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ナポレオン・ボナパルトは遠方に輪郭を見せるピラミッドを指さして、こう叫んだ。「兵士諸君、あのピラミッドの頂きから、4000年の歴史が諸君を見下ろしている!」
ナポレオンのエジプト遠征における、闘いの一幕である。1798年に始まったその遠征には、多くの奇妙な、異常とさえ言われるような側面があったという。軍隊に同行すべく151人からなるパリの画家と科学者の集団が組織されたのだ。本書はその軍事的側面を背景に、同行した学者たちの活動にフォーカスをあてた一冊である。
◆本書の目次
第1章 将軍
第2章 幾何学者と化学者
第3章 発明家
第4章 学士院
第5章 エンジニア
第6章 医者
第7章 数学者
第8章 画家
第9章 博物学者
第10章 動物学者
第11章 石
第12章 本
エピローグ エジプトマニーからエジプトロジ―へ
同行した集団の中には、歴史に名をとどめる人物も多い。フーリエ級数でおなじみの数学者フーリエ、ラボアジエと並ぶ天才化学者ベルトレ、幾何学者モンジュ、後にルーヴル美術館の初代館長となるドノン。そして驚くべきことに、彼らは多くの兵士同様、途中まで自分たちがどこに向かっているのかを知らされていなかった。リーダーであるナポレオンをひたすら信じて、目的地が謎に包まれた途方もない遠征に志願してきたのだった。
その当時のフランスにとって、エジプトは重要な意味をもった。エジプトを取ればイギリスとインドの間の主要な交易ルートを断ち切ることになり、イギリスの帝国主義的野望を弱めることができるだ。また、1790年代にはフランスでは古代エジプトの図像学が大流行していたという。フランス革命直後のフランスは、無神論国家である。彼らはファラオの文明を、腐敗した国王やカトリック教徒に先行する一種の純粋で自然な社会として想像したのだ。
そんな希望に満ちて、いざエジプトに上陸した直後の現地人との出会いをめぐる記述が面白い。歴史的な一幕を想像した彼らが直面したのは、とにもかくにもエジプト人たちのフランス人に対する無関心なのだ。1000人を超えるフランス人たちが何トンもの物資をボートから海岸へと運んでいるあいだも、アラブ人たちは何ごともないようにその脇を通り過ぎて波打ち際まで行き、そこで顔と身体を洗ってから、無言のまま東を向いて祈り、それから立ち去ったという。
これに対処しようとするナポレオンの行動も、コントのように滑稽だ。「フランス人は真のイスラム教徒である」と宣言し、イスラム教徒になるのを望むのだが、割礼と禁酒を求められて挫折。人々に感銘を与えようと直径12メートルの気球を飛ばすものの、紙で作られいたためすぐに破け、火が燃え移ってしまう。これを見たエジプト人たちは自分たちが攻撃されているとさえ思ったらしい。また、ある時はトルコの衣服パンタロンとターバンを身につけ外出しようとしたところ、あまりにも不格好だったため、周囲に断固として反対されたこともある。どこまでも憎めない男である。
このような記述が、まるで帯同記者でもいたかのような臨場感��残されているのも、サヴァンと呼ばれる科学者たちの同行による賜物である。その軍事的失敗とはうらはらに、学術的な成果の残した意味合いは大きい。軍隊はエジプト人の顔を敵として見るのだが、サヴァンたちは研究対象して見る、それが大きな違いを生み出したのだ。彼らはエジプトの人々の相貌、衣服、家々に注目し、スケッチに収め、社会的及び性的習俗を記録しようとしたという。
また、科学者グループの持つ種々雑多な性格も、科学的な側面において功を奏している。パリにおいては各分野に存在する境界が、カイロにおいては厳密さが消え、建築家、博物学者、物理学者、天文学者、地理学者などが、ボーダーレスにひとつの庭で語りあう、またとない機会を生み出したのだ。
こうして彼らは、最大の成果となるロゼッタストーンの発見を果たす。もっともその後に、彼らはイギリス軍に打ち負かされ、その成果をまるごと奪われてしまうことになるのではあるが。本書の原題は「ミラージュ」。幻だったのは、東洋征服という夢だけではなく、ロックスターさながらに作り上げようとした文化的な熱狂においても同様だったのだ。後に、その幻想は、エジプト学、考古学として現実のものとなるが、ナポレオンの死後だいぶ経ってからのことである。
