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子供の頃、楽しみにしていたウルトラマンにも「哲学」が隠れていたことを思い出させてくれる本。
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「正義」とは? 考え始めると厄介な話。数ある特撮作品の中でも、ウルトラシリーズって、大人が見ると結構深いじゃん。…そんな積年の疑問、思いに応える1冊。
著者は中学教諭。授業の題材としても使われる内容は「怪獣遣いと少年」など、ウルトラシリーズの中でも「社会派」と呼ばれるエピソードを基にしていて、結構シリアス。ですがM・サンデル氏の正義論の講義に食傷気味になったら、息抜きに読めそうです。
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スラスラっと読み終えました。ウルトラマンで学ぶ正義とは何か。宇野氏のリトルピープルの時代読破後複雑な心境だったのですが、やはりウルトラマンは僕のヒーローでした
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表紙が秀逸。ギエロン星獣。
この本で書かれていることは、最近の日本人にとって割とマジョリティな考え方。多様性や他者の意見を認めるという、原理主義に相対する概念。筆者が中学生の授業で扱っている通り、正義のあり方を考えさせる為の理解しやすい事例としてウルトラマンのストーリーがふんだんに盛り込まれている。
正義は相対的であり暫定で決まっているもの、という理念には大いに同感。
では相対的だからといって自らの行為の拠り所にしている理念や論拠を簡単に放棄し、他者に迎合することが正しいのかというと、それは違う(と思う)。たとえマイノリティであっても。
自身は何が正しいと直感したのか、そしてその理由は自身に納得できるものか。その過程を経るから、異なる意見と比較する意義があり、自らの考えのどこを変えるべきなのか気づける。
愛する人が差別や犯罪の被害者になった場合に、果たしてこの考えが出来るか。
できるべき、という理想はあるものの、そうできない人を諭すことができるのか。聞く耳は持ってくれるのか。答えは限りなくNOに近い。
哀しみ、憎しむ人に出会った時、われわれはほぼ無力なのだろう。
何度耳を塞がれても、ノックをし続け、ドア越しに語りかけ、変わってくれる事を待つしかできない。あまりに淋しいが、現実はそんなところだ。
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ウルトラマンのタイトルと神谷という著者名を見て、(声優さんが書いた本かな)と思いましたが、私が勘違いした声優は神谷明と神谷浩史で、著者とは別人でした。
『リトル・ピープルの時代』『ふしぎなふしぎな子どもの物語』と、最近ウルトラマンに関して記述された本をたて続けに読んでいます。
どれもなにかの雑誌でお勧めされていたもので、3冊とも、震災後に刊行された本です。
やはり震災は従来のヒーロー像に大きな影響を与えたということでしょうか。
詳しく知らないウルトラマンの関連本を3冊同時期に読み終えたことは、なかなか自分にとっての肥やしになりました。
この本は、ウルトラマンだけを採り上げているため、ストーリーやエピソードも紹介され、より詳しいものとなっています。
子供用の作品は、勧善懲悪が基本で、ウルトラマンの世界では、怪獣たちが悪の存在として登場しますが、果たして本当に善と悪は固定されたものなのか?という問いがこの本のテーマとなっています。
たしかに、あらすじを読んでみると、単に善サイド悪サイドとは分けられない複雑さや曖昧さがあり、(怪獣にだって言い分があったりするんだな)とも思えます。
『ウルトラセブン』は、当時のベトナム戦争の影響下にあった作品とは知りませんでした。
シリーズ内でも異色の暗さが出ていると言われるのは、そのわけかもしれません。
セブンの敵、ギエロン星獣は、怪獣ではなく異星人だったということも初耳でした。
地球人は、自分たちの保身のために異星人を悪と見做して排除したというストーリーとなっていたようです。
セブンから40年後に作られた『ウルトラマンマックス』には、メトロン星人が登場。
彼らは堕落した地球人に絶望し、侵略の価値なしと見做して、ウルトラマンとの戦いを放棄したとのこと。
そんなストーリーがあったとは。考えさせられます。
さらに、ラストに流れるナレーションの文章には驚きました。
「人間同士の信頼感を利用するとは恐るべき宇宙人です。でもご安心ください。このお話は遠い遠い未来の物語なのです。え?なぜですって?我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから」
アイロニーにあふれた言葉がショッキングでした。
延々と続いているウルトラマンですが、時代背景の影響も受け、単純な正義をふりかざしているわけではないということが見えてきました。
