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捨てられた網に囚われた魚の写真が印象に残った。
魚を捕る目的で作られた網は、捨てられてゴミになってもその機能を失わない。
C.W.ニコルがアラスカ(だっけ?北極?)へ行った時、小型の魚捕り網を無くしてしまったエピソードを思いだした。彼は可能な限り急いで網を回収したけど、その時にはすでにたくさんの鳥や小型の動物が網に絡まって逃げ出せないまま死んでいたって。
生命の織物の中で生きるのに憧れる。人間だってその一部に入っている…はずだけど、普段の生活ではぜんぜん実感できない。せいぜいご飯を食べる時かな。でも、生命の織物を私が途絶えてしまっているように感じるんだ。それを思うと後ろめたいような悲しいような気がする。
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海に捨てられたゴミ。
空き缶の中に住む小さな魚たち。
タイヤに戯れる魚やサンゴ。
煙草の空き箱や、パソコンに、プリクラ、プーさんの人形。
たくさんのフジツボに覆われた機械類。
どれもこれも、決して土に還ることはない。
きれいな海をこんなにしてしまったのは、わたしたち人間。
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海の中にあり続ける、人間がだしたゴミ。そこに住む海の生き物がち。魚たちには、空きカンも急須もエレキギターもタイヤも、海の石と変わらない。
作者あとがきにあるように、
「水に流す」という言葉は日本独特の言い回し。でも、本当に汚れたものやゴミを流してしまっては、人間の目に見えなくなっても、川にも海にもゴミは残る。海は無限の存在ではない。自然にかえらない素材のものを、それも大量に流して、海の中が昔と同じというわけにはいかない。人間は、それに気がつかないフリをしていていけない。
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海に流れ着くゴミの数々。隠れ蓑として魚たちの棲家にもなっている。一見、肯定的に思える出だしだがそうではない。人間が出したゴミは、魚たちの自由を奪い、生命の営みに逆らっている。いきものは命を巡らせるが、ゴミは腐る事なく滞留し続ける。ずっと残り続ける。本の半分が解説であるが、是非親子で一緒に読んで、海のゴミ問題に触れて欲しい。ゴミに棲む魚たちの姿に、自分が関わっているかもしれないという想像力を持って、何が出来るか考える時間が持てた。