ただし、多くのサヴァンにとってエジプト遠征はロマンチックな冒険だった。そして、そのインパクトをもって、フランスとヨーロッパは理性の時代からロマン主義へと大きく時代が傾いていく。このあたりの様は、日本の明治時代における『坂の上の雲』あたりの話を読んでいるようでもあり、興味深い。なによりも、軍事的な側面ではないナポレオンの素顔に触れることができ、もう一つの夢を追体験できるということが、本書の最も価値のあるところであるだろう。
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ナポレオンのエジプト遠征には数多くの学者が付き従った。ナポレオンが本土へ逃げ帰ったあとも、帰る船のない彼らの多くは研究を続行した。間に合わせの道具を手にひたすらに研究を続けたサヴァン(学者)たちの苦闘を、本書は細密に描いていく。ロゼッタストーンをはじめとした多くの発見がもたらされたが、その多くは最終的にイギリスに取り上げられ、大英博物館に収蔵されることとなった。編年的というより学者たちそれぞれに焦点を当てるルポルタージュ的手法で描かれていて、読み物として抜群におもしろい。むくわれることの少ない真実追究への情熱に、ロマンを感じられる人に。
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野心あふれる若きナポレオンは1798年人気取りのためエジプト侵略を計画し、フランスを代表する一流の学者や優れた学生を167名を同行させた。行き先すら伝えられず乗船した彼らは疫病の蔓延する灼熱のエジプトに連れて行かれるが、実に積極的に調査研究をはじめる。ロゼッタストーンなどエジプト文明はこうして西欧に伝えら、未開の地で会ったエジプトにも近代科学がもたらされた。しかし侵略戦争は全くうまくいかず、一年半でナポレオンは部下を捨ててフランスに逃げ帰っり、電光石火の勢いでクーだターを成功させ、皇帝への階段を駆け上がっていく。残された兵士や学者の多くの者は命を落とし、数年かけてようやく帰国した。
例によって独裁者による無残な話しだが、戦いに学者を同行させるというナポレオンの発想はさすがにスケールが違う。また自らも研究に加わり、成果に一喜一憂している。大著だが一気に読了。
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ナポレオンのエジプト遠征は、「4000年が諸君を見下ろしている」という台詞と、ロゼッタストーンの発見で有名だ。ナポレオンは、150人以上の学者、学生をこの遠征に伴い、地理、建築、動植物等を研究させた。
遠征に帯同した学者達は、エジプトで、戦争だけでなく、自軍からの役立たずという嘲り、暑さ、砂漠、害虫、ペストとも戦うことになる。
熱狂から倦怠、不安、恐怖に揺れ動く感情の中で、彼らは自分たちのすべきことー研究や、開発を行う。
エジプト遠征の悲惨さ、その中で自分たちの研究を追い求める学者、学生に圧倒される。
原題は、Mirageという。エジプトは彼らにとって、人生を変えてしまう、強烈な体験であり、彼らの目指したものは、蜃気楼のように計り知れないものだったのだ。
しかし、自分がこのような立場におかれたら、きっと死ぬ側に回るだろうと思ってしまう。
フーリエって、数学できるだけでなく、行政や外交の才能もあったのね。
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1798年、ナポレオンは自らをアレクサンドロス大王と重ねてエジプトを目指した。遠征軍にはおよそ200人の科学者が随伴していた。本書は科学者たちを主人公としてエジプト遠征から帰国後までの物語を描く。
上陸したアレクサンドリアは、もはや古代の輝かしさをとどめていなかった。早くも遠征軍は幻滅を覚えることになる。また、アレクサンドリアからカイロへの道のりは、酷暑を知らないフランス人にとって耐えがたいものだった。だが、科学者たちは酷暑に耐えながら夢中で収集を開始する。彼らにとってエジプトは宝庫だった。
ナポレオンのエジプト遠征は成功しなかった。成果と言えばアレクサンドリアを占領したことぐらいである。この遠征はペストと隣り合わせであり、遠征軍が次々とペストに感染して苦しむ様子が生々しく描かれている。
だが、この遠征がもたらした意義は小さくないだろう。科学者が持ち帰った成果は出版物となり、エジプトに対する関心の高まりから略奪の時代をもたらした。現地では民族運動の萌芽が見られ、やがてムハンマド・アリー朝の成立につながっていく。