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博物学者・荒俣宏氏による、ちょっと気になる世界の生き物大辞典。
1ページ一種類、生き物・植物を取り上げていく、ただそれだけの本。
御勉強的な要素はほんのちょっと、エッセンス程度で、
むしろその生き物の意外な一面や知られざるメカニズムなど、
マイナーなエピソードなどがしれて楽しい。
さすが荒俣さん。
結構なネタ量で、ずっと楽しく読めてしまうので、ある意味危険です。
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良くある小学生でも知っているような内容しか書かれていない事典とは一線を画している。それでいて、科学に興味があれば小学生でも読めるように書かれている。現在はインターネットがあれば、かなりの情報を入手することが可能だ。しかし、それは知っている情報を調べることには向いているが、インデックス知識を入手するためには本書のような事典の方が優れている。一冊手元に置いてあっても損はない。そう感じさせる良書である。
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アラマタ先生の、子ども向け、というより「子どもも読める」生物事典。いろんな生き物の特性について「人間がそれをどう生かそうとしてるか」という観点から解説している。子どもが大好きなウンコの話も満載だが話のレベルは高い。もっと知りたくなっちゃった人向けに関連書籍も各項目についている。漢字にルビが振られていて、小さい子どもでも好きなら楽しめる。子どもに読ませようと思って買ったけど自分がガン読み中。
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生物に学び、ヒトは進化する!
江戸時代の本草学を現代によみがえらそうと、荒俣宏が世界中から探し出した役に立つ生きものの数々。生きものの「なぜ?」を最新科学で解き明かし、さらに「へぇ~!」とうなる技術の誕生を紹介する。読めば「科学の目」が身につく、どこから読んでも面白すぎる、これまでになかった生物事典!小学生から大人まで楽しめます。
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いろいろな生物の生態や実態が書かれている。
かなり、マニアックな観点だ!
どこから読んでもおもしろい。
なんど、よんでもあきない。
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おもしろい!
すごく興味深い内容だった。
生物から学び、人間の生に活かしていく。
そういう視点で観るとキモチワルイ生き物も少し平気になるかもしれない…
理系男子も文系女子も、この本読むといいと思う。
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読書録「アラマタ生物辞典」5
監修 荒俣宏
出版 講談社
p91より引用
“そのパワーは圧倒的で、腕にピペリンをぬった布をはり、500匹
ものカがブンブンととぶ容器につっこんでもまったく平気。”
博物学者が監修した、復活しつつある本草学に基づいて生物を
見つめ直した一冊。
塩分を吸収する植物からワラビーのミルクについてまで、50音
順に紹介されています。
上記の引用は、胡椒に含まれる成分についての一文。
非常に強い虫よけ効果があるそうですが、コショウを直接自分に
振りかけてもくしゃみするだけとのことです。水に溶けるのなら
ば、コショウ水を作ればいいので簡単なのですが、それならもっ
と昔から利用されているような気がします。
目次、索引、関連項目、関連書籍と、生物についての知識と興
味を増やすための作りが、大変丁寧で力が込められた作りになっ
ているように思います。
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この事典は、まったく新しい角度から生きものの能力をさぐります。これまでの生物事典は、かわいい、きれい、おもしろい、とその生態やかたちを語るものでした。でも、この本はちがいます。「生きもの」はありがたいと思いしらされる本です。江戸時代にさかえていた「本草学」の精神に学んでいるからです。 本草学は、この世に存在するあらゆるものの効能をさぐる学問でした。元祖である中国の「神農」は、植物をかんだりなめたりして、薬か毒かたしかめたそうです。つまり、博物学が目や心で学ぶ学問だったとすると、本草学は命と体で学ぶ学問だったのです。しかし、近世になると、本草学は医学や薬学に吸収され、すがたを消してしまいました。 ところが、ここ10年ほどの間に、本草学は復活しつつあります。科学の目で生物を見なおした結果、どこにでもいる生きものから、思いがけない能力が発見されるようになったのです。これらの発見のきっかけは、みなさんがふだん感じている疑問です。たとえば、「ウジムシはなぜきたないところでも生きられるの?」という問いかけが、医療に応用される新しい抗菌物質の発見へとつながっていくのです。 これはとても新しい考え方なので、まだ参考書がありません。そこで、本書はみなさんに、生きものを見る新しい視点のサンプルを提供します。あなたの疑問が発見にかわることを願って。―――荒俣宏