正義の基準は時に矛盾をはらみ、そこに懊悩するヒーロー像があるということも。
だからこそ、息が長く、大人にも支持され続けているのでしょう。
ベトナム戦争ではありませんが、今はアメリカ中心の国際社会となっており、アメリカが定めた正義が、全世界の正義ということになっています。
ただ、国ごとに価値基準が違うため、そこにひずみが生じて、さまざまな国際紛争が起きているということを、ウルトラマン作品を通じて改めて感じました。
子供の頃は、ウルトラマンは完全に善なる存在ととらえていましたが、かといって対する怪獣が悪かというと、怪獣側の立場に立ってみれば、そうとも限らないわけです。
成長してから改めて作品を見直すと、気付かなかったたてまえ正義のひずみに気づくこともあるのでしょう。
「2010年は『告白』や『悪人』という映画が大ヒットしたのですが、これら2作に共通するのは、加害者もまた被害者であり、責任の所在を追求していくと堂々巡りに陥っていく点です。」というくだりを読んで、なるほど、確かにどちらもその歯がゆさが同じだと気がつきました。
マイケル・サンデルの講義のように、これからは互いの側に立って、とことん突き詰めて考えていかないと、どちらが善か悪かは簡単に決められない、多様な価値観の時代に突入しているのでしょう。
そう考えると、ウルトラマンに描かれるヒーロー像は、かなり時代性をおびた象徴的な作品だということに、気付かされました。
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ちょっと単純に捉えすぎのような
中高生が読むにはいいのかな
もっと生徒たちの声がききたかったかな
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長年、愛され「国民的ヒーロー」と言えるウルトラマン。
その人気の要因は、いろいろあるが、その中の一つに「大人の鑑賞にも耐える」という点があることは言えるだろう。
子供の頃に見たウルトラマンを成長してから改めて見てみると、驚くようなメッセージ性を持っていたりするのだ。
本書は、ウルトラマンのエピソードを教材に社会問題等について生徒に考えさせる、という授業を行っている中学校の国語教師である著者が描いた「正義」についての考察。
基本的にはウルトラマンシリーズは「勧善懲悪」のストーリーなのだが、時にウルトラマンの「正義」に疑問を感じるエピソードが語られる。
ウルトラマンのシリーズの中では決して「正義」は一つではないのだ。
「ウルトラマンガイア」に至っては、ウルトラマンアグルという信念の異なるもう一人のウルトラマンが登場し、それが明確に示される。
シリーズの中で、有名なエピソードだけをピックアップしただけで次のようなものがある。
ウルトラマン 第23話「故郷は地球」
ウルトラマンの全シリーズの中でも、おそらく最も救いのないエピソード。
科学特捜隊とウルトラマンが戦った怪獣ジャミラは、異形の姿になったとは言え「人間」だった。
しかもジャミラが異形になった原因を作ったのも人間で、ジャミラの方が犠牲者、という構図。
ウルトラマンはジャミラが「人間」であることを知りつつ、ジャミラを倒す。
この時だけ怪獣は爆発せず、ジャミラは苦しそうにのたうちまわりながら息絶える。
ラスト、ジャミラの慰霊碑が作られ、そこには「人類の夢と科学の発展のために死んだ戦士の魂、ここに眠る」と刻まれる。
一見、せめてもの救いのように思えるが、慰霊碑に礼をする科学特捜隊メンバのすぐ横を各国の高官達が通り過ぎるが、慰霊碑に目を向ける者は誰もいない。
そして、とどめの一撃となるイデ隊員の一言で物語は終わる。
「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど」
ウルトラセブン 第42話「ノンマルトの使者」
海底開発を進める人類。
ウルトラ警備隊のメンバは「ノンマルトの使者」と名乗る少年に出会う。
少年は「人間は後から来て、ノンマルトを海底においやった。海底はノンマルトのものだ。海底の開発をやめろ」と言う。
その言葉を一笑に付すウルトラ警備隊。だが唯一人、ウルトラセブンであるモロボシ・ダンだけは、その言葉に愕然とする。
なぜなら、セブンの故郷、M78星雲では、人間の事を「ノンマルト」と呼んでいたから。
少年の言葉が真実ならば、人間とノンマルトは別、という事になる。
ノンマルトは本当に地球の先住民なのか、という事は不明確なまま、セブンはウルトラ警備隊のノンマルト攻撃に加担してしまう。
問題提起、という点で印象的なのは次の2編
ウルトラセブン 第8話「狙われた街」
人間の理性を狂わせる物質をタバコに混入し、そのタバコを吸った人間が暴れる事で人間同士の信頼関係を壊し、自滅させる作戦をとったメトロン星人。
「モロボシ・ダンとちゃぶ台をはさんで話をするメトロン星人」というシュールなシーンでも有名だが、最後のナレーションが痛烈。
「人間同士の信頼関係を利用するとはおそるべき宇宙人です。
でもご安心ください。この物語は遠い遠い未来の物語なのです。
え?なぜですって?
