紙の本
時代から時代へ。
2011/07/21 20:54
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「伊藤博文」や「明治天皇」でもそうだが、先行した研究で著者と意見が違う場合、注釈の形で批判するのは、この本の著者のスタイルのようだ。
史料の関係だと思うが、昭和天皇の伝記を書く場合、大体サンフランシスコ講和条約のあたりまでで終わりだが、この本は、やや分量は少ないものの、昭和天皇の崩御まで書いている。
「戦争責任」論では道義的な責任を感じながら退位出来なかった天皇として書かれているが、著者は昭和天皇に道義的な責任を取って退位してほしかったようだ。「天皇の戦争責任」を追及した政党や組織、個々人が自分達の行動や言動に対しては不思議と責任を感じないらしいから退位論と責任問題との関係は、また違うものがあると思う。
伊藤氏には大正天皇の評伝も書いてほしい、と読んで思った。
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つい最近までテレビで見ていた人の話だと思っていたら、もう22年も前のことなのだった。三つ峠でアイスクライミングしたときの帰りが大変だった記憶がある。
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重厚な内容ではあるが、一般の読者にも読みやすく、一気に読める本だろうと思う(私はじっくり読ませてもらったが)。すでに様々な角度から昭和天皇伝は上梓されているが、それら諸研究の研究史上の位置付けや批判もきちんとなされていて、読み応えがある。とくに張作霖爆殺事件において昭和天皇が田中義一を叱責した対応や2・26事件における対応を、立憲君主制の枠をはみ出した行為としながらも、それをもって一貫して昭和天皇が政治に積極的に関与していったとはとらえず、その後の政治過程の中で成熟した君主として成長し、最終的には終戦の聖断をくだすあたりまでの描写は圧巻であった。また戦後も敗戦の責任と贖罪の意識を背負いながらも、国民の精神的支えになろうとした昭和天皇の生き様には強く共感した。
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日本の激動期の1930年代における30歳代の昭和天皇が威信が無かったとの本書の内容は驚きだった。
昭和天皇が崩御して20年以上が過ぎ、それまではベールに包まれていた昭和天皇の実像が関係者の日記等が明らかになることによって、いろいろわかってきたことがある。本書では、それらの分析を通して1930年代の日本の激動期の昭和天皇に威信が無く、軍部と官僚の統御に苦心している姿が浮かび上がっている。当時の日本においては、内閣、官僚、政党政治家、宮中、軍部が国家戦略をめぐっての方針をそれぞれが主張し、その調整機関が制度的に存在しなかった。全てを総攬する至高の存在である天皇自らが調整せざるをえなかった。昭和天皇に威信があれば容易に調整はできるが、1930年代当時30歳代の昭和天皇には威信が無かった。要するに、当時の周囲の人間は昭和天皇の言うことをあまり聞いていなかったのだ。昭和天皇は自らの方針(国際協調)を言い出した場合、無視されることを恐れて言えなかったのだ。その結果、日本は戦争への道を選択していった。
明治期の日本においては、明治天皇に威信と影響力があり、元老も健在で、国家の運営システムにおいて、軍部や官僚や政治家等の意見の違いも、容易に調整・修正できた。ところが、1930年代においては、元老は高齢の西園寺公望ひとりであり昭和天皇は30歳代で威信が無く、国家戦略の調整すらできなかった。当時の日本の政治システムでは、それが制度的に保証されていなかったと考えるべきだろう。昭和天皇が威信を獲得したのは、多くの政治的経験をつみ、円熟してきた太平洋戦争末期の終戦時期になる。終戦の「聖断」は、その威信を背景として成立した。
これは、政治システムとして考えると、君主制のもつ欠点のひとつだろう。君主が威信があり、賢明な指導者であれば、国家戦略の選択に当たっての過ちも少ないだろうが、全ての君主が賢明であるとは限らないし、賢明な君主であろうと若年であるはじめから賢明であるとは限らない。むしろ若年では未熟が当たり前だろう。戦前の大日本帝国の国家システムは国家機関の調整という点において、未熟な君主に任さざるをえないという大きな欠陥を持っていたといえると思う。
大日本帝国憲法とその国家システムは、明治初期に伊藤博文により当時のドイツの制度を移植したと聞いている。そのシステムの欠陥だろうと思われるが、現在の日本の政治の混迷を見ると、戦後日本の国家システムもまた有効に機能しているのかどうか疑問にも思う。国家システム以外にも、それを運用する人間の文化の問題かもしれないことを考察してみる必要があるのかもしれない。
私には、1930年代になぜ、日本が戦争への道を歩んだのかの知識がまだまだ不足している。本書は、若い昭和天皇には威信が無く、国際協調を望みながらも影響力保持のために軍部に迎合せざるをえない姿が浮かび上がっているが、それは、今までの昭和天皇像を書き換えるものだ。当時の日本で昭和天皇がこんなに力が無い存在であったとは、知られていない。この時代の日本政治の検証は、もっと積極的に行われるべきであると私は思う。ワイゼッカー元ドイツ大統領の言葉に「過去に目を閉ざすものは現在も盲目となる」とあるが��われわれは、現在を盲目とならないためにもっと過去を知る努力をしなければならないと思う。
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戦前から戦後にかけて正に激動の昭和の時代を生きてきた人である。 昭和天皇は張作霖爆殺事件での反動や二・二六事件で鎮圧を命じても直ちに陸軍は動いてくれなかった恐怖の経験等が重なり、また、立憲国家を放棄することにより生じる恐れのある革命やクーデターを避けるためにも、開戦は立憲君主的行動で決定する道を選んだ。しかしながらどうしてこんな戦争が起きてしまったのか、という問題を悔恨をこめて、終生煩悶し続けたのである。心休まるときは無かったのかもしれない。本書読了日は奇しくも昭和天皇が崩御してから23年目にあたる。(読み応えのある良書。時をおいて再読したい。)
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これまでの昭和天皇に対する自分のイメージ、考え・・・がどれだけ偏ったものであったのか、事実の一部しか見ていなかったかということを痛感した。
この本に書かれている事が全て正しいとは限らないが、日中戦争や太平洋戦争、戦後の占領下等の激動期が、天皇の国民や日本という国への強い思いと同時に、政治の混迷、陸・海軍の勢力争い等様々な視点から描かれており、非常に勉強になった。
他の文献との比較をわかりやすく解説していて、分厚い本だが読みやすかった。
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文字通り、昭和天皇の伝記。
昭和初期、教育や輔弼が不十分であったことが遠因となり、対応の誤りのよって軍部の信頼を得られず、軍部の独走を許。戦後は、初期において、円熟した政治家として日本を導き、後期は象徴として戦争への道義的責任を果たしてきた。
戦前から戦後初期の昭和天皇像を始めて知ることができた。その姿は後年の姿だけからは想像ができない。
一次資料による記述は信頼できるものと推察される。本著者の他の著作も読んでみたい。
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昭和天皇の実像に迫る本なのだと思うが、確信は持てない。右翼や陸軍は、天皇の意思を無視してもいいと本当に考えていたのか?それはどんな根拠によるものなのか。自分たちが正義であり、せいきを実現する為には何をしてもいいと考えていたのか?だとすれば、無責任かつ極めて独善的組織であり、そのような存在を許してしまった原因を徹底的に排除しなければならない。