言ふか菊池源吾さんは、沖縄の惨状を何とかするために一応奔走する。嫁もとる。うんうん。