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歴史上のエピソード+一般の人々の投稿による、親子の情を綴る一冊。
親について語ること、語りたいことって、誰しも持っているもんなんだなぁ、と思いつつ、目は活字を追いながら、頭の中に浮かぶのは田舎の両親のこと。2人とも80歳を過ぎて、ありがたいことに日々健康には暮らしているけれど、もちろん年相応の不具合は出てきているわけで…。離れて暮らす娘としては折に触れ電話をしたり、何かことがあれば駆けつけたり、はしていても、どうしても自分の生活に紛れて親のことを忘れていることも多いんだよね。
歴史上のお話は、有名な(というかベタな)ものから、へぇ~~、そうだったの?というものまで。また、一般人の投稿は、亡き親を思う御自身もかなり年配な方から、小学生までとさまざま。
その中で、私が泣いたのが、のび太のパパとママの話っていうのもなんか笑えちゃうんだけど、これがね、ホントにいい話だったんですよ。
両親から叱られたのび太が、「僕はホントの子どもじゃないだぁ~~」とドラえもんに泣きつくと、のび太が生まれた日にタイムマシンで連れて行ってくれた、という、うんうん、いつものパターンだね(*^_^*)、となるのですが・・・。
病院で赤ちゃんの名前をのび太にする、と決めたパパが
パパ「いい名だろ。すこやかに大きく、どこまでものびてほしいという願いをこめた名前だよ。
ママ「いい子に育ってほしいわ」
パパ「いい子にきまってるさ。君に似たら、成績優秀うたがいなし!」
ママ「あなたに似たら、運動ならなんでも来いのスポーツマン」
パパ「政治家になるかな。学者になるかな」
ママ「芸術家もいいわね。絵でも彫刻でも音楽でも」
パパ「なんでもいい。社会のために役に立つ人間になってくれれば」
ママ「思いやりがあって勇敢で、明るく男らしくたくましく、清く正しく美しく・・・・」
のび太が生まれて2人がどんなに喜んでいるか。
そして、「自分の」子だからという期待ではなく、愛するパートナーに似たら、と思いを巡らすところがなんか泣けてきちゃうんですよね。小学生ののび太から見れば、パパとママはずっとパパとママなんだけど、実はお互いを好きで結婚したカップルだったんだ、なんて。(*^_^*)
そして、立身出世(あはは・・古いね、私も!)願うのではなく、社会の役に立つ人になってほしい、と希望を膨らませる親ごころ。小学生ののび太がその時点で彼らの期待に添っているとは言い難いけど、でも、こんなにも喜ばれて生まれてきたのび太なんだもの、もうそれだけであなたは陽合わせだよ!!と、じわんと来てしまったんですよね。
そして・・・
「養生訓」と言えば、とにかく“接して漏らさず”でしょ。なんだかなぁ、そんなにしてまで長生きしたい???なんて、ちょいと斜めにしか見てなかったのですが、
年老いると、寂しさに耐えられなくなるものだ。これがまた、健康に悪い。子たるものは、時々側に行って、何でもいいから話をして、親の心を慰めたほうがよい。
友人や妻子とは親しく行き交い、いつまでも語り合っていながら、父母に対しては面倒がって、ほとんど話をせず、近づこうともしない。こんな者は、親を愛さず、他人を愛しているのだ。
とやられてしまい、思い当たることがありありなだけに、ガツンと・・・。
そうだよね、確かに面倒がってるなぁ、私。親の恩なんていう概念を抜きにしても、人の情として、やっぱりこれはマズいでしょう!とも。
普段は読まない分野の本でありましたが、思いもかけず、じわん&ガツンの出会いがあり、とりあえずは、とその日、実家に電話したじゅんでございました。^_^;
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始めっから、涙腺緩みっぱなしだった。
時代を問わず、国を問わず、親が子を思う気持ちは変わらないのである。
やはり、ここに登場する子どもたちと同じで、自分も親になってみてわかったことがある。
親が元気なうちに、気づくことができて幸せだと思う。
子どもからのありがとうという気持ちが伝わってくるだけで、親はどれほど嬉しいことか。
自分もこれから伝えていきたいと思う。
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歴史上の人物のエピソードは余計。読者の体験談及び巻末の高森顕徹さんの自らの生い立ちについての記述には素直に胸をうたれた。