我々、人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いに信頼してはいませんから」
ウルトラマンマックス 第24話「狙われない街」
ウルトラセブン「狙われた街」の後日譚
ウルトラマンマックス自体、ウルトラセブンのイメージを色濃く残したデザインだけに「狙われた街」の構図も真似てパロディ的要素も濃いエピソード。
メトロン星人は実は生きていて、新しい侵略計画を実行しつつあった。今回は「携帯電話の電波に細工をして、人間を低脳化させる」というもの。
だが、メトロン星人は途中で計画を放棄して宇宙に帰ってしまう。
その理由はウルトラマンマックスに負けた訳でもなく、改心した訳でもない。
人間のバカさ加減にウンザリして、侵略の価値なし、と判断したから。
メトロン星人が去り際に
「地球の夕焼けは美しいなあ。とりわけ日本の黄昏は。…この陰翳礼讃がなによりのみやげだな」
と言うのが、またしても痛烈。
問題の背景を考えず、最近に起こった現象だけを見て「二元論」に還元しようとする人達がどこかの国の政治家に多い気がする。
が、それが如何に危険な事がこのことだけでもよく分かる。
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著者は北海道の公立中学校の教師。国語の授業で中学生に「ウルトラ」シリーズの映像を見せて、「正義」について考える実践をなさっているのだそうだ。「マックス」や「メビウス」など、最近の作品も取り上げている点がよい。
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改めて、ウルトラマンシリーズが普遍性をもった作品だと感じさせてもらえる本でした。
ウルトラマンシリーズが扱っているのは、科学と経済の急激な発達によって、未熟なままで国際的な責任を持つようになってしまった日本人への皮肉だと、この本を読んで改めて思いました。
ここで紹介されているエピソードは、そもそも善意や自己防衛から始まったものばかりです。そういったものに付随する、社会や人間の闇が今もあるからこそ、現代を生きる生徒さんも考えさせられるのでしょう。
取り扱うエピソードのあらすじが書かれた後に、考察があるので、ウルトラシリーズを見ていない方も手に取りやすいです。
正義のヒーローの話に隠れる影を一度見てみて下さい。
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本書は『ウルトラマン』の中で描かれた様々な正義と、それにまつわる諸問題について考察したものです、日頃、中学絵師に授業で伝えていることに触れつつ、生徒には教えていないような現代思想や哲学の方法を用いた説明を大幅に加えています。
(正しさを疑うとは)……地球は地球人のものという「当たり前」を崩壊してみせたドラマです(「ノンマルトの使者」)。
(悪いのは誰かとは)……「ザ✩ウルトラマン」第12話怪獣とピグだけの不思議な会話より、いかに生育歴が良くなく、劣悪な環境のせいであったとしても凶悪な犯罪を犯せば厳罰を与えられるのは仕方がないことだと思うからです。
(戦いは何のため)……戦いの先に何があるのかは誰にも見えず、戦いは何かを得るための手段から始まり、いつしか敵をたたくこと自体が目的になっていくのではないでしょうか。
(正義を求める心とは)……「正義」とはもともとあったものではなく、今日妥当であると思われている「正義」が未来に亘って「正義」である保証もありません。その時、その場に必要な「正義」を設定するため議論が不可欠です。
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1、正義とは力だけでなしえない。
2、世界唯一の被爆国だからこそ描けるものがウルトラマンにはある。
3、正義の味方願望を満たすには2つのやり方があり、一に敵を作り強者になることと、二に弱者を助けることである。
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とある事情よりヒーローと正義の関係を考えたくて探し出した本。
わたし自身は性別的にもあまりウルトラマン自体を観たことはなかったけれど一通りのあらすじなどを紹介してくれるので、同じ尺度で考えることが出来たと思う。
一言で「正義」と言ってしまうにはすごく難しく扱いにくい言葉をじっくり考えられる一冊でした。
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ウルトラマンシリーズのあらゆる話から、人間の生き方、地球との関わり方、武器のことから何から鋭いところを突いてくる。何度か泣きそうになった。
異物を排除する人間の愚かさや、武器を持つことの怖さ、
「正義」とは何なのかを考えさせられる。
北朝鮮が東日本大震災に寄付をしていたとは、この本を読まなければわからなかった。
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発売予定の『ウルトラマン「正義の哲学」』の存在を知り気になっていたとき、ほんとにたまたま図書館で目についた本でした。
これは面白い。といいつつウルトラマンシリーズほとんどみたことがないので、全部観てみたくなりました。
ウルトラマンという身近な題材で、ストーリーもしっかりしている所からの話だったのでわかりやすかった。
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定番のエピソードから新しめなエピソードまで、いろいろ取り上げられていたし、読んでて飽きなかった。この人の授業を受けてみたい。