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明日使える無駄知識が満載で、いい感じです。色んな動物が、アイウエオ順で紹介されています。
例えば、アリ。
ぞろぞろと大行進するアリの行列。よ~く観察してみると、そこには、最短の道を見つけるコツがかくされていました。
エサをさがしに行くアリは「フェロモン」というにおいが出る物質をまきちらしながら、ウロウロします。エサ場が見つかると、フェロモンを目印にしてほかのアリもどんどんやってきます。でも、フェロモンは蒸発しやすい。だから、時間のかかる道だと目印が消えてしまいます。そのため、もっとも効率がよい道だけが残るというわけです。
これに注目したのが、アメリカのアメリカン・エア・リキード社。この会社は、100か所もある工場から、400台のトラックで、6000か所のお客さんのところへと商品を届けています。毎日注文の種類や数はちがうから、数えきれないくらいのルートが生まれます。どのルートがいちばんよいのかわかりません。そこで、アリの行動パターンを分析して、コンピューターにアリならどの道を選ぶかを予測させました。予測ルートには遠まわりの道もありましたが、トラック運転手たちが実際にためしてみると、ひじょうに効率よく商品が運べました。会社はこれで輸送にかかるお金が減って、ほっくほくです。
じゃ、今度は全然知らない生きものを。
枯草菌。
枯れた草の菌、と書いて枯草菌。この菌は、空気中を漂っていたり、味噌や醤油の中にもいたりします。小さすぎて見えないだけで、そこらへんにいる菌です。どこにでもいるこの菌が、生きたメモリーカードになってしまいました。
この枯草菌メモリーカードを作ったのは、慶応義塾大学先端生命科学研究所のチーム。
枯草菌は欲張りで、自分のそばにあるDNAをとりこんでしまう性質があります。その上頑丈で、100度以上の高温でも、うんと寒い氷点下でもへっちゃら。しかもよく増える。
枯草菌をメモリーカードにする方法は、記録したい文字をDNA用の文字に翻訳し、枯草菌にとりこませるというもの。しかも、同じ情報をほかのDNAにもコピーしておいて、万が一情報が壊れたときに、DNAどうしが正しい情報を教えあうようにしました。普通のメモリーカードは、そのうち壊れてしまう、ということがありますが、この生きたメモリーカードなら、数億年も情報を保存できると考えられています。
もし、地球で人類が滅んでも、過酷な環境に強い枯草菌は、情報をかかえたまま生き残るでしょう。
ほかにも、電気ウナギの発電細胞をイェール大学とアメリカ国立標準技術研究所が人工的に作ることに成功して、人体に取り込んでヒトの体内でも発電しよう、で、できればそれで体の中に埋め込む色んな医療機器の発電までして自家発電どころか自分発電でやりくりしようと現在研究中だって話や、イチョウの葉っぱのエキスが、年をとってからの物忘れを食い止めるっていう、犯罪級に忘れっぽい私にとってブラボーな話、森に住むチンパンジーは病気になると薬草を探して利用するという話。しかも半端じゃなくて、そのチンパンジーが使っている薬草を調べることで、ヒトが知らなかった新しい薬の成分まで見つ��ってるって話。ホタテガイが水虫治療薬になって、アメリカで売られてるって話。で、その水虫治療薬の名前は「MOIYA」モーイヤっていうの。雪は細かいチリのまわりの水滴が凍ったものだと思われていたけど、じつはその核になるものの大部分は「氷核活性細菌」という生きものだって話。雪食べちゃったよ、何回も。氷核活性細菌。ごちそうさま。
あー、おもしろかった!
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いかに、人間の役に立つか、といふ視点で、生物を斬る。
ナメクジのぬめぬめ、セイタカアワダチソウ、から、トビネズミの巣、とそれを参考にした人間の家、とかの他、
何だかわからんがとにかく発電する器官を持つハチ、謎のハイドロジェノソームを持つ微生物、など、読んでて飽きない。
GFAJ1 はー まぁ。
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語り口はやさしくわかりやすい。
生物の驚くべき能力やわたしたちの社会・生活に役立つ物質や生態が豊富に書かれている。
生物のまねをすることが暮らしをよりよくすることにつながると思った
どの生物がどんな役に立つか分からないことから、生物多様性がなぜ大事なのか分かる。
とりあえず種類を増やしまくればその分役に立つものを生み出す生物が増える可能性も増すに違いない。
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あらゆるものの効能を探る「本草学」の精神によって編まれた生物辞典。実際にそのしくみがすでに実用化されている生物もあれば、これからの解明に期待、というものもある。
大抵知っている話だろうと高をくくっていたが、けっこう知らない話が出ていた。ほとんどの生物利用は、個人がどこかで採ってきて用いる、という小さな範囲で実現できるものではない。より高度に研究、抽出が必要なのだ。そこまでしなくていいんじゃねえかなあ、なんて思ったりもするのだけど、それが必要な人も世にいるのだろう。本は終始項目の連続で、アラマタとタイトルに冠した本人の言葉は「ごあいさつ」だけである。いや、だがところどころに執筆者のクレジットがない項目がある。これは氏によるものなのか? そんなこと邪推したってしかたないんだけども。